「分かりやすさ」だけでは足りない

 日大学長の記者会見が行われている。

 別に日大学長の話が特別に「分かりやすい」という訳ではないのだが、コミュニケーションにおいては、「分かりやすさ」だけでなく、話者の心理状況が聞き手にどのように伝わるかという点について、十分な配慮をしなければならないということを教えてくれる会見である。

 これまでの日大アメリカンフットボール部の対応、記者会見の司会をした日大広報部の担当者の言動などで、世間一般が「誠意がない」と感じていることは百も承知だったはずなのだが、この学長の言葉遣いは、以下のとおり、全く不適切というほかない。
 

本件で学生たちが動揺しているので、学生たちをケアしてあげたい。


 「してあげる」というのは、本来は義務ではないのだが、恩恵的に、何かを行う、という場合に用いられる言葉である。学生たちには何の責任もなく大学の体制、対応が不適切なために学生たちが不安に思っているのであるから、大学として、それをケアすることは、当然の義務である。

 にもかかわらず、「してあげる」という言葉が使われているのであるから、大学としての責任を自覚していないと言わざるを得ない。

今回の騒動につきましては・・・


 思わず耳を疑った。当事者意識の欠如を象徴する言葉である。学長にしてみれば、アメリカンフットボール部の監督の不手際で大学全体が批判され、自分も記者会見まで開かなければならなくなった、という、いわば「被害者意識」が透けて見える表現である。

第三者委員会が発足したか否かは伺っていません。


 第三者委員会の立ち上げの実務を担うのは、大学の事務局であるから、大学の事務局からは話を聞いていないということであろう。であれば、身内である事務局に対して「伺う」という「謙譲語」を使うべきではない。適切な敬語の使い方もできない人が学長をしているのである。

監督は、大学の関連病院のどこかに、おられます。


 これも敬語を使うべきでないところで使っている。特別に難しい言い回しではない。社会人として平均的なレベルの敬語の使い方も習得していない人のようである。

普通は、競技団体の裁定を仰ぐと言う形で片付いてきたところで・・・


 もはや、あきれてものが言えない。学長にとっては、さっさと「片付く」はずのものが、学長である自分が記者会見までしなければならなくなって、大迷惑だ、ということであろう。



学生か生徒か?

 日大アメフト事件の報道の中で、事件についての現役の日大生の声が紹介されている。その際に耳にするのが、「生徒」という言葉である。

 少なくとも私が大学生の頃は、大学生は「学生」と言い、「生徒」というのは高校生以下を指していた。

 大学生ともなれば、親の保護から離れて自律的に行動する、高校生とは違った存在、という共通認識があったように思う。

 その後、80年代のはじめの頃だろうか、高校生たちが、自分たちのことを「学生」と呼ぶのを耳にすることが多くなり、違和感を抱いていた。

 全面的に親の保護下にあるくせに、「学生」とぃうのは烏滸がましい、というのが、当時いだいた感情だ。他方で、高校生たちの「背伸びをしたい」という感覚は理解できなくもなかった。

 ところが、ここ10年くらいのことだが、大学生たちが、自分たちのことを「学生」と言わず、「生徒」と呼ぶのを耳にするようになり、以前とは逆の意味での違和感を抱くようになった。

 平均寿命が延び、「人生50年」という時代から「人生100年」の時代に向かう時代の流れからは、理解できなくもない。とはいえ、他方で、選挙権を取得する年齢が引き下げられているのであり、大学生を「生徒」と呼ぶことに対する違和感は拭えない。

学生-2


 「分かりやすさが第一」という本ブログの趣旨からは、こういうことになる。

 単に「学生」「生徒」という表現をすると、人によっては、高校生以下と大学生を混同しかねない、ということであり、また、「学生」「生徒」という言葉を聞いても、話し手が自分と同じ基準で両者を使い分けているとは限らないということである。



しゅうしょく先は、一つに絞る

セクハラで辞任した福田淳一・財務事務次官の事件に関する朝日の社説だ【2018.4.29 朝日社説】。

女性社員は、1年半ほど前から取材のために福田氏と複数回会い、そのたびにセクハラ行為があったと訴えている。


 「そのたびに」という修飾語が、「セクハラ行為があった」にかかるのか、「訴えている」にかかるのか、文法上は、決め手が無い。
 

① 女性社員は、1年半ほど前から取材のために福田氏と複数回会い、そのたびにセクハラ行為があったと訴えている。

②女性社員は、1年半ほど前から取材のために福田氏と複数回会い、そのたびにセクハラ行為があったと訴えている

  
 ②だと、たとえば、福田氏の部下によるセクハラ行為があったことを、その職員の上司である福田氏に会うたびに訴え、善処を求めた、という意味にもとれる。

 もちろん、真実は、福田氏に会うたびに(福田氏から)セクハラ行為があった、ということを(福田氏以外の誰かに)訴えた、ということであるから、②ではなく①である。

 このように、文法的には多義的でも、背景知識があれば、文脈から正しく読みとることができるのだが、読者の知識、理解力は多様であり、文法的にも、一義的であることが望ましい。本件では、次のようにすべきである。

① 女性社員の訴えによると、1年半ほど前から取材のために福田氏と複数回会い、そのたびにセクハラ行為があったとのことである。

② 女性社員は、1年半ほど前から取材のために福田氏と複数回会い、セクハラ行為があったことを、そのたびに訴えている。


「独創性が認められ登録商標されました」??

 こんな広告を見ると、「誤解」を生じさせることを目的としているのではないかと思ってしまう。

シンプル英語


 右下に、「特許庁より独創性が認められ登録商標されました」と書かれており、この広告記載の英語学習法に「独創性」のあることを特許庁が認めたように思えてくる。

 けれども、少し考えれば分かることだが、「独創性」が認められたのは、「商標」であって、その「商標」を利用しているサービスの内容ではない。

 さらに言えば、商標法では、商標そのもについても、「独創性」があることが必要とされているわけではない。

 第三条 自己の業務に係る商品又は役務について使用をする商標については、次に掲げる商標を除き、商標登録を受けることができる。
      (略)
  五 極めて簡単で、かつ、ありふれた標章のみからなる商標
      (略)

 
 要するに、商標登録が認められたからといって、「ありふれた」とは判断されなかったに過ぎず、「独創性がある」と判断されたわけでは決してないのである。

ちなみに、特許権、著作権に関しては、次のように規定されている。

特許法
  第二条 この法律で「発明」とは、自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のものをいう。

著作権法
  第二条 この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。
    一 著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。


 なお、「登録商標されました」というのも可笑しな表現である。

 「登録する」という動詞はあるが、「商標する」という動詞はない。また、複合動詞としても、「商標登録する」はあるが、「登録商標する」はない。従って、「商標登録されました」というのが正しい表現である。

検索フォーム
プロフィール

「時間泥棒」仕置人

Author:「時間泥棒」仕置人
.

 玉石混淆の情報が溢れる社会の中で、効率よく、的確に、情報を取得し、提供するには、どうすればいいのか、ということを常に考えています。

 ところが、そんなことには無頓着な人も多いようで、読者に対する配慮の一欠片もない文章を目にすることがあります。

 難解な文章で読者の貴重な時間を奪ってしまう人達のことを、「時間泥棒」と名付けました。

 このブログは、「時間泥棒」を立派に更生させることを目的として開設したものです。

 記事を読んで、自分も「時間泥棒」かな、と思ったら、早速、改めて下さい。また、あなたの廻りに「時間泥棒」がいたら、あなたの力で立派に更生させてあげて下さい。

FC2カウンター
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク
QRコード
QR