感覚に寄り添う

 ネットで列車の時刻を調べる際、最初に出てきた検索結果を見て、「もう少し遅い時間のにしたい」と思い、出発時刻を変更することがあるが、そんなとき、ジョルダンの乗り換え案内は、大変、便利にできている。

乗り換え


 どこが便利かというと、一番上に、「5分後」「10分後」「30分後」「60分後」というボタンがある点だ。

 もちろん、画面の下の方に行くと、ピンポイントで「何時何分」という指定ができるようになっている。

乗り換え-2


 けれども、列車を探す場合、「何時何分」というより、「もう少し遅い時間」というように、漠然とした感覚しかない場合が多く、その場合は、「5分後」とか「60分後」とかを、ボタン一つで選択できるほうが、ずっと便利なのだ。

 しかも、その「●分後」の「●」なのだが、「10,20,30,40」といった等間隔ではなく、「5,10,30,60」というように、次第に幅が拡がっており、「少しだけ」「もう少し」「もうちょっと」と言った、ざっっくりしとした「感覚」にぴったりの幅なのである。

 このように、「分かりすさ」を追究するには、純粋に、数学的、論理的な思考をすればいいのではなく、言語で明瞭には説明したがたい、人間の感覚に、どう寄り添うか、ということが大事なのであり、上記の例は、そのことを雄弁に物語っている。

カンマ「,」に気をつけよう

 京都市内の公共施設の料金表で以下の記載を目にした【京都市中央斎場】。
 
コンマ-1

 「市内大人」と「15,000」とが接着しているのも問題だが、同時に、「,」と「0」の間が異様に空いていてる。間にスペースでも入れているのかと思って調べてみた。

 やり方は、「5」と「,」それぞれについて、マウスポインタを当てて一文字分だけドラッグするというものであり、一文字分だけ、背景を青く反転させることができる。

コンマ-3

 上記のとおり、「5」は半角文字、「,」は、全角文字になっていた。異様なスペースの原因は、これだったのだ。

 「,」は、ただでさえ、一文字分の幅の中で左に寄っていて、後ろに無用なスペースがあるように見えてバランスが悪いのだが、半角数字の中に全角の「,」を混在させると、このように、全く間延びしてしまい、「,」の後は、別の数字かと思えてしまうのである。

 上に、「,」は、ただでさえバランスが悪いと書いたが、私は、バランスをとるために、冒頭の例とは逆に、全角の数字の中でも、あえて、[,」だけは、半角にしている。さらに言えば、フォントを等幅フォントでなく、プロポーショナルフォントにすれば、一層、バランスも良くなる。

コンマ-4

 なお、等幅フォント、プロポーショナルフォントについては、【フォントの基礎知識】を参照されたい。

 冒頭の料金表は、他にも色々と問題点があるのだが、とりあえず、改善例を、以下に示す。

コンマ-2


 改善点は、以下のとおりである。

二次元の表にした。冒頭の料金表も「表」には違いない。
●●●けれども、「市内・市外」と「大人・小人」を縦横に組み合わせないと、表にする意味はない。

数字、カンマを、半角に統一した。

日中戦争拡大や政党政治を壊滅させ・・・

 先日の京都新聞【2016.8.11 朝刊】に、元首相の近衛文麿について、こんな記載があった。

 日中戦争拡大や政党政治を壊滅させ、太平洋戦争へとつながる翼賛体制を築いた政治家として知られる。


 なんとなく意味は分かるのだが、表現としては誤りというほかはない。正しく表現すると、こうなる。

  【誤】 日中戦争拡大や政党政治を壊滅させ

  【正】 日中戦争を拡大し政党政治を壊滅させ


 2つの事柄を順に記載する場合、【名詞①×動詞①】+【名詞②×動詞②】と表現する場合【1】が多い。さらに、これを変形し、動詞の語幹部分を抽出して名詞に取り込み、【複合名詞①+複合名詞②】×【(実質的な中身のない)動詞】のように表現する場合【2】も、ある。

 ところが、動詞の語幹部分の名詞への取り込みを、二つある動詞の一方についてだけ行った場合【3】、【複合名詞①+名詞②】×【動詞②】といった、意味の通らない文になるのである。

 言葉では的確に表現できないのだが、下記の図で、言わんとすることを理解してほしい。

複合-7


複合-8


紛らわしい文字は使わない

 たとえば、ネット上のブログにコメントを送信をする場合、画像が出てきて、そこに記載された文字を読み取って入力するように求められることがある。

 こういった仕組みにしている目的は、悪意をもったユーザーがプログラムを作って自動的にコメント欄に大量のコメントを送りつけてくることを防止することにある。

 画像から文字を読み取って入力するという過程では、必ず、生身の人間が介在しなければならず、プログラムを使って自動的にコメントを送ることはできない仕組みになっているのである。

 もちろん、理論上は、OCRという、画像から文字を読み取るソフトもあるのだから、それを組み込めば自動的にコメントを送りつけることも可能ではある。

 しかし、OCRの機能は必ずしも十分ではなく、他方、コメント送信の際に表示される画像の中の文字は、向きが傾いていたり、余分な線が上に書かれていたりと、OCRで簡単には読み取れないようになっている。

 たとえば、こんな具合である。

大文字小文字

 このように、OCRによる読み取りを不可能にするための工夫をするのは結構なことなのだが、OCRだけでなく、人間でも簡単には読み取れないことがある。

 つまり、ぱっと見て、大文字と小文字が混在していると分かるのだが、「F」のように大文字であることが明らかなものもあれば、「S」のように紛らわしいものもあるのだ。

 画像の中の文字が見にくい場合は、改めて別の画像を表示させるためのボタンがあるのだが、これを押しても、また「C」のように紛らわしい文字が出てくることがある。ときには、5,6回目で、ようやく、すべての文字が明確に認識できる場合もある。

 文字の書かれた画像の表示は、コンピュータが乱数を用いてランダムに表示しているのだが、予め、紛らわしい文字を排除しておけば、こういった問題は生じない。大文字、小文字の混同だけでなく、数字との混同という場合もあるので、それを含めて、紛らわしい文字を排除する必要がある。

 そこで、どんな文字を排除すればいいのか検討した結果が、次の表である。

 
混同

 この表に従うと、使える文字が少なくなってしまうが、文字入力を求める目的からすれば、問題ないはずだ。

------------------------------------------------------------------------

 昨日の図に不備があったので、修正した。同時に、アルファベットと数字の混同をまとめた右側の小さな表に手を加え、より分かりやすくした。どこが、どう変わったか、また、なぜ変えたのかを、じっくり考えてほしい。

 混同-2


 分かりやすくするためにした変更は、以下のとおりである。

   前の表は数字が先頭に来たり、末尾に来たりと不統一だったが、大文字、小文字、数字の順にした。
   その結果、右端に縦に、0,6,7,9と数字が順に並び、整理された感じになった。
   「数字とアルファベット」という見出しを、「大文字、小文字、数字」に変えて、実際に下に書かれている文字の種類に対応するようにした。

 いずれも些細な変更であり、「どうでも、いいじゃないか」と思う人も入るかも知れない。けれども、「神は細部に宿る」という言葉があるように、どんなに小さなことでも、少しでも「分かりやすく」する姿勢が大事だと、私は考えている。

【2016.8.13追記】


営業時間の表示は、こうする

 最近みつけて気に入ったカレー屋さんがあるのだが、近々また行こうと思い、営業時間の確認のため、食べログを見た。

 食べログを見る目的は人それぞれだろうが、電話番号、場所、定休日、営業時間の情報は必須であり、次に必要な情報はメニュー、座席数などで、最後に、実際に利用した人の評判、という順番だろう。

 ところが、食べログを開いても、営業時間の記載が見当たらない。店の特徴の説明の画面から、スクロールして行くと、延々と投稿写真や利用者のコメントが出てきて、ようやく、「店舗基本情報」というのに辿り着いた。「基本情報」こそ、多くの閲覧者にとっては重要な情報のはずなのだから、記事の冒頭に配置すべきである。

 こうして見つけた営業時間の欄には、こう書かれていた。

 
営業-0


 特定の日時に営業しているかどうかを確認するだけなら、これでもいいだろう。けれども、ここ2、3日の間に行こうという漠然とした予定で、前もって営業時間を確認しておこうという場合、こんな書き方だと、いつ行けばいいのか、頭の中に入って来ない。

 これが文字情報の限界である。こんな場合こそ、表形式で情報提供すべきである。たとえば、こんな具合だ。

営業-1

 この表を見れば、昼の営業は、一律に11時半からだということは一瞬にして分かる。けれども、食べログの記載だと、そうはいかない。

 単純に表にするだけでも十分に分かりやすくなったのだが、まだ、工夫の余地がある。

 上の表では、時刻の記載が左側にしかないので、週末の営業時間は分かりにくい。そこで、右側にも時刻を記載したのが、次の表だ。

営業-2


 確かに分かりやすくなった。だが、週の前半は、昼間しか営業していないのだから、左側の時刻のうち、遅い時間帯の時刻は不要だ。むしろ、目障りである。そこで、不要な記載を消したのが、次の表だ。

営業-4

 もう一つ付け加えると、食べログの情報では、水曜日は、「500円カレー」となっている点も、分かりにくい。

 これでは、通常メニューに加えて、「500円カレー」をやっているのか、あるいは、通常メニューはなくて、「500円カレー」しかやっていないのか、判然としない。

 先ほど、この店でカツカレーを食べたときに確認すると、水曜日は、通常700円の一番シンプルなカレーを500円にして、その「500円カレー」だけを提供しているとのことだった。そこで、表には、「500円カレーのみ」と書いたのだ。

 さらに、水曜日は、背景色も、薄いグレーにして、通常メニューの提供はしていないことが直感できるようにした。かりに、通常メニューに加えて、「500円カレー」をやっているのだったら、グレーではなく、薄い緑などで彩色して、「プラスアルファ」のメニューであることを直感できるようにするところだ。

 最後に、もう一つ、食べログの記載の問題点を指摘しておく。

 月曜、火曜は、営業時間が同じなので、「月・火」とまとめて記載しており、木曜、金曜も、同様に、「木・金」とまとめて記載している。他方、土曜は、単独で記載され、その次は、「日・祝」となっており、土曜日と日曜日では営業時間が違うのかと思って、よく見ると、結局は同じだった。だったら、「土・日・祝」とまとめて書くべきである。

 このように、中途半端にまとめて記載すると、見る側を混乱させてしまう。

 表にするにあたて、同じ営業時間・メニューの日はまとめて、「月・火」「水」「木・金」「土・日・祝」の4分類で記載しようかと思ったのだが、あえて、まとめることは止めにした。一日毎に記載したほうが、時間的な広がりが直感できるからである。たとえば、週の前半3日間は昼間のみの営業だということが、直感的に理解でき、記憶に残りやすいからである。

------------------------------------------------------------------------

 ところで、食べログの情報では、営業時間の下に、ラストオーダーは、閉店時間の30分前という記載があったので、この情報も、表に反映してみた。

営業-6

【2016.8.12 追記】




12345六78九

 いつもは「分かりにくい」文章を槍玉に挙げている本ブログだが、今日は趣を変えて、私が「これは分かりやすい」と思ったものを取り上げることとする。

 さきほど郵便受けに夕刊を取りに行くと、佐川急便の「ご不在連絡票」が入っていおり、再配達の自動受付の電話番号とともに、担当者の携帯電話番号が次のように書かれていた。
 

   携帯電話 00-1234-5678


 一瞬、「なんだ?」と思ったのだが、すぐに納得した。携帯電話の頭の3桁は、以前は「090」だけだったことから、「080」が登場してからも、それまでの習慣で「090」としてしまうことがあるため、「9」ではなく、「8」であることを際立たせて、間違い電話を防止しているのだ。

 他に数字の取り違えで多いのが、「6」と「9」である。この二つの数字が駐車場の路面に書かれていると、上下の向きが分かりにくいため、誤解されがちである。そこで、次のように、「6」「9」だけは、アンダーラインが引かれていることが多い。
 

 1 2 3 4 5  7 8  


 これで「6」と「9」の取り違えは防げそうだが、理窟の上では、アンダーラインでなく、アッパーラインという可能性もあるし、そもそも、アンダーラインが引かれていることに気づかない人もいるのだろう。そんなことを配慮したのか、先日、こんな表示をしている駐車場を見つけた。
 

 1 2 3 4 5 六 7 8 九 


 これなら、「6」と「9」を取り違えることは絶対にないだろう。

 上に挙げたように「8」だけ突出して大きかったり、算用数字に漢数字が混じっているのは、見栄えとしては、決していいものではない。しかし、実用の観点からは、こうするのが一番だ思う。

 どうしても、無意識のうちに「格好良くしたい」とか、「普通は、こうするものだ」という常識に囚われ勝ちなのであるが、伝えるべきことを確実に伝えるには、格好良さへの思いや、常識は、捨て去るべきである。

 なお、格好良さや常識に囚われるべきではないということについては、下記の記事を参照されたい。

    「分かりにくさ」の原因は、これだ    
    意味の塊ごとに改行する -調書方式-


表にするしかない!

 福島原発事故から現在までの原発の稼働状況を調べたところ、こんなサイトがあった【東京電力福島第1原子力発電所事故報道】。その一部が、これだ。

原発-2

  これを目にした途端、私は頭がくらくらした。なぜ、文章で、こんなことが書けるのだろう。表にするしかない。そこで作ったのが以下の表だ。
原発

 表にしてしまえば、去年の8月に約2年ぶりに原発が再稼働し、その後、稼働する原発が今年の2月までは、どんどん増えていき、その後は減少に転じ、現在は2基が稼働していることが、一瞬にして理解できる。

 同じことを、文章から読み取ろうとすると、どれだけの時間がかかることだろう。

 さらに、表にすれば、高浜4号機は、わずか4日しか稼働していなかったこと、川内1号機は、昨年8月から、1年間、ずっと稼働していることも、一目瞭然である。

 うまく表を作成すれば、これほどに、様々な情報を一瞬にして読み取れるのである。表を使わず、文章だけで表現しようとするのは、理解してもらう意欲が欠落しているとしか思えない。

 ところで、この表の原発の順番、川内、高浜、大飯の順を見て、何か気づいただろうか。

 西にある原発から東にある原発へという順番に敢えてしているのである。このように、地理的配置と表の中での位置を同じにすることによって、より理解しやすくなっているのである。

 さらに、表にすることによって、記憶にもしっかり残る。特に、●の一群が図となって記憶されるため、去年の8月から、川内1号機、川内2号機、高浜3号機、高浜4号機と順に再稼働して、この3月からは、その逆の順に停止していったことが、覚えようとせずとも、勝手に記憶に残るのだ。

 なお、文章を表にすることによって劇的に分かりやすくなる場合があることは、下記の記事も参照されたい。

    期限内に提出されたものが・・・  
    証拠説明書は表に限る

------------------------------------------------------------------------
 その後の再稼働状況を反映した表を作成したので、【表にするしかない! その2】を参照されたい。 【2017.11.9 追記】 


貸し切りバスと借家

 「限界費用ゼロ社会」という題名の非常に興味深い記事が、今朝の京都新聞に載っていた。

 「限界費用」というのは、生産量を一単位増やすのに必要な費用のことで、たとえば、お好み焼きを一枚、余分に作るとすると、小麦粉、キャベツ、豚肉など、余分に必要となる材料費とガス代などが、限界費用となる。

 従来は、どんな産業であれ、限界費用がゼロということはなかったのだが、インターネットの登場により、限界費用がゼロの領域が出現して、ますます、その領域が増えているという。

 たとえば、情報を伝達するために、手紙を一通送るにしても、一通につき、切手代82円に加えて、微々たる金額とはいえ、紙代、印刷代、封筒代がかかり、合計で、約90円かかる。

 ところが、電子メールとなると、メールの宛先の人数が増えたところで、追加の費用は一切かからない。

 こういった「限界費用ゼロ」のインターネットを利用して、アメリカの大学を中心として、無料で大学の講義を提供する仕組み、「ムーク」が登場した。記事中に、次のような一文があった。
 

受講の限界費用はゼロだから、受講料はむろんタダである。


 「受講の限界費用」というのに引っかかった。「受講」というのは、文字通り、講義を受けることである。ここでは、大学が講義を提供するための限界費用はゼロだから、受講料をタダにできる、ということを言いたいのである。

 そうだとすると、「受講の限界費用」ではなく、「講義を提供するための限界費用」というべきである。

 大学が講義を提供し、学生が講義を受ける。学生が講義を受けることは、「受講」という簡潔な二字熟語が存在するのに対して、大学が講義を提供することについては、そのような便利な言葉は存在しない。そのため、上の記事では、「受講」とうい学生側から見た単語を流用したくなったのだろう。

 これと同じような関係は、外にもある。「貸し切りバス」である。

 バス事業者から見れば「貸し切りバス」であっても、お客の側から見れば「借り切りバス」というべきである。

 ところが、「貸し切りバス」という言葉が一般化してしまっているため、お客の側も、つい、「貸し切りバスで旅行する」という使い方をしてしまうのである。

 他にも、「借家を持っている」というのも、時々耳にする表現だ。

 正しくは、「貸家を持っている」というべきなのだが、「借家」を借りている人の方が、「貸家」を持っている人より遙かに多いことが原因なのか、「借家」という言葉のほうが、広く使われているため、貸している側の人も、つい、「借家」という表現を使ってしまうのであろう。

 ここで挙げた3つの例は、「誤用」とは言え、誤解を生じさせるほどのものではないのだが、一瞬の違和感を覚えるものである。やはり、「誤用」は避けるに越したことはない。

性別によって変化するのか?

 「弁護士ドットコム」という、定価500円の月刊誌が無料で送られてくる。冒頭の「フロントランナーの肖像」という記事で、毎号、久保利明、宇都宮健児といった著名な弁護士を取り上げていて、それなりに面白い。

 その雑誌(というより、僅か30頁しかないので、小冊子というのが適切)の中の記事に、こんな記載があった。
 

弁護士ドットコムで弁護士を探すユーザーの行動は、性別によって変化するか?


 この文を読んで何も違和感を思えない人は、言葉に対する感覚が鈍いことを自覚すべきだと思う。

 いうまでもなく、「変化」というのは、異なる時点で、ある事物の属性が異なっている場合に使う言葉であり、同一の時点で、ある事物の属性と別の事物の属性が異なる場合に使う言葉ではない。

 抽象的に述べたので非常に分かりにくい表現になったが、端的に言うと、「変化」というのは、同一時点における事物の描写には使うべき言葉ではないのだ。

 正しくは、「性別によって変化するか?」ではなく、「性別によって異なるか?」でなければならない。

 「性別によって変化するか?」と言われると、性転換することによって行動が変化するのかと、問われているような違和感を覚えるのである。

日本語らしく

 司馬遼太郎の「坂の上の雲」の「日清戦争」の章の冒頭部分を、少し長くなるが、引用する。
 

 そのような時間が真之の上にながれているとき、東京にいる子規の境涯は、必ずしもあかるくはない。
 病気の進行は、ややとまった。ところがこのころ、子規は、あれだけかれが気に入っていた常磐会寄宿舎を追いだされてしまった。原因は居づらくなったのである。


 特別に分かりにくい文章ではなく、このブログの素材としての適格性を備えていないのではないか、と思われた方もいるかもしれない。

 けれども、私から見れば、いわば、「突っ込みどころ満載」の素材なのである。

【1】 漢字と平仮名を使い分ける


 まず、「あれだけかれが」の箇所だ。

 平仮名ばかり続くと、単語の切れ目を探すのに一苦労する。せいぜい5文字くらいに留めて置かないと、読者に二度見を強いることになる。

 ここは、「あれだけ彼が」と漢字を使うべきところだ。

 この部分に限らず、司馬遼太郎の文章は、漢字を使えばいいところで、やたら平仮名を使っている。上に引用した文章でも、何か所もある。
 

 そのような時間が真之の上にながれているとき、東京にいる子規の境涯は、必ずしもあかるくはない。
 病気の進行は、ややとまった。ところがこのころ、子規は、あれだけかれが気に入っていた常磐会寄宿舎を追いだされてしまった。原因は居づらくなったのである。


 一般的に言うと、助詞、助動詞、副詞、連体詞、間投詞は平仮名が望ましいが、名詞、代名詞、動詞、形容詞、形容動詞は漢字が望ましい。そうすることによって、漢字と平仮名が、ほどよく混在して、単語の切れ目が分かりやすくなるのである。

 このような漢字、平仮名の使い分けの効用は、単語の切れ目が分かりやすくなる、という点に止まらない。文章を見たとき、一々読もうとしなくても目に飛び込んでくるのが漢字である。その結果、一瞬のうちに、全体として、大体なにを書いてあるのかが理解できるのである。 

 ただ、司馬遼太郎ファンの中には、明治という激動期を描いた小説だからこそ、ひらがなが多いと、ゆったりした感じを読者に与え、落ち着いて読んでもらえるからいいのだ、という人もいるかも知れない。

 そうは言っても、私は、「分かりやすさ」という点で、もっと漢字を多用してくれた方が、ありがたい。 

【2】 不要な主語は省略する


 冒頭の文に戻ると、「かれが気に入っていた」の点も、引っかかる。この前に出てくる登場人物は、子規と真之の二人だけなので、そのどちらかを指すのは明らかなのだが、この文の主語として、「子規は」と書かれているのだがら、ことさら「かれは」と「気に入っていた」に対応する主語を書いていることからすると、文の主語とは別人の真之を指すのかと思ってしまう。

 けれども、文脈からすれば、この「かれ」も、「子規」を指すとしか考えられない。

 だったら、ことさら、「かれは」と書く意味は全くない。読者を混乱をさせるだけである。

 英語であれば、動詞には必ず対応する主語をあてがってやる必要があるが、日本語は、そんな面倒な規則に囚われる必要のない優れた言語なのである。その特性を生かさず、わざわざ、主語を補うなど、百害あって一利なしである。

 司馬遼太郎は、大阪外大(現、大阪大学外国語学部)のロシア語学科の卒業だが、おそらく、ロシア語も、英語と同じく、主語なしでは成り立たない不便な言葉なのだろう。大作家でも、外国語の文法に引きられて、こんな分かりにくい表現をしてしまうのだ。日本語としての分かりやすさを徹底して考えるほかはない。

 ところで、上の文で、主語をどうしても書きたければ、「かれ」ではなく、「子規」とすれば良かったのだ。ただ、「子規」という言葉が一文に二度も出てくるのは、みっともないと思ったのだろう、そこで、二度目は、「かれ」にしたのだろう。結果として、分かりにくくなっているのである。

 以前のブログ【「分かりにくさ」の原因は、これだ】にも書いたとおり、「分かりやすさ」以外の価値を求めると、「分かりやすさが」が犠牲になるのである。

 最後に、冒頭の文は、こう書けばいいということだ。
 

 そのような時間が真之の上に流れているとき、東京にいる子規の境涯は、必ずしも明るくはない。
 病気の進行は、やや止まった。ところがこのころ、子規は、あれだけ気に入っていた常磐会寄宿舎を追い出されてしまった。原因は居づらくなったのである。


205円が5枚、100円が5枚・・・

 今朝、事務所に来ると、留守番電話に裁判所書記官からのメッセージが残っていた。

 昨日の晩遅く裁判所の夜間受付に抗告状を提出した際に郵便切手を添付していなかったため、それを納付してほしいという電話で、切手の内訳を、延々と説明していた。書き起こすと、こうなる。

500円が2枚、205円が5枚、100円が5枚、82円が5枚、52円が5枚、20円が5枚、10円が5枚、2円が5枚、1円が5枚


 留守電を聞きながら、間違わないように気を遣いながら、メモをしていったのだが、最後まで来ると、「なんだ、500円以外は、みな5枚じゃないか。だったら、まとめて言えばいいのに」と思った。

 こういう場合は、次のように言ってほしいものである。

2枚必要なのが500円で、あとは、5枚ずつで、205円、100円、82円、52円、20円、10円、2円、1円です。


 「因数分解」の発想であり、以前のブログ【平成25年の所得証明と2012年の所得証明】でも述べたとおりである。

 そのブログにも書いた「因数分解」「結合法則」などは、数学の概念だが、数学の枠内に閉じ込めておくのは、もったいない。

 そもそも、数学の世界では、複雑な概念、複雑な論理構造を、できる限り単純にして、取り扱いやすくするために、古代から様々な工夫が凝らされて、現在のような洗練された表現が生み出されているのである。

 概念や論理を文字で表現する、という点では、数学であろうが、一般的な文章であろうが、全く同じである。数学の世界で生み出された発想を利用できないはずはない。

 もちろん、数学は高度に抽象的な世界であるのに対して、日常の世界は、具体的で、混沌としており、数学の世界の考え方を適用するのは、困難なものがあるのだが、人間の思考が論理的である限り、それを表現するにあたっても、数学的な発想が利用できないはずはない。

人数16名を越えた場合は抽選です

 高校時代の同学年の同窓生のメーリングリストに参加しているのだが、学年全体の同窓会の行事の案内が来た。

 同窓生のY君が、フランス語教育の第一人者でフランス政府から教育功労賞をもらったことがあり、ワインについても非常に造詣が深く、そのY君が講師になって、フレンチ薬膳料理とワインの会を催すという。その案内の中に、以下のような記載があった。

人数16名を越えた場合は抽選です


 これを見て、私は、「たった6人か、えらいこじんまりした会だな」と思い、もう一度見直してみると、6人ではなく、16人だった。

 なぜ、6人と誤解したのか考えてみたのだが、改めて見直してみると、「人数16名」という記載だと、「数」と右隣の「1」とが一体化して見えて、「6」だけが浮き上がって見えるのが原因だと気づいた。

 そうすると、こういった誤解をなくすには、こうすれば、いいということになる。

人数、16名を越えた場合は抽選です


 隣の文字との「一体化」という問題は、以前のブログ【スペースの効用】にも書いたことがある。

 ただ、そこに書いたのは、数字とアルファベット(たとえば、1(いち)とl(エル))、漢字とカタカナ(工(こう)エ(え))のように、違う種類の文字との混同が「一体化」を引き起こすというものだったが、今回の「数」と「1」との「一体化」は、それとは違う原因によるものだ。

 今回のは、「1」自体に、文字としての存在感が薄く、かつ、「数」「1」「6」と並んでいるとき、「1」が微妙に、左隣の「数」にくっついて表示されているのが原因で、「一体化」してしまうのだ。

 ところで、自分で、このブログを書きながら、我ながら、なんと細々としたことを考え、書き連ねているのだろうと思うことがある。こんなことに頓着しない人から見ると、およそ、理解しがたいことだろう。

 けれども、「分かりやすさ」を究めようとしていると、こんなことまで、色々と考えてしまうのである。私は、そうした日々の努力が大事だと考えているし、世間の人々が、せめて私の10分の1でも、同じように考えてくれたら、文章を読むときのストレスや誤解が劇的に減るのではないかと思っている。

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プロフィール

「時間泥棒」仕置人

Author:「時間泥棒」仕置人
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 玉石混淆の情報が溢れる社会の中で、効率よく、的確に、情報を取得し、提供するには、どうすればいいのか、ということを常に考えています。

 ところが、そんなことには無頓着な人も多いようで、読者に対する配慮の一欠片もない文章を目にすることがあります。

 難解な文章で読者の貴重な時間を奪ってしまう人達のことを、「時間泥棒」と名付けました。

 このブログは、「時間泥棒」を立派に更生させることを目的として開設したものです。

 記事を読んで、自分も「時間泥棒」かな、と思ったら、早速、改めて下さい。また、あなたの廻りに「時間泥棒」がいたら、あなたの力で立派に更生させてあげて下さい。

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