割合の単純比較は、危険 シートベルト不着用の危険性

 今朝のテレビで、また、「論理の飛躍」としか言いようのない番組があった。

 どの局の何という番組かも覚えていないのだが、シートベルト着用を呼びかける番組だった。

 その中で、こんな円グラフが出ていた(一瞬の記憶に基づく再現なので、数字は、若干、不正確である。また、デザインも若干、変更している。)

 交通事故の死亡者の中で、シートベルトを着用していた人と、着用していなかった人の割合を円グラフで表現したものである。

ベルト-1


 このグラフを見て、着用・25%、不着用・70%という数字から、シートベルトを着けないと、3倍も危険なのだ、と思った人は、番組の狙い通りである。

 でも、その判断は、正しいのだろうか。

 検証のため、こんな例を想定してみよう。

 ① 事故に遭った人が、全部で、100人
 そのうち、
   ② 着用者が、10人
   ③ 不着用者が、85人
   ④ 不明が、5人

 ⑤ 事故に遭って亡くなった人が、全部で、20人
 そのうち、
   ⑥ 着用者が、5人
   ⑦ 不着用者が、14人
   ⑧ 不明が、1人

 そこで、①~⑧の情報の全てを図にすると、以下の図になり、⑤~⑧の情報だけを円グラフにすると、冒頭の円グラフとなる。


(小さい正方形1個が、1人である)
ベルト-3


 亡くなった人の中での着用者、不着用者の割合を比較したのが、冒頭の円グラフであり、また、百個の正方形からなる上の図の下2段の部分である。

 けれども、亡くなった人の中での着用者、不着用者の割合を比較しても何の意味もない。

 日本国内の全犯罪者に占める暴力団員と一般人の割合を比べると、一般人の割合の方が大きいのは常識で分かることである。けれども、一般人は暴力団員よりも犯罪を起こしやすい、という結論にはならない。

 比較すべきは、暴力団員のうちの犯罪者の割合と、一般人のうちの犯罪者の割合なのである。

 シートベルト着用の安全性の問題も同じであり、意味のあるのは、下記の数字である。

 ⑨ 着用者のうち、亡くなった人の割合は、50% 【 5÷10×100 】 
 ⑩ 不着用者のうち、亡くなった人の割合は、16.5% 【 14÷85×100 】

 結局、 着用者、不着用者、それぞれの死亡率を比べると、着用者は不着用者の3倍ということになる。
       【 ⑨÷⑩ = 50÷16.5 = 3.04 】 

 そもそも、最初のグラフの情報だけで、シートベルトの不着用が危険だという結論を下すことは、「論理的に不可能」なのである。

 にもかかわらず、死亡者に関する情報(上の大きな正方形の下2行)だけを根拠に、シートベルト不着用が危険だという判断を示したのが、この番組である。

 番組製作者は、こんなことも分からないほど、論理的思考力がないのだろうか。

 あるいは、そんなことは十分承知の上で、視聴者に、シートベルトを着用しないと危険だと感じてもらうために、あえて、このグラフを掲載したのだろうか。だとすれば、視聴者もバカにされたものだが、残念ながら、視聴者のレベルは、その程度なのかもしれない。

 ところで、上のグラフは、エクセルで作成したものだが、エクセルのグラフ機能で単に円グラフを選択した場合、自動生成されたのは、次のグラフだった。

ベルト-2

 このグラフを自分で加工したのが最初のグラフである。

 作成にあたって、次のことに留意したので、その意味をかみしてめてほしい。

 ● 「凡例」をグラフと重ねて、一々、グラフと凡例の間を視線が行き来しなくてもすむようにする。
 ● 数字を記載する。
 ● グラフの色を鮮明なものにし、「不着用」を赤にして、危険を強調する。


  

担当裁判官一覧表

 裁判所のホームページには、各部の裁判官の氏名、開廷日などの一覧表があり、大変、便利である。

 どの裁判所も同じ書式だが、次に掲げるのは、京都地裁の一覧表の一部【京都地裁・担当裁判官一覧 】である。

 
裁判官-1


 特段、「分かりにくい」というわけではない。では、次の表は、どうだろう

裁判官-2


 違いは、情報として無意味なものを、すべてカットした点だ。

 「○○係」「●曜日」など、違うのは、○○、●の部分だけであり、それさえ伝われば十分だ。「係」「曜日」といった文字はいらない。

 「毎週」については、殆どが毎週なのだから、省略して、「毎週」でないところにだけ、「月2」といった記載をすれば足りる。

 また、「京都地方裁判所」というのも、3箇所に出てくるが、これも、1箇所で十分である。

 無駄な情報は、有用な情報を探す際の障害になるのだから、「無害無益」なのではなく、「有害無益」なのである。

 更に、開廷曜日の欄だが、次のようにすれば、一目瞭然になる。

裁判官-3

 この類の表は、医院の診療日などを示すのによく使われている。むしろ、医院の場合、表を使っていないのが珍しいくらいである。それだけ、表の有用性が認識されているということである。

 他方、飲食店の場合は、表になっている方が少数派だが、これも、表にした方が、はるかに分かりやすい。以前のブログ【営業時間の表示は、こうする】も、参照されたい。


宝くじの分類

 二月ほど前のこと、烏丸三条の書店に寄った帰り、隣の銀行にある宝くじ売り場が目に入った。

 宝くじファンというわけでないのだが、ふと気になった。ここで買わないで、後で、その売り場から1億円の当たりが出たなどと知ったら、後悔するかも知れない。そんな気がして、1枚、買った。

 先ほど引き出しの整理をしているときに、その時の宝くじが出てきたので、ネットで当選番号を調べることにした。

 宝くじにも色々と種類があるようで、公式ページを開くと、次のようなメニューがあった。
 
番号・トップ


調べたいのは、「第725回全国自治宝くじ(サマージャンボプチ100万)」という長ったらしい名前の宝くじなのだが、メニューと照らし合わせても、「全国通常宝くじ」と「ジャンボ宝くじ」のどっちを見ればいいのか、分からない。
 
「全国」とついているのは、「全国通常宝くじ」だけだし、「ジャンボ」とついているのは、「ジャンボ宝くじ」だけであり、私が探しているのが、どっちなのか、決め手はない。

そこで、とりあえず、「全国・・・」をクリックしてみると、そこに、私の調べようとした宝くじがあった。試しに、「ジャンボ・・・」もクリックしてみると、そこにも、あった。

 両者を比べてみると、「」を付けたもの以外は、「ジャンボ・・・」にも「全国・・・」のどちらにも掲載されていた。

番号・中身

 つまり、「ジャンボ・・・」は、すべて、「全国・・・」に含まれるているのだった。

 だったら、「ジャンボ・・・」の区分を設ける意味はなく、そんな区分を設けると、徒に、戸惑わせるだけである。

 更に問題は、「全国通常宝くじ」という表現である。クリックして、一覧で出てくる宝くじの名前には、「通常」という単語はなく、逆に、全てに、「自治」という単語が入っている。

 そういうことなら、「全国自治宝くじ」と表現すればいいのである。

 おそらく、ウェブサイト作成者の頭の中では、「通常」=「自治」ということなのだろう。

 けれども、読み手は誰も、そんなことまで、「忖度」はしてくれない。「忖度」しなければならないのは、情報の発信者の側である。




「衆議院議員」か「参議院議員」か

 昨日の午後から、テレビは、小池新党の話題で持ちきりである。

 「リセット」された若狭、細野の両議員の外にも、自民、こころ、民進の各党から新党への合流が加速しており、テレビの画面にも、そんな議員の一覧が大きな表になったものが出てくる。

 次に掲げるのは、先ほどの、「ひるおび」の表である。

離党-1


 各議員が、衆議院議員か参議院議員かということは、来月の選挙の候補者となるか否かという点で、重要なことである。ところが、小さな字で「衆議院議員」「参議院議員」と書かれていても、目を凝らしてみないと分からない。

 これに対して、次に掲げるのは、今朝の讀賣テレビのローカル番組に出ていた表である。

離党-2


 違いは、次の2点である。

 ● 「衆」「参」としか書かれていない。
 ● 「衆」は赤、「参」は青の背景になっている。

 こちらの方が、遙かに分かりやすい。

 最初の表のように「衆議院議員」「参議院議員」と各5文字を費やす意味はない。話の流れから「国会議員」であることは明らかだし、その上に、表の上の表題にも「国会議員」と記されているのだから、「議院議員」の4文字に、情報としての価値はない。むしろ、余分な情報が目に入るだけ、有害である。

 これに対して、後の表のように、情報として意味のある「衆」「参」の各1文字だけにすれば、その分、字を大きくすることもでき、一瞬で理解してもらうののに役に立つ。

 また、文字の背景を赤、青と色分けしているので、より一層、見やすく、記憶にも残りやすくなる。

 さらに、どの色をどちらにするかという選択について言うと、来月の総選挙に出馬することが確実な衆議院議員の方を、より目立つ赤にしたという点でも、優れている。


一人一票実現国民会議のウェブサイト

 新聞を拡げると、解散、総選挙が既定の事実のような扱いだ。

 今度の選挙で改憲勢力が3分の2を制したら、一気に、憲法改正へと突き進むかもしれない。

 しかし、議員定数不均衡の選挙で選ばれた国会議員で構成される国会は、「違憲状態」であり、そんな国会が憲法改正の発議をすることなど、論理的に、できるはずもない。

 だが、いくら「できるはずもない」と言ったところで、憲法を、小学校の児童会で決めた今月の「努力目標」くらいにしか思っていない政権にとっては、できないことではない。

 これを止めるのは最高裁しかない。最高裁が、「違憲状態」から、「違憲」さらに、「選挙無効」の判断まですれば、どんなに詭弁を弄しても、憲法改正の発議などできはしない。

 そして、最高裁に、「選挙無効」の判断をさせるために奮闘しているのが、一人一票実現国民会議なのである。

 そこで、この国民会議のウェブサイトを見てみると、非常に充実した内容であり、「分かりやすさ」の点でも相当の配慮をしていることが窺える。

 けれども、もう少し手を加えれば、もっと「分かりやすく」なると思える点も結構ある。

 そういうわけで、今回は、このウェブサイトを素材に、問題点を指摘する。

 まずは、トップ頁だが、下の図の右側が、トップ頁を開いたときに一画面で見ることのできる部分、左側が、トップ頁の全体像で、画面をスクロールすれば見ることができる。

会議・トップ・3

 トップ頁を開いて最初に目にする一画面だけでも、内容が結構ある。スクロールをして行けば、延々とトップ頁が続き、全部で10画面分くらいのトップ頁に、これでもかと言うほど、内容が詰め込まれている。

 いったい、どこから見ていけばいいのだろう?

 たとえば、5人で中華料理を食べに行って、一人、2皿ずつを注文したところ、いきなり、10皿が運ばれてきたとしよう。

 酢豚、皮蛋、青椒肉絲。餃子、春巻き、麻婆豆腐。エビチリソース、蒸し鶏とクラゲのサラダ、イカと青梗菜クリーム煮、小籠包。

 どれもみな、美味しそうで、迷ってしまう。どれから食べるか、頭の中で、順番を考える。それぞれの料理を口にしたときの味と食感を思い浮かべていると、そのうち、真ん中の麻婆豆腐の辺りで満腹感が漂い、最後の小籠包に辿り着いた頃には、もう結構、という状態になってしまう。

 そんな状態で料理を食べても、単品で出てくれば美味しい料理でも、もはや義務感で食べているような気になってしまうだろう。

 このトップ頁の問題点は、「詰め込みすぎ」というだけではない。

 色使いも、赤、青、黄、緑と、色相の隔たった有彩色を、4色も使っており、なかなか、落ち着いて画面を見ることができない。この点については、【フォントの話】、【不要な情報はカットする】でも触れている。

 次に、サイトの随所に出てくる、投票箱を持った二匹の動物のキャラクターである。
会議・ヒョウ

 このキャラクターの制作意図については、こう語られている。

── 「一人一票実現国民会議」のキャラクターがとてもカワイイのですが、これはヒョウですか。もしや一票の「票」と「ヒョウ」をかけているのでは?

升永そうそう。これはトラじゃなくて、ヒョウなんですよ。「1票」のヒョウは尻尾が上を向いてハッピー、「0.6票」のヒョウは下を向いてアンハッピーになっています(笑)。

── あ、ホントだ!(笑) 
        一人一票実現国民会議×弁護士ドットコム 升永弁護士インタビュー     


 せっかくの製作者の意図が込められた尻尾の向きの意味が一見しただけでは伝わらないのである。もったいない話だ。

 人の写真を見るときでも、顔に目が行くのが普通である。ヒョウの絵も、左右で同じ顔にするのではなく、右の顔を、もっと項垂れた表情にするなどすれば、0.6票というのが不当に権利を侵害するものだ、ということを、よりアピールできるのではないだろうか。

情報の「説得力」

 今回も、先日のブログ【伝達力と説得力】に関連した話である。

 その中に、以下の記述がある。
 

③も④も一票の価値を数字の大きさで表現した点では同じだが、鳥取県の1票の価値が高すぎる(③)、と訴えるよりも、神奈川県の1票の価値が低過ぎる(④)、と訴える方が、何となく説得力がある


 私は、「何となく説得力がある」としか書かなかったのだが、一人一票運動国民会議の発起人・事務局長である伊藤真弁護士が、その「何となく」の部分を、具体的に説明してくれている。少し長くなるが、以下に引用する。
 

 升永先生、久保利先生たちとお話をするなかで強く感じたのは、一人一票実現国民会議の活動のなかから今までの法律の世界では想像もできなかった「発明」がいくつも生まれているなということでした。

 その一つが、従来の「5倍の格差」ではなくて「0.2票しかない」という表現に置き換えながら、広く国民の皆さんにアピールしていることです。

 前者の表現ですと、「神奈川の有権者が1票なのに対して、鳥取の有権者は5票持っているのか。鳥取の人は得しているな」と、どこか他人事として捉えがちです。しかし、「鳥取の有権者は1票、神奈川の有権者は0.2票。」となると、「えっ、1票と思っていたものが、0.2票だなんておかいじゃないか。ところで自分の選挙区の票はどうなっているのか……」と、我が事として認識するようになります。

 数学的には同じことなのですが、全国民の意識をこの問題に向けさせる「大発明」だと、目から鱗が落ちる思いでした。

 実はその大発明は、私自身の誤りを気づかせるきっかけにもなしました。それまで私は「2倍未満の格差なら許される」という憲法学の通説を講義で当たり前のように教えていました。しかし、これは「2倍未満、つまり0.51票なら認めましょう」ということと同じです。人間誰しも人格価値は平等であるということに異論を持つ人はいないでしょう。それなら一人ひとりの投票価値も平等でなくてはなりません。
            【一人一票実現国民会議×弁護士ドットコム


 伊藤弁護士は、「大発明」と称賛しているが、その発明が生まれた経緯について、発起人・共同代表の升永英俊弁護士が、こう語っている。

 私は昨年まで、自分が「清き一票」を持っていると信じていました。20歳から66歳までだから46年間ずっとです。
もちろん、「一票の格差」があることは知っていました。しかし、それはそれとして、自分は「清き一票」を持っていると思い込んでいた。

 ところが、昨年5月に友人と話している時、彼が「『2倍』では素人には分からない。『0.5票』と言ってもらえれば分かる」と言った。
「そんなの、同じことだろう。1を2で割れば0.5だ。自分で割り算をやればいいだけじゃないか」と私は友人に言ったのですが、その話が妙に頭に残りましてね。2日間、考えました。考えた末に、これは大変なことだと思った。

 「そうか、自分は1票を持っていないのだ。0.5票しか持っていないのか」って。

 たとえば、衆院選(小選挙区)で、高知3区を1票とした場合、東京1区は「0.47票」、参院選(選挙区)で、鳥取県を1票とした場合、「0.23票」です。
                     【一人一票実現国民会議×弁護士ドットコム


 友人に指摘された時、升永弁護士は、 「そんなの、同じことだろう。1を2で割れば0.5だ。自分で割り算をやればいいだけじゃないか」と言ったそうだが、私自身も、何かを説明する文章を書くとき、つい、同じような思いになることがある。

 だが、「数学的に同じ」「計算すれば分かる」「考えれば分かる」という態度では、現実的な力は乏しいのである。

 単に情報を伝達するだけでなく、情報を相手の脳裏に深く刻みつけようと考えるなら、そのための工夫を惜しんではならないのである。

表の作成にあたっての注意事項

 先日のブログ【伝達力と説得力】では触れなかったが、表の作成にあたっても、「分かりやすさ」のための工夫が随所に凝らされている。
 
 再度、表を掲載するので、練習問題だと思って、私の説明を読む前に、どこに工夫があるのか、その工夫の持つ意味は何か、ということを考えてほしい。

定数-1


定数-3


 色使い

 4つの表には、数字の意味、計算式を示すために、「議員1人当たりの有権者数」という言葉が全部で、7箇所、出現している。

 他方、各表で異なるのは、「各県」「鳥取」「神奈川」の箇所である。

 それぞれの計算式の違いを端的に理解してもらうためには、共通の「議員1人当たり有権者数」という言葉ではなく、「各県」「鳥取」「神奈川」といった、各式に固有の部分に着目してもらう必要がある。

 そこで、この、「各県」「鳥取」「神奈川」という文字については、太字(ボールド)、かつ、赤色にしたのである。

 ただ、「赤」といっても様々なのだが、ソフトが予め用意している「赤」は、それこそ目一杯の赤であり、そのまま使うと少しどぎつすぎて目に負担になる。そこで、少し明度を落として黒っぽくしているのである。

 コンピュータに苦手意識のある方には敬遠されるかもしれないが、ここで、コンピュータで色を表現するときの方法について、少し、整理しておく。

  コンピュータでは、色を、3原色(赤、緑、青)の組合せで表現する。

  具体的には、通常、各色の英語の頭文字と、各色の数値を組み合わせて、R=64、G=128、B=255 のように表現する。

  使われる数値は、十進法の、0から255までの、256段階である。

  ただ、コンピュータでは、16進法を使う場合が多く、16進法の、0~FFという数字が使われる。

  16進法では、0~9の数字に加えて、A~Fの文字が数字の代用として用いられ、Aは十進法の10、Fは十進法の15に対応する。上記の例を16進数で表現すると、R=40、G=80、B=FF となる。ただ、16進数を用いる場合は、R,G,Bを省略して、4080FFのように、6桁の数字で表現することが多い。

  そうすると、目一杯の赤は、FF0000 となり、暗めの赤は、例えば、990000 のようになる。

  このブログでも、本文の文字の色を変えているところでは、ソース(実際に画面で表示される文字列そのものと、その各文字の、色、大きさなどを指示するコンピュータに対する命令文とが、一体となったもの)には、【color=#4080FF】のような文字が書かれているのである。

  とは言っても、一々、ブログを書く際に、実際に、このような16進数を記載しているのではなく、色パネルを呼び出して、そこから適切だと思う色を選択すれば、ブログ作成ソフトが、コードを作成してくれるのである。

 このように、ソフトにコード作成を任せておいてもいいのだが、後から、「僅かに赤みを加えたい」と思ったときは、色の表現の仕組みを知っていれば、コードを開いて直接に、Rにあたる部分の数字を少しだけ増やすことができるし、その方が、色パネルを開くよりも適切に目的の色を設定することができる。

 鳥取県か、鳥取か

 上記の表の中では、「都」「府」「県」は省略している。分かりきったことは、極力、読者の目に触れないようにするのが、「優しさ」というものである。

 ただ、「道」だけは省略していない。「北海」という呼称は一般的でないからである。

 「不統一」ではあるが、ここでは、「不統一を回避」するのに勝る利益があるから、あえて、そうしているのである。

 これまでも述べてきたことであるが、このブログに書かれている「原則」は、あくまでも、「原則」であり、その都度、具体的に読み手のことを考えて、「例外」処理が妥当なときは、原則から外れることも必要なのである。

 数字の位置、桁揃え

 冒頭の表は、エクセルで作成したものだが、エクセルでは、数字は、セル(データが入る長方形の枠)の右端に寄せて表示されるのが原則である。

 この表の場合、セルが結構、横長になっているので、そのままだと、数字が極端に右端に偏ってしまい、見栄えが悪い。そこで、②の表では、センタリング(中央揃え)を行っている。

 ただ、センタリングは、桁数、少数以下の数字の数、それぞれが皆同じ場合にはいいのだが、①のように桁数が異なる場合、センタリングをすると、各数字の右端が揃わなくなってしまう。

 そこで、①の表では、右寄せインデント(数字の末尾をセルの右端から一定の間隔を空けたところにする)で対応している。

 最後に

 今日のブログでは、非常に細かいことを、くどくどと説明してきた。
 
 ・そこまで必要なのか
 ・そんなことまで、一々考えていられない

 と言う人も、いるかも知れない。

 けれども、私は、敢えて言うことにする。
 
 ・ここまで必要です!
 ・面倒でも、ここまで、するべきです!

 情報発信は、1対1のこともあるが、多くは、1対多である。メーリングリスト、ブログやSNS等になると、1対1000、1対10000ということも珍しくはない。

 「分かりやすい表現」によって、読み手の負担が、仮に、1秒でも軽減されるとしたら、軽減される負担は、読み手1000人分の合計で、1000秒、すなわち、16分強となる。

 その「分かりやすい表現」をするために、書き手が1分間、余分な労力を費やしたとしても、社会全体では、16分の負担が軽減されるのだから、差引、15分の得である。

 そう考えると、読み手に配慮して「分かりやすさが第一」を実践する行為は、ゴミを道路に投げ捨てないのと同様、社会人の当然の常識、エチケットとも言えるだろう。

 ただ、この「常識」の具体的内容は、発展途上であり、私自身、このブログを書き始める前の自分の文章を読み返してみると、よく、いい加減な文章を書いていたものだと恥ずかしくなることもある。

 話は飛躍するが、今では、公共の場での禁煙は当然の常識となっているが、約40年前に「嫌煙権の確立を求める市民の会」が発足した当時は、職場で1人で室内禁煙を求めても、相手にされなかったのである。

 また、20年前なら、飲んだ後で車を運転して帰ろうとしても、せいぜい、飲み屋の女将さんから「気をつけて」と言われるくらいだったが、今は、酒気帯び運転で摘発されたら、新聞に載ったり、下手をすれば、懲戒免職もありうる時代である。

 「昔は、こんな当たり前のことを、わざわざブログで書いている人がいたんだね」と言われる時代が来ることが、私の夢である。

 夢で終わるか否かは、ここまで読まれた読者の方の行動次第である。


伝達力と説得力

 このブログの使命は、「分かりやすさ」を追究することだが、「分かりやすさ」には、次の二つの要素を含んでいるように思う。

  情報が瞬時に正確に伝わること      (「伝達力」といってもいい)
  情報の内実が深く脳裏に刻まれること  (「説得力」といってもいい)

 両者は単純に切り離して考えることはできないのだが、これまで、前者を中心に論じてきた。今日は、主に後者について検討してみることにする。

 素材は、このブログの熱心な読者の方から提供された資料だ。

 国会議員の議員定数の不均衡、一票の格差に関する説明資料なのだが、1票の格差の問題を、より説得的に訴えるには、どうすればいいか、という観点からブログで取り上げてほしい、とのことだった。

 まず、次の表を見比べてほしい。

定数-1

 どちらも、参議院の選挙区の議員定数に関する表だが、①は、各都道府県の議員1人当たりの有権者数であり、②は、その数字を、議員1人当たりの有権者数が最も少ない鳥取県の数字で割ったものである。

 ①の表の数字は、皆、数十万から百数十万という、大きな、生の数字であり、これだけでは、どの程度の不均衡かは、直感的に分かりにくい。

 他方、②の表だと、議員1人当たりの有権者数が鳥取県の何倍かと言うことが、ストレートに数字で示されており、不均衡の度合いが、すぐに分かる。

 では、更に、次の表を見比べてほしい。

定数-2

 ②は、先ほどの②と同じものだが、③は、神奈川県の議員1人当たり有権者数を各都道府県の議員1人当たりの有権者数で割ったものである。

 念のため、注意を喚起しておくが、よく1票の格差に関する判決などで出てくる数字は、この③の数字ではなく、②の方の数字である。どちらも、1~5.08の数字が並んでいるため、同じように思われ勝ちだが、意味は違うので、注意が必要である。

 ②は、1票の価値をストレートに表現したものではなく、神奈川県の数字が鳥取県の数字より大きな数字で出てくるので、1票の価値が神奈川県の方が小さいということが、直感的に理解しにくい。他方、③だと、まさに、1票の価値そのものが数字で表現されているので、③の方が優れている。
 
 更に、次の表を見比べてほしい。

定数-3


 ③は、上の表の③と同じで、神奈川県の1票の価値を1としているものだが、④は、鳥取県の1票の価値を1としたものである(なお、数値としては、④は②の逆数となっている)。

 ③も④も一票の価値を数字の大きさで表現した点では同じだが、鳥取県の1票の価値が高すぎる(③)、と訴えるよりも、神奈川県の1票の価値が低過ぎる(④)、と訴える方が、何となく説得力がある。

 従って、1票の価値の平等の実現を求める場合は、①でも②でも③でもなく、④の表の数字を用いるべきである。

 さて、ここまで情報を表で表現してきたが、より直感的に理解してもらうためには、グラフや地図を用いる方がいい。

 次に掲げるのは、先の読者の方から提供を受けた資料が掲載されているウェブサイト【都道府県データランキング 1票の格差】からの引用である。

 まず、上記の③の表をグラフ化したのが、これである。
定数-4


 次に、同じグラフだが、地域的な不均衡が直感的に分かるように、北海道から南西方向に順に沖縄まで配列したものが、次のグラフである。
定数-5


 このグラフにより、地域的な傾向が直感的に分かるのはいいのだが、致命的な点がある。

 それは、左に北海道、右に沖縄を配した点である。

 地図の上では、右上に北海道、左下に沖縄となっているのであるから、グラフにおける配列も、それに従った方が、遙かに直感的に理解しやすい。このことは、以前のブログ【前列右から、加藤、清水、野間、高谷、石原、・・・】にも書いたとおりである。

 次の図は、【一人一票実現国民会議 参議院(選挙区)】に掲載されたものである。
 
定数-6


 この地図は、上記の棒グラフと比べると、次の2点で優れている。

   地図の色分けの基礎となったデータは、前記の④と同じものを用いていていること。

   地域的な傾向を示すには、棒グラフよりも地図を色分けした方が直感的に分かりやすいこと。

 ところが、ぱっと見て、鳥取県の黄緑だけが際立っていて、全体に赤茶色っぽく、選挙区毎の識別が困難である。例えば、広島、岡山、兵庫の3県が順にレベル8,9,10となっていることは、目を凝らさないと分からない。

 そもそも、人の目の識別能力の問題だろう。10段階に分けたから識別が困難になったのであり、これが5段階であれば、ぱっと見ても区別ができただろう。

 さらに、この地図は、色の選択も問題だ。両極端を赤と緑にして、その間をグラデーションにしたわけだが、途中の黄土色が、どうしても、赤と緑の中間の色だということが直感的に分かりにくいのだ。

 この点、両端を赤と青にすれば、途中の紫が、赤と青の中間の色だということが直感的に馴理解できるのだ。ただ、これは、私の個人的な感覚であって、あまり一般的なものではないかも知れない。

 翻って考えると、そもそも、数字の大小は一次元的なものであり、これを色のグラデーション表現するのに、有彩色を2種類、用いることが、疑問である。

 赤と白、あるいは、黒と白、といった、有彩色と無彩色、あるいは、無彩色同士にした方が、余分な情報が削ぎ落とされて、直感に馴染むように思う。

 なお、ここで、一次元情報だから有彩色を2種類使うのは考えものだと述べたが、気温の場合は、赤=高温、青=低温というイメージが定着しているので、赤から青のグラデーションでも、いいかも知れない。

 いろいろ述べてきたが、地図に着色するよりも、棒グラフで表現する方が、棒の高さは微妙な違いまでも区別できるので、優れている。とはいえ、地図に着色する場合でも、適切な工夫をすれば、直感的には理解しやすいのであるから、地図とグラフ、いずれも、甲乙つけがたい。

 最後に、地図の左側にある表になっている凡例で、一票の価値の低いところが上になっているのは、直感に反する。この点は【グラデーションのフェイント】に書いたとおりである。

 以上、配慮すべきことを色々述べてきた、整理のために、以下に、項目だけ列挙するので、これを参考に、読者自身の頭で納得行くまで、考えてほしい。私の指摘で納得の行かないところがあれば、ぜひ、コメントで知らせてほしい。

  生の大きな数字ではなく、比率を表す数字にする。
  大きい方がいい、という、一般的な感覚に沿ったものにする。
  訴える内容に適切なものを基準にする。
  表よりも、グラフ、地図
  現実の配置に表現上の配置を合わせる。
  識別困難にならないよう、過度の細分化は避ける。
  グラデーションは、グラデーションと分かるような色を選ぶ。
  有彩色の多用は避ける。
  大きい数値を上にする。

 なお、グラフの効用については、過去に、このブログでも触れている。

  ● グラフの効用
  ● グラフ作成に際し考えるべきこと

実務に理解の深い教員の養成は急務なのだが・・・

 法科大学院制度ができて、実務にも詳しい研究者教員の養成が叫ばれているが、なかなか、うまくいっていないそうである。このため、これまでも多くの研究者教員を輩出してきた大学院では、実務にも詳しい研究者教員の養成について、真剣に検討が行われている。

 ウェブサイトを見ると、現状分析と今後の展望に関し、プレゼン用ソフトで作成したと思しき9頁の資料が掲載されている。

 ところが、残念なことに、この資料が、これまで、このブログで取り上げてきた問題点を総取りしたような、突っ込みどころ満載の代物なのである。まずは、説明の前に、実際の資料を見ていただこう。

京大養成-1


【1】 総天然色

 これを目にしたとき、頭がくらくらした。と同時に、モノクロ映画がカラーに切り替わった昭和30年代の映画のポスターに誇らしげに記されていた「総天然色」という言葉を、何十年かぶりに思い出した。

 確かに、プレゼンソフトであれ、ワープロソフトであれ、ありとあらゆる種類の色を表現することは可能である。けれども、「可能である」からと言って、それを実際に行う必要はない。

 これでは、まるで、24色のクレパスを買ってもらって、嬉しくて仕方なく、24本、全部を使って大はしゃぎで絵を描く幼稚園児と同じではないか。

【2】 雲形、ウニ形、人の顔

 1枚の資料の、あちこちに書かれた説明文を際立たせるために長方形などで囲むのは、効果的である。

 けれども、雲形、ウニ形で囲むのは、いかがなものか。

 ことさら奇抜な図形を用いても、図形の印象は残るかも知れないが、図形の印象が強い分だけ、内容の理解、記憶の妨げになり、逆効果である。 

 作者は、おそらく、プレゼンソフトが用意した図形の中から目立ちそうなものを選んで使ったのだろう。

 けれども、そんなことをするのは、たとえば、長距離ミサイルを手にしたら発射して自慢したくなるのと精神構造は同じである、と言ったら、言い過ぎか?

 あと、左下のスマイルマークのような人の顔の図形も、有害無益である。

 もう一つ、別の頁を見ていただこう。

京大養成-2


【3】 日本地図

 中央に黄緑色の日本列島の地図が描かれている。

 その地図の沿岸部を囲うように、深緑色の図形が描かれている。東日本大震災のときの、津波予報の図を思い出したのだが、さすがに、それはないだろう。

 しばらく目を凝らしているうちに、深緑色の図も、やはり日本列島の地図であり、それが背景に配置されている結果、手前の地図で分断されて、日本列島だと分かりにくいのだと気がついた。

 けれども、背景に日本列島の地図を重ねる必然性など、どこにもない。かえって混乱するだけである。


【4】 今の頁は、何頁?

 資料は全部で9頁あり、下の方には、「1 2 3 ・・・ 9」と数字が並んおり、数字をクリックして、その頁に飛べるようになっている。

 けれども、その数字は、全部、同じ色、同じ大きさ、同じ背景であり、いま見ている頁が何頁なのかは分からない。

 よく見ると、右下に(赤い矢印の先)、数字の「5」のようなものが見える。けれども、こんな小さな文字では、そこに文字が書かれていることさえ、気がつかれない。

 せっかく、下に、数字の1から9までを並べているのだから、今の頁の番号の色や大きさ、背景を変えるなどすれば、それだけで、いま何頁なのか分かるのである。

【5】 資料を作成した大学は?

 どこの大学が資料を作成したのかは、資料の冒頭に記載しておけば十分であり、各頁に記載するまでもない。

 とはいえ、中身の各頁に大学名を記載してアピールしたい、というのであれば、それも一つの考え方であろうし、はたから、とやかく言うまでもない。

 資料の右上の、赤い点線の長方形の所には、別の頁では大学名が入っているのだが、この頁だけ、大学名が入っていないのである。別に大学名はなくても困らないのであるが、他の頁には皆、大学名が入っていることから、一瞬、なぜだろうという疑問が生じるのである。

 別に、どっちでもいい話なのだが、こういった不統一感は、資料の読み手に、僅かではあるが、ストレスを感じさせるものである。

 また、それだけでなく、こういった不統一感があると、作成者の注意力、思考の厳密性などにも若干の疑念をもたれ、内容の信頼性にも不安を覚えさせることにもなる。

 なお、「不統一」という点では、実は、一つ前の【4】の最終段落に、次のような「不統一」な表現がある。
  ・ 今の頁の番号の色
  ・ いま何頁なのか

 同じ対象を、漢字、ひらがな、と異なった表現をしているのである。
 
 だが、これは、無頓着に「不統一」にしているのではない。例えば、漢字、ひらがなを逆にするとどうなるか?
  ・ いまの頁の番号の色
  ・ 今何頁なのか

 つまり、ひらがなが続いたり、漢字が続いたりすると、単語の切れ目が分かりにくくなるため、そうならないように、あるときは、漢字、あるときは、ひらがな、と表現して、「結果的」に「不統一」になっているのである。

 要するに、「不統一を避ける」というのも、絶対的なものではなく、それよりも、読みやすさを優先すべきだということである。


 今回の様々な指摘に関連したことは、これまでも書いているので、それらの記事も参照されたい。
 ● フォントの話
 ● 現在の頁は?
 ● 表記のゆらぎ 
 ● あざいお市マラソン

 このブログの素材となったのは、以下のウェブサイトである。
 ● 法科大学院制度下における教員養成

写真の解説は、こうする 【続編】

 数学者・岡潔の著作を整理、解説した「数学する人生」【新潮社】の中の掲載写真の解説を素材に、【写真の解説は、こうする】という記事を書いたことがある。

 今日、その記事を読み返す際に素材となった解説も眺めてみたのだが、どうも、読んでいて落ち着かない。なんとなく、苛々するのである。

 その苛々の原因を考えているうちに、前回のブログで書いたこと以外に、問題点が満載なことに気がついた。

 以下、写真の解説の中の長方形の囲みの色と、問題点の解説の見出しの冒頭の「●」の色とは対応しているので、照らし合わせてみてほしい。

岡潔-枠


【1】 同一の対象は、同一の表現①


 「奈良市」と「奈良」。どちらも、同じようなものだが、単に「奈良」だと、「奈良市」以外の「奈良県」のどこか、という可能性もないではない。どちらも、同じ65歳の頃の自宅というのだから、「奈良」というのも、「奈良市」だろうとは思えるのだが、理窟の上では、そうとは断定できない。

【2】 同一の対象は、同一の表現②


 いずれも、岡潔、岡ミチの夫妻を指しているのだが、微妙に異なる表現となっている。

 もちろん、長い文章の中だと、同じ対象でも、文脈によっては違う表現を用いる方が適切な場合も、あるにはある。

 しかし、単に客観的な情報を伝えるだけの写真の説明文において、このような異なる表現を使うのは、「場当たり的」であり、読み手に余分な負担を与えるだけである。

【3】 「何かに関心を集めている」  主体と客体の関係に注意


 「関心を集める」というのは、主語となった人・物が、関心の対象となっている場合である。
 ここでは、「何かに関心を集めている」というのだから、関心の対象は、「何か」であり、著者は、「関心を集めている」のではなく、「関心を寄せている」のであろう。

【4】 「第三高校生」  一般的でない表現


 要するに、旧制の第三高等学校の学生であることを表現したかったのだろう。

 だが、それなら、普通は、「三高生」という表現を用いる。

 グーグルで、それぞれを検索したところ、「第三高校生」は「三高生」の7分の1程度の出現数であり、しかも、「第三高等学校の学生」とは違う意味で使用されているものが殆どだった。


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 玉石混淆の情報が溢れる社会の中で、効率よく、的確に、情報を取得し、提供するには、どうすればいいのか、ということを常に考えています。

 ところが、そんなことには無頓着な人も多いようで、読者に対する配慮の一欠片もない文章を目にすることがあります。

 難解な文章で読者の貴重な時間を奪ってしまう人達のことを、「時間泥棒」と名付けました。

 このブログは、「時間泥棒」を立派に更生させることを目的として開設したものです。

 記事を読んで、自分も「時間泥棒」かな、と思ったら、早速、改めて下さい。また、あなたの廻りに「時間泥棒」がいたら、あなたの力で立派に更生させてあげて下さい。

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