文章表現の解像度

 このブログと同じく「分かりやすさ」について書いてあるブログをネットで検索することがあるのだが、なかなか、これはいい、と思えるブログに行き当たることは少なかった。

 ところが、昨日見つけた【エッフェソイヤ 話の分かりやすさの本質は、情報の解像度にある】というブログ記事は、非常に分かりやすく本質を捉えていたので、かなり長文になるが、ぜひ、読んで欲しい。

 ざっくり内容を説明すると、文章の精緻さを、画面の解像度になぞらえて、文章の解像度が読み手の読解力と比べて高すぎたり、低すぎたりすると、読み手に的確に情報が伝わらない、従って、常に読み手の読解力に留意すべきである、というものである。

 私が、このブログで書いてきたことを、ある意味では、より的確に表現してくれていて、正直、「参った!」という気持ちにもなったのだが、では、そのブログの筆者が書いた文章が、「分かりやすさ」の点で、何の問題もないかというと、必ずしも、そうではない。

 そのブログの記事の中に、筆者が文章を書く際に、①②・・・と、いくつかの段階を踏んでいることを説明した後に、次の一文があったのだ。

例えば、今書いている記事の、①〜②の段階はこのような感じです。


 私は、「今書いている記事」というのは、まさに私が引用している記事そのものだと受け取って、その続きを読んだのだか、続きを読んでいくと、いきなりゲームの話が出てきたので、それまでの文章との繋がりが分からなくなり、戸惑った。

 一呼吸置いて見直すと、「今書いている記事」というのは、「これから発表するために、今書いている記事」ということで、私が引用した記事とは別に執筆中の記事のことだと理解できた。

 また、文章の解像度について、次のような記載があった。

僕は、この解像度が、画像だけではなく、話や文章にもあると思っています。
例えば、同じ”青”について話す時も、

解像度高:シアン、コバルトブルー、マリンブルー、エメラルドブルー、藍色、群青色、空色
解像度中:青、水色
解像度低:青
解像度最低:色

など、情報の細かさや、詳しさに様々なレベルがあります。


 最初の3つは、すんなり理解できたのだが、最後の「色」で首を傾げてしまった。

 最初の3つの例は、色彩に関する表現の解像度の違いの具体例として適切なものだが、最後の例の「色」というのは、明らかに不適切だ。「色」というのは、「大きさ」「形」というのと同じく、属性そのもののカテゴリーを表現するものであり、「色」の中で、「コバルトブルーとか、ただの青とか、いろいろなレベルの解像度があるのだから、この「色」というのは不適切ではないか、そう考えた。

 だが、改めて考えると、解像度に様々あるという例として掲げられているのだから、ここの「色」というのは、カラーシャツという場合の「カラー」と同じく、真っ白ではない、という意味で使われているのだと気づいた。

 結論から言えば、私が十分に文脈を踏まえた読み方をしていなかったために生じた誤読だったのであるが、これまでも、何度も触れてきたように、文脈を十分に理解していない人にも、一義的に理解できるような表現を用いるのが「親切」というものである。

 では、ここでは、どう表現すればよかったかというと、単なる「色」ではなく、「色つき」あるいは「カラー」という表現がよかっただろう。「カラー」と言えば、「カラーシャツ」のように、「白以外の色」を指すものと通常、受け止められているからである。

 なお、文脈への依存は回避すべきだということは、 【目を覚ましたメリーは、・・・】にも、書いたことがある。

 さらに、こんな記述もあった。

"いや、もう少し分かりやすく話せるだろ…”

と思う場合で多いのは、
解像度の低い人の話、
というよりは、
それなりにしっかり勉強している人の解像度が高すぎる場合
が多いです。



 言いたいことは、よく分かるし、私も、多分そうなのだろうと思う。

 だが、見てのとおり、「多いのは、」に対応する述語が存在しない。

 文末の「が多いです。」を単に「です。」とすれば、主語と述語とが対応して、落ち着きのある文になる。

 おそらく、筆者は、常日頃、そういった例が非常に「多い」と感じていたために、思わず、「多い」という単語を二重に使ってしまったのだろう。

 こういった心理はよく分かるし、私も、先日の記事【可食してもよい】で、「明らかに」を一文の中に二度も使いそうになったことを取り上げたばかりである。

 それだけに、思い入れの強い文章を書くときほど、要注意ということである。

 ところで、このブログの皆さんに読むことを奨めておきながら、そのブログの記事の「分かりにくさ」を3つも指摘したのは、常日頃「分かりやすさ」に留意しているはずの人でさえ、ときに分かりにくい文章を書いてしまうという例を示すことによって、どれほど、「分かりやすさ」に気を付けても、それで満足ということにはならない、ということを言いたかったからである。

 私自身も、自分では、結構いい記事をかけたな、と思っていても、友人から、その私の記事が「分かりにくい」という指摘を受けることが度々あるのだ。


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