グラデーションは、こうする 風雨の予想図

 今朝のテレビ【羽鳥慎一モーニングショー】の台風予報で、こんな図が出ていた。

雨風-1


 風雨の強さを、色のグラデーションで示しているのだが、どうも、しっくり来ない。

 風の方は、両極が水色と赤紫で、左から右までの色の変化が激しすぎ、落ち着かない。

 雨の方は、8mmを境に青と黄色で、色の違いが大き過ぎて、右の色になるほど、少しずつ、雨量が大きくなっているということが読み取りにくい。

 こんなときは、下記のようにすれば、よい。

雨風-2


 まず、色の三原色を全部使うのではなく、赤と青の二つだけにしたので、落ち着いた感じがする。

 次に、隣り合った色同士の色相の隔たりが大きくないので、少しずつ、風雨が強くなっていることが理解しやすくなっている。

 色のグラデーションについては、以前の記事にも書いたことがある。

 【色使いは、こうする
 【赤い州、青い州
 【グラデーションのフェイント

数字の効用

 裁判文書で項目に番号をつける場合、次のようにつけるのが正しいとされている【裁判文書(裁判所提出書類)の標準的な書式,表記法】。
 

 第1,第2,・・
  1,2,・・
    (1),(2),・・
     ア,イ,・・
      (ア),(イ),・・
       a,b,・・
        (a),(b),・・


 普段は、(1),(2),・・までで十分だが、たまに、下の階層も使いたくなることがある。

 その場合、私は、 ア,イ,・・を使わず、①②・・を使っている。

 上の3階層は数字なのに、途中でカタカナというのに違和感を感じるのと、カタカナだと、たとえば、キとかケを単独で目にした場合、どちらが先か一瞬、迷うからである。

 ときおり、文書によっては、い、ろ、は・・を使っている場合もあるが、「へ」と「ち」のどちらが先かというのは、頭から「いろはにほへと・・・」と思い出さないと駄目である。

 アルファベットでも、「K」と「H」の前後関係なども、「HIJK」と順に思い起こさないと分からないが、「ABC」から始める必要はないし、Fくらいまでだったら、順番は、すぐに分かる。

 他方、数字は、二桁までなら、その前後関係は一瞬にして理解できる。

 そういうわけで、裁判所に出す文書も、常に数字で通している。

個人、会社、2通必要です

 先日、委任状を作成して依頼者の方に送った。

 「送った」といっても、メールに添付したのだが、メールの本文に、次のように書いた。

添付の委任状に記名捺印の上、お届け下さい。

・個人、会社、2通必要です。


 個人としての依頼者の方と、その方が代表取締役を務める会社が、ともに裁判の当事者となるため、個人としての委任状と会社としての委任状の計2通の委任状が必要なのである。

 しばらくして、こんなメールが返ってきた。

 2通というのは、それぞれ、2通いるということですか?


 尋ねられてみれば、そんな疑問を抱かれても仕方ない。

 こう書けばよかったのだ。
 

添付の委任状に記名捺印の上、お届け下さい。

・個人、会社、各1通、必要です。


 要するに、単に「2通」と書いた場合、次のいずれとも解されるので、そのことを明示しなければ、受け取った側が迷う場合があるということである。
  ・ 各2通
  ・ 合計2通 


情報は至近距離で対応させる

 毎年10月初旬は、ノーベル賞の発表の時期である。ネットで、ノーベル財団が公表した各賞の発表日時が掲載されていたのだが、現地時間が記載されているだけで、日本時間で何時になるかは載っていない【日本の科学と技術】。

 記憶では、ヨーロッパ大陸は、ほとんどの国で、時差は8時間(ただし、夏時間のときは7時間)だったはずなのだが、念のため、ネットで調べてみることにした。

 【世界の時差表】というサイトに掲載されていたのが、下の左の【1】の図で、それに手を加えたのが、右の【2】の図だ。

【1】時差-1     【2】時差-2


 【1】では、ベルリン、パリといったヨーロッパの中心部がどの区分に入るのかは地図の下に並んでいる、日本との時差の数字と照らし合わさなければ分からない。ところが、時間帯を区分する線は陸地の上には引かれていないため、いったい、どの区分に入るのか判然としない。
 
 もちろん、ロンドンを含む時間帯の左側の線は、上から下まで貫通しているので、そこから数えていけば、ヨーロッパの中心部が「-8」(日本より、8時間遅い)であることは分からないではない。

 そもそも、南半球より北半球の国の時差を知りたいという需要の方が遙かに多いはずなのに、南半球側つまり下側にだけ時差の数字を記載するのが間違いなのである。 

 【2】のようにしておけば、ヨーロッパの時差は、すぐに分かるのだ。

 情報は、相互に結びつけられてこそ、意味がある。そして、その結びつきを表現する方法は色々あるが、情報と情報とが相互に近接した位置になければ、視線を行ったり来たりさせなければならず、不便であるし、間違いも起こりやすい。

 「情報は至近距離で対応させる」ということの重要性については、下の二つの記事にも書いたとおりである。

   【写真の解説は、こうする
   【営業時間の表示は、こうする

再び、スペースの効用

 【うまい肉 全部知ってたら相当"肉通"!部位別「牛ホルモン」全19種、美味しさと食感を比べてみた】というサイトに、牛ホルモンの各部位の説明が載っており、硬さについては記号で説明している。

(1)タン
言わずと知れた牛の舌。先端は油が少なくさっぱりしているが、根元は脂が多く柔らかい。
柔らかい○●○○○硬い

(2)カシラ
頬の部分の肉で脂肪が多いのが特徴。よく動かす部分のため硬いが旨味は強い。
柔らかい○○●○○硬い

(3)ショクドウ
食道部分だが、赤身肉に近い食感と味わいで脂の感じもほとんどない。
柔らかい●○○○○硬い


 硬さ、辛さ、甘さの程度を表現するのに、上記のような方法は、よく行われている。

 だが、上記の図は、記号の並びが前後の文字と一体化して分かりにくい。

 次のように、スペースを入れれば、ずっと分かりやすくなる。

(1)タン
言わずと知れた牛の舌。先端は油が少なくさっぱりしているが、根元は脂が多く柔らかい。
柔らかい  ○●○○○  硬い

(2)カシラ
頬の部分の肉で脂肪が多いのが特徴。よく動かす部分のため硬いが旨味は強い。
柔らかい  ○○●○○  硬い

(3)ショクドウ
食道部分だが、赤身肉に近い食感と味わいで脂の感じもほとんどない。
柔らかい  ●○○○○  硬い


 こうなっていれば、タンが5段階で2番目の柔らかさであることは一瞬に読み取れる。

 なお、スペースの効用については、以前にも書いた。

 【スペースの効用



名詞は漢字に限る

 最近、将棋関係の文章を素材にすることが多くなったが、今日も、そうだ。

 先崎学という羽生世代では珍しくタイトルをとっていないものの、文才に目覚めて週刊文春に連載をもっていたほどの人の「摩訶不思議な棋士の脳」というエッセイ集からの引用だ。

 昨年、羽生王座からタイトルを奪った中村太地が、その5年前に羽生棋聖に挑戦することになったときのことを書いているのだが、こんな一節がある。

将来の将棋界を担うべき大器が大舞台に初見参するわけで、個人的にも大いに注目している。勝ったら、夏にはもでもオゴってもらおうかと思っている。


 「夏には」とあるので、夏に何かをするのかとおもったら、「もでもオゴってもうおうか」とあり、意味が通じない。読み返すと、「はも(鱧)」であることが分かる。

 ここは、漢字か、カタカナで書くべきである。

 これまでも何度となく書いているのだが、日本語の可読性は、漢字仮名混じり文であることに支えられている。

 平仮名が、ベターッと続いていたら、単語の切れ目が分からなくなる。大まかに言えば、名詞と動詞を漢字、その他を平仮名とすることによって、単語の切れ目が明確になり、読みやすくなるのだ。

 ちなみに、ほとんど平仮名ばかりの小学校1年生の国語の教科書では、こうなっている【なかがわえりこ「くじらぐも」】。

鯨

 単語の切れ目にスペースを入れて可読性を高めているのである。

 可読性を高める手段としては、次のような方法がある。
  【1】 漢字と平仮名の使い分け
  【2】 スペース
  【3】 区切り文字(読点、括弧、など)



三条木屋町界隈の地図

 京都の三条木屋町界隈は、幕末の動乱の舞台であり、志士たちの寓居跡や著名事件の碑などが、あちこちにある。

 さきほど、ネットで【那覇高校第26期同期会掲示板 三条木屋町界隈2】という記事を見かけたのだが、それを読んで位置関係を把握するのは相当に疲れる。

 字面を追っていても全く理解できない。読みながら頭の中に地図を描いて行くという作業を行わなければ、到底、分かった気にならない。

 そんなとき、簡単な地図でも載せてくれていたら、どんなに理解しやすいことだろうと思う。

 そこで、自分でも内容を理解するために、記事を元に簡単な地図を描いてみた。

幕末-2


 文字情報だけだと、位置関係などを頭に入れるのは相当に苦労するが、地図で示されたら、一瞬にして理解できるし、記憶にも残る。

 裁判所に出す書面でも、同じことが言える。

 もう10年以上前のことだが、不動産関係の訴訟で事実関係が錯綜していたのを準備書面に図解して整理したことがある。

 結局、和解の話になったのだが、その協議の席上、裁判官は、私が作成した図を手元に広げたまま、ときおり図面に目を落としながら話をしていた。

 文字情報だけなら、どこに何が書いてあるのかを捜すだけでも時間が掛かるのだが、図にしていれば、嫌でも記憶に残るし、記憶が薄れても、図を見れば一瞬のうちに、理解することができるだ。

 また、国会の論戦でも、議員が図表が書かれたフリップを示しながら質問している光景は日常的なことになったが、30年、40年前には考えられなかったことである。

 図表の重要性が社会一般に認識されるようになったのは喜ばしいことではあるが、「分かりやすい」ということは、反面「騙しやすい」ということでもあるので、図表の作成の過程で真実が歪められていないか、注意が必要である。

 この点については、以前の記事【「分かりやすさ」と情報操作】を参照されたい。

  本日の要点  

   図表で表現できるものは、図表にする。物理的位置関係の説明には、必須。
 
   図表を見る際は、誇張、歪曲、印象操作に最新の注意を払う。

 

直線の傾きに関する認識の精度

 先日の【円グラフは、こう描く】で、制度に対する賛否のアンケートを円グラフにする場合は、時計の12時を起点に、賛成を時計回り、反対を反時計回りの扇形で評点するのが、賛否の大小関係を把握しやすいということを述べた。

 そして、なぜ、そうか、ということを考察して、図解した。

 結局、人間の目は、水平方向の直線については、僅かでも傾いて入れば、それを水平でないと認識できるのに対して、たとえば、斜め45度の直線については、プラスマイナス2、3度の傾きがあったとしても、それを認識できない、と言うことに起因するようだ。

 実際、カレンダーを壁に掛ける場合、ぱっと見て、傾いていると感じる場合でも、左右で上下に1ミリ程度の差しかなく、角度にすれば、小数点以下の角度の傾きでしかないのである。
 

訂正は、こうする

 よく、メールを受けってしばらくして、前のメールの文言を訂正する旨のメールを受け取ることがある。

 訂正の仕方は、人それぞれだが、ときに、こんな訂正のメールが来ることがある。

【1】 

分かりやすさが第一であることは言うまでないことです。
→分かりやすさが第一であることは言うまでもないことです。


 ぱっと見、どこが訂正されたのか、分からない。

 訂正の前後の文字列が、上下に並んでいるので、上下の文字を対応させて、異なっているところがないかを捜すのだが、下の文字列が一文字分、右にずれているので、結構、面倒な作業だ。「分」「か」「り」「や」・・・と、順に一文字ずつ確認して、ようやく、1行目が「な」、2行目が「も」と異なっているのに気づき、「も」が抜けていたということが分かる。

 では、こんなふうに書かれていたら、どうだろう。

【2】 

 分かりやすさが第一であることは言うまでないことです。
→ 分かりやすさが第一であることは言うまでもないことです。


 左右にずれずに、まっすぐ上下に並んでいるので、対応づけるのも一瞬のことだ。一瞬のうちに、「な」と「も」が上下に並んでいるのが分かり、そこが、訂正箇所だと分かるのだ。

 さらに分かりやすくしようと思ったら、つぎのようにすれば、完璧だ。

【3】 

 分かりやすさが第一であることは言うまでないことです。
 分かりやすさが第一であることは言うまでいことです。
→ 分かりやすさが第一であることは言うまでもないことです。


【4】 

 分かりやすさが第一であることは言うまでないことです。

→ 分かりやすさが第一であることは言うまでもないことです。


【5】 

 分かりやすさが第一であることは言うまでないことです。

→ 分かりやすさが第一であることは言うまでないことです。



 さらに、面倒ではあるが、こんな方法もある。

【6】
 校正-3
 
【3】~【6】は、絶対これ! という程のものでもない。

 島朗著「」頁からの引用だ。

教えられたことはあるが

タイトル獲得ならず

 【毎日 2018.9.3 将棋 藤井七段、菅井王位に敗れる タイトル獲得ならず】という記事があった。

 将棋のタイトル戦というのは、概ね、次のような段階を踏んでいる。
  ・ 一次予選
  ・ 二次予選
  ・ 挑戦者決定戦
  ・ タイトル保持者と挑戦者との七番(五番)勝負

 「タイトル獲得ならず」というのは、理屈の上では、一次予選の緒戦で敗退した場合から、七番勝負で3勝4敗に終わり、タイトルが獲得できなかった場合までの全ての場合を含む。

 けれども、「タイトル獲得ならず」と言われると、普通は、タイトル保持者との番勝負に望んだが、敗退したのだと思ってしまう。実際は、藤井七段は挑戦者決定戦の二回戦で敗退したのだった。その点では、この見出しは、「ミスリード」というべきである。

 「100%完成したという訳ではない」と言われれば、90%くらいはできていると思うが、1%しかできていなくとも、形式的には、「嘘」ではない。

 「私は酒を全く飲まないわけではない」と言われれば、その人が酒豪だとは誰も思わないだろう。

 「最高裁には行ったことがありません」と言われれば、地裁には行ったことがあるのだろうと思ってしまう。

 一般化するために、ある事柄について、両極をゼロ、100とし、その間に、1から99まで、様々な状況があり得るとする。

 「100ではない」と言えば、98か99、どんなに下でも、90程度だろうと思い込む。ところが、現実は、10のこともあれば、ゼロのことだってあり得るのだ。

 けれども、本当は5や10なのに、「100ではない」という言ったり、書いたりする人がおり、それが意図したものであれ、無意識のものであれ、見聞きした側は、少なくとも、90以上だと思いがちなので、要注意である。





円グラフは、こう描く

 これまでも何度かブログの素材に取り上げた雑誌「弁護士ドットコム」に、司法取引に関する、弁護士へのアンケート結果が載っていた。

司法取引-1


 これを見て、もっと分かりやすくすればいいのにと思い、作り直してみた。 

司法取引-2


 これなら、見た瞬間に、以下のことが分かる。

  ・ 反対が賛成より若干多いこと
  ・ 積極的反対は積極的賛成の5倍ほどあること

 なぜ、そういうことが、すぐに分かるのかというと、次のようにしたからだ。

  【1】 賛否のどちらも、時計の12時の所を起点として、賛成は時計回り、反対は反時計回りとなっていること
  【2】 賛否それぞれの中では、賛否の強弱を同系色の色の濃淡で示したこと

 上記【1】なしに、【2】、すなわち色だけ変えても、不十分である。

司法取引-3


 赤と青、どちらが大きいか、判別するのは困難だ。一つ上のグラフだと、赤の方が大きいことは明らかである。なぜだろうか。次の図の書き込みをみてほしい。

司法取引-4

 結局、円グラフの中の扇形の大きさを判断するのに、中心角を直接に認識するのではなく、左の円グラフで言うと、扇形を構成する円弧の端の部分が、どこまで下に来ているかを見て、大きい小さいを判断しているのだ。つまり、円弧の端を通る水平の赤い線と青い線の上下関係で大きさを判断しているのだ。

 ところが、右の円グラフで同様のことをしようとしても、それぞれの円弧の端を通る赤の線と青の線を頭の中で描くことができず、比較ができないのである。赤や青の線は、単に円弧の端を通ればよい、というわけではなく、薄い青と薄い赤の境界線を左上方向に延長したものに垂直に描く必要があるのだが、それを頭の中だけでするのは困難なのだ。

 下手に頭の中で考えたら、青の線を上に書いてしまい、その結果、青の方が大きいと誤解しかねない。

 
司法取引-5

 今回の手法は、ある特定の事項に関する賛否のように、大まかに、二つのグループに分けられる場合のグラフに用いると効果的である。例えば、与野党の得票率を示すグラフは、このように書くのが分かりやすい。 

選挙・円グラフ

 これを、一番上のグラフのような書き方をしたのでは、訳が分からなくなる。




 

何が起きても納得できる人

 今朝のテレビ(羽鳥慎一モーニングショー)で、一昨日に出版さればかりというのに既にミリオンセラーになった「FEAR」というトランプ政権内の暴露本のことを取り上げていた。

 著者は、44年前にニクソン大統領を辞任に追い込んだウォーターゲート事件を暴いたウッドワードという著名なジャーナリストで、政権内の高官から直接に取材して書かれたという。

 例えば、「トランプは小学校5年生並みの知識しかない」とある高官が話していたとか、トランプが在韓米軍の家族を帰国させるということをツイッターで発信しそうになったので、そんなことをしたら北朝鮮は攻撃の合図と受け取り本当に戦争になりかねないと言うことで周囲の人間が必死になってやめさせたとか、興味深い話が紹介されていた。

 本の内容の紹介に続いて、番組の中では、「政治評論家」が、こんなことを言っていた。

アメリカではね、100年に1回くらい、トランプ的な人間が出てくるんですよ。規則的に。だって、アンドリュージャクソンという19世紀半ばの政治家、トランプ、大好きだけど。それも同じような人。そういった人と同じパターンだと考えれば、まあ、ありうるのかな。


 これを聞いた瞬間、私は、呆れてしまった。

 100年に1回というが、アメリカは、建国250年足らずだから、多くても、3回である。しかも、例に挙げたのは、たった1人だけである。それだけで、「規則的に」トランプ的な人物が出て来る、従って、トランプが本に書かれているような人物であったとしても不思議ではない、と言うのである。

 こういうのを、あまり品のいい呼び方ではないが、「よた話」というのであろう。

 こんな「論理」が罷り通るなら、どんな社会事象でも、「○○年に1回、規則的に、出てくる」と言って、○○年前の同種事例をひとつでも挙げれば、現時点で同様の事例が生じているのも当然だ、ということになってしまう。

 この評論家は、例えばの話、今日にでも横浜で外国人が日本刀で切りつけられる事件が起きたら、こういうのだろう。

横浜では、150年に1回、こういった事件が起きるんです。規則的に。だって、150年前、生麦事件というのがあったでしょ。今回の事件が起きたのも不思議ではない。


 こんな発言をする人が「評論家」としてテレビに登場していいのだろうか。

 テレビ番組は、政治問題、社会問題に対する考察を視聴者に深めてもらうことを目的にしているのではなく、「なんとなく分かった気」にさせ、また、「明日も、その番組を見ようという気」にさせることを目的としているのであるから、こんな評論家を登場させたのは的確な人選なのかもしれない。

 でも、なんだか空しくなりませんか?

 
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「最終勝残者」と「最多連勝者」  「雰囲気」で区別する

 次の図は、将棋の銀河戦の決勝トーナメント表の一部である【日本将棋連盟 第26期銀河戦 決勝トーナメント】。
 
 
トーナメント


 各棋士の名前の下に、予選の、どのブロックから、どういう資格で、決勝トーナメントに進出したかが書かれているのだが、資格を表現する「最終勝残者」と「最多連勝者」というのが、ぱっと見には、同じように見えてしまう。

 原因は、
    どちらも5文字の漢字であること、
    1文字目と5文字目は、それぞれ双方、同じ漢字であり、
    3文字目と4文字目という違いはあるが、「勝」という同じ漢字が使われているため、
全体として似たような印象を与えるからである。

 以前、【あざいお市マラソン】で、英文の文字列で、例えば、「understnad 」とか、「Uinervtisy」といった単語が、綴りが誤っているにも関わらず、正しい単語として認識されてしまうという例をあげたが、文を読む際、多くの人は「雰囲気」で読んでいるのである。

 だから、「最終勝残者」と「最多連勝者」のように「同じ雰囲気」の文字列は同じように見えて、すぐには識別できず、識別するには、一文字一文字を確認する作業が必要になるのである。

 読み手に、そのような負担をかけることなく識別してもらうには、「雰囲気」を変えるしかない。

 たとえば、「勝残者」と「最多連勝者」のようにすれば、3文字と5文字で「雰囲気」は、ガラッと変わり、容易に識別できることになる。

 
トーナメント       トーナメント-1


 しかも、意味としても、常識的に考えて、「勝残者」は[最終勝残者」と同じと考えられるのであるから、「分かりやすさ」のために、厳密さを犠牲にしている訳でもない。

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微妙な違いに気づけるか

 ネットで、あるブログ記事を読んでいたのだが、文字が読みにくい。

 ある部分は普通に読めるのだが、途中から数行が薄くなっており、また、その下は普通の濃さになっているのだ。

 私の目の方が少し異常なのかと不安になり、画面をスクロールさせたり、画面を切り取ってエクセルの画面に貼り付けて見比べてみたのだが、私の目に問題があるのではなく、そもそも、元の文字の色に濃淡があることが分かった。
 
 具体的には、こんな具合だ【野村修也のブログ寺子屋 スマート農業】。
 
文字濃淡

 明らかに、2行目の3文字目「時には」から色が薄くなっている。

 念のため、その記事のソースコード(画面に文字を表示するに際して、画面に表示される文字列そのものと、表示される文字の大きさ、色などの指定をする文字列とが一体となった文字列)を調べてみると、「時には」の前と後とで、色の指定が異なっていた。

 なぜ、そんなことが起きたのかは分からないが、筆者が意図的に文字の色を薄くしたとは考えがたい。

 このブログもそうだが、ブログ記事を書く場合、普通は、ブログ提供サービスの運営者が提供してくれるテンプレート(書式のようなもの)を利用している。

 そのテンプレートを使いながらも、自分で様々な微調整ができるのだが、テンプレートの利用に習熟しない間は、意図せぬ所で、文字の大きさや色が変わったりして戸惑うことになる。

 そうなったら、文字の大きさ、色などの余分な修飾を全部とってしまえば、元に戻るのだが、微妙な変化だと意図せぬ変化に本人が気づかず、そのままにブログ記事として公開してしまうことになる。

 おそらく、上記の記事の筆者は、文字の色の違いに気づかなかったのかも知れない。

 こういう点は、本人のもって生まれた能力の問題もあり、努力で克服できない部分もあるだろうが、能力の範囲内で、努力によって克服できる部分もあるはずである。常に読み手のことを考えていれば、少しずつでも、能力も磨かれてくるのではないだろうか。




「理論を頭の中ですべて構築」?

 一昨日に続いて「文系の壁」125頁からの引用だ。養老氏の対談相手の鈴木健氏【Wikipedia】の発言だ。

ノイマンはものすごく頭のいい人で、理論を頭の中ですべて構築しました。


 「頭の中ですべて構築」というのは、どういう意味か?

 一応、考えられるのは、次の四つだ。

 【1】 思考の過程を紙に書いたりなどしなかった
 【2】 同僚の学者らと議論をしたりしなかった
 【3】 考えるに際して、模型などを用いなかった
 【4】 実験などせずに、理論だけを突き詰めていった

 昨日の記事で引用した言葉を借りれば、「解像度の低い」表現であるが故に、いったい、何を指しているのか分からないため、こうして、読み手の側が、あれかこれか、と考えなければいけないのである。

 その後、ネットで調べてみると、ノーベル物理学賞を受賞した南部陽一郎が、上記の【1】【2】の特徴を備えており、かつ、湯川秀樹や朝永振一郎をも超える天才的物理学者と評価する人もいることが分かった【どこがスゴイか 南部陽一郎】。

 また、ノイマン自身も、6歳で7桁から8桁の掛け算を筆算で行ったと言う話【Wikipedia】や、原典ははっきりしないが、8桁の割り算を暗算でしたという話もある【天才の世界Ⅱ~歴史上の天才~】。
 
 そうすると、鈴木氏も、【1】【2】の意味で「頭の中ですべて構築」という言葉を使ったのかも知れないが、本人に直接、問い合わせない限り、分からない。

 対談相手の養老氏は、「頭の中ですべて構築」だけで理解できたため、対談を書籍に収録するに当たって、そのまま記載したのだろうが、一般読者のためには、もう少し、丁寧な説明をしてほしいところである。

 あれこれ書いてきたが、ノイマンの頭の程度がどれくらいだったのか自体は、本論とは関係ないことなので、こういうところで引っかかっていると、なかなか読み進めていくことができない。

 本を読むときには、書き手が完璧ということはないのだから、「分かりにくい表現」を理解しようとして時間をかけるのはもったいないことであり、さらっと流して読み進めていかなければならない。

 以前、ある俳優が、舞台を見ても、演出や演技の巧拙の細部が気になって、なかなか、舞台そのものを楽しむことができないと言っていた。

 私も、常に「分かりやすさ」を考えていると、つい、文章を読む際に、「分かりにくい表現」にばかり気が散ってしまい、中身について考えるゆとりがなくなってしまいそうである。

 とはいえ、一度、踏み入れたこの世界から足を洗うことができそうにない。こうなったら、開き直って、この道を、とことん突き詰めてみるのもいいか、と思った次第である。

文章表現の解像度

 このブログと同じく「分かりやすさ」について書いてあるブログをネットで検索することがあるのだが、なかなか、これはいい、と思えるブログに行き当たることは少なかった。

 ところが、昨日見つけた【エッフェソイヤ 話の分かりやすさの本質は、情報の解像度にある】というブログ記事は、非常に分かりやすく本質を捉えていたので、かなり長文になるが、ぜひ、読んで欲しい。

 ざっくり内容を説明すると、文章の精緻さを、画面の解像度になぞらえて、文章の解像度が読み手の読解力と比べて高すぎたり、低すぎたりすると、読み手に的確に情報が伝わらない、従って、常に読み手の読解力に留意すべきである、というものである。

 私が、このブログで書いてきたことを、ある意味では、より的確に表現してくれていて、正直、「参った!」という気持ちにもなったのだが、では、そのブログの筆者が書いた文章が、「分かりやすさ」の点で、何の問題もないかというと、必ずしも、そうではない。

 そのブログの記事の中に、筆者が文章を書く際に、①②・・・と、いくつかの段階を踏んでいることを説明した後に、次の一文があったのだ。

例えば、今書いている記事の、①〜②の段階はこのような感じです。


 私は、「今書いている記事」というのは、まさに私が引用している記事そのものだと受け取って、その続きを読んだのだか、続きを読んでいくと、いきなりゲームの話が出てきたので、それまでの文章との繋がりが分からなくなり、戸惑った。

 一呼吸置いて見直すと、「今書いている記事」というのは、「これから発表するために、今書いている記事」ということで、私が引用した記事とは別に執筆中の記事のことだと理解できた。

 また、文章の解像度について、次のような記載があった。

僕は、この解像度が、画像だけではなく、話や文章にもあると思っています。
例えば、同じ”青”について話す時も、

解像度高:シアン、コバルトブルー、マリンブルー、エメラルドブルー、藍色、群青色、空色
解像度中:青、水色
解像度低:青
解像度最低:色

など、情報の細かさや、詳しさに様々なレベルがあります。


 最初の3つは、すんなり理解できたのだが、最後の「色」で首を傾げてしまった。

 最初の3つの例は、色彩に関する表現の解像度の違いの具体例として適切なものだが、最後の例の「色」というのは、明らかに不適切だ。「色」というのは、「大きさ」「形」というのと同じく、属性そのもののカテゴリーを表現するものであり、「色」の中で、「コバルトブルーとか、ただの青とか、いろいろなレベルの解像度があるのだから、この「色」というのは不適切ではないか、そう考えた。

 だが、改めて考えると、解像度に様々あるという例として掲げられているのだから、ここの「色」というのは、カラーシャツという場合の「カラー」と同じく、真っ白ではない、という意味で使われているのだと気づいた。

 結論から言えば、私が十分に文脈を踏まえた読み方をしていなかったために生じた誤読だったのであるが、これまでも、何度も触れてきたように、文脈を十分に理解していない人にも、一義的に理解できるような表現を用いるのが「親切」というものである。

 では、ここでは、どう表現すればよかったかというと、単なる「色」ではなく、「色つき」あるいは「カラー」という表現がよかっただろう。「カラー」と言えば、「カラーシャツ」のように、「白以外の色」を指すものと通常、受け止められているからである。

 なお、文脈への依存は回避すべきだということは、 【目を覚ましたメリーは、・・・】にも、書いたことがある。

 さらに、こんな記述もあった。

"いや、もう少し分かりやすく話せるだろ…”

と思う場合で多いのは、
解像度の低い人の話、
というよりは、
それなりにしっかり勉強している人の解像度が高すぎる場合
が多いです。



 言いたいことは、よく分かるし、私も、多分そうなのだろうと思う。

 だが、見てのとおり、「多いのは、」に対応する述語が存在しない。

 文末の「が多いです。」を単に「です。」とすれば、主語と述語とが対応して、落ち着きのある文になる。

 おそらく、筆者は、常日頃、そういった例が非常に「多い」と感じていたために、思わず、「多い」という単語を二重に使ってしまったのだろう。

 こういった心理はよく分かるし、私も、先日の記事【可食してもよい】で、「明らかに」を一文の中に二度も使いそうになったことを取り上げたばかりである。

 それだけに、思い入れの強い文章を書くときほど、要注意ということである。

 ところで、このブログの皆さんに読むことを奨めておきながら、そのブログの記事の「分かりにくさ」を3つも指摘したのは、常日頃「分かりやすさ」に留意しているはずの人でさえ、ときに分かりにくい文章を書いてしまうという例を示すことによって、どれほど、「分かりやすさ」に気を付けても、それで満足ということにはならない、ということを言いたかったからである。

 私自身も、自分では、結構いい記事をかけたな、と思っていても、友人から、その私の記事が「分かりにくい」という指摘を受けることが度々あるのだ。


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欧米では・・・

  「欧米では・・・」というのは、私が子どもの頃から何度も聞いた、自己の見解を正当化するための常套句だ。

 「欧米」と言っても、おそらく、アメリカのことだったのだろうが、当時は、経済的にもアメリカに圧倒されていたわけで、「欧米では・・・」と言いたくなる大人達の気持ちも分からないではなかった。

 その後の高度成長を経て、80年代に入ると、アメリカの自動車産業の労働者が日本車を叩き潰すシーンなどをテレビで見かけたり、バブル期には、日本企業が、アメリカの富の象徴とも言うべきロックフェラーセンターを買収したという報道がなされるなどして、日本人も、自信を付けたようで、「欧米では・・・」という言葉を見聞きする機会も減っていった。

 ところが、今日、久々に、この「欧米では・・・」に遭遇した。養老孟司の「文系の壁」42頁の一節だ。
 

 欧米では、木でできた車のおもちゃを小さな子供がもらったら、周りの大人は「この車の色はお前が決めるんだ」と言います。小さい頃から、行為の主体が誰かをはっきりさせる訓練をしているのです。


 いったい、全部で50数カ国ある欧米の、何カ国で、そういう習慣があるというのだろうか。

 仮に、アメリカ一国に限ったとして、車の色の話は、いったい、何人のアメリカ人から具体的な話を聞いたのだろうか。
 
 例えば、死刑廃止論を論じるに当たって、「欧米では・・・」というのは、国ごとの制度を問題にしており、その内容自体の真偽は明らかであり、議論を正当化する論拠とするのもいいだろう。もちろん、欧米で多数だからと言って、直ちに日本も習うべきかというと、必ずしもそうではないが、話に持ち出すこと自体は、まあ、いいだろう。 
 
 これに対して、車のおもちゃの話は、実証的な裏付けのない話だろう。まさか、EUで、国民性の調査を行い、そこに、車のおもちゃに関する質問があって、多数が、上記のような回答をした、という訳ではあるまい。

 おそらく、養老氏は、様々な実例から、「小さい頃から、行為の主体が誰かをはっきりさせる訓練をしている」という結論を導いたのであるが、それを論じるに当たって、その実例の一つを持ち出したのか、適当に創作したのか、いずれかだろう。

 せっかく、この辺りまでは、概ね、「なるほど、なるほど・・・」と思いながら読み進めてきたのに、途端に、「この人の言うことを鵜呑みにするのは危ないな」と認識を改めた次第である。

 

100000パスカル ???

 昨日に引き続き、単位の話だ。
 
 こんな記述があった【面白くて眠れなくなる物理パズル】。

 すると、まわりからの圧力は大気圧の約100000パスカルになってしまい、体内の圧力がうまく調整されません。2100000パスカルだったとすると、体内外の圧力差が2000000パスカルも体内から外に向かうことになります。


 ゼロがずらっと並んでいるのを見ただけで、嫌になった。だからといって、先を読まずに済ますのも気持ちが悪い。「いち、じゅう、ひゃく、・・・」と端から数えて、ようやく、最初の数字が10万パスカルだということが分かる。次が210万パスカルで、最後が、200万パスカルだ。

 物理学を、「分かりやすく」説明することを目的として書かれた書籍なのに、この有様だ。

 圧力の単位「パスカル」は、台風のときの「ヘクトパスカル」という言葉で一般にも馴染みがある。1ヘクトパスカルは、100パスカルだから、最初の数字は、1000ヘクトパスカル、順に、21000ヘクトパスカル、20000ヘクトパスカルと表現できる。

 こちらの方が、遙かに分かりやすい。

 分かりやすさの理由は、次の2点である。
   ・ 数字のゼロが、最大4個であること
   ・ 天気予報でお馴染みの、「ヘクトパスカル」という言葉が使われていること

 改訂版は、上記のように直してもらうしかない。

 

タウリン1000ミリグラム

 以前、【マグネシウムは、41ミリグラム】という記事を書いたが、仮に、41ミリグラムでなく、「0.041グラム」だったら、あのとき「凄い!」と感嘆していたタレントも、それほどには感嘆しなかったのではなかろうか。

 リポビタンDのCMで、「タウリン1000ミリグラム配合」という言葉が耳に焼き付いている人は多いと思うが、これなども、1グラムと表現すれば足りるところを、ことさら、大きな数字を使って、たくさん含まれているのだという印象を与えるだけのものだと思っていた。

 実は、「タウリン1000ミリグラム配合」というのが栄養ドリンクのCMだというところまでは分かっていたのだが、具体的に何というのだったか思い出せなかったので、この記事を書くに当たって、ネットで調べて、リポビタンDだと分かったのだが、そのとき、思いがけない内容の記事に遭遇した。

 【「タウリン1000mg配合」は「1g」ではない!】という記事で、以下のように、1グラムではなく1000ミリグラムとしているのを擁護するような内容の記事である。

 

 1000mg配合と1g配合では同じ意味ではない。誤差範囲が異なるのだ。
 1g配合だと、有効数字が1ケタしか無く、誤差範囲は四捨五入で考えると0.5g以上1.5g未満となり、1gも幅がある。
 しかし、1000mg配合と表記すると、有効数字の精度は4ケタもあり、誤差範囲は999.5mg以上1000.5mg未満となる。
 リポビタンDはタウリンというありふれた成分ですら誤差範囲を1mg未満に抑えるほど精密に製造されているのだ!


 言われてみれば、その限りでは、なるほどと、納得できる。

 けれども、「誤差範囲を1mg未満に抑えるほど精密に製造されている」ということを表現したければ、他にも、「1.000グラム」という表現もあったのだ。

 CMに、「1.000グラム」ではなく、「1000ミリグラム」を採用したのは、やはり、大きな数字を使って、実態より多量に配合されているように見せかけようとする意図が働いていたとしか考えられない。

 ところで、「タウリン」だが、いったい、どのような効能があるのだろうか、私自身、年に1、2回は、リポビタンDを飲んでいるのだが、何となく「元気の素」ぐらいの認識しかない。

 しょせん、CMは、視聴者に「本当に理解してもらう」ことを目的としているのではなく、「なんか元気が出そうだし、飲んでみよう」という気にさせることが目的であるから、「タウリン」が何かを説明する必要などはないのである。

 このようにして、CMは、確実に人々の思考能力を奪い続けて行くのである。

 このブログは、そのような社会に対する細やかな抵抗である。

 最後に、天才CMディレクターと呼ばれた杉山登志氏の言葉(遺書)を掲げておく【Wikipedia 杉山登志】。

  リッチでないのに
  リッチな世界などわかりません。
  ハッピーでないのに
  ハッピーな世界などえがけません。
  「夢」がないのに
  「夢」をうることなどは……とても
  嘘をついてもばれるものです。
                     — 杉山登志




大分県四日市出身の・・・

 北海道の弁護士のウェブサイトに、その弁護士の学生時代の話が載っていたのだが、そこに、「大分県四日市出身の・・・」という記載があった【髙橋智のコラム集 北海道大学はコスモポリス】。

 四日市と言えば三重県である。どうして、こんな間違いをしたのだろう。ひょっとしたら、大分県にも四日市という地名があるのかも知れない。そう考えて、ネットで検索してみた。

 なんと、三重県だけでなく、島根県にも、大分県にも四日市は存在した【Wikipedia 四日市町】。自分の限られた知識だけで、他人が間違っていると速断してはいけないと、再認識した。

 そういえば、○日市という地名は、昔の市が立つ日が由来なのだから、全国に、同じ地名があっても、全然おかしくない。

 ところで、新聞記事でも、記者の限られた知識だけで他者の発言を批判していることがある。まず、この記事【産経 2018.6.8 生活・小沢一郎代表、師匠・田中角栄元首相のお膝元・長岡で痛恨のミス「新潟は北陸最大の県」】を見てほしい。

小沢氏は田中元首相の弟子を自任しながら、北陸地方ではない新潟県を「北陸で最大の県」と発言する基本的なミスを犯すありさまだった。


 北陸地方というのは、多義的であり、新潟県を含まない「北陸3県」を指す場合もあれば、新潟県を含む「北陸4県」を含む場合もある【Wikipedia 北陸地方】。

 この程度の知識は、新聞記者にとっては常識の部類に属することではないだろうか。

 もちろん、新聞記者といっても色々だし、私から見て常識だと思っていても、私の方が勝手に常識と思い込んでいることだってあるのだから、上記の北陸地方という言葉が多義的であり、新潟を含んだ使われ方をする、という知識がなかったからと言って、そのこと自体は、まあ、いいとしよう。

 だが、仮にも、新潟県の田中角栄を師匠とする小沢一郎の発言である。その小沢一郎が新潟県が北陸地方に入るか否かについて「基本的なミス」をしたと批判する前に、本当に、ミスなのか否か、自分で再確認する程度の作業は、当然、行うべきであろう。

 この記者は、何とか小沢一郎を批判する材料を見つけたくてしようがなかったのだろう。そこで、自分の限られた知識を前提に、小沢一郎が「基本的なミス」をしていることを発見して、小躍りしたのだろう。だから、自分の知識が足りないのではないかと疑うこともなく、堂々と、「基本的なミス」という批判を記事にしたのである。

 しかも、ウェブサイトで全10頁にわたる記事の見出しに、「痛恨のミス」とまで書いたのである。こんな記事を見ると、産経新聞でさえ、他に小沢氏にケチを付けるところがなかったのではないかと思ってしまう。

 ところで、最初の「大分県の四日市」に戻るが、確かに間違いではないものの、三重県の四日市が余りにも有名なため、私のような勘違いをする人多いことだろう。そして、その勘違いのままに終わってしまう人もいるだろう。

 そう考えると、「大分県宇佐市四日市町」というふうに、正式名称を記載しておいた方がよかったのではなないだろうか。



inborn か inbom か

 最近、ボランティアで、ある英文のソフトを日本語化する作業を始めたのだが、英文には英文特有の分かりにくさもあれば、日本文と同様のパターンの分かりにくさというものもある。

 今日取り上げるのは、英文特有の見た目の分かりにくさである。

次の二つの英単語(らしきもの)を見てほしい。

  inborn  inbom 


  と  が並んでいると、  に見えてしまう。

 なんとなく、r と m の方が、単語としてありそうな気がするのだが、拡大してみないと、どちらが正しい綴りなのかは分からない。

 紙の辞書で調べるのであれば、大変だが、今の時代、ネットの辞書で調べ場合は、とりあえずコピーして貼り付ければ意味はわかるのだが、そのままにしておくのは、気持ちが悪い。

 他にも、英文で、ぱっと見て、どちらか分からないものとして、こんなのもある。
 

  cl    







 

振り飛車のペースです。

 今日も将棋の話で、話題の藤井聡太七段と菅井王位の棋王戦決勝トーナメントの中継をネットテレビで【AbemaTV】でBGM代わりに聞いていたとき、解説者の声が流れてきた。 

 こうなると、振り飛車のペースですね。


 将棋を知らない方のために説明をしておくと、「振り飛車」というのは、将棋の戦形の一つで、序盤で飛車を横に動かす戦法のことで、逆に、序盤で飛車を横に動かさないない戦法を「居飛車」という。

 一方が振り飛車、他方が居飛車を採用した場合は、振り飛車、居飛車というだけで、対戦している、どちらの棋士かを特定することができる。

 そのため、将棋中継の解説などでは、対戦者の名前を呼ばずに「振り飛車」とか「居飛車」と呼ぶことが結構ある。

 けれども、視聴者にとっては、どちらが振り飛車なのか、居飛車なのかは、分からないことが多い。

 そんなときは、画面を見るのだが、対局が進んでいると、双方の飛車が横に動いていて、どちらが振り飛車なのかは、すぐには分からない。玉の囲いなどを見て、この囲いは、普通は振り飛車側が採用する囲いなので、こちらが、振り飛車だな、と判断することもできるが、いつでも分かるとは限らない。

 視聴者にすれば、藤井七段とか菅井王位と名前を呼んでくれれば、分かりやすいのだが、対局の冒頭から見ている解説者としては、どちらが振り飛車かなどということは分かりきったことなので、つい、「振り飛車」などと言ってしまうのだろう。

 これと似た話で、よく、証人尋問などで、証人に質問をするのに、こんな聞き方をする弁護士がいる。

原告に初めて会ったのは、何年前のことですか。


 弁護士にしてみれば、誰が原告かなどということは、ずっと最初から裁判をしているのだから、明らかなことである。

 けれども、証人にしてみれば、あくまでも、藤井さん、菅井さんであって、原告といわれると、改めて、「この裁判は藤井さんが訴えているのだから、藤井さんと会ったときのことを聞いているのだな」と考えた上で、質問に答えることになる。証人に、そんな負担をかけないよう、こう質問すべきだろう。

藤井さんに初めて会ったのは、何年前のことですか。


 けれども、この質問を聞いている裁判官は、戸惑うことになる。100件も200件も事件をかかえている裁判官にとっては、当事者の名前を言われるより、原告、被告という呼び方をしてくれたほうが、分かりやすいだろう。そうすると、関係者みんなに分かりやすくするためには、こう質問するのが妥当だろう。

原告の藤井さんに初めて会ったのは、何年前のことですか。






 

夕方の5時

 例えば、午後5時に待ち合わせをするとしよう。時刻を、どう表現するのがいいだろうか。

【1】 午後5時
【2】 17時
【3】 夕方の5時



 どれも、一義的に明確な表現ではある。

 けれども、直感的に理解しやすいのは、【3】の「夕方の5時」である。

 同様に、「朝の9時」「昼の2時」「晩の8時」というのが直感に馴染む。

 【2】の24時間表現は、一部の、その表現に慣れ親しんでいる人には適切なのかも知れないが、あまり馴染みのない人もいるのであり、誤解を招く元である。

 【1】の午前、午後、という表現は、一日を2区分して、その中での時刻を示すものであるが、早朝、朝、昼、夕方、晩、深夜といった6区分を前に付けるのと比べれると、やはり、直感的な分かりやすさの点では、劣っているように思う。


可能性と必然性

 今日も、素材は、将棋に関する【華やぐ美V1 藤井聡太七段への今後の予定は?将棋昇段の仕組みはこれ!】という記事だ。
 

 5組決勝に進出すれば、来期の4組が確定し、昇段する可能性があります。



 どこが問題か、分かりやすくするために、「すれば」「可能性があります」の部分を取り除いて、将来の、どういう事実について書かれているのかを、次のように分解する

 【1】 5組決勝への進出
 【2】 来期の4組の確定
 【3】 昇段

 冒頭の分は、【1】が成り立てば、【2】が成り立ち、【3】の可能性がある、と言っているのだ。

 けれども、【2】が成り立つときは、将棋連盟の規定から、常に【3】になるのであり、「可能性がある」という表現は、適切ではない。

 このような、次々生起する可能性のある3つの事実については、前の事実が実現した場合に後ろの事実が常に実現するのか、可能性に止まるのかにより、次の4パターンが考えられる。

A  【1】→常に【2】    【2】→常に【3】       【1】なら【2】となり、【3】となる。        
B  【1】→常に【2】    【2】→【3】の可能性    【1】なら【2】となり、【3】の可能性がある。
C  【1】→【2】の可能性 【2】→常に【3】       【1】なら【2】の可能性があり、その場合は、【3】となる。
D  【1】→【2】の可能性 【2】→【3】の可能性    【1】なら【2】の可能性があり、その場合は、【3】の可能性がある。

 冒頭の例は、Aなのに、あたかも、Bであるかのような表現をしたのである。


 
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 ところが、そんなことには無頓着な人も多いようで、読者に対する配慮の一欠片もない文章を目にすることがあります。

 難解な文章で読者の貴重な時間を奪ってしまう人達のことを、「時間泥棒」と名付けました。

 このブログは、「時間泥棒」を立派に更生させることを目的として開設したものです。

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