思考の枠組み -概念の平面的な配置-
とあるSNSの投稿で、「仏教徒からキリスト者まで」という表現があった。ただ、全体の文脈からは、この二つの宗教の信者に限らず、およそ、宗教的にどのような立場の人も含むという趣旨で書かれていることは明らかだったのだ。
そこで、その表現ではイスラム教徒を排除していると「誤解」「曲解」する人がいるかも知れないので、「特定の信仰を有する人から無神論者まで」と変更した方がいいのではないかと、提案した。
すると、「特定の信仰を有する人から無神論者まで」というのは、(肯定するにせよ、否定するにせよ)宗教に対して何らかの積極的態度を持っている人に限られ、特定の信仰を持たない、宗教的に無関心な人が含まれなくなるのではないかという批判があった。
最初は、「言いがかり」のような批判に思えたのだが、よくよく考えてみると、私を批判した人と私とでは、思考の枠組み、というか、概念の平面的な配置が、異なっていたのである。
まず、私の認識は、以下のとおりである。
次に、私を批判した人の認識は、以下のとおりである。
さらに、数直線で比喩すると、私の認識としては、特定の信仰を有する人(数値「1」)から無神論者(数値「-1」)まで、と言えば、当然に、宗教的関心のない人(数値「ゼロ」)を含むものと思っていたわけである。
ところが、私を批判した人は、特定の信仰を有する人も無神論者も、絶対値は「1」であり、その両者を並べたところで、宗教的関心のない人(絶対値「ゼロ」)は含まれない、ということのようだった。
つまり、下の図のとおり、青色の丸「●」が、赤色の点線「-----」の上に乗っているか否かの違いである。
どちらが「正しい」というものではないが、このように、自分の思考の枠組とは異なる枠組みを持っている人もいるわけだから、「分かりやすい」文章を書くに際しては、他人の思考の枠組み対する洞察を怠ってはならない、ということである。
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その後、気づいたのだが、このブログで一か月ほど前に、【例を挙げるだけでは伝わらない】という記事を書いていた。
自分で「例を挙げるだけでは伝わらない」などと書いておきながら、そのことを忘れて、冒頭の「特定の信仰を有する人から無神論者まで」という記載をしてしまったのである。最初から、「特定の信仰を有する人から無神論者まで、宗教に関する立場のいかんに関わらず」といった表現を用いていれば、よかった、ということになる。
そこで、その表現ではイスラム教徒を排除していると「誤解」「曲解」する人がいるかも知れないので、「特定の信仰を有する人から無神論者まで」と変更した方がいいのではないかと、提案した。
すると、「特定の信仰を有する人から無神論者まで」というのは、(肯定するにせよ、否定するにせよ)宗教に対して何らかの積極的態度を持っている人に限られ、特定の信仰を持たない、宗教的に無関心な人が含まれなくなるのではないかという批判があった。
最初は、「言いがかり」のような批判に思えたのだが、よくよく考えてみると、私を批判した人と私とでは、思考の枠組み、というか、概念の平面的な配置が、異なっていたのである。
まず、私の認識は、以下のとおりである。
次に、私を批判した人の認識は、以下のとおりである。
さらに、数直線で比喩すると、私の認識としては、特定の信仰を有する人(数値「1」)から無神論者(数値「-1」)まで、と言えば、当然に、宗教的関心のない人(数値「ゼロ」)を含むものと思っていたわけである。
ところが、私を批判した人は、特定の信仰を有する人も無神論者も、絶対値は「1」であり、その両者を並べたところで、宗教的関心のない人(絶対値「ゼロ」)は含まれない、ということのようだった。
つまり、下の図のとおり、青色の丸「●」が、赤色の点線「-----」の上に乗っているか否かの違いである。
どちらが「正しい」というものではないが、このように、自分の思考の枠組とは異なる枠組みを持っている人もいるわけだから、「分かりやすい」文章を書くに際しては、他人の思考の枠組み対する洞察を怠ってはならない、ということである。
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その後、気づいたのだが、このブログで一か月ほど前に、【例を挙げるだけでは伝わらない】という記事を書いていた。
自分で「例を挙げるだけでは伝わらない」などと書いておきながら、そのことを忘れて、冒頭の「特定の信仰を有する人から無神論者まで」という記載をしてしまったのである。最初から、「特定の信仰を有する人から無神論者まで、宗教に関する立場のいかんに関わらず」といった表現を用いていれば、よかった、ということになる。