電話 二一一-一二※※                

 昨日見たウェブサイトで、問い合わせ先の電話番号が、こう書かれていた。

電話 二一一-一二※※           (※は、もちろん、数字である。)


 漢数字の「二」と「二」の間に、「一」のようなものが、ずらっと並んでいる。
 よく見ると、漢数字の「一」が二つ続いたあとに、ハイフン「-」が一つあるのだが、ぱっと見ただけでは、そうは読めない。

 原因は、もちろん、漢数字の「一」とハイフン「-」とが似ているからなのだが、そもそも、電話番号を漢数字で記載すること自体が間違っているのだ。

 日本語が理解できれば、普通は、漢数字を読むことはできるはずだ。それでも、漢数字を使うのは好ましくない。とりわけ、電話番号の場合は、好ましくない。

 なぜ、電話番号の場合、「とりわけ、好ましくない」のかというと、こういうことだ。

 表示された電話番号を見ながら電話をかけるというのが普通の使い方だが、電話機の番号ボタンには、漢数字ではなく、算用数字が記載されているのである。

 電話番号が算用数字で書かれていれば、そのまま、見た番号と同じ番号ボタンを押せばよい。ところが、漢数字だと、「そのまま」というわけにはいかず、「二」であれば、「2」のことだと、意味を理解した上で、番号ボタンを押す必要があるのだ。

 「二」を「2」と理解するなど、何でもないことだと思われるかも知れないが、わずかであっても、脳に負担をかけていることは間違いないはずである。

まだ、足りない

 最近は、文書のやり取りを電子メールで行うことが多くなった。

 たとえば、コピー機の請求書も、PDFファイルがメールで送られてくるし、逆に、こちらから請求書を出すときも、PDFファイルをメールで送ることがある。

 委任契約書などは、PDFファイルをメールで送り、それをプリントアウトして記名捺印してもらって、スキャナーで取り込んで、PDFファイルにしてメールで送り返してもらう。その後、こちらも、それをプリントアウトしたものに記名捺印して、スキャナーで取り込んで、PDFファイルにしてメールで送る。こうやって、契約成立ということになる。

 ところが、裁判の委任状となると、そうは行かない。

 委任状をPDFファイルにしてメールで送り、記名捺印してもらうところまでは同じだが、メールの本文に、「メールではなく、郵送して下さい」と、書いておく。

 私の方は、当然、私の事務所に委任状が郵送されてきて、それを訴状と共に裁判所に提出するつもりでいる。

 ところが、先日、依頼者の方から電話がかかってきて、「委任状なんですけど、裁判所じゃなくて事務所の方に送ればいいんでしょうか」と尋ねられた。

 委任状には、提訴予定の裁判所の名前が書いてあり、その体裁から、最終的には裁判所に提出するものだということは分かるため、依頼者の方は、ひょっとしたら、直接に裁判所に送るのかも知れないと思ったようなのだ。

 私からすれば、裁判所ではなく、私の事務所に送ってもらうことは、あまりにも当然のことだったので、単に「郵送して下さい」と書いただけだったのだが、そのような疑問が生じることのないよう、「当事務所まで郵送して下さい」と書くべきだったのだ。

 いくら誤解のないようにと気をつけているつもりでも、自分にとって当たり前になっていることは、他人もそうだと思いがちであり、今回のことは、まだまだ、配慮が足りないことを教えてくれたのである。

 メールや書面を送る場合、相手が読んだらどう理解するか、どういう感情を抱くか、極力、シミュレーションしているのだが、急いでいたり、疲れていたりすると、ふっと気が緩み、相手にとっては理解しづらい文章を送ってしまうのである。

 話は変わるが、メールの件で、思い出したことがある。

 もう、もう20年も前の阪神大震災から間もない時期のことだった。京都地裁から神戸の病院の医師に鑑定を嘱託することになり、裁判所書記官と、当事者双方の代理人とで、医師のもとを訪れたことがある。鑑定事項や期限などの説明をしたあと、医師が、こう質問した。

では、でき次第、メールで送りますので、裁判所のアドレスを教えて下さい。


 当時はもちろん、今でも、裁判関係の書類をメールで送ることはなく、書記官が、メールは使えないので、郵送してくれるように頼んだのだった。

 当時は、まだ、弁護士の間ではメールでやり取りすることは一般的ではなかったのだが、医師の質問を聞いて、医者の世界では、メールが一般的になっているのかと驚いたものだった。

 そんなことがあって、しばらくして、民事訴訟法が改正されて、裁判所に提出する書類のうち、準備書面など一定のものはファクシミリで提出できるようになった。当時、民訴法の改正の機会にファクシミリを購入しませんか、といった類のチラシが入っていたことがあり、その時は、未だに、ファックスさえ使っていない事務所があるのかと驚いた記憶がある。

 それから、10数年経った今でも、裁判所への書類の提出は、電子メールで行うことができない状態である。

例を挙げるだけでは伝わらない

 文章で、ある範疇に属するものの例を挙げているのを見かけることは、よくあることだ。では、たとえば、「脊椎動物」の例を挙げるとしたら、次の3つのうち、どれが適切だろうか。
 

① ニホンザル、チンパンジー、ゴリラ等
② 猿、犬、牛など
③ 牛、鶏、マグロ等


 いうまでもなく、③が最も相応しい。

 もちろん、①や②も、例として、「誤り」というわけではないのだが、①だと、「脊椎動物」の例ではなく、「霊長類」の例であり、②だと、哺乳類の例と受け止められてしまう。

 動物の分類は、脊椎動物が、哺乳類、鳥類、爬虫類、両生類、魚類に分けられる、という知識は、多くの人は身についているはずだから、脊椎動物の例を3つ挙げるとすると、その中の特定の類に偏るのではなく、両極の哺乳類と魚類、それに中間の類の中のどれかから、それぞれ選ぶというのが一般的な考え方である。

 例の挙げ方としては、上記の③が最も適切なのだが、例を挙げるだけでは、述べたいことは正確には伝わらない。

 というのは、③だけだと、「脊椎動物」の例かも知れないし、「人に食べられる動物」の例かもしれないのである。

 だから、例を挙げるときには、必ず、「何の例」として挙げたのかを明示しなければ、正確に意図するところは伝わらないのである。この例だと、「牛、鶏、マグロ等の脊椎動物」とする必要があるのだ。

 ところが、往々にして、「例」を挙げるだけで、「何の例」かを明示していない文章に接することがあり、正確に理解するのに苦労するのである。

 たとえば、次の文章を読んでほしい。

 (憲法二〇条三項の禁止する宗教的行為とは)およそ国及びその機関の活動で宗教とのかかわり合いをもつすべての行為を指すものではなく、そのかかわり合いが右にいう相当とされる限度を超えるものに限られるというべきであつて、当該行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうものと解すべきである。        
                              【津地鎮祭最高最判決】   


 判決が「援助、助長、促進」と言っているのは、宗教に対して「利益を与える行為」の例として挙げているのであり、「圧迫、干渉」というのは、「不利益を与える行為」の例として挙げられているようである。

 しかしながら、「援助、助長、促進」というだけでは、広く「利益を与える行為」一般の例として挙げているのか、それとも、「利益を与える行為」のうち、特定の類型のものに限定して、その例を挙げているのか、初めて判例を読んだ私には理解できなかったのである。この3つの言葉の同類の言葉としては、「振興、援護、補助、勧奨、奨励・・・」と、いくらでも存在する。

 そのような中で、この三語が選択された以上、それぞれの意味を考え、要するに、どういう事柄の例として挙げているのかを考えざるを得ないのである。

 つまり、、「援助、助長、促進など」と言われた場合、「振興、補助、奨励」も含む、「利益を与える行為すべて」を指すのか、あるいは、「利益を与える行為」が、幾つかの類型に分けられ、「振興、補助、奨励」とは異なる、一定の類型に限定しているのか、決め手はないのである。

 もちろん、文脈からは、「利益を与える行為すべて」と解するのが妥当なようなのだが、そういう意味であれば、「援助、助長、促進するなど、利益を与える一切の行為」と書けば、読み手に負担をかけることはないのである。

 人に正確に理解してもらうには、単に「例」を挙げるだけではだめで、「何の例」かを明示する必要があるし、かつ、その例は、その範疇に属するものの中でも、できるだけ、多様なものを挙げる必要があるのだ。

あざいお市マラソン

 つい先ほど、フェイスブックで見た投稿だが、友人が、「あざいお市マラソン」にやって来て、これからスタートする、とのことだった。

 私は、「あざいお」の部分を見て、ベトナムの民族衣装「アオザイ」と読んでしまい、ベトナムには、そんな名前の都市があるのか、それにしても、そんな遠くまで走りに行くのかと驚いてしまった。

 よくよく読んで行くと、「あざいお市」というのは、信長に滅ぼされた淺井(「あざい」であって、「あさい」ではない」)長政の妻・お市の方のことで、淺井氏の居城のあった長浜市が、お市の方を偲んで、マラソン大会を企画したということだった。

 誤解したのは、私の思い込みによるものだが、「あざいお市」でなく、「浅井お市」となっていたら、決して誤解することはなかったはずだ。

 つまり、誤解の原因は、次の2点だ。

①「浅井」を、ことさら平仮名で書いたために、次に来る「お」と一体となって、「あざいお」となってしまったこと

 

②「あざいお」という4文字をみた瞬間、4つの文字を、一文字ずつ読むのではなく、この4文字からなる言葉の中で自分の知っている言葉を探して、これに合致する、「アオザイ」と結びつけてしまったこと

  
 ①の一体化を避けるには、「あざい」を漢字にするほかに、「あざい お市」のように、意味の切れ目にスペースを入れる方法もある【スペースの効用】。

 ただ、この方法だと、「あざい お市マラソン」となり、「お市」が、「あざい」と離れて、「マラソン」と一体化してしまう。意味の上では、(「あざい」+「お市」)+「マラソン」なのだから、適切な表記とは言えない【スペースの弊害】。

 次に、②の点だが、次の英文を読んでほしい。  

I understnad waht you thnik.


 ちゃんと読めただろうか。中学校レベルの単語しか使っていないはずなので、読めないはずはない、と思われるが、3か所、スペルミス(というより、意図的に文字を入れ替えているのだが)がある。

 では、少し長くなるが、次の英文はどうだろう。

Aoccdrnig to a rscheearch at Cmabrigde Uinervtisy, it deosn't mttaer in waht oredr the ltteers in a wrod are, the olny iprmoetnt tihng is taht the frist and lsat ltteer be at the rghit pclae. The rset can be a toatl mses and you can sitll raed it wouthit porbelm. Tihs is bcuseae the huamn mnid deos not raed ervey lteter by istlef, but the wrod as a wlohe. 【】            【Cognition and Brain Sciences Unit

 
 上記の文章は、元々は、各単語の先頭と最後の文字さえ正しければ、間の文字の順番を入れ替えても読むのに支障はないという、ケンブリッジ大学での「研究」に載っていたものである。「研究」と言ったのは、そういった「研究」がケンブリッジ大学で実際になされていたわけではなく、そういう噂がネット上で流布していたに過ぎないからである。

 ただ、その後、実際にケンブリッジ大学に席を置く研究者が、その噂の出所を追跡するとともに、この「研究」の内容を検証しており、上記の文章は、その検証サイトからの引用である(結局、元の「研究」の孫引きになる。)。

 噂になった「研究」では、「人は先頭の文字と最後の文字しか見ていない」ということだったが、上記の検証の結果、それは否定されている。

 具体的には、こういうことだそうだ。
  ・先頭の文字と最後の文字を固定していても、単語の長さによっては、解読困難なものもある。
  ・文字列としては正しくても大文字と小文字が混在すると読む速度が遅くなるように、人は、単語の形を見て判断している。

 以前のブログ【薇薔、蝠蝙、拶挨】で書いたように、日本語、英語に限らず、人は、文字を一文字ずつ読んでいるのではなく、一塊の文字の雰囲気と、文脈から、文章を理解しているということである。


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 玉石混淆の情報が溢れる社会の中で、効率よく、的確に、情報を取得し、提供するには、どうすればいいのか、ということを常に考えています。

 ところが、そんなことには無頓着な人も多いようで、読者に対する配慮の一欠片もない文章を目にすることがあります。

 難解な文章で読者の貴重な時間を奪ってしまう人達のことを、「時間泥棒」と名付けました。

 このブログは、「時間泥棒」を立派に更生させることを目的として開設したものです。

 記事を読んで、自分も「時間泥棒」かな、と思ったら、早速、改めて下さい。また、あなたの廻りに「時間泥棒」がいたら、あなたの力で立派に更生させてあげて下さい。

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