「件名」って何ですか?

「件名」って何ですか?


 とあるメーリングリストで、「件名」が空白のメールが送られてきた。そこで、私が、例によって、口うるさく、メールの件名は「一読了解」が不可欠を読むように、との返信をしたところ、返ってきたメールの内容が、これだった。

 私は思わず絶句した。はじめは、おちょくられているのかな?と思ったくらいである。だが、そんなことをするような人ではない。ようやく、この人は本当に「件名」が何なのかが分からないのだ、と気づくのに、10秒くらい、かかった。

 人に何かを伝えるには、常に相手の知識、関心がどの程度のものなのかに注意を払いながら、的確な表現をしなければならないと考え、自分なりに努力し、人にも言ってきた【認知とは養子縁組のことです!】。

 ところが、「件名」を知らないでメーリングリストに投稿している人がいるなど、私には、まさに「想定外」だったのだ。

 結論から言えば、確実に人に何かを伝えたければ、いくら考えても考えすぎることはない、ということだ。

 いくら考えても、自分の常識からは、なかなか抜けきれるものではない。フランス革命の際に、パンがないと言って騒ぐ民衆の話を聞いたマリー・アントワネットが、「パンがなければ、ケーキを食べればいいのに」と言ったという故事を引くまでもなく、自分の育った生活環境の範囲を超えて物事を考えるのは困難なのである。

 実は、私は、冒頭の例と似たような経験をしたことが、過去に一度ある。

「ボーナス」って何ですか?


 借金で悩む人の相談を受けているときのことである。返済の可能性を確認するために、毎月の給料を聞いたあとに、私が、「で、ボーナスは?」と、当然のことのように聞いたのに対して返ってきた返事である。

 一応の大企業の正規労働者の家庭で育った私にとって、「ボーナス」などという言葉は、幼稚園のときから知っている言葉である。だから、「ボーナス」は「テレビ」「冷蔵庫」と同じくらい身近な言葉であり、その言葉を使うのに、何の躊躇も覚えなかったのである。

 このように、「ボーナス」という言葉を知らない人がいるなどとは私には全く思いも寄らなかったのであるが、実際に、そのような人が存在したのである。

 おそらく、この相談者の周囲は非正規労働者ばかりであり、「ボーナス」が話題になることなど、一度もなかったに違いない。周囲にボーナスをもらっている人がいなくても、テレビなどで、「ボーナス」という言葉を聞くことはあっただろうと思ったのだが、彼にしてみれば、「ボーナス」の話は、イスラム教徒がラマダーンの時期に何をするかと言う話と同じくらい、縁のない世界の出来事だったのだろう。

 落語でも似たよう話があった。

 例によって、貧乏長屋の住人が集まって、馬鹿話をしている。みんな店賃(たなちん:家賃)の支払が遅れ勝ちで、どうやって大家の督促を切り抜けたとか、自分は督促に来る大家を煙に巻いて何か月溜めた、という自慢話をしている。そのうち、その中で一番間の抜けた住人に対し誰かが質問をする。「どうだい、お前は、ちゃんと店賃、払ってるのか」と聞いたのに返ってきたのが、「店賃?店賃って何だ?」という答えである。質問した住人は、「上には上がいるもんだ。十年も長屋に住んでいるのに、店賃を知らないやつがいる」と呆れるのだ。

認知とは養子縁組のことです!

「認知したんです」


 法律相談を開始して5分くらい経ったときのことである。私の頭に、一瞬、「?」が浮かんだ。それまでの話の流れで、「認知」ということが考えられなかったからである。よくよく聞いてみると、「養子縁組」をした、ということだった。それなら納得である。

 法律家にとって、認知と養子縁組は明確に区別された概念である。だが、いずれも、出産という事実で直ちに親子関係が発生するのではなく、一定の法的手続を経て親子関係が発生する、という共通点がある。一般の人の中には、この共通点から、「認知」も「養子縁組」も同じように考えて、「養子縁組」を「認知」と表現してしまう人がいるのである。

 似たような例は、法律の分野に限らない。

 キリスト教式の結婚式には何度か参列したことがあるが、主宰をしたのが、牧師さんだった、神父さんだったか、自信はない。適当に、「牧師さんが・・・」などと話していたような気がするが、神父さんだったのかもしれない。

 要するに、自分に馴染みのない分野だと、一定の範疇に入るものは、区別ができないのである。

 似たような例は、いくらでもある。

  ① 神官・神主  僧侶・住職
  ②菩薩      如来
  ③ ビスケット  クッキー


 ①の例は、日本人なら誰でも区別できるだろうが、外国人には困難かも知れない。②については、つい昨日まで知らなかったのだが、京都弁護士会のブログ【京都弁護士会ブログ「みうらじゅんといとうせいこうと私」】で、その違いを知ったのだ。③についても、ちゃんとした定義があるのだ【管理人で御座候(「粒あん」の定義」)】。

 このような、一見すると同じような概念については、人によって、明確に区別していたり、違いに頓着することなく
使っていたり、様々なのである。

 だからこそである。話を聞く側は、相手の知識、関心が、どの程度のものであるのかを常に念頭に置きながら、そこで使われた言葉が、的確なものなのか、似たような概念と取り違えているのではないか、気をつけていないと、とんでもない誤解をすることになるのである。

 逆に、話す側になった場合には、聞き手に明確に別のものと意識してもらえるよう、注意を払わなければならないのだ。

 たとえば、「相続放棄の手続をする必要があります」「はい、わかりました。」という受け答えがあったとする。ところが、相談者は、全遺産を放棄するといった内容の遺産分割協議書を作成したに止まり、家裁で相続放棄の手続をとることはなかったとしよう。この場合、法的責任はともかくとして、相続放棄と遺産分割の違いを理解してもらえなかった弁護士の「責任」と心得るべきである。


秋田弁護士殺害

 

秋田弁護士殺害


 今朝のニュース記事の見出しの冒頭部分である。

 一瞬、私の知っている弁護士かと、どきっとした。

 ただ、すぐ後ろの「二審破棄、差し戻し」というのが目に入って、3年半前に秋田県で起きた弁護士殺害事件のことだと分かった次第である。

 日弁連の会員情報検索では、「秋田弁護士」は全国に10人いるそうだから、日本中で相当の数の人が、この見出しを見て、私と同じ思いをしたことだろう。

 「秋田の弁護士殺害」としていれば、一瞬であれ、私のような誤解をしなくてすむのである。

 ちなみに、グーグルで検索したところ、「秋田弁護士殺害」と「秋田の弁護士殺害」の割合は、3対1であった。
 
 限られた文字数で記事の概要を伝えるのが見出しの役目なので、字数を削りたくなくのも分かるのだが、見出しは、「的確に」伝えなければ意味がないのであるから、ここは、やはり、「秋田の弁護士殺害」とすべきだろう。

 あと、「秋田・弁護士殺害」というのもあったが、同じ文字数を使うのなら、より明確な「秋田の弁護士殺害」とすべきである。

◆余談①◆
 冒頭、「私の知っている」と書いたが、面識があるわけではない。ただ、前の事務所の関係で、年賀状だけのやり取りが何年も続いており、新聞などでときおり名前を見かけるので「知っている」と表現したのだ。その程度の関係でも、「どきっ」としたのだから、直接に知っている人だったら、なおさら驚いたことだろう。人騒がせな見出しである。

◆余談②◆
 なお、グーグルで検索する場合、単に「秋田弁護士殺害」と入力するだけでは駄目で、「"秋田弁護士殺害"」と、ダブルクォーテーションで囲ってから検索しないと、「秋田市の弁護士殺害」といったものまで拾ってくるため、不正確になる。

こだわりの「■」

 訴訟を提起すると裁判所から進行に関する意向を聴取するアンケートのような書面が送られてきて、これに記入して回答するようになっているのだが、その中に、下記のような記載がある。

和解を
  □ 希望する
  □ 希望しない

   □内にレ点でチェックをお願いします。


 問題は、「レ点でチェック」の部分である。

 通常、ファックスで返信するのであるが、「レ」では、「レ」の書き方あるいはファックスの性能次第では、受け取った側は「レ」なのか、単なる汚れなのか、判別のつかない場合もあるだろう。

 それだけではない。ぱっと見たとき、「レ」では、いかにも、インパクトが弱い。

 これに対して、「□」を塗りつぶして、「■」にしてしまえば、汚れと見間違うこともないだろうし、嫌でも目に飛び込んでくるので、回答内容が、はっきり分かるのである。

 たまに、「レ」でなく、「■」にするようにという書面も来るのだが、現在のところ、「レ」派が多数派である。

 それでも、私は、いつも「■」で回答するようにしている。頑固と言えば頑固だし、多数の事件を一律に扱うのを旨としている裁判所としては、「レ」で回答するように指示しているのに、ことさら、指示に反して「■」で回答するなど、もっての外かも知れないが、私としては、どうしても、「分かりやすさ」を優先するのである。

 このブログを読まれた皆さんも、「■」で回答して、裁判所を変えることに協力していただければ幸いである。

前列右から、加藤、清水、野間、高谷、石原、・・・

前列右から、加藤、清水、野間、高谷、石原、・・・


 メールに添付された同窓会の写真の説明である。
 何か感じないだろうか。

 では、これなら、どうだろう。

前列左から、加藤、清水、野間、高谷、石原、・・・


 実際に写真を見ながら顔と名前を照らし合わせる情景を思い浮かべてほしい。
 冒頭の例の何と分かりにくいことか。

 文中の人の名前は、左から並んでいるのである。名前と一対一に対応するはずの各自の写真が、名前とは逆に右から並んでいたら、対応付けするのに苦労する。

 例えば、ビルのロビーの壁面の案内版に、こう書かれていたら、どうだろう。

 1F ○○法律事務所
 2F △△会計事務所
 3F □□建築設計事務所

 分かりにくいことこの上ない。

 エレベータの押しボタンも、下から、1、2、3と並んでいる方が分かりやすい。

 要するに、いくつかの物が並んでいる場合、その説明文は、現実世界における物の配置と同じ順番でなければ、読む側に無用な負担を強いることになるのである。多分、人は説明文を読みながら、頭の中に物の配置を再構築しているのだろうが、その際、説明文の順番が現実世界の物の配置と同じであれば、抵抗なく、それができるということだろう。
 
 

「分かりにくさ」の原因は、これだ

 メールの件名については、【メールの「件名」は一読了解が不可欠】でも注意を喚起しているのだが、人は、なぜ、「分かりにくい『件名』」を書いてしまうのか、考えてみた。


【1】 「『件名』は『体言止め』」という固定観念


 「○○ファイナンスに対する債権買取希望」

 これでは、債権を買い取りたいのか、買い取ってほしいのか、わからない。

 メーリングリストでの使用例を見る限り、買い取ってほしいという趣旨で使われているのが8割くらいであるが、メールの本文を見ない限り、どちらであるかは、結局は、分からない。

 なぜ、こんな分かりにくい表現を用いるのか考えてみたのだが、どうやら「件名」は「格好良く」「体言止め」にしなければならないと思い込んでいる人が多いようで、「体言止め」にすると、必然的に必要な情報が抜け落ちてしまうため、分かりにくくなっているのだ。

 例えば、「○○の日程、変更していいですか」「○○の日程、変更しました」なら伝えたいことはわかるのだが、「体言止め」にして、「○○の日程変更」だと、「変更」が既定の事実なのか単に希望しているだけなのか判然としないのである。

 メールを書く側は、何を伝えたいかは、当然、頭の中にあるのだから、それを、そのまま表現すれば足りることなのだが、「『件名』は『体言止め』」という固定観念にとらわれて、分かりにくい表現になるのである。

 要するに、債権を買ってほしいのなら、素直に「買って下さい」とすればよく、買いたいのなら「買います」と表現すればいいのだが、固定観念に捕らわれ無理に「体言止め」にして「買取希望」などと書くから、どっちか分からなくなるのである。

 「体言止め」の誘惑は、何も、メールの件名に限ったことではない。裁判所に出す書面の見出しや、自分のブログの題名などでも、同様であり、その誘惑には、なかなか抗しきれないものである。

 実際、「体言止め」が分かりにくさの元凶だと書いている、このブログ記事の題名でさえ、最初は、「『分かりにくさ』の原因」、と体言止めにしていたくらいであり。その後、読み直して、「『分かりにくさ』の原因は、これだ」に変えたのだ。

 もっとも、ブログの題名などは、メールの「件名」とは異なり、常に「一読了解」がいいという訳でもないだろう。「一読しても分からない」、「何を書いてあるのだろう?」というふうに興味を持ってもらう狙いもあるのだから、一概に「体言止めは駄目」とは言えないだろう。

 要は、目的を明確に意識し、その目的に最も合理的な方法を選択する、ということに尽きるのである。ただ、抽象的な心構えだけ唱えていても始まらないので、このブログでは、実際に「使いこなせるよう」、「分かりやすくするための技術」を、具体例を挙げながら、探求しているのだ。


【2】 他人も前提知識を共有しているという思い込み


 最近、弁護士会の委員会のメーリングリストで、「当職担当分の結果報告」というのを見かけた。本人からすれば、「当職担当分」が何なのかは分かりきったことなのだが、他の委員からすれば、誰が何を担当したのか、一々覚えてなどいない。具体的に、「当職担当の○○の件の結果報告」としなければ中身は分からない。

 似たような例だが、「役員会の検討結果」というのも見かけた。これも、本人にはわかりきったことなのだろうが、他人には、分からない。「○○の件の役員会の検討結果報告」としなければならない。

 よく、「新婚さん、いらっしゃい」で、「なれそめは?」と聞かれて、いきなり、「ヒロ君が電話してきて・・・」と話し始めて、ぽかんと口を開けて話を聞いていた三枝(文枝)から、一呼吸置いて、「で、その、ヒロ君て、誰やねん」と突っこまれるシーンがあるが、これなども、自分の知っている「ヒロ君」が、「小保方さん」や「佐村河内さん」と同じように全国民が知っている人だという思い込みのなせる技である。

 こう言った思い込みをして、相手が理解しているかどうか頓着することなく話を進めるというのは、幼稚園くらいの子の場合は、よくあることで、ある意味、微笑ましい感じもするのである。だが、大の大人が、いきなり、「ヒロ君が・・・」などと話し始めたら、話し手の知的レベルまで疑われかねないのであるから、気をつけたいものである。

STAPで脊髄損傷の犬歩く

STAPで脊髄損傷の犬歩く          スポニチ 2014.4.16        


 連日マスコミを賑わしている小保方さんの恩師であるバカンティ教授が京都で行った講演の内容を伝える記事の見出しである。

 次の例を見てもらおう。

交通事故で脊椎損傷の犬歩く


 「で」というのは、冒頭の例も、後の例も、「原因」を表す助詞であるが、「STAPで」は、直後の「脊椎損傷」ではなく、少し離れた「歩く」を修飾しているのに対して、「交通事故で」は、直後の「脊椎損傷」を修飾している。

 今でこそ、我々は、冒頭の例文を正しく理解することができるが、3か月前なら、「STAPで」というのは、「脊椎損傷」を修飾していると考えたに違いない。正しく理解できるようになったのは、「STAP」が、脊椎損傷の「原因」となるものではなく、むしろ、再生医療に役立つものであるという情報が頭の中に入っているからである。

 文章を書く際には、気をつけていても、どうしても、読み手も自分と同等の知識を持っていると思い込んでしまい勝ちである。そこで、文法的には多義的な文であっても、その知識を前提とすると、一義的に正しく理解できるために、文法的に多義的な文を書いてしまうのである。相手に知識がなくても誤解されることのないような文を書くように気をつけなければならない。

 冒頭の例なら、次のように書けば、「STAP」の意味を知らない人にも誤解されることはない。

脊椎損傷の犬、STAPで歩く


 日本語の文は、前の要素が後ろの要素を修飾するのであるから、要素がABCと並んでいて、要素Aが要素B、要素Cの何れを修飾しているのか分からない場合には、BACと要素を入れ替えれば、要素Aは要素Cを修飾しているとしか考えられないため、一義的に明確になるのである。

ふくろう村は地震が起きて危ないので逃げて下さい

ふくろう村は地震が起きて危ないので逃げて下さい。          【弘前大学 人文学部 社会言語学研究室


 弘前大学人文学部の佐藤和之教授が教える社会言語学研究室の学生ら5人が、「やさしい日本語」をインターネット上で学べる教材を開発したという(朝日新聞、2014.4.16夕刊)。地震にあった外国人が避難して安全に過ごせるよう、自治体や支援団体が外国人に災害情報を伝える際に活用してもらうことを目的としたものだそうだ。

 冒頭の例は、「やさしくない日本語」の例として挙げられたものである。これを「やさしい日本語」に書き換えると、こうなるという。

地震が起きました。ふくろう村は危ないです。逃げて下さい。


 日本人にとっては、冒頭の例文でも、十分に分かりやすいと思われるのだが、3つの情報が一文に詰め込まれており、外国人にとっては理解が困難な場合もあるため、情報毎に一つの文にするのが「やさしい日本語」というわけである。

 さすがに、普通の文章で、ここまで短文ばかりにしてしまうと、かえって読みにくくなってしまうが、「一文に情報を詰め込みすぎないようにする」というのは、「分かりやすい文章」を書くためには、忘れてはならないことである。
 

証人は原告の事務所で被告に会ったのですか

 証人尋問の際の弁護士の質問である。

証人は原告の事務所で被告に会ったのですか


 言葉の上では明確で、誤解の余地はない。

 では、次の質問はどうか。

あなたは渡辺さんの事務所で猪瀬さんに会ったのですか


 証人、原告、被告、と言った言葉は、法曹界の人間からすれば、日常的に接している用語であるが、世間一般では、テレビなどで耳にする機会はあっても、日常とは懸け離れた世界である。

 いきなり、「原告の事務所」と言われても、「渡辺さんの事務所」と理解するまで、少なくとも何分の一秒かは必要だろう。これが、滅多にないことだが、控訴審での尋問で、「控訴人の事務所」などと言われたら、具体的に理解するまで、一層、時間がかかるだろう。

 冒頭の例では、時間的には一瞬のことでも、「原告→渡辺」という翻訳作業を証人に強いることになる。そうだとすると、翻訳作業がいらないような質問を心がけるべきである。

薇薔、蝠蝙、拶挨

 次の漢字の読みを答えて下さい。

  薇薔  蝠蝙  拶挨


 「ばら、こうもり、あいさつ」と答えるのは普通の人だ。

 答えようとして戸惑ってしまうのは、相当に注意深い人である。

 「こんな言葉は存在しない」というのが、正しい答えだ。

 「薔薇」「蝙蝠」「挨拶」というのは、「読めるけど書けない漢字」の代表格である。
 しかも、どの漢字も、ここに掲げた二字熟語としてしか用いられないものである。だから、よけいに、一字一字の個性など眼中になく、2文字セットの画像で何となく記憶しているのである。だから、漢字の前後が入れ替わっても、さほどに、その画像に違和感を抱かないのである。

 では、次の例はどうか。

  碁囲倶楽部  


 「いごクラブ」と読んだ人が多いのではなかろうか。

 実は、ある囲碁倶楽部の新規開店のチラシなのだが、学生時代、そのチラシを大阪の京阪千林駅前で撒いたことがある。そして、ほぼチラシを撒き終わってから、本来「囲碁」であるべきところが「碁囲」になっているのに気づいたのだ。囲碁倶楽部のマスターも、チラシを作った印刷屋も、それまで気づかなかったのだ。

 冒頭の例の場合は、2文字が同じ部首で外見が似ているため錯覚するのも肯けるのだが、この例は、全く違う漢字である。それでも、このような間違いを犯すのであるから「思い込み」というのは恐ろしいものである。

 では、次の例はどうか。

  愛大六法  


 「愛犬六法」と読んだ人はいないだろうか。「愛大六法」というのは、総務省が法令データ提供システムを始める前の1996年頃から存在した、法令検索システムで、愛知大学が提供していたのだが、現在では、提供を止めている。

 ときおり、お世話になったのだが、見る度に、思わず「愛犬六法」と読んでしまうことが多かった。「大」と「犬」の字面が似ており、「愛犬」という単語は日常的に見かけるのに対し、「愛大」には全く馴染みがなかったため、そのような読み方をしてしまったのである。

 次に掲げるのは、NHKのウェブサイトの選抜決勝戦の実況中継の画面の一部である。

9回表
 2番大谷は四球。無死一塁。
 3番姫野は一塁前送りバント。
 ・・・(中略)・・・
9回ウラ
 龍谷大平安は代走の岩下がそのままライトに入りました。
 2番井上はレフト前安打。無死一塁。


 「ウラ」というのに、違和感を覚えた人も多いだろう。

 だが、私は、さすが「皆様のNHK」、細かいところに配慮が行き届いてると感心したのである。

 漢字で書けば、「表」と「裏」は字面が似ており、パソコンの画面の設定や携帯機器次第では、縦横10ドットくらいで表示されることもあり、「裏」を「表」と誤解する人も出るだろう。そこで、「裏」は、「ウラ」と片仮名で書きして、絶対に誤解を招かないようにしているのである。

 こんなところにまで細やかな配慮ができるNHKである。最近、「誤解を招く」ことに頓着しない人が会長になったようだが、こんなところにまで「誤解を招かない」ように配慮している制作現場を、ぜひ見習ってほしいものである。

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「時間泥棒」仕置人

Author:「時間泥棒」仕置人
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 玉石混淆の情報が溢れる社会の中で、効率よく、的確に、情報を取得し、提供するには、どうすればいいのか、ということを常に考えています。

 ところが、そんなことには無頓着な人も多いようで、読者に対する配慮の一欠片もない文章を目にすることがあります。

 難解な文章で読者の貴重な時間を奪ってしまう人達のことを、「時間泥棒」と名付けました。

 このブログは、「時間泥棒」を立派に更生させることを目的として開設したものです。

 記事を読んで、自分も「時間泥棒」かな、と思ったら、早速、改めて下さい。また、あなたの廻りに「時間泥棒」がいたら、あなたの力で立派に更生させてあげて下さい。

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