情報は、届かなければ意味がない
【1】 頭上注意
京都の市バスは、後ろ乗りだが、後部ドアの乗り口は結構な段差がある。そのため、ちゃんと足下を見て乗り込まないと、足を踏み外すことになる。
先日、市バスに乗り込んでから、足下を見るために俯き加減だった上体を元に戻したところ、頭頂部にガンと、金属板の衝撃を感じた。
頭の上を見ると、そこには、「頭上注意」と書かれていた。
「頭上注意」の表示は、「頭上」ではなく、「足下」に表示しなければ、意味がない。
【2】 多言語表示
近頃、企業のウェブサイト等で、各国語対応をしていて、日本語表記のウェブサイトの右上の方に、「English」とか「中文」とか「한국어」とか書かれたボタンが配置され、そこを押せば、英語や中国語やハングルのウェブサイトが表示されるようになっているものが多い。
ところが、ときに、こんな例もある。言語を切り替えるためのボタンに、「英語」「中国語」「ハングル」などと書かれているのだ。日本語で「英語」と書かれていても、日本語を解さず、本当に「英語」版を必要としている人は、このボタンを押すことさえ、できないのである。
【3】 ユニバーサルデザイン・・・文字サイズ
高齢化に伴い、小さい文字が読みづらい人は増えている。だからと言って、ウェブサイトで、あまりにも大きな文字を使うと、小さい文字でも読める人にとっては、かえって、煩わしく感じる。
そこで、文字の大きさを切り替えられるよう、切り替え用のボタンを用意して、そこに、「大」「中」「小」の表示をしている例は多く見かける。
ところが、困ったことに、そのボタンの文字が小さいことが多いのだ。「小」に設定したときと同じ大きさの文字だと、そもそも、「小」や「中」では見づらく、「大」に切り替えたい人には、切り替えボタンの文字を読むことすら困難なのだから、何の意味もなくなるのである。
【4】 まとめ
以上に掲げた例は、要するに、どういう状況で情報を伝えるのか、という点に関する、想像力の欠如が原因である。
つまり、その情報を届ける相手が、
・どういう状況で見るのか
・どういう言語を理解しているのか
・どんな大きさの文字なら読めるのか
という点に、ちょっとした想像力を巡らせれば、このようなことには、ならないはずなのである。
より、抽象化、一般化して言うと
・情報の受け手(年齢、性別、居住地、職業、知識、視力・聴力・・・)
・情報伝達の環境(時間、空間、媒体・・・)
・情報の形(紙・電子・音声、言語、大小・高低・・・)
について、想像力を巡らせることが重要と言うことである。
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