「セコイアキャピタルによる30%の株式を取得した資金調達」?

 【自ら築いた超有名IT企業を追い出された創業者10人のストーリーとその後】というサイトに、次のような一節がある。
 

Cisco Systemsの共同創業者であるSandy Lernerは、1984年、当時のボーイフレンドLeonard Bosackと共にCisco Systemsを立ち上げました。

順調な成長を遂げていたCiscoでしたが、セコイアキャピタルによる30%の株式を取得した資金調達を境に状況は一変。

セコイアキャピタルはLernerの許可無くJohn Morgridgeを新たなCEOに就任させ、サポーターであるはずのVCに会社を乗っ取られる形で会社を去りました


 「セコイアキャピタルによる30%の株式を取得した資金調達」というのは、日本語として意味をなさない。

 ただ、こういうことを言いたいのだろうということは分からないでもない。資金と株式の移動を図示した下記の図だ。

シスコ

 なぜ、冒頭のような意味不明の日本語になったかというと、名詞と名詞を繋ぐ「による」「の」「を」といった言葉が部分的には正しいものの、これらの言葉と文の他の部分との対応関係が乱れて全体として統制がとれなくなったからだ。

 一例をあげると、「セコイアキャピタルによる・・・株式を取得した」となっているが、「による」には、動詞ではなく、名詞が対応しなければならないのだから、「セコイアキャピタルによる・・・株式の取得」でなければならない。

 以下に改善案をいくつか示す。
 

セコイアキャピタルが30%の株式を取得することになった資金調達を境に状況は一変

セコイアキャピタルによる30%の株式の取得を代償にした資金調達を境に状況は一変

セコイアキャピタルに30%の株式を付与して実現した資金調達を境に状況は一変


 冒頭の第三段落の「サポーターであるはずのVCに会社を乗っ取られる形で会社を去りました」というのも、主語がないので落ち着かない。

 一つの主語のあとに複数の述語がある場合、その主語は、最初の述語の主語であるだけでなく、二番目の述語の主語を兼ねているのが普通である。

 だが、ここでは、最初の述語「就任させ」の主語はセコイアキャピアルであるから、セコイアキャピタルが「会社を去りました」ということはありえず、「会社を去りました」の主語は、「Lerner」でなければならない。



 

藤井七段がタイトル獲得通算27期?

 藤井聡太七段が王将戦で谷川九段に勝利し、トップ棋士7人が総当たりで対戦する挑戦者決定リーグへの参加が決まった。

 これに関連する記事をネットで読んだのだが、いくつか気になる表現があった。

 最初は、まだ勝敗が決する前の【藤井聡太七段VS谷川浩司九段の王将戦2次予選決勝がスタート スポーツ報知 2019.9.1】の次の表現だ。

藤井が勝てば、王将戦初の挑戦者決定リーグ戦入りを決め、上位7棋士と渡辺明王将(35)=棋王・棋聖=へのチャレンジ権をかけて争う


 「上位7棋士と・・・争う」というのが誤りである。

 7棋士がリーグ戦で総当たりで対局するのだから、藤井七段が「争う」のは、「7棋士と」ではなく「6棋士と」である。

 リーグ戦が7人で戦われることは記者も知らないわけではないだろう。むしろ、「7棋士」という点に引きずられて、そのうちの一人である藤井が戦う相手の数を、本人を差し引かずに「7棋士」と表現してしまったのだろう。

 つまり、「7棋士で争う」リーグ戦に参加する藤井7段は「6棋士と争う」のだが、ここで混乱をして、「7棋士と争う」となったわけである。

 次は、終局後の【藤井七段 憧れ、谷川九段との公式戦初対戦で勝利 王将戦挑戦者決定リーグ戦進出 スポニチ 2019.9.1】という記事だ。

藤井はタイトル獲得通算27期を誇り、“高速の寄せ”で知られる谷川の将棋に幼少期から憧れを抱いていた。


 これでは、まるで藤井七段がタイトルを通算27期獲得しているように読めてしまうが、まだ、タイトルは獲っていない。

 誤読をなくすには、次のように読点「、」の位置を変えるのがいい。
 

藤井は、タイトル獲得通算27期を誇り“高速の寄せ”で知られる谷川の将棋に幼少期から憧れを抱いていた。


  これまでも、【読点がテーマの記事】は、何本も書いてきた。

予測を裏切らない

 一昨日の【長谷川君は中学3年から会計事務所に勤めて・・・】に続いて、文章を読みながら私が考えたことを追体験して頂こう。

生まれた直後は100%母乳や粉ミルクからの栄養に依存している赤ちゃんですが、一般的に生後5カ月〜6カ月頃の離乳食開始時で80%〜90%、3回食に移行する9カ月〜11カ月頃でも30%〜40%と、成長に伴い徐々に


 なるほど、母乳への依存度が、100% → 80~90% → 30~40%と、徐々に減っていくんだな・・・

生まれた直後は100%母乳や粉ミルクからの栄養に依存している赤ちゃんですが、一般的に生後5カ月〜6カ月頃の離乳食開始時で80%〜90%、3回食に移行する9カ月〜11カ月頃でも30%〜40%と、成長に伴い徐々に離乳食から摂る栄養分が増えているといわれています。


 「増えている」? 減っていくはずじゃなかったのか?

 そうか、「増えている」のは「母乳や粉ミルク」からの栄養ではなく、「離乳食」から摂る栄養分か、それなら理解できるけど、紛らわしい表現だ。

 減少している数字の記載部分と、「増えている」の部分で、対応する主語が違うのだから当然なのだが、数字に引きずられて、「減っている」という言葉を予想して読み進めるから、以上のような戸惑いが生じるのである。

 わずかな「戸惑い」ではあるが、これをなくすには、こうすればいい。

生まれた直後は100%母乳や粉ミルクからの栄養に依存している赤ちゃんですが、一般的に生後5カ月〜6カ月頃の離乳食開始時で80%〜90%、3回食に移行する9カ月〜11カ月頃でも30%〜40%と、成長に伴い徐々に減少し、その反面、離乳食から摂る栄養分が増えているといわれています。


 期待どおり、「減少」という言葉を入れて、次に、「その反面」として「増えている」に繋げていけば、「戸惑い」は生じない。

 なお、冒頭の文章は、【0歳の赤ちゃんが牛乳を飲んではいけない理由とは?】にあった。

 赤ちゃんとは全く無縁の生活をしている私が、こんな記事に興味を持った理由は、こうだ。

 テレビで、震災時に支援物資として粉ミルク缶が送られてきても、粉ミルクを溶く水がないため、せっかくの支援が無駄になるケースがあったが、液体ミルクが認可されたので、これからは、そのようなこともなるだろう、という話をしていた。

 そのとき、ふと、「赤ちゃんに牛乳を飲ませてはいけないのか?」という疑問を抱き、ネットで調べたら、冒頭の記事に辿り着いたというわけだ。

 液体ミルク認可の経緯は、【やっと解禁された「液体ミルク」。 なぜ官僚は、この認可基準作りを10年間もサボり続けてきたのか?】に詳しく載っている。











長谷川君は中学3年から会計事務所に勤めて・・・

 今日は趣を変えて、岐阜新聞の【史上最年少16歳で公認会計士合格 岐阜市の長谷川君 2010年11月16日】という記事を私が読んだときに考えたことを追体験していただこう。

長谷川君は中学3年から会計事務所に勤めて


 中学3年から会計事務所に勤めるというのは、どういうことなんだろう?父親か親戚の会計事務所を手伝っていたのか?

 こんな疑問を抱きながら、次を読む。

長谷川君は中学3年から会計事務所に勤めていた父親


 なんだ、会計事務所に勤めていたのは父親か。でも、じゃあ、「中学3年から」というのは、父親が中学3年から会計事務所に勤めていたということなのか?

 新たな疑問を抱きながら、次を読む。

長谷川君は中学3年から会計事務所に勤めていた父親の勧めで簿記の勉強を始めた。


 なんだ、「中学3年から」というのは、「勉強を始めた」時期のことなのか。
 
 では、途中で上記のような疑問を抱かせないような文にするには、どうすればいいだろう。 

長谷川君は、中学3年から会計事務所に勤めていた父親の勧めで簿記の勉強を始めた。


 長谷川君が会計事務所に勤めていた、という誤解を防止するには、「長谷川君は」のあとに読点「、」を入れればよい。そうすれば、「長谷川君は」に対応する述語は、「勤めていた」ではなく、もっと後ろにあることが分かる。

 けれども、こんなふうに「長谷川君は」に対応する述語が後ろにあることを予測しつつ読み進めるのは、結構なストレスになる。

 また、これでも、「中学3年から」というのは、父親が会計事務所に勤め始めた時期を指すようにも読める。

 では、こうすれば、どうだろう。
 

会計事務所に勤めていた父親の勧めで長谷川君は中学3年から簿記の勉強を始めた。


 誤読の余地はなくった。

 けれども、主語がなかなか出てこないのは、落ち着きが悪い。

 誤読の余地をなくし、かつ、落ち着きの悪さも解消するには、こうするしかない。
 

長谷川君は中学3年から簿記の勉強を始めた。というのも、会計事務所に勤めていた父親の勧めがあったからだ。


 元の文を二つの単文に分ければ、このように、自ずと分かりやすくなる。

 ★ 主語述語に関連した記事は、こちら

「個人間融資」の説明  

 小学館の『NEWSポストセブン』というサイトに、【SNSでの「個人間融資」に騙された被害者たちの証言】という記事があった。

 引用が長くなるが、しっかり読んでほしい。

「無知だったんです。そもそも、お金がなければサークルを辞めたり親に相談すればよかった。でも焦ってしまい“ツイッターでならこっそり融資してもらえる”と思い込んでしまった。10万円借りようとしたところ、身分証を送れ、バイト先を教えろなど言われて、言われるがままに従ってしまい…」(みずほさん)

 結論から言うと、みずほさんは金を借りることができなかった。みずほさんが接触した“融資アカウント”は、そもそも他人に金を貸したり融資するふりをして、女性たちに身分を全てあかさせた上で、裸の写真を送るよう要求したりして、最後は肉体関係を持たないと知人や学校、親にバラすとまで脅迫されたのである。


 問題なのは、一番最後の文だ。

みずほさんが接触した“融資アカウント”は、そもそも他人に金を貸したり融資するふりをして、女性たちに身分を全てあかさせた上で、裸の写真を送るよう要求したりして、最後は肉体関係を持たないと知人や学校、親にバラすとまで脅迫されたのである


 「“融資アカウント”は」という主語に対応する述語が、3箇所に出てくるのだが、その後に一転して「脅迫された」と受動態がでてくる。

 「脅迫された」というのは、「みずほさんは」が主語にならないと辻褄が合わない。

 元々のL主語「“融資アカウント”は」に合わせるなら、「脅迫された」ではなく、「脅迫した」でなければならない。

 貴社が、「脅迫された」と受動態を用いたのは、被害者側の視点を入れようとしてためだろうが、被害者側の視点を入れるなら、「脅迫して来た」とすればよい。

 これなら、主語と述語の対応の乱れもなく、かつ、記者の意図したであろう被害者側の視点も表現できる。

 いずれにせよ、一文が長くなり、その中に何箇所も述語が登場すると、書いているうちに主語が何だったかを忘れてしまい、このような混乱した表現になり勝ちである。これを確実に防ぐには、一文を短くするほかはない。

 最後の文の分かりにくさは、ここだけではない。

みずほさんが接触した“融資アカウント”は、そもそも他人に金を貸したり融資するふりをして、女性たちに身分を全てあかさせた上で、裸の写真を送るよう要求したりして、最後は肉体関係を持たないと知人や学校、親にバラすとまで脅迫されたのである。


 「金を貸したり融資するふりをして」とは、次のどちらの意味だろうか。

 【1】   【金を貸したり融資する】ふりをして

 【2】   金を貸したり【融資するふりをして】


 【1】であれば、金は貸さないのであり、【2】であれば、金を貸すこともある、ということになる。

 そもそも、「金を貸す」のも「融資する」のも法的には消費貸借であり、同じことである。ただ、「金を貸す」と言えば、個人間の少額の貸し借りが想起されるのに対して、「融資する」と言えば、銀行と企業の間の多額の貸し借りが想起される。

 【1】の意味なら、単に、「金を貸すふりをして」と書けば足りる。

 【2】の意味なら、「金を貸すふりをしたり、実際に貸したりして」と書けば紛れがない。

----- 追記 2019.7.17 -------------------------------------------------------------------

 最近はカラフルなグラフを載せることが多いため、今回のような文字だけの記事は、少し寂しく感じてしまう。

neighbors are annoying  迷惑なのは、どっち?

 住宅街にある某大学の学生寮の前を通りかかったら、寮の玄関前に、こんな注意書きがあった。

注意書き

 最初に日本語を読んだ後、上に書かれている英文を見たのだが、思わず、目を疑った。
 

   The neighbors are very annoying !!


 深夜に外で話をすると近所の人が文句を言ってきて面倒だから静かにしろと言っているようだ。

 日本語の方は、学生たちが迷惑をかけている、という謙虚な(というより、むしろ、当然な)認識なのだが、英文の方は、何の反省もなく、文句を言ってくる近隣住民の方が悪いような書き方である。
 
 annoy に限らず、 surprise , interest , respect などの、人の感情に関わる動詞は、感情を抱く主体が主語ではなく目的語となり、逆に、感情を抱かせる原因が主語となるので、注意をしないと、全く逆の意味になってしまう。

 この点については、【annoying と annoyed の違い。】というサイトがある。

ところで、冒頭の注意書きだが、英文だけでなく、日本語の方にも問題がないわけではない。
 

   話しをしないで!!


 名詞の「はなし」は、「話し」ではなく「話」である。

 この点については、以前の記事【孫や息子の嫁を養子にする話し】にも書いた。





 

電源喪失の原因  分かりやすくするための、マストアイテム 読点、態(能動/受動)、助詞、かぎ括弧

 せっかくの内容なのに、「分かりやすさ」に十分な配慮が払われていないために読者を遠ざけているサイトを見る度に思う。

 もったいない!

 本日の素材は、【庶民の弁護士伊藤良徳のサイト 福島原発全交流電源喪失は津波が原因か(その8)】の冒頭の「ここがポイント」の中の一文だ。

原子力規制委員会は事故進展中電源復旧のために電源盤を操作した可能性をまったく検討もせずに事故3年後に現場検証した電源盤を電源喪失の瞬間とまったく同じ状態という前提で議論している


 意味を理解するまでに、何度も行きつ戻りつしなければならない。

 最大の原因は、とにかく長く、読点「、」が一つもないことだ。

 そこで、「分かりやすく」するために、最小限、手をいれてみた。

原子力規制委員会は、事故進展中に電源復旧のために電源盤が操作された可能性をまったく検討もせずに、「事故3年後に現場検証した電源盤が電源喪失の瞬間とまったく同じ状態」という前提で議論している


 変更点が分かるよう、元の文とならべ、変更箇所にマーカーを引いた。

原子力規制委員会は事故進展中電源復旧のために電源盤を操作した可能性をまったく検討もせずに事故3年後に現場検証した電源盤を電源喪失の瞬間とまったく同じ状態という前提で議論している

原子力規制委員会は事故進展中電源復旧のために電源盤が操作された可能性をまったく検討もせずに事故3年後に現場検証した電源盤電源喪失の瞬間とまったく同じ状態という前提で議論している


● 読点「」をつける

● 漢字が連なるところに、平仮名「」を入れる

 漢字が十文字も連なると、切れ目が分からなくなる。適宜、平仮名、読点「、」等を入れ、意味の塊を視覚化することによって、ずっと読みやすくなる。以前の記事【スペースの効用】を参照。

● 主語のない能動態「を操作した」を受動態「が操作された」に変える

  一般論として言えば、受動態より能動態の方が分かりやすい。

 だが、能動態でも、主語が省略され、しかも、その能動態と結びつく主語候補(ここでは、原子力規制委員会)が存在する場合は、分かりにくくなる。そんなときは、受動態にすればよい。

● かぎ括弧「」でくくる

● 「を」を「」に




精神科病院からやっと退院できたと思ったら・・・  主語の省略に注意

 今年もらった年賀状の出だしの部分だ。

精神科病院からやっと退院できたと思ったら・・・


 そこで、思わず目が止まってしまった。

 思い起こすと、2年前、彼女のお陰で細やかな印税収入があったので御礼にご馳走したいというメールをしたのが最後だった。結局は、それは実現せず、それっきりになっていたのだが、この間、いったい何があったのだろうと、あれこれ考えてしまった。

 そんなことを思いながら読み進めて行くと、こうなっていた。
 

精神科病院からやっと入院できたと思ったら、ヘルパーやディサービスの利用を思うようには受け入れてくれない被後見人・・・


 なんだ、入院したのは、本人ではなく「被後見人」だったのだ。人騒がせな年賀状だ。

 主語が省略されているときは、普通は、「私が」「私は」が省略されているのだと思い込んでしまう。と言うことは、「私」以外の主語は、省略すべきではない、ということだ。

 主語の省略については、【私が殺人罪で逮捕されたときから・・・】にも書いた。








五歳の子供だったが・・・  「が」は逆接とは限らない

 「火星のプリンセス」(創元推理文庫)8頁に、こんな一節がある。

カーター大尉のことを思い出すとき、まず最初にわたくしの頭に浮かぶのは南北戦争が勃発する直前、大尉がバージニアのわたくしの父の家で過ごした数か月のことである。当時まだほんの五歳の子供だったが、わたくしはジャックおじさんと呼んでいた・・・


 「五歳の子供」だったのは、カーター大尉なのか、それとも、「わたくし」か。

 カーター大尉のことを、ジャック「おじさん」と呼んでいたというのである。常識的に考えて、「おじさん」が五歳のはずもなく、五歳というのは、「わたくし」のことと考えるのが自然かも知れない。

 だが、その直前に、「ほんの五歳の子供だったが」と、「逆接」の助詞が使われている。そうすると、カーター大尉は、五歳の子供でありながらも、やたら大人びた言動をしていたため、「わたくし」がからかって、ジャック「おじさん」と読んでいたのかもしれないと考えたのだ。

 ただ、「が」というのは、必ずしも、逆接の意味で使われるとは限らず、単に文と文を繋ぐために何気なく使われることも多いので、この場合も、そういう用法の可能性もある。

 従って、続きを読まなければ、「五歳」だったのが誰かは分からない。

当時まだほんの五歳の子供だったが、わたくしはジャックおじさんと呼んでいた、長身で色浅黒く、さっぱりとひげを剃った筋骨たくましい人物のことをよく覚えている。


 「ひげを剃り、筋骨たくましい」となれば、どう考えても、五歳児ではない。従って、五歳の子供は「わたくし」ということになる。

 では、続きの部分が次のようになっていたら、どうだろう。

当時まだほんの五歳の子供だったが、わたくしはジャックおじさんと呼んでいた、やけに大人びた口をきく少年のことをよく覚えている。


 これなら、「五歳の子供」は、カーター大尉と言うことになる。もちろん、ここでは、「が」は逆節の助詞として使われている。

 単語の意味が多義的で、意味を文脈で確定せざるを得ないことは多いのだが、この例のように、その単語の後ろに書いてあることを読まなければならないとなると、ストレスになる。

 他方、多義的な単語を使うにしても、その単語の前に書かれている内容から単語の意味が確定できるのであれば、ストレスを感じることなく、読み進めることができる。

 実際に文章を書く際には、書き手の頭の中には、全体像が頭の中にあるため、つい、多義的な言葉を使い、しかも、その多義的な単語の後ろの部分を読まなければ単語の意味を確定できないということにもなりかねないので、注意が必要だ。

 文章を書いて1週間くらいして読み返して見ると、書いたときと比べると、全体像がぼんやりとしてくるため、多義的な言葉を使うことによって意味を取りにくくなっている箇所があることに、自ずと気づくことになる。
 
 ところで、この「火星のプリンセス」というのは、中学一年頃、夢中になって読んでいた、バロウズの「火星シリーズ」の中の一冊で、先日、友人と話しているときに、たまたま話題に上ったため、懐かしくなって、図書館で借りてきたものだ。

 半世紀ぶりに手にした文庫本の表紙の絵は、当然のことながら、当時の記憶のままだし、「カーター大尉」や火星のプリンセスの「デジャー・ソリス」といった名前を目にすると、世の中のことを何も知らずに何の悩みもなかった、あの頃が、やたら懐かしく感じられる。

----- 追記 -------------------------------------------------------------------

 冒頭に引用した部分の原文は、以下のようになっている【The Project Gutenberg EBook of A Princess of Mars

My first recollection of Captain Carter is of the few months he spent at my father's home in Virginia, just prior to the opening of the civil war. I was then a child of but five years, yet I well remember the tall, dark, smooth-faced, athletic man whom I called Uncle Jack.


英語の場合、このように、嫌でも主語を書かざるを得ないので、冒頭の例のような曖昧さは生じない(ただし、英語でも、主語のない、分詞構文のような例外はある。)。




Wikipedia【村山聖】の添削

 今日も将棋に関する話題だが、羽生と並び称され、映画にもなった早逝の棋士、村山聖についての記事【Wikipedia 村山聖】 からの引用だ。

村山はかなりの「負けず嫌い」な性格で、将棋以外でも、特に囲碁や麻雀をやって、負けるとすごく悔しがっていた。生前、徹夜で麻雀に付き合った当時奨励会三段だった瀬川晶司は「なんて子供っぽい人だろう」と思い、「A級がそんな事を言うんじゃないでしょ」と言われたことがきっかけで、亡くなるまで瀬川と友好関係になった。


 意味をとれなくはないのだが、主語述語の対応が混乱するなど、色々と問題がある。【書き換え後のwikipediaの記載】がこれだ。

村山はかなりの「負けず嫌い」な性格で、将棋以外でも、特に囲碁や麻雀をやって、負けるとすごく悔しがっていた。生前、徹夜で麻雀に付き合った当時奨励会三段だった瀬川晶司は「なんて子供っぽい人だろう」と思い、「A級がそんな事を言うんじゃないでしょ」と言ったことがある。それがきっかけで、村山は亡くなるまで瀬川と親交をもった。


 改善点は、以下の点だ。

● 第2文を二つに分けた。 

● 「言われた」を「言った」にした。   (受動態 → 能動態

● 友好関係 →親交
    「友好関係」   国家、組織、これらを代表する人物などの関係
    「親交」 関係 個人の私的な関係
  それぞれの用例は、「友好関係」の用例 「親交」の用例 を参照されたい。

---- 追記 --------------------------------------------------------------------

 村山聖と瀬川昌司は、二人とも、その人生が小説や映画になっている。
 映画の解説は、
聖の青春】【泣き虫しょったんの奇跡】にある。


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行為の主体は、主語でなくてもよい 「●●が結婚し」→「●●の結婚」

 以前の記事【タウリン1000ミリグラム】で、 45年前に自殺した天才CMディレクター、杉山登志のことを書いた。

 先ほど、【Wikipedia】 で杉山のことを調べたら、こんな一節があった。

秋川リサが21歳で結婚し、軽妙なスピーチを披露したがその2ヶ月後、自宅マンションで首吊り自殺を遂げた。


 てっきり、結婚の当事者である秋川リサが自分の結婚式で「軽妙なスピーチ」をしたのかと思ったのだが、後ろに自殺のことが書いてあり、「軽妙なスピーチ」をしたのは杉山だと分かった。

 Wikipedia には編集機能があるので、誤解の余地のないように次のような変更をしようと思った。

秋川リサが21歳で結婚し、その式で杉山は軽妙なスピーチを披露したが、その2ヶ月後、自宅マンションで首吊り自殺を遂げた。


 ところが、改めて、その周囲の記述を見ると、「年譜」という表題のもとに、年号と出来事が、主語を抜きに、例えば「1970年(昭和45年)妻と離婚。」のように書かれていた。

 そうすると、一か所だけ「杉山は」という主語を入れるのも、ちぐはぐな感じがして、「杉山は」とは書かずに、なおかつ、「軽妙なスピーチ」をしたのが秋川リサであるとの誤解を生まないような表現をしなければならない。そう考えて、次のように変更した。
 

21歳の秋川リサの結婚式で軽妙なスピーチを披露したが、その2ヶ月後、自宅マンションで首吊り自殺を遂げた。


 原文は「秋川リサが」という主語があったために、[結婚し」だけでなく、「披露し」も秋川リサの行為だと誤解される余地があったのだ。

 そこで、「披露し」の主語として「杉山は」と入れるのではなく、「秋川リサが」という主語を取り除いたのである。とはいえ、秋川リサが結婚したという事実まで取り除くわけにはいかないので、「秋川リサの結婚式」という表現で秋川結婚の事実を表したのである


 なお、冒頭の【Wikipedia】は、インターネットアーカイブに保存されている、私が修正をする前のものであり、現在のWikipediaの記事は、こちらを参照されたい。






只野はヤクザに絡まれた紀子をさっそうと助ける一人の男を目撃する。

 テレビ番組の解説【特命係長 只野仁(2003) 第7話「会長の秘密」 AbemaTV】に、次のような一節があった。

そんなある日、只野はヤクザに絡まれた紀子をさっそうと助ける一人の男を目撃する。


「絡まれ」まで読めば、只野がヤクザに絡まれたのかと思う。だが、直後の「た紀子」まで読むと、そうではないことが分かる。

次に、「助ける」まで読めば、只野が紀子を助けるのかと思うが、直後の「一人の男」まで読むと、そうではないことが分かる。

そうして、最後に、只野は「目撃」したことが分かる。

そんなある日、只野はヤクザに絡まれた紀子をさっそうと助ける一人の男を目撃する


 二回も誤読しかけたのは、「只野は」に対応する可能性のある動詞が、このように、3つ出てくるからだ。

 これに対して、「只野は」を「目撃する」の直前に持ってくれば、絶対に誤読のしようがない。

そんなある日、ヤクザに絡まれた紀子をさっそうと助ける一人の男を只野は目撃する


 要するに、主語に対応する述語は必ず後ろに来るのだから、主語の後ろに述語となる動詞が一つしかなければ、その動詞にしか対応しようがないため、絶対に誤読しないのである。

 なお、主語と述語動詞の関係が曖昧なことによる分かりにくさについては、これまでも、何度も記事を書いている。

 【目を覚ましたメリーは・・・
 【本人が弁護士とともに・・・
 【東京地裁で一人の男性が自殺
 

文章表現の解像度

 このブログと同じく「分かりやすさ」について書いてあるブログをネットで検索することがあるのだが、なかなか、これはいい、と思えるブログに行き当たることは少なかった。

 ところが、昨日見つけた【エッフェソイヤ 話の分かりやすさの本質は、情報の解像度にある】というブログ記事は、非常に分かりやすく本質を捉えていたので、かなり長文になるが、ぜひ、読んで欲しい。

 ざっくり内容を説明すると、文章の精緻さを、画面の解像度になぞらえて、文章の解像度が読み手の読解力と比べて高すぎたり、低すぎたりすると、読み手に的確に情報が伝わらない、従って、常に読み手の読解力に留意すべきである、というものである。

 私が、このブログで書いてきたことを、ある意味では、より的確に表現してくれていて、正直、「参った!」という気持ちにもなったのだが、では、そのブログの筆者が書いた文章が、「分かりやすさ」の点で、何の問題もないかというと、必ずしも、そうではない。

 そのブログの記事の中に、筆者が文章を書く際に、①②・・・と、いくつかの段階を踏んでいることを説明した後に、次の一文があったのだ。

例えば、今書いている記事の、①〜②の段階はこのような感じです。


 私は、「今書いている記事」というのは、まさに私が引用している記事そのものだと受け取って、その続きを読んだのだか、続きを読んでいくと、いきなりゲームの話が出てきたので、それまでの文章との繋がりが分からなくなり、戸惑った。

 一呼吸置いて見直すと、「今書いている記事」というのは、「これから発表するために、今書いている記事」ということで、私が引用した記事とは別に執筆中の記事のことだと理解できた。

 また、文章の解像度について、次のような記載があった。

僕は、この解像度が、画像だけではなく、話や文章にもあると思っています。
例えば、同じ”青”について話す時も、

解像度高:シアン、コバルトブルー、マリンブルー、エメラルドブルー、藍色、群青色、空色
解像度中:青、水色
解像度低:青
解像度最低:色

など、情報の細かさや、詳しさに様々なレベルがあります。


 最初の3つは、すんなり理解できたのだが、最後の「色」で首を傾げてしまった。

 最初の3つの例は、色彩に関する表現の解像度の違いの具体例として適切なものだが、最後の例の「色」というのは、明らかに不適切だ。「色」というのは、「大きさ」「形」というのと同じく、属性そのもののカテゴリーを表現するものであり、「色」の中で、「コバルトブルーとか、ただの青とか、いろいろなレベルの解像度があるのだから、この「色」というのは不適切ではないか、そう考えた。

 だが、改めて考えると、解像度に様々あるという例として掲げられているのだから、ここの「色」というのは、カラーシャツという場合の「カラー」と同じく、真っ白ではない、という意味で使われているのだと気づいた。

 結論から言えば、私が十分に文脈を踏まえた読み方をしていなかったために生じた誤読だったのであるが、これまでも、何度も触れてきたように、文脈を十分に理解していない人にも、一義的に理解できるような表現を用いるのが「親切」というものである。

 では、ここでは、どう表現すればよかったかというと、単なる「色」ではなく、「色つき」あるいは「カラー」という表現がよかっただろう。「カラー」と言えば、「カラーシャツ」のように、「白以外の色」を指すものと通常、受け止められているからである。

 なお、文脈への依存は回避すべきだということは、 【目を覚ましたメリーは、・・・】にも、書いたことがある。

 さらに、こんな記述もあった。

"いや、もう少し分かりやすく話せるだろ…”

と思う場合で多いのは、
解像度の低い人の話、
というよりは、
それなりにしっかり勉強している人の解像度が高すぎる場合
が多いです。



 言いたいことは、よく分かるし、私も、多分そうなのだろうと思う。

 だが、見てのとおり、「多いのは、」に対応する述語が存在しない。

 文末の「が多いです。」を単に「です。」とすれば、主語と述語とが対応して、落ち着きのある文になる。

 おそらく、筆者は、常日頃、そういった例が非常に「多い」と感じていたために、思わず、「多い」という単語を二重に使ってしまったのだろう。

 こういった心理はよく分かるし、私も、先日の記事【可食してもよい】で、「明らかに」を一文の中に二度も使いそうになったことを取り上げたばかりである。

 それだけに、思い入れの強い文章を書くときほど、要注意ということである。

 ところで、このブログの皆さんに読むことを奨めておきながら、そのブログの記事の「分かりにくさ」を3つも指摘したのは、常日頃「分かりやすさ」に留意しているはずの人でさえ、ときに分かりにくい文章を書いてしまうという例を示すことによって、どれほど、「分かりやすさ」に気を付けても、それで満足ということにはならない、ということを言いたかったからである。

 私自身も、自分では、結構いい記事をかけたな、と思っていても、友人から、その私の記事が「分かりにくい」という指摘を受けることが度々あるのだ。


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気を緩めると誤解を招く

 先日の棋戦で藤井聡太七段が増田康宏六段に勝ったのだが、その記事の一節だ【藤井聡太七段、予選から破竹の6連勝 増田康宏六段との“天才対決”にも快勝/AbemaTVトーナメント決勝T1回戦】。

若手棋戦・新人王戦を2016、2017年と連覇し、一時は藤井七段より前に5人目の中学生棋士になるのではとも言われた、増田六段を圧倒した。



 将棋界に疎い人なら、誤解をしそうな箇所が三箇所もある。

 【1】 「若手棋戦」と「新人王戦」の二つの棋戦を連覇したのか

 実際は、「若手棋戦」という棋戦は存在しない。「若手棋戦」というのは、「新人王戦」の修飾語として用いられているに過ぎない。そうであれば、「若手棋戦である新人王戦」とするのがよい。これなら誤解の余地はない。

 記号の「・」(なかぐろ)は、便利な記号なのだが、このような曖昧さがあるので、使うときは要注意だ。

  若手棋戦・新人王戦
    → (修飾) 若手棋戦である新人王戦 
    → (並列) 若手棋戦と新人王戦 
  

 【2】 新人王戦を連覇したのは藤井七段か増田六段か

 冒頭の文章の構造を分かりやすくすると、次のようになる。

    ○○を連覇し、
    ○○と言われた、
    増田六段を
    圧倒した。

 文末の「圧倒した」の主語が藤井七段であることは明白である。けれども、○○を「連覇し」たのは、藤井七段のようにも読めるし、増田六段のようにも読める。

 実際は、○○を連覇したのは増田六段である。

 「では、どう書けばいいのか」という点については、次の【3】の問題とも絡むので、後述する。

 
 【3】 ○○を連覇したから○○と言われたのか

 ○○を連覇したのが増田六段だとすると、連覇したが故に○○と言われたようにも読める。

 増田六段は2013年にプロ入りが叶わぬままに中学を卒業したのだから、「5人目の中学生棋士になるのでは」と言われたのは、当然、それよりも前のことである。

 従って、2016,2017年の棋戦連覇が、「5人目の中学生棋士になるのでは」と言われた原因ではありえない。

 できごとを、時間の流れと逆に書くから、誤解を招きかねないのである。

 以上に述べたことを踏まえて以下のように書けば、誤解の余地はない。

一時は藤井七段より前に5人目の中学生棋士になるのではとも言われ、若手棋戦である新人王戦を2016、2017年と連覇した、増田六段を圧倒した。



 -- 【追記 2018.8.4】 ----------------------------------------------------------------------

増田・藤井


 
 

私が殺人罪で逮捕されたときから・・・

① 私が殺人罪で逮捕されたときから弁護していた被告人は、京都の出身です。

② 私が殺人罪で逮捕されたときから弁護してくれた弁護士は、京都の出身です。


 ①は、とあるSNSでの発言なのだが、「私が殺人罪で逮捕された」の部分を見て、一瞬ぎょっとした。後ろの「弁護していた被告人」のところまで読めば、逮捕されたのは「私」でないことは明らかなのだが、人騒がせな一文である(あるいは、注意を惹きつけて、最後まで読ませよう、という意図だったのかもしれないが・・・)。

 これに対して、②の場合、逮捕されたのは「私」であり、何の問題もない。

 ①の意味を伝えたいときに、一瞬の迷いも生じさせることなく正しく伝えようと思ったら、次のようにすればよい。 

【原文】  私が殺人罪で逮捕されたときから弁護していた被告人は、京都の出身です。

【修正例】 殺人罪で逮捕されたときから私が弁護していた被告人は、京都の出身です。


 主語の後に動詞が二つ以上ある場合、主語は一番目の動詞に対応していると考えるのが普通である。二番目の動詞と対応することを明示するには、主語の位置を一番目の動詞の後ろにずらすほかない。

 ただ、そうすると、一番目の動詞に対応する主語は文中には存在しないことになる。すると、読み手の側で、なんとか、主語を補おうと考えることになるだろう。その場合、一番、候補に挙がりやすいのが、書き手、すなわち「私」である。主語を省略する場合の多くが、そうだからである。

 そこで、その懸念を払拭する必要があるのだが、次のようにすればどうだろう。 

【再修正例】 本人が殺人罪で逮捕されたときから私が弁護していた被告人は、京都の出身です。


 「本人」と言えば、読み手には、「書き手以外の誰か」と思ってもらえるに違いない。



写真の解説は、こうする 【続編】

 数学者・岡潔の著作を整理、解説した「数学する人生」【新潮社】の中の掲載写真の解説を素材に、【写真の解説は、こうする】という記事を書いたことがある。

 今日、その記事を読み返す際に素材となった解説も眺めてみたのだが、どうも、読んでいて落ち着かない。なんとなく、苛々するのである。

 その苛々の原因を考えているうちに、前回のブログで書いたこと以外に、問題点が満載なことに気がついた。

 以下、写真の解説の中の長方形の囲みの色と、問題点の解説の見出しの冒頭の「●」の色とは対応しているので、照らし合わせてみてほしい。

岡潔-枠


【1】 同一の対象は、同一の表現①


 「奈良市」と「奈良」。どちらも、同じようなものだが、単に「奈良」だと、「奈良市」以外の「奈良県」のどこか、という可能性もないではない。どちらも、同じ65歳の頃の自宅というのだから、「奈良」というのも、「奈良市」だろうとは思えるのだが、理窟の上では、そうとは断定できない。

【2】 同一の対象は、同一の表現②


 いずれも、岡潔、岡ミチの夫妻を指しているのだが、微妙に異なる表現となっている。

 もちろん、長い文章の中だと、同じ対象でも、文脈によっては違う表現を用いる方が適切な場合も、あるにはある。

 しかし、単に客観的な情報を伝えるだけの写真の説明文において、このような異なる表現を使うのは、「場当たり的」であり、読み手に余分な負担を与えるだけである。

【3】 「何かに関心を集めている」  主体と客体の関係に注意


 「関心を集める」というのは、主語となった人・物が、関心の対象となっている場合である。
 ここでは、「何かに関心を集めている」というのだから、関心の対象は、「何か」であり、著者は、「関心を集めている」のではなく、「関心を寄せている」のであろう。

【4】 「第三高校生」  一般的でない表現


 要するに、旧制の第三高等学校の学生であることを表現したかったのだろう。

 だが、それなら、普通は、「三高生」という表現を用いる。

 グーグルで、それぞれを検索したところ、「第三高校生」は「三高生」の7分の1程度の出現数であり、しかも、「第三高等学校の学生」とは違う意味で使用されているものが殆どだった。


主語は固定する

 インターネットが一般に普及して約20年になるが、未だに、自社のウェブサイトを持っていない企業もある。

 他方で、インターネットを活用し、ウェブサイトで多様な情報を発信している企業も数多くあり、大企業の場合は、ページ数が、何万頁にも及ぶものがあるという。

 それだけ巨大なウェブサイトになると、管理も大変である。ウェブサイトには、外部のサイトへのリンクが多く張られるものだが、よほど注意をしておかないと、リンク先のウェブサイトがなくなっており、「NOT FOUND」という表示がなされることになる。そんなリンク切れが多いと、そのウェブサイト自身の信頼性にも関わってくる。

 先日、たまたま見つけたのだが、IBMがウェブサイト管理用のソフトを開発していて、そのソフトを使えば、人の目だけでは到底管理しきれないような巨大なウェブサイトのリンク切れや、その他の不具合を自動的に検証することができるとのことだった。

 週に1回、このソフトで検証し、改善方法を検討し、改善する、というサイクルを繰り返すことによって、ウェブサイトの総頁数が2万頁あまりの企業グループでは、以前は、2万件を超えていたリンク切れが、こまめに修復されるようになり、今では、せいぜい、数件になった、ということだった。

 その解説【IBM Rational Policy Tester】の中に、次のような一節があった。

   ワークフローに従って週単位で処理し、
   メンバーから頻繁に状況が確認されることで、
   エラーを放置できない体制になっています


 意味をとれないことはないのだが、どうも引っかかる。原因は、どこにあるのか?

 原因は、1行目の主語は、明示されていないものの、2行目にある「メンバー」のはずだが、2行目の主語は、「状況」であり、しかも、これを主語にすることによって、受動態になっているのである。つまり、【主語の交替】【能動態、受動態の混在】という二つの要素が、『ひっかかり』の原因である。

 だとすれば、その原因を取り除いて、次のようにすれば、引っかかることはなくなるのである。
 

   ワークフローに従って週単位で処理し、
   メンバーが頻繁に状況を確認することで、
   エラーを放置できない体制になっています


 なお、視点を固定することの重要性については、以前のブログでも触れている。

    【フランチャイザーのフランチャイジーに対する・・・

    【解説図(徘徊事故 最高裁判決)を比較する

本人が弁護士とともに出家することを伝えてきた

 依頼者にとって、弁護士は、いくら自分のことを理解をしてくれているといっても、やはり「他人」である。そんな中で、まるで自分自身が当事者であるかのごとく行動してくれる弁護士がいたら、どんなに心強いことだろう。

 先日、そんな弁護士の一人で刑事弁護で無罪判決を14件とったことがあるという今村核弁護士のドキュメント番組のことを友人に聞いて、早速、ユーチューブで、それを観た【ブレイブ 勇敢なる者 NHK】。

 私自身も、ネット情報の削除の事件については、自分に与えられた使命と感じるほど、力を入れており、まさに自分自身が当事者のように感じて、自らが原告になったり、刑事事件の告訴人、告発人になろうかなどと、考えることもある.。けれども、現実には、なかなか、そこまでできないものである。
 
 それだけに、今村核弁護士のような存在を知ると、無条件に尊敬してしまうのだ。とはいえ、自らの生活をも顧みずに依頼者のために全てを捧げる姿をみていると、せっかくの自分の人生なんだから、もう少し自分のことも考えたらどうなんだ、という思いもするのだが、そんな思いを抱くのは凡人の限界ということだろう。

 だからこそ、依頼者のために自らが当事者であるかのごとく振る舞う弁護士の話をを聞くと、どうして、そこまでできるのかと、興味が尽きないのである。

 ちょうど、そんな今村核弁護士の番組を観た直後に、清水富美加という女優が「幸福の科学」の活動に専念するため所属事務所を辞めるという記事を見たのだが、その一節に、こんな記載があった。

所属事務所によると、本人が弁護士とともに出家することを伝えてきたという。              【朝日新聞 2017.2.13夕刊、大阪本社発行第4版16頁】


 これを見た瞬間、そこまで依頼者に寄り添い、一緒に出家までする弁護士がいるのかと驚いた。それにしても、そこまでするか?という疑問もあり、記事をよく読んでみると、弁護士まで出家するわけではないようだった。

 その後、同じ記事をネットで検索すると、以下のように、微妙に異なった表現になっていた。

関係者によると、本人が弁護士とともに所属事務所に対し、出家することを伝えたという。                             
朝日新聞デジタル 2017年2月12日19時52分


 この表現であれば、弁護士も出家する、という誤読の可能性は、ぐんと減るだろう。しかし、これでも、万全とは言えない。

 結局、「出家」の前に、「弁護士」という単語がある以上、いかに、句読点などを工夫したとしても、「弁護士が出家」と誤読する可能性があるのだ。だったら、以下のように、「出家」の後ろに「弁護士」を入れるほかはない。

所属事務所によると、本人が出家することを弁護士とともに伝えてきたという。


 より一般化して言えば、主語を動詞の直前に置く、ということになる。さらに一般化すると、これまでも、何度も触れて来たことであるが、修飾語を被修飾語の直前に置く、ということである。

 このブログで何度も触れる、ということは、それだけ、気をつけなければ行けないと言うことで、日々の新聞記事でも見かけることであり、このブログを書いている私自身でさえ、以前の文章を読んで、この原則に反していることに気づいて、こっそり訂正することもあるのだ。

 だからこそ、この基本中の基本というべき原則については、常に注意を喚起しなければならないのである。

日本語らしく

 司馬遼太郎の「坂の上の雲」の「日清戦争」の章の冒頭部分を、少し長くなるが、引用する。
 

 そのような時間が真之の上にながれているとき、東京にいる子規の境涯は、必ずしもあかるくはない。
 病気の進行は、ややとまった。ところがこのころ、子規は、あれだけかれが気に入っていた常磐会寄宿舎を追いだされてしまった。原因は居づらくなったのである。


 特別に分かりにくい文章ではなく、このブログの素材としての適格性を備えていないのではないか、と思われた方もいるかもしれない。

 けれども、私から見れば、いわば、「突っ込みどころ満載」の素材なのである。

【1】 漢字と平仮名を使い分ける


 まず、「あれだけかれが」の箇所だ。

 平仮名ばかり続くと、単語の切れ目を探すのに一苦労する。せいぜい5文字くらいに留めて置かないと、読者に二度見を強いることになる。

 ここは、「あれだけ彼が」と漢字を使うべきところだ。

 この部分に限らず、司馬遼太郎の文章は、漢字を使えばいいところで、やたら平仮名を使っている。上に引用した文章でも、何か所もある。
 

 そのような時間が真之の上にながれているとき、東京にいる子規の境涯は、必ずしもあかるくはない。
 病気の進行は、ややとまった。ところがこのころ、子規は、あれだけかれが気に入っていた常磐会寄宿舎を追いだされてしまった。原因は居づらくなったのである。


 一般的に言うと、助詞、助動詞、副詞、連体詞、間投詞は平仮名が望ましいが、名詞、代名詞、動詞、形容詞、形容動詞は漢字が望ましい。そうすることによって、漢字と平仮名が、ほどよく混在して、単語の切れ目が分かりやすくなるのである。

 このような漢字、平仮名の使い分けの効用は、単語の切れ目が分かりやすくなる、という点に止まらない。文章を見たとき、一々読もうとしなくても目に飛び込んでくるのが漢字である。その結果、一瞬のうちに、全体として、大体なにを書いてあるのかが理解できるのである。 

 ただ、司馬遼太郎ファンの中には、明治という激動期を描いた小説だからこそ、ひらがなが多いと、ゆったりした感じを読者に与え、落ち着いて読んでもらえるからいいのだ、という人もいるかも知れない。

 そうは言っても、私は、「分かりやすさ」という点で、もっと漢字を多用してくれた方が、ありがたい。 

【2】 不要な主語は省略する


 冒頭の文に戻ると、「かれが気に入っていた」の点も、引っかかる。この前に出てくる登場人物は、子規と真之の二人だけなので、そのどちらかを指すのは明らかなのだが、この文の主語として、「子規は」と書かれているのだがら、ことさら「かれは」と「気に入っていた」に対応する主語を書いていることからすると、文の主語とは別人の真之を指すのかと思ってしまう。

 けれども、文脈からすれば、この「かれ」も、「子規」を指すとしか考えられない。

 だったら、ことさら、「かれは」と書く意味は全くない。読者を混乱をさせるだけである。

 英語であれば、動詞には必ず対応する主語をあてがってやる必要があるが、日本語は、そんな面倒な規則に囚われる必要のない優れた言語なのである。その特性を生かさず、わざわざ、主語を補うなど、百害あって一利なしである。

 司馬遼太郎は、大阪外大(現、大阪大学外国語学部)のロシア語学科の卒業だが、おそらく、ロシア語も、英語と同じく、主語なしでは成り立たない不便な言葉なのだろう。大作家でも、外国語の文法に引きられて、こんな分かりにくい表現をしてしまうのだ。日本語としての分かりやすさを徹底して考えるほかはない。

 ところで、上の文で、主語をどうしても書きたければ、「かれ」ではなく、「子規」とすれば良かったのだ。ただ、「子規」という言葉が一文に二度も出てくるのは、みっともないと思ったのだろう、そこで、二度目は、「かれ」にしたのだろう。結果として、分かりにくくなっているのである。

 以前のブログ【「分かりにくさ」の原因は、これだ】にも書いたとおり、「分かりやすさ」以外の価値を求めると、「分かりやすさが」が犠牲になるのである。

 最後に、冒頭の文は、こう書けばいいということだ。
 

 そのような時間が真之の上に流れているとき、東京にいる子規の境涯は、必ずしも明るくはない。
 病気の進行は、やや止まった。ところがこのころ、子規は、あれだけ気に入っていた常磐会寄宿舎を追い出されてしまった。原因は居づらくなったのである。


水産物の輸出額が特産のリンゴと並ぶほど盛んな青森県

水産物の輸出額が特産のリンゴと並ぶほど盛んな青森県
                                           【朝日新聞2013.9.6


 一見、どこが分かりにくいのか、と言われそうだが、じっくり読んでほしい。

 「盛んな」の主語は何だろう。「輸出額」ではないはずだ。主語として相応しいのは「水産業」である。

 では、どう書き直せばいいのか。

 水産物の輸出額が特産のリンゴと並ぶほど水産業が盛んな青森県

文法的には主語述語が対応して完璧なのだが、何となく、くどく感じてしまう。日本は英語と違って主語がない文も通常、使われているのだから、原文のままでもいいではないか、という意見も傾聴に値する。

 
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Author:「時間泥棒」仕置人 (改称予定)
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 玉石混淆の情報が溢れる社会の中で、効率よく、的確に、情報を取得し、提供するには、どうすればいいのか、ということを常に考えています。

 ところが、そんなことには無頓着な人も多いようで、読者に対する配慮の一欠片もない文章を目にすることがあります。

 難解な文章で読者の貴重な時間を奪ってしまう人達のことを、「時間泥棒」と名付けました。

 このブログは、「時間泥棒」を立派に更生させることを目的として開設したものです。

 記事を読んで、自分も「時間泥棒」かな、と思ったら、早速、改めて下さい。また、あなたの廻りに「時間泥棒」がいたら、あなたの力で立派に更生させてあげて下さい。

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