正しく事実を認識するには

 これまで、主に、情報を発信する側の立場で「分かりやすさ」を追究してきた。

 今回は、情報を受信する側の立場で、それも、単なる「分かりやすさ」というよりも、情報の信頼性を、どう評価するか、という観点からの考察を試みた。

 予め断っておくが、以下の話は、刑事訴訟法の勉強をしたことのない人には、少し馴染みの無い話になって申し訳ないが、予備知識がなくても、最後まで読んで行けば理解してもらえるはずなので、多少の取っつきにくさは我慢して、読み進めて欲しい。 

 刑事訴訟法の「伝聞法則」に関連して、どの基本書にも、供述証拠(目撃証言など、人が語った内容が事実認定の根拠となるような証拠。これに対し、指紋などは、「非供述証拠」と言われる)は、「知覚、記憶、表現、叙述」の過程を経て法廷に顕出されるのであり、その各過程に誤りが混入する可能性があるから、それを反対尋問によって検証しなければならない、ということが書かれている。

 抽象的に、このように説明されても、なかなか分かりにくいものだが、これを図解すると、以下のようになる。
供述


 また、「各過程に誤りが混入する」というのは、以下のことを指す。

知覚 Aを、誤って、Bと認識する 【見誤り】
記憶 Bを、誤って、Cとして思い出す 【記憶違い】
表現 記憶上はCだが、Dと答えようと考える 【嘘】
叙述 Dと言おうとして、誤って、Eと言う 【言い誤り】


 刑事訴訟法の「伝聞法則」に関する解説は、法廷での証言の話だが、よくよく考えてみると、その場面に限定されるものではない。

 弁護士が依頼者あるいは関係者から話を聞くのも、裁判官が法廷で証言を聞くのも、構造的には全く同じであり、正しい事実認識をするためには、上記の各過程(知覚、記憶、表現、叙述)で誤りが混入する可能性を常に意識しておく必要がある。

 そのためには、どうすればよいのか。

 まず、「誤り」が、どのような原因で発生するのかを徹底して分析して、そのような要因が存在しないかを常に意識することが必要ということになる。

 そこで、まず、上記の過程の【知覚】において、どのような原因で誤りが発生するのかを分析してみる。上記の図の、「A→B」の過程である。
知覚-2

 まだ、思いつきの域を出るものではないが、こういった可能性を常に意識しながら話を聞く姿勢が大事だと考えている。

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 「表現」と「叙述」という用語は、日本語の意味として、上に述べたことに必ずしも対応しているとは言い難いのだが、伝統的に、このような使われ方をしてきているので、「分かりにくい」とは思いながらも、他に適切な用語がないので、そのまま用いた。 【2016.3.28 追記】

 また、「反対尋問」「伝聞法則」そのものについても、語るべきことは色々あるのだが、ここで言及すると、あまりにも盛りだくさんになってしまうので、またの機会に述べることにする。 【2016.3.28 追記】

特定、不特定、どっちなんだ! 

 次に掲げるのは、いわゆるプロバイダ責任制限法(特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律)の用語の定義をしている箇所の一部である。 

第二条 この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。
一 特定電気通信 不特定の者によって受信されることを目的とする電気通信(電気通信事業法(昭和五十九年法律第八十六号)第二条第一号に規定する電気通信をいう。以下この号において同じ。)の送信(公衆によって直接受信されることを目的とする電気通信の送信を除く。)をいう。

 はじめて、この条文を読んだときは、なぜ、「不特定」者に対する通信が、「特定」電気通信なのか、と思ったのだが、未だに、この条文を読む度に、神経を逆なでされるような気がしてくる。

 「特定」「不特定」という言葉は、見かけ上は、対概念であるが、この条文では、対概念としては用いられていない。

 まず、この法律で、「特定」電気通信という用語が使用されているのは、対象とする電気通信は、「すべての」電気通信ではなく、そのうちの、「一定の範囲のもの」であるということを表現しようとしたからである。

 これに対して、「不特定」の者によって受信される・・・というのは、上記の意味での「特定」の対概念ではなく、電気通信を受信する者が「特定」の者ではない、という趣旨で用いられているのである。

 この辺りのことを文章で説明するのは、なかなか難しいので、次の表を見ていただこう。

電気通信-4


 「特定」電気通信ではなく、「不特定」電気通信という用語にしていたら、内容と整合するので、読む度に頭の中で「言い換え」を強いられることはないはずである。

 ただ、厳密に言えば、不特定の者を対象としていても、放送は除かれているので、「非放送・不特定」電気通信という方が適切ではあるが、それだと、長くなりすぎる。だからと言って、この条文のように「特定」電気通信という言葉を用いると、送信対象者の「特定」と混同される怖れが生じるので適切ではない。

 なお、表の「例」「利益状況」の箇所は、総務省の諮問機関「利用者視点を踏まえたICTサービスに係る諸問題に関する研究会」の「プロバイダ責任制限法検証に関する提言」(平成23年7月)【提言の概要 17頁】等に基づくものである。

 ところで、冒頭の条文の引用の中で、グレーアウトした箇所【うすい灰色にして、目立たなくした部分】は、括弧が二重に用いられている箇所で、ここをグレーアウトしておかないと、全体像が分かりにくいからである。

 特に、行政関係、税法関係に多いのが、この括弧書きで、しかも、括弧が、二重、三重、四重に用いられ、一読しただけでは到底、理解できないように作られている。そんな条文は、一読どころか、再読、再々読したって分からない。

 そのため、括弧が多用されている条文を分かりやすくするためのソフトが存在するくらいである【楽々かっこ】。(ただ、ネット上で捜した限りでは、どれも、「分かりやすく」することに、成功しているとは言い難い。)

「積極否認」を図解する

 先日、「積極否認」について文章で説明をした【読者への挑戦! 「積極否認」の解説】が、今回は、図解をしてみた。
積極否認


この図をみれば、下記のことを、思い出すことができるはずである。

【1】積極否認の定義 「相手の主張事実を否認するために、その事実と両立しない事実を主張する行為」を積極否認と呼ぶこと
【2】積極否認において主張する事実は、抽象的な事実では、積極否認としての意味がないこと
【3】積極否認において、複数の事実を主張すると、それらが互いに両立しない場合には、意味をなさないこと

(抽象的な事実による「積極否認」について補足すると、当該抽象的事実に該当する具体的事実のうち、一つでも、否認対象の事実と両立したとすると、全体としても、「両立する」ことになり、「積極否認」としての意味をなさないのである)

(上記の点、更に補足すると、上の図の例では、「どこかの裁判所」となっていたために、全体として「両立する」ことになったが、「どこかの大学で講義をしていた」であれば、およそ、どこの大学であったとしても、東京地裁から離れているため、「両立しない」ことになり、一応、「積極否認」としての意味はあることになる)

(もちろん、この場合でも、具体的に「○○大学の○○教室で、○○という講義をしていた」という、反証可能な形で主張しなければ、その主張の信憑性は著しく低くなる)

 法律学の基本書と言えば、私が学生の頃は、みな、文字だけで、図など書かれていなかったが、20年くらい前から、結構、図や表が取り入れられているようになってきている。

 それは、
 ① 視覚に訴えることによって、理解が容易になる
 ② 図の記憶が残ることによって、内容も記憶に残りやすくなる
といった効果を期待してのことだろうし、実際、それだけの効果はあるはずだ。

 では、なぜ、視覚に訴えると、理解が容易になるのだろうか。

 おそらく、文字情報は、一時点で一部しか頭の中に留めて置くことができないのに対し、図形情報は、どの時点でも、全体像を頭の中に留めて置くことができるからではないだろうか。

 常に、全体の情報を頭の中に留めて置くことができれば、情報相互の関係を考察することが可能になり、従って、理解も進むということだろう。

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 当初の図を修正し、抽象的な積極否認につき、補足した【2016.3.20 追記】。

平均値の罠

 「平均値の罠」という題名を見て、「あ、あれか、そんなことは分かっている」という方も多いことと思う。

 私も以前から知っているし、気をつけているつもりなのだが、ときに、うっかり、この罠に嵌ってしまうことがあるため、自戒を込めて、ブログに書いたという次第だ。

 たとえば、A町の世帯当たりの平均年収が、3000万円、B町のそれが、900万円だったとしよう。

 あなたが、リゾートマンション販売会社の営業マンで、北海道にある1000万円のリゾートマンションの営業に行くとしたら、どちらの町に営業に出かけるだろうか。

 常識的には、A町だろう。でも、本当に、それで正しいのだろうか。

 各町の各世帯の年収が、以下のような分布だったとしても、A町に営業に出かけるだろうか。
 
平均

 表をみてもらえれば、一目瞭然だろう。

 平均値は、一部の極端な数字によって大きく左右され、実態が歪められる怖れがある。他方、中央値は、概ね、実態を反映していると言える。

 だが、中央値だからといって、常に実態を反映しているとは限らないので、要注意である。次の表のC町のところを見てほしい。
 
平均-3

 C町は、中央値は、3町の中で最も低いのだけれども、半数が年収3000万円の世帯である。営業に行くとすれば、C町に行くのが一番いいに決まっている。

 人間が扱える情報量には限りがあるので、個々の数字を直接、参照する替わりに、統計的数値を参照することは多い。ところが、統計上の数値は、平均値にせよ中央値にせよ、実態のある側面を切り捨てているわけだから、時に、誤った判断を導くことになるのである。

 この記事を書くきっかけとなったのは、京都弁護士会のメーリングリストの投稿である。

 その投稿によると、京都地裁に係属している訴訟のうち、特定の事務所の弁護士が代理人となって京都に本社のある金融会社を被告とする事件が異常に多く、弁護士一人当たりの訴訟件数の統計を見るときは注意しなければいけない、というものだった。

エレベータの階数ボタン 

 先日、何年かぶりに東京地裁に行ったのだが、エレベータのボタンを押そうとして、一瞬、戸惑ってしまった。

 5階に行こうとして、縦に二列に並んだボタンの「4」を見つけ、その上のボタンを押そうと指を伸ばすと、「6」だった。「5は、どこなんだ」と多少いらつきながら視野を広げると、6の左に5があった【下の左の図】。

エレベータ・視線

 落ち着いて、全体を見ると、左側の列が奇数階、右側の列が偶数回ということが見えてきた。

 現実の世界では、4階の上は5階なのだから、ボタンも、それと同じ並びでないと、戸惑うのは目に見えているはずだ。次の図を見比べてほしい。

エレベータ

 左側より、真ん中の方が、ずっと分かりやすいはずだ。

 ただ、下から順に、1、2、3と並べるにしても、20階だと、2列にせざるを得ない。そうすると、真ん中のように並べた場合、左右2列どちらが低層階か一瞬ではあるが、戸惑うことになる。

 そこで、右のように、低層階の列よりも、少しだけ、高層階のボタンの列を上にすれば、そのようなこともなくなるかと考えた。ボタンの列が少し上に突き出ていることから、高層階を連想しやすいだろうと思ったのだが、改めて見てみると、これで満足というほどでもない。実際に右のように少し列をずらしているのを見かけたことがないのは、そいうことかも知れない。

 なお、今回と似た話題は、【前列右から、加藤、清水、野間、高谷、石原、・・・】や、【市ヶ谷キャンパスと市ヶ谷田町キャンパス】でも、触れている。

 ついでにいうと、エレベータに関しては、【エレベータの開閉ボタン】という記事も書いている。

円グラフの罠

 先日のブログ【棒グラフの罠】に続いて、グラフの話である。

 次の円グラフは、架空の法律事務所の在籍弁護士の経験年数別の人数構成比を円グラフで表したものである。

円グラフ


 以前、左のようなグラフを見て、何と分かりにくいのかと思った経験がある。その理由を考えてみよう。

【1】 並べ方の順番


 まず、左のグラフは、人数の多いものから順に並べているのだが、右のグラフは、経験年数の長いものから順に並べている。

 右のグラフのように並べることよって、経験年数20年以上のものが、約3分の1いるということは、すぐに分かるのだが、左のグラフだと、20-25年のものと、25年以上のものが離れているため、そのようなことは一瞬では分からないのである。

 また、15年以上のものが過半数ということも、右のグラフなら一目瞭然だが、左のグラフだと、そうは行かない。

【2】 グラデーション


 色のグラデーションについても、左の図は、人数の多いものから少ないものになるに連れて、次第に薄くなっているのだが、右の図は、経験年数の多いものから少ないもになるにつれて、次第に薄くなっている。

 この点でも、右の図の方が、直感的に理解しやすく、優れている。



棒グラフの罠

 震災から5年が経過し、昨日のNHKの番組で、岩手、宮城、福島の3県で人口減少が著しいという話題を取り上げていた。

 番組の中で、この5年間の市町村別の人口増減率がグラフで表示されていたのだが、簡略化すると、以下のようなものだった。
東北-不ラフ-1


 これを見ると、地域全体の人口が相当な減少をしているように見えるのだが、ふと、疑問に思った。仙台市のように人口の多い都市も、仙台の人口の100分の1にも満たない女川町のような町も、グラフの幅は同じであり、このグラフだと、地域全体の実人数の増減は、歪められて表示されることになる。

 そこで、各市町村の5年前の人口に比例するように、グラフの棒の幅を変更すると、次のようなグラフになる。
東北-グラフ-2

 このグラフだと、人口減少した市町村の数は多いものの、減少分は、ほとんど人口の多いB市に吸収されており、地域全体としては、人口は微減に止まっていることが分かるのである。

 グラフは、数や量の大小関係を棒グラフの長さなどに置き換えることにより、直感的に大小関係を把握させるには便利なものであるが、使い方を誤ると、誤った認識を植え付けることになるのであるり、要注意である。

 棒グラフの棒は、横幅と高さという二つの要素を持っているのだから、情報を、それぞれの要素に取り入れてやれば、それだけ濃密な情報提示機能をもつことができるのである。その結果、横幅×高さの結果として面積の大小も情報を伝達する機能を持つのである。

 そう考えると、等幅の棒グラフというのは、情報伝達機能の点で、非常にもったいない使い方をしているということになる。

読者への挑戦! 「積極否認」の解説

 先日、依頼者の方から、私が準備書面に記載した「積極否認」という法律用語の意味を尋ねられた。

 日頃、他人の文章を俎上に上げて、いろいろと「難癖」をつけている私であるが、今日は、この「積極否認」の意味を解説する中で、私自身の文章は本当に「分かりやすさが第一」となっているのか、皆さんの批判を仰ぎたいと考えた。

 【1】裁判における「事実」の意義


 少し回りくどいが、裁判における「事実」の意義について、説明する(何しろ、民事訴訟実務の基礎の基礎を解説するのであるから、多少の「回りくどさ」は勘弁してもらって、じっくり、読んでほしい)。

 民事訴訟手続のゴールは、「判決」であり、裁判所は、判決で、原告に権利があるか否かを宣言する。

 そして、ある時点で権利があるか否かは、それより前の時点で、
  【1】権利が発生したか否か
  【2】発生した権利が消滅した否か
という判断の積み重ねによって、判断される。

 たとえば、▲▲の権利が発生したか否かは、
  「●●の場合は、▲▲の権利が発生する」という法律の規定がある場合、
  ●●という事実が存在したか否かの判断によって、決せられることになる。

 そこで、▲▲という権利が発生したと主張する原告は、●●という事実があることを、主張することになる。

 次に、原告が●●という事実が存在すると主張した場合の被告の対応としては、
  【1】 否認(●●という事実はないと言って、争う)
  【2】 自白(●●という事実は認める)
の2種類がある(厳密には、他にもあるが、ここでは、省略)

 【2】積極否認とは


 積極否認とは、Aという事実を否認するに際して、Bという、Aとは両立しない事実を主張することを言う。

 たとえば、原告が、以下の事実を主張したとする。
  A 原告は、3月1日午前10時頃、東京地裁1階ロビーで、被告に対し、現金1000万円を交付した。

 これに対して、被告が、たとえば、次のように主張したとすると、それが、積極否認である。
  B 被告は、その日時に、京都地裁第●号法廷で行われた口頭弁論期日に出席した。

 【3】積極否認の立証責任


 Aという事実が請求原因(裁判で主張する権利の発生原因となる事実)である以上、被告が否認する限り、それが単なる否認であれ、積極否認であれ、権利を認めてもらおうとする原告がAを立証しなければならないのは、当然である。

 また、被告がBを立証しなかったとしても、それだけの理由でAが立証されたことになるわけでもない。

 しかし、被告が積極否認をして、Bという事実を主張した場合、Bを容易に立証できるにもかかわらず、Bの立証をしなかったとすると、裁判官としては、Bの主張が虚偽ではないかという疑いを抱かざるを得ない。

 さらに進んで、容易にできるはずの立証を特段の理由なく行わないという被告の態度を「弁論の全趣旨」【民事訴訟法247条】として、Aを認定する根拠にすることもできるのである。

 冒頭の例で言えば、Bの事実は、京都地裁で口頭弁論期日調書を謄写して、それを書証として提出すれば完璧に立証できるのであるから、被告が、それをしないということは、B事実の主張は虚偽と思われ、結果的に、Aと認定されることもあるのだ。

 【4】積極否認の具体性


 冒頭の例では、Bとして、具体的に、「京都地裁」という裁判所名が出ていたが、これが、単に、「よその裁判所」という主張であったら、どうであろうか。

 「よその裁判所」と言っても、「東京家裁」だとすると、東京地裁と東京家裁は5分で行き来できるのだから、AとBとは必ずしも両立しないわけではなく、Bが真実だとしても、Aが虚偽だという確証にはならない。

 こう考えると、積極否認をする側では、「よその裁判所」といった抽象的な主張をするのではなく、より、具体的に、「●●地裁」とか「●●家裁」といった主張をすべきことになる。

 民事訴訟法規則79条3項で、「否認する場合には、その理由を記載しなければならない」と定められているのは、そのような趣旨と解されるのである。

 

 【5】読者への挑戦


 私がネット上で捜した限りでは、上記の解説より「分かりやすい」解説は、存在しなかった。

 読者の中で、「もっと分かりやすい解説が存在する」「自分なら、もっと分かりやすく解説できる」という方がいれば、ぜひ、コメント欄を利用して、教えていただきたい。

 【6】積極否認は、一つだけ


 積極否認の解説としては、以上で十分だろうが、上の「積極否認の具体性」に関連して、つぎのような展開を考えてみよう。

 被告が、「よその裁判所」という抽象的な積極否認に止まった場合、原告としては、当然のことながら、「よその裁判所」とは、どこの裁判所か明らかにするように被告に求めることになる。

 被告が、これに正面から答えることなく、「自分はしょっちゅう海外出張に出かけており、その日も、海外にいた可能性が高い」と主張したとしよう。

 こんな主張をしても、通るはずはない。そもそも、3月1日午前10時頃に被告がいたのが、「よその裁判所」であるという主張と、「海外」であるという主張とは、両立し得ない主張であり、少なくとも一方が虚偽であることは、明らかである。それどころか、こういった場当たり的な主張を被告がした以上は、どちらも虚偽である可能性が高いと言わざるを得ないのである。

 以上のとおり、積極否認をする場合は、
  ・具体的に主張すること
  ・立証方法を用意すること
  ・複数の事実を主張しないこと
この3点が重要なのであり、
これが守られないのなら、積極否認など、すべきではないのである。

情報は、届かなければ意味がない

【1】 頭上注意

 
 京都の市バスは、後ろ乗りだが、後部ドアの乗り口は結構な段差がある。そのため、ちゃんと足下を見て乗り込まないと、足を踏み外すことになる。

 先日、市バスに乗り込んでから、足下を見るために俯き加減だった上体を元に戻したところ、頭頂部にガンと、金属板の衝撃を感じた。

 頭の上を見ると、そこには、「頭上注意」と書かれていた。

 「頭上注意」の表示は、「頭上」ではなく、「足下」に表示しなければ、意味がない。

【2】 多言語表示


 近頃、企業のウェブサイト等で、各国語対応をしていて、日本語表記のウェブサイトの右上の方に、「English」とか「中文」とか「한국어」とか書かれたボタンが配置され、そこを押せば、英語や中国語やハングルのウェブサイトが表示されるようになっているものが多い。

 ところが、ときに、こんな例もある。言語を切り替えるためのボタンに、「英語」「中国語」「ハングル」などと書かれているのだ。日本語で「英語」と書かれていても、日本語を解さず、本当に「英語」版を必要としている人は、このボタンを押すことさえ、できないのである。

【3】 ユニバーサルデザイン・・・文字サイズ


 高齢化に伴い、小さい文字が読みづらい人は増えている。だからと言って、ウェブサイトで、あまりにも大きな文字を使うと、小さい文字でも読める人にとっては、かえって、煩わしく感じる。

 そこで、文字の大きさを切り替えられるよう、切り替え用のボタンを用意して、そこに、「大」「中」「小」の表示をしている例は多く見かける。

 ところが、困ったことに、そのボタンの文字が小さいことが多いのだ。「小」に設定したときと同じ大きさの文字だと、そもそも、「小」や「中」では見づらく、「大」に切り替えたい人には、切り替えボタンの文字を読むことすら困難なのだから、何の意味もなくなるのである。

【4】 まとめ


 以上に掲げた例は、要するに、どういう状況で情報を伝えるのか、という点に関する、想像力の欠如が原因である。
 
 つまり、その情報を届ける相手が、
  ・どういう状況で見るのか
  ・どういう言語を理解しているのか
  ・どんな大きさの文字なら読めるのか
という点に、ちょっとした想像力を巡らせれば、このようなことには、ならないはずなのである。

より、抽象化、一般化して言うと
  ・情報の受け手(年齢、性別、居住地、職業、知識、視力・聴力・・・)
  ・情報伝達の環境(時間、空間、媒体・・・)
  ・情報の形(紙・電子・音声、言語、大小・高低・・・)
について、想像力を巡らせることが重要と言うことである。

グラデーションのフェイント

 今朝の京都新聞の記事だが、去年の国勢調査に基づく都道府県別の人口増減が地図で表示されていた。

人口増減率


 せっかく情報を図解しているのに、分かりにくい。その原因を考えてみよう。
 

【1】グラデーションのフェイント


 人口減の県を3グループにわけ、減少率の大きいものから、順に、濃い灰色、薄い灰色、白に近い灰色と、色分けされている。この流れで来ると、人口増の県は、真っ白、というのが自然であるが、予想に反して、実際は、黒になっている。

 記者の頭の中では、減少率の大小と灰色の濃淡を対応させたものの、人口増は、「人が密集している」というイメージから「黒」を用いてしまったのだろう。

 しかし、人口増の県に「黒」が相応しいのであれば、わずかに減少しただけの県は、「黒」より少し薄く、すなわち、「濃い灰色」にするのが自然だろう。そして、人口減が大きくなるにつれて、その灰色を薄くして行く、というのが自然の流れである。
 
 そのように表示されていれば、地図を見たとき、増加しているのが南関東ほか数県、減少が小幅に止まっているのが瀬戸内海の北側ほか数県という、大きな傾向が、より、理解しやすいのである。

 ところが、この地図ような色分けだと、南関東と瀬戸内沿岸とが人口増減に関して対称的な動きをしているかのような誤ったイメージを植え付けてしまうのである。
 

【2】減少が大きいものが上になっている


 この図では、薄い灰色からの凡例(人口増減の区分と色分けの対応を示した表)では、人口減少が大きいものを上に、人口増のものを下に表示しており、この点でも直感的な上下関係と相反している。「増加」の方が肯定的なイメージがあるのだから、「増加」を上に持ってくるのが自然なのである。
 

【3】グラデーションの範囲が狭い


 この図で、人口増の県は「黒」と書いたが、厳密には、「黒」よりも若干薄い。分かりやすく、真っ黒を、100、真っ白を、0(ゼロ)とした場合、この図で使われている黒の濃さを数値で表せば、80、60、40、20と行ったところである。他方、両極を真っ黒と真っ白にすれば、100、67、33、0、となり、それぞれの色の数値の差は、20だったのが33となり、見た目で、容易に区別できるようになる。

 特に、香川県のように面積が狭い県だと、色の濃さを的確に認識することは困難なので、40か60か、という判断は困難であるが、33か67かということであれば、面積が狭くても、識別は、さほど困難ではない。

 同じく、東京都の場合も、80か60かという識別は困難だが、100か67かということは、容易に判断できる。

以上で指摘した問題点を解消したのが、次の図で、人口増加県が真っ黒で、減少率が大きくなるほど、色が薄くなり、減少率が最大の県は真っ白になっており、上の図と比べて、各段に理解しやすくなっている。

人口増減率-改善2


 くどいようだが、元の図と改善例とを並べて表示するので、どれだけ分かりやすくなったのかを比較してみてほしい。

増減-比較-2


内部の論理は、内部に留める

 先日のブログで、近くの公共図書館で「AVは2本まで」と言われたという話を書いた【図書館で借りれるのは、AV2本まで】。

 昨日も、その図書館でCDを借りたのだが、今回は別の担当者で、「AV」ではなく、「視聴覚資料」という言い方をしていた。これなら、誤解を招くこともない。担当者による違いなのか、あるいは、先日のブログを読んで改めるようになったのか、どちらであるかは分からない。

 ところで、この「AV」問題に関連して、もう一つ、問題がある。

 この図書館では、インターネットを通じて、蔵書を検索したり、借りたい本の予約をすることができるのだが、蔵書検索での条件入力の画面が分かりにくく、かつ、面倒なのである。

検索

 おそらく、図書館側で、対象資料を、「図書、雑誌、AV(音響映像)」に3区分し、その上で、「AV」を更に「CD、DVD」に2区分して管理していて、それを、そのまま検索入力の画面に反映したのだろう。

 しかし、その内部の区分の仕方を外部の利用者にまで押しつけるのが誤りなのである。以下のように、単純に、「図書、雑誌、CD、DVD」の4区分にすれば、ずっと分かりやすいはずである。

検索-改善

 内部の管理上「AV」という区分が必要なのであれば、「CD」「DVD」のいずれかにチェックが入っているときは、内部では、「AV」にチェックが入っているとみなして処理をすれば足りるのであるから、内部の管理区分を外部の利用者に押しつける必要など、全くないのである。

成年後見監督処分事件 家裁の感覚

【1】成年後見監督処分事件


 今朝の朝日新聞の投稿欄「声」に、ハンディキャップのある親族の後見人をしているという人の投稿が載っていた。

 被後見人の現況や収入支出などを報告するようにという書面が家裁から届いたのだが、その表題が「成年後見監督処分事件」となっており、大いに気分を害した、10年前から後見人をやっているが、何も処分されるような事件など起こしていない、それなのに、こんな言葉を使うのは酷すぎる、というものだ。

 家裁からすれば、監督のために、いろいろな行為(=処分)を行うのだから、「処分事件」というのは、当たり前なのかも知れない。

 けれども、そのような書面を受け取る人の気持ちを推察すれば、決して、このような、真面目に後見人をやっている方の気分を害するような言葉の使い方はできないはずである。

 この投稿に接するまで、そういった事件名が使われていることを知らなかったが、私自身、家裁に関しては、常々、違和感を覚えていることがある。

【2】 夫婦そろって宣誓


 離婚事件では、当事者である夫、妻が、法廷で尋問をされることがあるが、尋問の前には宣誓が行われる。

 具体的には、立ったままで、「良心に従い本当のことを述べ・・・・・誓います」という書面を読み上げるだけなのだが、裁判官によっては、夫、妻、一緒に宣誓させる場合もある。

 話合いで円満な離婚ができず、調停を経て、それでも解決できずに裁判になっているのだから、夫婦の感情的な対立は非常に大きいはずである。にもかかわらず、結婚式のときの誓いの言葉を想起させるように、二人揃って、「・・・誓います」などと言わせるのである。

【3】 AED(自動体外式除細動器)のマーク


 最近、多くの公共施設で、心停止の際に電気ショックで心臓の動きを復活させる装置AEDが設置され、その設置場所を分かりやすく知らせるために、AEDという文字だけでなく、心臓に刺激を与えるというAEDの機能を想起させるためのマークが表示されている。

 このマークというのが、心臓をイメージさせるハートにギザギザの稲妻のようなマークが描かれているのである。

除細動器

 確かに、AEDの機能をイメージさせる機能はあるのだが、他方で、ハートは愛情をイメージさせるものでもあり、それにギザギザマークを重ね合わせると、嫌が応にも、愛情の破綻を連想させてしまうのである。

 私自身、離婚事件で家裁に行って、初めて、このマークを見たときは、AEDとは思わず、一瞬、どきっとしたものである。
 
 代理人の私がそう感じたのだから、当事者の方にとってみれば、より一層、刺激的に感じるかも知れない。

 以上に掲げた3例は、人によっては、何も感じないのかも知れないが、不快に感じる人もいる以上、改めるべきではないだろうか。

解説図(徘徊事故 最高裁判決)を比較する

 昨日、最高裁判決が出た事件だが、認知症の老人が線路内に侵入して電車にはねられ、事故対応に要した費用の賠償を鉄道会社が老人の妻と長男に求めたという訴訟の件である。

 京都新聞、朝日新聞、それぞれが朝刊の一面で、関係者の親族関係や各裁判所の判断を図解していたので、「分かりやすさ」という観点から、両紙の図を比較検討してみた。

徘徊事故


 まず、【表の有無】である。

 地裁、高裁、最高裁という系列と、妻、長男という系列の情報があり、その組合せとしての二次元情報を伝えるのであるから、京都新聞のように、二次元の図表で表現する方が、各段に分かりやすい。この点は、以前のブログ【証拠説明書は、表に限る】でも説明したとおりである。

 次に、【色分け】である。

 京都新聞の場合、人を表す図の女性は赤、男性は青となっており、また、責任の有無については、「有」が赤、「無」が青となっており、感覚的にも理解しやすい。

 性による固定的な区別を助長すべきでないという「ジェンダーフリー」の観点から、女性は赤と決めつけるのはよくないとの意見もあるかも知れないが、「分かりやすさ」には、替えられない。

 固定観念が「分かりやすさ」に繋がるのであり、たとえば、女性用トイレは、スカートを穿いた人を赤で表示するというように、まさに固定観念に依存しているのだが、この固定観念を利用しなければ、図で表示することは不可能になる。

 次は、【夫婦の位置】である。

 一般的な家系図では、夫が右、妻が左に書かれているので、朝日のように左右が逆に書かれていると、ごくわずかではあるが、読み手のストレスになり、勘違いを誘発する可能性がある。

 その次は、【JR東海の図】である。
 
 京都の場合は、単に角が丸くなった長方形の背景に文字が書かれているに過ぎないが、朝日の場合、オフィスビルの図が描かれている。

 この図によって、社会的弱者である認知症の夫を抱えた妻に損害賠償を求めたのが、名だたる大企業であるという構図が、鮮明に印象づけられるという効果がある。

 ただ、たまたま、今回の場合、原告が大企業だったのであるが、認知症の老人が第三者に損害を与えた場合の家族の責任というのは、こういう場合に限らない。

 仮に、今回の事故が、認知症の男性が単独で線路に入ったのではなく、たまたま近くにいた幼児の手を引いて線路に入り、幼児も一緒に電車にはねられて、幼児の遺族が老人の妻や長男に対して損害賠償請求訴訟を提起した、という場合だったら、どうであろうか。

 今回の最高裁の判決には、多くの人が賛同するであろうが、最高裁の理論では、原告が幼児の遺族であっても同じ結論になるのであり、その場合でも、世論は支持するだろうか。

 そういうことを考えると、本件で、原告が大企業であると言うことを、ことさら印象づけるのは、問題があるのではないだろうか。

 次は、【長男の妻の表示】である。

 京都は、単に「妻」、朝日は、「長男の妻」と表示している。

 確かに「長男」からすれば、「妻」であるが、死亡した男性からすると、「長男の妻」である。本件のように関係者が複数出てくるときは、親族関係については、「誰から見るのか」という視点を固定しておかないと、混乱を招くことになる。その点で、死亡した男性の視点で統一して、「長男の妻」とするのが優れている。

 次は、【居住地の記載】である。

 長男が事件当時に横浜に居住していたことは両紙とも書いてあるが、亡くなった男性が愛知県在住だったということは、京都新聞には書かれていない。しかし、これでは、長男が遠隔地に住んでいたということは分からない。

 最後に、【長男の妻が誰の介護のために転居したかの記載】である。

 朝日は、亡くなった男性の介護のためと明示しているのだが、京都は、単に「介護のため」としか書かれていない。記事には、亡くなった男性の妻も要介護1の状態であったことが書かれているため、長男の妻は、亡くなった男性の妻を介護するため転居したという誤解を与えかねない。

「強制起訴」の違和感

 東電の元社長らが強制起訴されたという報道がなされているが、「強制起訴」という言葉を聞く度に、いつも引っかかりを覚える。

 被疑者、被告人にとっては、検察官によって起訴されたのであろうと、検察審査会の議決により検察官役の弁護士によって起訴されたのであろうと、自ら起訴に同意したわけでもないのだから、「強制」であることに変わりはない。

 それなのに、検察審査会の議決に基づく起訴に限って「強制」という言葉が用いられるのは、起訴権限を独占している検察官の立場からは、検察官ではなく、「検察審査会」という第三者の判断によって起訴が行われるという点で、「強制」と表現するのが相応しいということなのだろう。

 ただ、それでも、起訴を行うのは、検察官ではなく、検察官役の弁護士であるから、検察官自身が起訴を強制されたというわけでもない。仮に、検察審査会の議決があった場合には検察官自身に起訴義務を負わせ、その義務の履行として検察官が起訴をするのであれば、「強制起訴」という言葉がぴったりする。

 そもそも、「強制●●」と言う場合、次の3つの場合が考えられる。

  【1】●●の客体にとっての「強制」
  【2】●●の主体にとっての「強制」
  【3】●●の本来の主体とは別の第三者が、本来●●を行う者に代わって、●●を行う


 「強制連行」「強制送還」という場合は、【1】であり、「強制参加」「強制売春」という場合は、【2】であり、このような使い方は、日常的に見聞きする。

 ところが、【3】の意味で使われるのは「強制起訴」のみであり、それも、2009年に導入されたものであって、それまでは、【3】の意味で「強制●●」と言われることはなかったはずである。

 法務省の役人か、どこかの新聞社かテレビ局が使い出した言葉が広まったのだろうが、誤解を生みかねない表現であるから、別の言葉に置き換えるべきではないだろうか。

 「代役起訴」「審査会起訴」「住民起訴」、私の智恵では、なかなか適切な表現は出てこない。法務省で公募でもすれば最適な表現が見つかるだろうが、「強制起訴」という表現には、起訴独占権を侵害されたという検察官の怨念が込められているのかも知れないから、無理なことだろう。

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上記の【1】【2】で、強制の対象が客体か主体かに応じて、以下のように、強制を表す助動詞が使い分けられている。
  【1】 客体 連行「される」、送還「される」
  【2】 主体 参加「させられる」、売春「させられる」
                                               【2016.3.7 追記】

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 このブログは、「時間泥棒」を立派に更生させることを目的として開設したものです。

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