「R」は右とは限らない

 さきほど、近所のコンビニでアイスコーヒーを買った。

 といっても、缶や紙パックに入っているものではなく、氷の入った専用のカップを購入して、それを自分で機械にセットする方式のものだ。

 サイズが、レギュラー(普通)、ラージ(大)と二種類あり、それぞれカップをセットする場所が異なり、次のようになっていた。

コーヒー


 私が買ったのは普通サイズだから、当然、左側にセットしようとしたのだが、大きな丸で囲んだ「R」の文字が目に入って来て、一瞬、手が止まった。

 レギュラーは「R」だし、下には、「普通」と書かれてもいるので、そこにセットすれば何も問題はないのだが、一瞬、手が止まったのだ。

 というのは、「R」は、「L」との対比で、「右」を示すことがあるのに、この「R」は、左側にあったからだ。下に「REGULAR」と書かれているので、「RIGHT」でないことは明らかなのだが、「R」→「右」という慣れ親しんだ思考が邪魔をして、左側にセットすることが躊躇われたのである。

 製作者は、「R」「REGULAR」「普通」と念入りな記載をしているところから、消費者が間違えないように、それなりの注意をしていることは窺えるのだが、あと一歩、気づいてほしかったというのが、私の思いである。

 ここでは、むしろ、「R」、「L」という記載自体を削除するのが一番である。

 ここでの問題を抽象化すると、以下のとおりとなる。

略語を不用意に用いない


 略語は、略語の宿命ではあるが、本来の用語と1対1に対応しているわけではない。

 多くの場合、文脈から、どの用語に対応しているのか分かるのだが、常に分かるとは限らない。上記の例のように、「R」と「L」が並んで表示されていると、どうしても、「RIGHT」「LEFT」の略だと受け取られがちなのである。

文字と物理的配置には注意を払う


 「R」は、「RIGHT」の略と解釈される場合があるのだから、物理的にも、「右」に書いた方が混乱は生じない。エレベータの階数ボタンが、下から、1、2、・・・となっているのと同じである。

 このことは、これまでにも何度か書いたことがある。

 ● エレベータの階数ボタン
 ● 前列右から、加藤、清水、野間、高谷、石原、・・・
 ● 市ヶ谷キャンパスと市ヶ谷田町キャンパス

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自転車を除く

 御所(京都御苑)に、こんな標識がある。

歩行者用

 
 青の背景に人の絵柄の標識が「歩行者専用」だということは、直感的に分かる。

 では、「自転車を除く」というのは、どういう意味か?
 

① 【通行許可の対象から、自転車を除く】
 歩行者専用の表示があっても、自転車は車やバイクと違って歩行者と同じようなものと勘違いする人がいるので、自転車は駄目だということを念押しした。

② 【通行禁止の対象から、自転車を除く】
 歩行者以外の通行は禁止されているが、禁止対象から自転車は除く、すなわち、自転車は例外的に通ってもいいことにした。


 なんとなく、②の解釈の方が無理がなさそうで、自転車は通ってもいいのだと判断するのだが、見る度に、どっちの意味か考えてしまう。

 ただ、御所の中でも別の場所には、「自転車通行禁止」の標識があるので、②の、自転車は通行可能、という意味で間違いないだろうと思う。

 上記のような「●●を除く」という表現は、よく見かけるし、この表現自体に曖昧さはない。

 ところが、「何から除くのか」が曖昧だと、意図するところは正確に伝わらないのである。

 ところで、冒頭の標識だが、こんな標識なら、絶対に誤解の余地はない。

自転車用

 ただ、この標識も問題と言えば、問題である。

 というのは、青地に人と自転車の絵が描かれているので、それだけで自転車は通行可能ということは、明白なのだが、それに加えて、「自転車・・・」という記載があると、上の絵柄にかかわらず、自転車は通行不可ということかも知れないという気になり、「・・・通行可」まで読まないと安心できないのである。

 作成者は、「自転車通行可」ということを念押ししたかったのだろうが、自転車の絵がある以上、「自転車通行可」ということは、誤解の余地はないのだから、ことさら念押しする必要はない。

 むしろ、この「念押し」の記載が、一瞬ではあるが、「ひょっとしたら、上の絵に対する例外を書いているのかも知れない」といった心配を引き起こすという点で、有害なのである。

 これまでも何度も述べてきたように、情報伝達は、発信者の「思い」で突っ走っては駄目なのであり、常に、受信者の受け止め方に思いを致さなければならないということである。

赤なら目立つという思考停止

 先ほど立ち寄った店の前に、こんな掲示があった。

自転車保険


 「自動車保険」「加入義務化」ということを強調したいのだろう。

 赤は、とにかく目立つ。だから、信号でも「止まれ」は赤だ。

 だが、いくら目立つと言っても、背景色次第では、目立たないこともある。

 遠くから見れば、「京都は・・・・・の・・・・・へ向け動き出しました。」としか読めず、何のことか分からない。

 作成者は、背景がオレンジ色でも、赤は目立つと考えていたのだろうか? 目立たせるには「赤」、という固定観念だけで、この掲示板を作ったのだろう。恐るべき思考停止である。

「目立つのは赤」という信仰は根強いようで、様々ところで、強調のために「赤」が使われている。

 けれども、塗料の「赤」は、他の色に比べて褪色しやすい。
 
 街を歩いていると、こんな看板を見かけることがある。

駐車場

 設置の時点では、強調すべき所が強調されていたのだろうが、何年も経つと、強調すべき所が、逆に目立たなくなってしまうのである。

 看板作成業者は、専門家であるから、赤が褪色しやすいことは百も承知であろう。それでも赤を用いるのは、再度の注文を期待しているのであろうか?

マグネシウムは、41ミリグラム

 先ほどのテレビ【NHK「あさイチ」】で、「この夏のスーパーフード」として、ピタヤ(ドラゴンフルーツ)が紹介されていた。

 番組の冒頭で、マグネシウムや、ビタミンB1といった栄養素が、ピタヤ100グラムに、どれだけ含まれているかという表が画面に映し出され、ピタヤには、こんなに豊富に栄養素が含まれているという説明があった。

 ゲストのタレントは、「本当に凄いですね」と感心していたのだが、私には、何が「凄い」のか、さっぱり分からなかった。

 そもそも、マグネシウム41ミリグラムと言われたところで、栄養士ではない普通の人間には、それが、どの程度のものなのか、皆目、見当がつかないはずである。

 調べてみると、1日当たり300ミリグラムというのが、厚労省が推奨している標準的な摂取量ということだった【マグネシウムの食事摂取基準】。

 また、ピタヤ1個あたりの可食部は約260グラムだそうで、そうすると、1個あたりのマグネシウム含有量は、約100ミリグラムということになる【カロリーSlism ドラゴンフルーツ】。

 結局、ピタヤ1個で、1日のマグネシウム必要量の3分の1を賄える、という計算になる。

 これだけの情報を踏まえて、初めて、「凄い!」と言えるのであって、41ミリグラムという情報だけで「凄い!」と言える人は、日々、感動することばかりで、さぞ精神的に充実した生活を送っているのだろうと羨ましく思えてくる。

 他方で、こんな断片的な情報だけで、さも凄いことのように感動している光景を見ていると、自分だけ感動の渦の中で取り残されているような気がして、少し寂しい気持ちになってくる。

 60年も前に、始まって間もないテレビ放送について、大宅壮一が、「1億総白痴化」と喝破した【Wikipedia「一億総白痴化」】のが、今さらながら的確な指摘であったと実感する。

 朝の忙しい時間帯に家事の合間にテレビを見ている人を相手にしている以上、きちんと論理立てた説明などしていられないというのが番組製作者の言い分なのかも知れない.。けれども、客観的には日々、視聴者から思考力を奪い取る結果となっているのであり、それで本当に心から満足できているのだろうか。

では、どうすれば?

 自転車で図書館に行った帰りにスーパーに寄った。

 駐輪場があったので、そこに止めようと思ったところ、こんな表示があった。

駐輪場

 では、「お客様用」の駐輪場はどこにあるのかと見回したのだが、それらしきものはない。かといって、どこに「お客様用」の駐輪場があるのかという案内板もない。

 ここに書かれていることは、次の2点である。

① この駐輪場は従業員用だという、情報
② お詫び


 自転車を止めようと考えているお客にとっては、どこに止めればよいのか、という情報が必須であるのに、それがない。

 この表示を作った人は、お客が従業員用の駐輪場に自転車を止めたら従業員が迷惑をする、ということしか頭になくて、お客が自転車をどこに止めればよいのかということは眼中になかったようである。

 言葉の上では、「お客様には、ご迷惑をおかけ致しますが、何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます」と、お詫びをした「ふり」をしていても、現実には、お客様の「ご迷惑」には何の手当もしていないのである。

 「一事が万事」とは限らないが、このスーパーの体質が伺われるできごとであった。

 実際、2階の売り場で商品を選んで、レジはどこかと見回したのだが、判らない。普通の大型店なら、店内のどこからでも見えるように高い位置に、大きく、「お会計」とか「CASHIER」といった表示があるのだが、それがないのである。

 しかたなく、当たりをつけて歩いて行くと、レジがあり、その上の方に、申し訳程度に、そこがレジである旨の表示があったのだ。

 けれども、「表示」より先に「レジ」そのものの方が先に目に入ったのであるから、「表示」としての意味は、全くない。意味があるとすれば、「レジ」を見ても、そこが「レジ」と認識できない人に、ここはレジですよ、と教えてあげる位の役割しか考えられないのである。

これが当社の商材です! 

 最近は少なくなったが、一時、ホームページの作成や、SEO対策の営業の電話が頻繁にかかって来ていた。

 ほとんどは、即座に断っていたのだが、たまに、興味本位で話だけは聞いてみようと考え営業マンの訪問を受けることがあった。

 ある日、営業マンの話を聞いていると、耳を疑うような発言があった。
 

これが当社の商材です。


 「商材」という単語は、文字通り、「商売の材料」という意味である。確かに営業マンからすれば、「商売の材料」には、違いないのだが、顧客になるかも知れない相手に対して、その言葉はないだろう。

 先方の目的は、当方と契約して、お金を支払ってもらうことである。

 そのためには、お金を支払おうという気になってもらうものを提供しなければならず、それが、「商材」というわけだが、あからさまに、「商材」という言葉を使われると、「お金を払わせるための道具」と言われているようで、いい気分がしない。

 ここは、「商材」ではなく、「製品」「サービス」といった言葉を使うべきである。

 もちろん、「商材」であれ、「製品」「サービス」であれ、その対価として金銭が支払われるのは事実なのだが、「商材」という言葉は、そのことが生々しく表面に現れているのに対して、「製品」「サービス」には、それが現れていないという違いがあるのだ。

 話は変わるが、私が契約したのではないのだが、ホームページ作成会社の使った言葉が顧客の意に沿わなかった、次のような例がある。

 そのサイトは、ある鍼灸院のサイトで、最新の治療法である「●●療法」というのを紹介することになった。

 ところが、作成会社は、「●●療法」ではなく、「●●事業」という言葉を使ったのだ。早速、鍼灸院の経営者は、作成会社に対して、「●●療法」に変更するように申し入れた。

 これも、先の例と同じく、「●●事業」というのは、鍼灸院サイドで収益を上げるもの、といったイメージが強いため、あくまで、患者さんに寄り添った表現である「●●療法」という言葉への変更を求めたものである。

 このように実態としては同じであっても、用いる言葉によって、受け手が抱く感情は異なるのであるから、相手に、どのような感情を抱いてほしいのかを常に考えて、言葉を選択すべきである。

 逆に、聞き手になったときは、相手が選択した言葉の表面上語感に惑わされないようにしなければならない、ということである。

 このことは、以前ものブログ【「忘れました」「失念しました」】にも書いたことである。

「昨日、大阪で研修会があり、その研修会に出席しました。」

 たまたま、ネット上の掲示板で見かけた一文だが、特段、「分かりにくい」表現ではない。

 しかし、無駄がある。

 無駄を削ぎ落とすと、こうなる。
 

昨日、大阪で研修会がありました。



 「研修会があった」という事実と、「研修会に出席した」という事実は、確かに別の事実である。

 しかし、「研修会があった」という場合は、通常は、「研修会に出席した」ということも含むものと解される。

 たとえば、こんな例は、どうか。

 ① 歯を磨いて、口を漱ぎました。
 ② 訪問先では食事が出て、それを食べました。
 ③ 問題を解いて、解答用紙を提出しました。
 ④ 病院に行って、診察を受けました。


歯を磨けば口を漱ぐし、食事が出れば食べるし、問題を解けば解答用紙を提出するし、病院に行けば診察を受けるのが、普通である。

 であれば、ことさら、そのことに言及する必要はない。

 逆に、歯を磨いたけれども口を漱がなかった、食事が出たけど食べなかった、問題を解いたけど解答用紙は提出しなかった、病院に行ったけど診察を受けなかった、という場合に限って、そのことを明記すれば足りるのである。

 上の4つの例のように、「いわずもがな」のことを、殊更付け加えた文章を読まされると、疲れてくるし、「いい加減にしてくれ」と言いたくなるのである。

 書いた本人は、「丁寧な文章」「厳密な文章」と思って悦に入っているのかも知れないが、「大きな勘違い」である。

 心当たりのある人は、早速、改めるべきである。



犯罪取締りを強化しよう

 人が何らかの論理的な主張をする場合、単純化すると、次のような構造になる。
 

 ① Aという事実があれば、Bであるべきだ。
 ② 具体的にAに該当する事実が存在する。
 ③ よって、Bであるべきだ。

 

①は価値判断に関わる部分であり、②は事実認識に関する部分であり、この二つを組み合わせると、その結果として、論理的に、③が導かれる。

 たとえば、こんな具合だ。

 ① 犯罪が増えている【A】ならば、犯罪の取り締まりを強化【B】すべきだ。
 ② 殺人事件が増えている。
 ③ よって、殺人事件の取り締まりを強化すべきである。

 

 仮に①の価値判断が正しくても、②の事実認識に誤りがあれば、誤った結論③が導かれることになる。

 では、上記の②は、真実か?

 次の表を見てほしい。
 

殺人統計
殺人被害者統計

 意外に思われた方が多いのではないだろうか。

 殺人事件は、単に「増えていない」どころの話ではなく、「大幅に減っている」のである。具体的には、この60年間で、殺人事件の被害者の数は5分の1に激減しており、人口10万人あたりの被害者数は、2.4人から0.3人へと、8分の1に減っているのである。

 私自身、殺人事件が減っているという認識はあったもののの、これほどまでに減っているとは、つい、さっきまで知らなかった。

 池田の小学校での殺傷事件、秋葉原の路上での殺傷事件、相模原の施設での殺傷事件などが、これでもかというほど、テレビのワイドショーなどで取り上げられることによって、知らず知らずのうちに、殺人事件が増えているといった誤った認識が受け付けられて行くのだろう。

 多くの人が、誤った認識に基づいて、誤った主張をして、その主張に基づく政策が現実化して行くとしたら、民主主義とは、恐ろしい制度である。

現在のページは?

 ネットで見るブログやニュースなどが数頁にわたっていることがある。

 そんな場合、記事の下のほうに頁番号が並んでいて、その頁番号をクリックすることによって、該当頁を開くことができるようになっている。

 たとえば、こんな具合だ。

次ページ1


 上の段も、下の段も、現在、3頁目を開いていることは一目瞭然であり、次の頁を見たければ、「4」をクリックすればよい。

 作成者は、上の段の場合、現在頁を目立つように背景を赤にしたのだろうし、下の段の場合は、移動先の頁が目立つように背景を赤にしたのだろうが、どちらの考え方にも一理あり、どちらが優れているということはない。

 では、こんな場合は、どうだろうか。

次ページ2


 現在開いている頁が、1頁目なのか2頁目なのか判然としない。

 おそらく、テンプレート(ブログ記事などを一定の形式で表示するための雛型)の作成者は、3頁以上ある場合を想定して作成し、2頁しかない場合は「想定外」だったのだろう。

伝えるべき情報は何かを意識する

 留守番電話に残されたメッセージを鮮明に聞き取れないことがある。少しくらい聞き取れなくても、たいていの場合、文脈から補って意味をとることはできる。

 たとえば、こんな具合だ。
 

こち●●、神戸●●姫●支部の●●●の鈴木です。昨日期日の●●●た平成28年(ワ)の第25796号●●の件で、お●●したいことが●●●●ので、お●●下さい。電●●号は、079-223-2721です。


 3分の1が聞き取れなくても、以下のように、理解することができる。
 

こちらは、神戸地裁姫路支部の書記官の鈴木です。昨日期日の開かれた平成28年(ワ)の第25796号事件の件で、お話ししたいことがありますので、お電話下さい。電話番号は、079-223-2721です。


 困るのは、こんな場合だ。
 

こちらは、神戸地裁姫路支部の書記官の鈴木です。昨日期日の開かれた平成28年(ワ)の第25796号事件の件で、お話ししたいことがありますので、お電話下さい。電話番号は、079-223-27●●です。


 なぜか、メッセージの後ろの方、特に電話番号など肝心な情報を伝える場面で、急に早口になったりする。数字の場合、一つ欠けても、文脈から補うなど不可能なことである。

 私が留守電にメッセージを残す場合、こちらの電話番号については、逆に、他の部分の倍くらいの時間をかけて、ゆっくりと発音し、さらに、それを繰り返す、ということをしている。

 それだけ気をつければ、先方が電話番号を聞き取れなくて、折り返しの電話に苦労するということはないはずである。

 数字の場合、文脈で補うことは通常は不可能なのだが、数字が常に重要というわけでもない。

 たとえば、こんな場合だ。
 

こちらは、神戸地裁姫路支部の書記官の鈴木です。昨日期日の開かれた平成28年(ワ)の第25●●●号事件の件で、お話ししたいことがありますので、お電話下さい。電話番号は、079-223-2721です。


 こちらは京都の事務所である。神戸地裁姫路支部の事件と言えば、過去25年間で2件しか受任したことはない。だから、神戸地裁姫路支部というだけで事件は特定されるのである。

 もちろん、京都地裁からの電話だと、第○民事部○係というところまで言われても、事件が特定できないことがある。そんな場合は、当時者名を言ってもらうのが、ありがたい。

 事件番号を言う書記官もいるが、弁護士事務所は、裁判所と違って事件番号で管理しているわけではない。

 私は、事件の相手方の弁護士の事務所に電話するときには、事件番号ではなく当事者名を言う。それで、十分なのだ。

 他方、裁判所に電話をするときには、事件番号を言うようにしている。当事者名を言っても、よほど印象的な事件でない限り、書記官には分からない。

伝えるべき実質的な内容は同じでも、相手の事情【知識、関心、態勢など】に応じて表現は変えなければならないのである。

こんなことを偉そうに言っている私であるが、相手に理解してもらえなくて説明が不味かったなと反省することは、数知れない。

主語は固定する

 インターネットが一般に普及して約20年になるが、未だに、自社のウェブサイトを持っていない企業もある。

 他方で、インターネットを活用し、ウェブサイトで多様な情報を発信している企業も数多くあり、大企業の場合は、ページ数が、何万頁にも及ぶものがあるという。

 それだけ巨大なウェブサイトになると、管理も大変である。ウェブサイトには、外部のサイトへのリンクが多く張られるものだが、よほど注意をしておかないと、リンク先のウェブサイトがなくなっており、「NOT FOUND」という表示がなされることになる。そんなリンク切れが多いと、そのウェブサイト自身の信頼性にも関わってくる。

 先日、たまたま見つけたのだが、IBMがウェブサイト管理用のソフトを開発していて、そのソフトを使えば、人の目だけでは到底管理しきれないような巨大なウェブサイトのリンク切れや、その他の不具合を自動的に検証することができるとのことだった。

 週に1回、このソフトで検証し、改善方法を検討し、改善する、というサイクルを繰り返すことによって、ウェブサイトの総頁数が2万頁あまりの企業グループでは、以前は、2万件を超えていたリンク切れが、こまめに修復されるようになり、今では、せいぜい、数件になった、ということだった。

 その解説【IBM Rational Policy Tester】の中に、次のような一節があった。

   ワークフローに従って週単位で処理し、
   メンバーから頻繁に状況が確認されることで、
   エラーを放置できない体制になっています


 意味をとれないことはないのだが、どうも引っかかる。原因は、どこにあるのか?

 原因は、1行目の主語は、明示されていないものの、2行目にある「メンバー」のはずだが、2行目の主語は、「状況」であり、しかも、これを主語にすることによって、受動態になっているのである。つまり、【主語の交替】【能動態、受動態の混在】という二つの要素が、『ひっかかり』の原因である。

 だとすれば、その原因を取り除いて、次のようにすれば、引っかかることはなくなるのである。
 

   ワークフローに従って週単位で処理し、
   メンバーが頻繁に状況を確認することで、
   エラーを放置できない体制になっています


 なお、視点を固定することの重要性については、以前のブログでも触れている。

    【フランチャイザーのフランチャイジーに対する・・・

    【解説図(徘徊事故 最高裁判決)を比較する

いりこ、ドンコ、鰹節、昆布

 水曜の朝日新聞の夕刊に、「黒木瞳のひみつのHちゃん」というエッセーがある。先日の【結婚生活=食べること】という題名の記事の冒頭に、次の一節があった。

最近、ダシをとるのにハマっている。大きなボウルにたっぷり水を入れて、いりこ、ドンコ、鰹(かつお)節、昆布をどさりと入れる。

 
 いりこ、鰹節という魚を素材とした出汁の材料が出てきたので、その2つに挟まれた「ドンコ」というのも何かの魚に由来するものと考えた。だが、何のことか分からず、ネットで調べてみた。

 【Wikipedia 「ドンコ」】によると、ハゼの仲間に、そういう魚がいることが分かった。だが、記事を読んでいっても、出汁をとるのに使われるということは書かれていない。

 そこで、記事では、何か全く別の「ドンコ」を指しているのではないか、と思いを巡らした。ネットで調べている内に、「かさが開かないうちに採取した椎茸を干して作った干し椎茸」を指すのだと分かった【生活環境研究所ブログ‐食のあれこれ‐】。

 そういえば、干し椎茸のことを「ドンコ」と言うのを聞いた記憶は微かにあった。
 
 ただ、記事を読んだときは、そんな記憶はどこかに行っていたので、いりこ、鰹節に挟まれた「ドンコ」は、魚に違いないと思い込んだのである。

 これが、たとえば、【いりこ】【鰹節】【昆布】【ドンコ】となっていたら、魚が並んで、次に、海草が来たのであるから、次の「ドンコ」も海草か、陸の植物か、という推定が働く。そういう目で読めば、私の微かな「ドンコ」に関する記憶も呼び起こされて、干し椎茸のことだと分かったはずである。

 このように、いくつかの単語を並べて書く場合、無頓着に並べるのではなく、同じ種類のものは、まとめて書き、種として遠いものは離して書く、ということが、誤解を避けるには必要だ、ということである。

 そう考えると、【いりこ】【ドンコ】【鰹節】【昆布】は、【いりこ】【鰹節】【ドンコ】【昆布】でもだめで、【いりこ】【鰹節】【昆布】【ドンコ】でなければならないのである。

 他に具体例を挙げると、出版社系の週刊誌を列挙する場合は、「文春、新潮、現代、ポスト」とすべきであって、「文春、現代、新潮、ポスト」とすべきではない、ということである。

 旧ソ連に属した国を、4つ列挙する場合でも、「ベラルーシ、ウクライナ、キルギスタン、トルクメニスタン」なら分かりやすいが、これが、「ベラルーシ、キルギスタン、トルクメニスタン、ウクライナ」だと、若干の違和感があり、誤解のもととなる。

 いささか寂しくなった家電業界であるが、「松下、サンヨー、シャープ、東芝、日立、日本電気」なら、しっくり来るが、「松下、東芝、日立、サンヨー、日本電気、シャープ」だと、混乱する。

 もちろん、列挙された単語について何の知識もない人が読むのであれば、混乱も何もないのであるが、多少なりとも、知識がある人の受取方を考えれば、列挙の順番には【必然性】があるのである。

本人が弁護士とともに出家することを伝えてきた

 依頼者にとって、弁護士は、いくら自分のことを理解をしてくれているといっても、やはり「他人」である。そんな中で、まるで自分自身が当事者であるかのごとく行動してくれる弁護士がいたら、どんなに心強いことだろう。

 先日、そんな弁護士の一人で刑事弁護で無罪判決を14件とったことがあるという今村核弁護士のドキュメント番組のことを友人に聞いて、早速、ユーチューブで、それを観た【ブレイブ 勇敢なる者 NHK】。

 私自身も、ネット情報の削除の事件については、自分に与えられた使命と感じるほど、力を入れており、まさに自分自身が当事者のように感じて、自らが原告になったり、刑事事件の告訴人、告発人になろうかなどと、考えることもある.。けれども、現実には、なかなか、そこまでできないものである。
 
 それだけに、今村核弁護士のような存在を知ると、無条件に尊敬してしまうのだ。とはいえ、自らの生活をも顧みずに依頼者のために全てを捧げる姿をみていると、せっかくの自分の人生なんだから、もう少し自分のことも考えたらどうなんだ、という思いもするのだが、そんな思いを抱くのは凡人の限界ということだろう。

 だからこそ、依頼者のために自らが当事者であるかのごとく振る舞う弁護士の話をを聞くと、どうして、そこまでできるのかと、興味が尽きないのである。

 ちょうど、そんな今村核弁護士の番組を観た直後に、清水富美加という女優が「幸福の科学」の活動に専念するため所属事務所を辞めるという記事を見たのだが、その一節に、こんな記載があった。

所属事務所によると、本人が弁護士とともに出家することを伝えてきたという。                                                       【朝日新聞 2017.2.13夕刊、大阪本社発行第4版16頁】


 これを見た瞬間、そこまで依頼者に寄り添い、一緒に出家までする弁護士がいるのかと驚いた。それにしても、そこまでするか?という疑問もあり、記事をよく読んでみると、弁護士まで出家するわけではないようだった。

 その後、同じ記事をネットで検索すると、以下のように、微妙に異なった表現になっていた。

関係者によると、本人が弁護士とともに所属事務所に対し、出家することを伝えたという。                             
朝日新聞デジタル 2017年2月12日19時52分


 この表現であれば、弁護士も出家する、という誤読の可能性は、ぐんと減るだろう。しかし、これでも、万全とは言えない。

 結局、「出家」の前に、「弁護士」という単語がある以上、いかに、句読点などを工夫したとしても、「弁護士が出家」と誤読する可能性があるのだ。だったら、以下のように、「出家」の後ろに「弁護士」を入れるほかはない。

所属事務所によると、本人が出家することを弁護士とともに伝えてきたという。


 より一般化して言えば、主語を動詞の直前に置く、ということになる。さらに一般化すると、これまでも、何度も触れて来たことであるが、修飾語を被修飾語の直前に置く、ということである。

 このブログで何度も触れる、ということは、それだけ、気をつけなければ行けないと言うことで、日々の新聞記事でも見かけることであり、このブログを書いている私自身でさえ、以前の文章を読んで、この原則に反していることに気づいて、こっそり訂正することもあるのだ。

 だからこそ、この基本中の基本というべき原則については、常に注意を喚起しなければならないのである。

@shiokinin と、@shiokininの違い

 さきほど、不適切なツイートを削除させるために、Twitter に対して、 【嫌がらせや迷惑行為の報告】を行った。

 この「報告」をするには、いくつかの情報を入力しなければならないが、その中に、次の項目がある。
  ①報告対象アカウントのユーザー名
  ②報告対象ツイートのURL

 全ての項目に入力をして「送信」ボタンを押したところ、次のようなメッセージが出てきた。

報告されたツイートは報告されたユーザーによって投稿されていません。ツイートとユーザーは一致する必要があります。


 上記の①と②に齟齬があるというのだ。

 しかし、①も②も、自分でキーボードをタイプしたわけではなく、問題のツイートから、コピー&ペーストで、入力したのであって、間違いようがないはずだ(この点は、以前に書いたブログ【コピーできるものは、コピーする】を実践しているわけである)。

 間違いようのない方法で入力したにもかかわらず、エラーが出たわけである。

 しばらく、途方に暮れていたのだが、改めて見直してみると、①報告対象アカウントのユーザー名 が間違っていた。具体的には、こんな具合だ。
 

訂正前 @shiokinin
訂正後 @shiokinin


 さて、どこを訂正したのだろうか? 一見して、全く同じである。 でも、違うのだ。

 違いは、スペースだ。訂正前は、「@shiokinin 」と、末尾の「n」の後ろにスペースがあるのに対して、訂正後は、「@shiokinin」と、スペースが入っていないのだ。

 これを確かめるには、文字列を選択して、反転させてみるといい。スペースの部分も反転するので、スペースが「可視化」されるのだ。具体的には、こんな具合になる。

スペース


 以前のブログ【コピーできるものは、コピーする】で書いたように、間違いを避けるためには、コピーをするのがいいのだが、そのコピーをするに際しては、「見えないスペース」までコピーしてしまわないように、細心の注意が必要というのが、本日の教訓である。


A氏にお支払いいただくことになります

 交通事故の依頼者(過失割合20%)の方が持参した相手方が契約している保険会社からの損害賠償額計算書を読んでいて、一瞬、疑問がよぎった。

 依頼者に対して先方から支払をすると言う損害賠償額の明細の下の方に、相手方(A氏)に生じた物損について、次のような記載があった。

A氏にお支払いいただくことになります


 一瞬の疑問というのは、A氏が支払ってくれるというのか、というものだった。

 物損がどちらに生じたのか、ということについて、あまり意識していなかったために、この一文を読んだときに、A氏の任意保険が人損のみで物損をカバーしていないので、人損については保険会社から支払うが、物損については、加害者であるA氏から支払ってもらう、という意味かと思った。
 
 だが、よく見ると、物損は、A氏の車に生じた物損である。だったら、支払をするのは、依頼者の側である。

 であれば、次のように書けば誤解の隙はなくなる。
 

●●様からA氏に対してお支払いいただくことになります


 結局、助詞の「に」が多義的なことによる誤解だったのだが、「の」や「へ」や「が」という助詞は、便利ではあるが、多義的なので、つい無頓着に使ってしまい勝ちである。

 助詞が多義的であることは、【東京外大 文法モジュール 格助詞】を見ればよく分かる。

 「に」だけでも、実に多様な意味がある。だからこそ、無頓着に使うと思わぬ誤解を生むのである。

不要な情報はカットする

 教科書や参考書の大事なところに色鉛筆で線を引いたり、ラインマーカーで印を付けたり、というのは、誰でも経験したことがあるだろう。

 司法試験の勉強をしていた頃、基本書に色鉛筆で線を引いていたのだが、あるとき、それまで使っていた赤と青だけでなく、もっと色を使ってみようと思い立った。

 条文は赤、判例は青、通説は緑、少数説は橙、・・・・と、全部で、7色くらい使った。

 そのときは良かったのだが、数日経って大失敗と気づいた。

 後で見返すと、どの色が何だったかをすぐに思い出せないし、何よりも、本を開いたときに、やたら色々な色が目立って、落ち着いて考えることができないのだ。
 
 そういうわけで、その試みは数日でやめにした。

 話は変わって、コンタクトレンズの話。視力1.0でも、1.2でも、出そうと思えば出せるのだが、私は、0.6~0.8程度に抑えている。

 1.2も見えたりすると、部屋の壁紙の細かな起伏まで見えてしまい、疲れるのだ。お試しの1.2見えるレンズを入れてもらって、ぐるりと周囲を見渡すと、疲れるどころ、頭がくらくらしてしまう。

 おそらく、脳の中では、大量に入ってくる情報を、必要なものと不要なものに振り分けるために、大変な作業が行われているのだろう。だから、不必要に細かな情報は目に入れないようにしたほうが、脳の負担は軽減されるのではないだろうか。

 昨年、近くの図書館で1950年代の日本映画を借りて観たのだが、モノクロで、画像の解像度も低いし、音声も、さほどクリアではない。

 ところが、その分、目を凝らし、耳を澄まして聞いているのに気づいた。

 余分な情報が入って来ない分だけ、与えられた情報の中から、何とか有益な情報を探ろうと、必至で脳が働いているようだった。

 ウェブサイトでも、分かりやすくしたつもりなのか、やたらと図形や色を使っているのがあるが、そのまま観るのは、とても疲れる。そんなときは、モノクロで印刷して情報量を減らして読むようにしている。

酉取県、誕生

 群馬県と栃木県、島根県と鳥取県、というのは、混同されやすい県の代表格だ。

 なぜ、混同されるのかというと、それぞれ、以下のような共通点があるからだ。

【1】場所

  
  群馬、栃木は、関東北部の内陸県
  島根、鳥取は、中国地方の山陰側

【2】形


  群馬、栃木は、正方形ないし円に近い形
   (他に、そんな形の県は、岡山、山梨くらいである)
  鳥取、島根は、横長の長方形に近い形

【3】人口規模


  群馬、栃木は、200万人弱で、19位と18位
  島根、鳥取は、60万人前後で、46位と47位

【4】名称


 群馬、栃木は、全く異なり、この点は、混同される要素にはならない。

 島根、鳥取も、声に出して読めば全然違うが、漢字だと、先頭の「島」と「鳥」が似ており、地図で見たときの印象が何となく、同じようになってしまう。

 そこで、同じ「とり」ならば、酉年の今年、「鳥」を「酉」に変更するのも一案かも知れない。

 以前、スターバックスが全国で唯一、鳥取県に存在しない時代のこと、「スタバはないけど、スナバはある」というキャッチコピーで、鳥取砂丘をアピールしていた県である。酉年の今年、全国に存在をアピールするために、酉取県に改称するのもいいのではないか。
 
 このブログの最初の記事【フランチャイザーのフランチャイジーに対する・・・】で、外来語を避けるべきだと書いたが、「フランチャイザー」「フランチャイジー」が混同されやすいのも、「フランチャイ」までが共通だからだ。

 たとえばの話、仮に、「フランチャイザー」と「チャイジーフラン」であれば、外来語ではあるけれども、さほどの混同は起きなかったであろう。

 かつて存在した日弁連の報酬規定では、弁護士の「報酬」として、「着手金」「報酬金」という定めがあった。けれども、「報酬」と「報酬金」という常識的に考えて同じような言葉を使っていたのでは、外部の人は混乱するだけである。

 ネット上で各法律事務所の報酬規定を見ることがあるが、従来の「報酬金」を「成功報酬」としている事務所が結構あるが、こちらの方が、ずっと分かりやすい。

 あと、一般に混同されがちなのが、「被告」である。裁判で訴えられると、「被告」と呼ばれることから、刑事事件の「被告人」にされたような印象を与えてしまい、ただでさえ感情的に対立しているところに、余分なストレスを与えてしまうものである。

 「被告」の替わりに、調停のように「相手方」とか、もう少し、ましな呼び名はないものだろうか。

何度も何度も何度も推敲

 このブログの熱心な読者なら気づいていることだろうが、しばらくたって以前の記事を見ると、表現がだいぶ変わっていることがある。

 というのも、一度、記事を投稿した後も、しばらくの間、自分で何度も読み返して、誤字脱字、分かりにくい表現、何か引っかかりを覚える表現があれば、修正しているからである。

 そんなに気をつけていても、半年くらい経ってみると、何で、こんな誤字に気づかなかったのだろうというのを発見したり、このブログの素材にしたくなるような「分かりくい」表現に気づいたりすることもあるのだ。

 何度も読み返して修正を加えることは、私にとっては、全く苦ではない。それどころか、新たな発見があるのだ。

 日を置いて読み返して、一瞬、別の表現がいいのではないかと思っても、よくよく考えてみると、そのままの方がいい、ということも結構あったりして、我ながら、よく考えていたのだな、と自画自賛することもある。

レターパック

 遠方の裁判所や相手方に裁判書類を送るのに、レターパックを使うことが多い。

 ただ、このレターパック、2種類あって、レターパック「ライト」とレターパック「プラス」とがあり、どちらを使うべきか悩むことが多い。

 悩むのは私だけではなく、両者の違いを質問する人が多いのだろう。いつもと違う郵便局に行ったところ、窓口の横の壁に、大きく図解されていた。
 
レターパック-1

 確かに分かりやすい。だが、一番下の「追跡サービスあり」の記載が勘違いを誘発しかねない。

 わざわざ、分けて説明していると、違いがあるから分けているのだと思いがちである。そのときは、ちゃんと理解したつもりでも、あとで思い出すとき、「確か、違いが3つあったようで・・・追跡サービスの違いだったかな・・」と思わぬ誤解を招きかねないのである。

 そんな誤解の種も蒔かないようにするには、次のようにするのがいい。

レターパック-2


 上記の発想、つまり、共通のことは、別々に書かずに、まとめて書く、というのは、実は色々なところで使われている。

 たとえば、民法典。契約の解除について、各種の契約に共通の債務不履行解除は、契約総則に書かれており、契約類型毎に異なる解除原因は、各契約類型のところに書かれているのである。各契約類型のすべてに債務不履行解除が書かれている場合の煩雑さを考えれば、いかに合理的な条文体系なのかが理解できるだろう。

 人に何かを伝えるときも、常に、こういったことに気をつけていれば、簡潔で、間違いない情報伝達ができるはずである。

合格率のパラドックス

 文部科学省は、法科大学院での司法試験の受験指導については、厳しく禁止しているようで、以前、とある法科大学院の関係者から聞いたところでは、文科省の目を盗んで、「闇で」受験指導をしているとのことだった。

 ところが、その一方で、文科省は、司法試験合格率の低い法科大学院に対しては、廃校に追い込んだり、補助金をカットしたりと、合格率の低い法科大学院は存在意義がないと言わんばかりの対応をしているのである。

 それは、ともかく、次に掲げるのは、合格率で鎬を削っている、A,B両大学の法科大学院の言い分である。

【A大学】
当大学院は、男子学生の合格率、女子学生の合格率、ともにB大学を上回っている。

【B大学】
当大学院は、全体の合格率をみれば、A大学を上回っている。



 どちらかが嘘をついているのだろうか。はたして、どちらも正しいということがあるのだろうか。

 直感的には、A大学の言い分が正しければ、B大学の言い分が誤り、ということになりそうである。けいれども、絶対にそうだと言い切れるだろうか?統計上の数字は、以前にも書いたが【平均値の罠】、ときとして、直感に反することがあるので、要注意である。


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 実際、男女別の合格率では上回っているのに、全体の合格率では下回る、といったことが、あるのだ。

合格率


 では、仮に、他の要素は一切、無視するとして、合格率のみで法科大学院を選択する場合、どちらの法科大学院を選択すべきだろうか?

戦闘は3日も続き・・・・・

 昨年は4か月もブログを中断したこともあって、今年受け取った年賀状には、ブログの再開を楽しみにしていると書かれているものがあった。期待されると、それに応えようという気になるもので、今年は、一日も欠かさず、ブログを書き続けることにしようと、新年の誓いを立てた次第である。

 ところが、しばらく休んでいるとなかなか筆が進まない。新聞に目を通しても、新年の特集記事ばかりで、あまり読もうという気にもならず、結果的に、ブログの素材が見つからない。

 そんなわけで、今日は、以前に書きかけていた記事を引っ張り出して、それに手を入れたものを掲載することで、お茶を濁すこととしよう。(というより、こんなときに備えて、結構、書きかけの記事があるのだ)

 では、本題。 (昨年4月4日の記事と思って読んでほしい)
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 昼のニュースで、アゼルバイジャンとアルメニアの武力衝突のニュースをやっていたのだが、その中で、「戦闘は3日も続き・・・」というのを耳にして、ふと疑問に思った。

 各地で武力衝突が起き、シリアや南スーダンのように何年も、それが続いているというのに、たった3日間で、なぜ「3日も」と、「も」をつけるのだろうと思ったのだ。

 その後、すぐに、今日が「4日」なのに気づいて、アナウンサーは、「3日間も」という意味ではなく、4月2日で終わらず、翌3日も戦闘が続いた、という意味で言っていたのだと気づいた。

 「も」の意味について考えてみると、次のような使い方がある。


【1】量的に多いという意味を込めて使われる場合

     彼は、【1日だけ】仕事を休んだ。私は、【2か月も】休んだ。

【2】あること(人)について生じた事態が、別のこと(人)について生じたため、「同様に」という意味を込めて使われる場合

     【彼は】、1日だけ仕事を休んだ。【私も】、1日だけ休んだ。



 いずれの意味で使われているのかは、「も」の直前の単語が、量的な意味を有する言葉なら前【1】、そうでなければ【2】、ということになる。

 今回の「3日も」というのを私が誤解したのは、「3日」というのが、「3日間」という量的な意味を持つものだとも解され、他方、「4月3日」という特定の日を指すだけで量的意味を持たない場合もあるからだった。

 逆に誤解を招かないようにするには、「3日」という多義的な言葉を使うのではなく、「3日間」とか、「4月3日」(今月3日、昨日など)という一義的な言葉を使うべきだった、ということになる。


読めない!

 そのサイトを開いて画面を見た瞬間、頭がくらくらして、吐き気を催した。バスに酔った記憶は数少ないのだが、たとえて言えば、長時間、曲がりくねった山道をバスに揺られていた時のような感覚だった。取りあえず、縮小した、その画像を貼り付けるが、怖いもの見たさで、元のサイト【中学入試における異様な体験】を見る人は覚悟されたい。

 
行間ゼロ


 何が問題か言うまでもないが、行間が、ほとんどゼロなのだ。これを読むには、ブラウザを開いているウインドウの横幅を、通常の5ぶんの1くらいに細くするしかない。

行間ゼロ-細く


 これでも読むのは大変であり、ストレスなく読もうとするなら、ワープロソフトに貼り付けて、行間を拡げ、さらに、2、3行毎に空白行を入れる外はない。

 ところで、この文章の中身を読めば分かるのだが、どうやら筆者は大学で講義をしているらしい。であれば、職業柄、学生に「分かりやすい」講義をするための工夫を凝らしているはずであるが、それなのに、講義と無関係のブログでは、こんな無頓着な表現をしているは理解できないことである。


表の分断は極力、避ける

 対局中に将棋ソフトを使用したという嫌疑で竜王戦の直前に出場停止処分を受けた三浦弘行九段の件で、将棋連盟が委嘱した第三者委員会の調査報告書が公表された【毎日新聞】。

 その報告書の、1頁目から、2頁にかけて、疑惑の対象となった対局を整理した表が掲載されている。
 
将棋報告書


 問題点は、二つある。

 一つは、2頁目の表には、「日付」「公式戦名」といった項目名の記載がない点であり、以前のブログ【改頁に注意】にも書いたとおりである。

 もう一つは、一つの表が分断されている点である。

 もちろん、分断が常に駄目だというわけではないが、この表の場合、全体でわずか5行である。次の頁に表全体を収める方が、ずっと分かりやすいし、この程度の小さな表であれば、1頁目の下の部分に若干の空白はできるものの、それほど、見栄えが悪くなるわけでもない。 

 大きな表の場合、次の頁に送ると、前の頁の空白が多くなってしまうので、表を分断するのもやむを得ないといえるが、たとえば、最後の一行か二行だけ次の頁という場合は、分断を避けるべきである。その場合、読者が、その空白を見て、印刷漏れではないかという誤解をしないように、たとえば、「次頁の表のとおり」といった注釈を付けるようにしている。

★更新中断、★島崎法律事務所へのメールの対応に関するお詫び

お盆休みから更新がぴたり止まって、熱心な読者の方には、大変ご心配をおかけしております。

20日を目処に更新を再開いたしますので、今しばらく、お待ち下さい。


★ 島崎法律事務所のホームページから、メールを頂いている皆様へ

回線上の問題のため、対応できず、ご迷惑をおかけしております。
このブログのコメント欄に、非公開設定で、ご連絡いただければ、対応させて頂きます。
ご面倒をおかけしますが、よろしく、お願い申し上げます。

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復旧が遅れ、ご迷惑をおかけしております。遅くとも、11月末には、再開致します。
【2016.11.12 追記】

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復旧が予定より大幅に遅れ、ご迷惑をおかけしましたが、ようやく、復旧、ブログを再開しました。
【2016.12.29 追記】

感覚に寄り添う

 ネットで列車の時刻を調べる際、最初に出てきた検索結果を見て、「もう少し遅い時間のにしたい」と思い、出発時刻を変更することがあるが、そんなとき、ジョルダンの乗り換え案内は、大変、便利にできている。

乗り換え


 どこが便利かというと、一番上に、「5分後」「10分後」「30分後」「60分後」というボタンがある点だ。

 もちろん、画面の下の方に行くと、ピンポイントで「何時何分」という指定ができるようになっている。

乗り換え-2


 けれども、列車を探す場合、「何時何分」というより、「もう少し遅い時間」というように、漠然とした感覚しかない場合が多く、その場合は、「5分後」とか「60分後」とかを、ボタン一つで選択できるほうが、ずっと便利なのだ。

 しかも、その「●分後」の「●」なのだが、「10,20,30,40」といった等間隔ではなく、「5,10,30,60」というように、次第に幅が拡がっており、「少しだけ」「もう少し」「もうちょっと」と言った、ざっっくりしとした「感覚」にぴったりの幅なのである。

 このように、「分かりすさ」を追究するには、純粋に、数学的、論理的な思考をすればいいのではなく、言語で明瞭には説明したがたい、人間の感覚に、どう寄り添うか、ということが大事なのであり、上記の例は、そのことを雄弁に物語っている。

カンマ「,」に気をつけよう

 京都市内の公共施設の料金表で以下の記載を目にした【京都市中央斎場】。
 
コンマ-1

 「市内大人」と「15,000」とが接着しているのも問題だが、同時に、「,」と「0」の間が異様に空いていてる。間にスペースでも入れているのかと思って調べてみた。

 やり方は、「5」と「,」それぞれについて、マウスポインタを当てて一文字分だけドラッグするというものであり、一文字分だけ、背景を青く反転させることができる。

コンマ-3

 上記のとおり、「5」は半角文字、「,」は、全角文字になっていた。異様なスペースの原因は、これだったのだ。

 「,」は、ただでさえ、一文字分の幅の中で左に寄っていて、後ろに無用なスペースがあるように見えてバランスが悪いのだが、半角数字の中に全角の「,」を混在させると、このように、全く間延びしてしまい、「,」の後は、別の数字かと思えてしまうのである。

 上に、「,」は、ただでさえバランスが悪いと書いたが、私は、バランスをとるために、冒頭の例とは逆に、全角の数字の中でも、あえて、[,」だけは、半角にしている。さらに言えば、フォントを等幅フォントでなく、プロポーショナルフォントにすれば、一層、バランスも良くなる。

コンマ-4

 なお、等幅フォント、プロポーショナルフォントについては、【フォントの基礎知識】を参照されたい。

 冒頭の料金表は、他にも色々と問題点があるのだが、とりあえず、改善例を、以下に示す。

コンマ-2


 改善点は、以下のとおりである。

二次元の表にした。冒頭の料金表も「表」には違いない。
●●●けれども、「市内・市外」と「大人・小人」を縦横に組み合わせないと、表にする意味はない。

数字、カンマを、半角に統一した。

日中戦争拡大や政党政治を壊滅させ・・・

 先日の京都新聞【2016.8.11 朝刊】に、元首相の近衛文麿について、こんな記載があった。

 日中戦争拡大や政党政治を壊滅させ、太平洋戦争へとつながる翼賛体制を築いた政治家として知られる。


 なんとなく意味は分かるのだが、表現としては誤りというほかはない。正しく表現すると、こうなる。

  【誤】 日中戦争拡大や政党政治を壊滅させ

  【正】 日中戦争を拡大し政党政治を壊滅させ


 2つの事柄を順に記載する場合、【名詞①×動詞①】+【名詞②×動詞②】と表現する場合【1】が多い。さらに、これを変形し、動詞の語幹部分を抽出して名詞に取り込み、【複合名詞①+複合名詞②】×【(実質的な中身のない)動詞】のように表現する場合【2】も、ある。

 ところが、動詞の語幹部分の名詞への取り込みを、二つある動詞の一方についてだけ行った場合【3】、【複合名詞①+名詞②】×【動詞②】といった、意味の通らない文になるのである。

 言葉では的確に表現できないのだが、下記の図で、言わんとすることを理解してほしい。

複合-7


複合-8


紛らわしい文字は使わない

 たとえば、ネット上のブログにコメントを送信をする場合、画像が出てきて、そこに記載された文字を読み取って入力するように求められることがある。

 こういった仕組みにしている目的は、悪意をもったユーザーがプログラムを作って自動的にコメント欄に大量のコメントを送りつけてくることを防止することにある。

 画像から文字を読み取って入力するという過程では、必ず、生身の人間が介在しなければならず、プログラムを使って自動的にコメントを送ることはできない仕組みになっているのである。

 もちろん、理論上は、OCRという、画像から文字を読み取るソフトもあるのだから、それを組み込めば自動的にコメントを送りつけることも可能ではある。

 しかし、OCRの機能は必ずしも十分ではなく、他方、コメント送信の際に表示される画像の中の文字は、向きが傾いていたり、余分な線が上に書かれていたりと、OCRで簡単には読み取れないようになっている。

 たとえば、こんな具合である。

大文字小文字

 このように、OCRによる読み取りを不可能にするための工夫をするのは結構なことなのだが、OCRだけでなく、人間でも簡単には読み取れないことがある。

 つまり、ぱっと見て、大文字と小文字が混在していると分かるのだが、「F」のように大文字であることが明らかなものもあれば、「S」のように紛らわしいものもあるのだ。

 画像の中の文字が見にくい場合は、改めて別の画像を表示させるためのボタンがあるのだが、これを押しても、また「C」のように紛らわしい文字が出てくることがある。ときには、5,6回目で、ようやく、すべての文字が明確に認識できる場合もある。

 文字の書かれた画像の表示は、コンピュータが乱数を用いてランダムに表示しているのだが、予め、紛らわしい文字を排除しておけば、こういった問題は生じない。大文字、小文字の混同だけでなく、数字との混同という場合もあるので、それを含めて、紛らわしい文字を排除する必要がある。

 そこで、どんな文字を排除すればいいのか検討した結果が、次の表である。

 
混同

 この表に従うと、使える文字が少なくなってしまうが、文字入力を求める目的からすれば、問題ないはずだ。

------------------------------------------------------------------------

 昨日の図に不備があったので、修正した。同時に、アルファベットと数字の混同をまとめた右側の小さな表に手を加え、より分かりやすくした。どこが、どう変わったか、また、なぜ変えたのかを、じっくり考えてほしい。

 混同-2


 分かりやすくするためにした変更は、以下のとおりである。

   前の表は数字が先頭に来たり、末尾に来たりと不統一だったが、大文字、小文字、数字の順にした。
   その結果、右端に縦に、0,6,7,9と数字が順に並び、整理された感じになった。
   「数字とアルファベット」という見出しを、「大文字、小文字、数字」に変えて、実際に下に書かれている文字の種類に対応するようにした。

 いずれも些細な変更であり、「どうでも、いいじゃないか」と思う人も入るかも知れない。けれども、「神は細部に宿る」という言葉があるように、どんなに小さなことでも、少しでも「分かりやすく」する姿勢が大事だと、私は考えている。

【2016.8.13追記】


営業時間の表示は、こうする

 最近みつけて気に入ったカレー屋さんに行こうと思って、食べログを見た。

 食べログを見る目的は様々だろうが、電話番号、場所、定休日、営業時間の情報は必須であり、次に必要な情報はメニュー、座席数などで、最後に、実際に利用した人の評判、という順番だろう。

 ところが、食べログを開いても、営業時間の記載は見当たらない。店の特徴の説明の画面から、スクロールして行くと、延々と投稿写真や利用者のコメントが出てきて、ようやく、「店舗基本情報」というのに辿り着いた。「基本情報」こそ、多くの閲覧者にとっては重要な情報のはずなのだから、記事の冒頭に配置すべきである。

 こうして見つけた営業時間の欄には、こう書かれていた。

 
営業-0


 特定の日時に営業しているかどうかを確認するだけなら、これでもいいだろう。けれども、ここ2、3日の間に行こうという漠然とした予定で、前もって営業時間を確認しておこうという場合、こんな書き方だと、いつ行けばいいのか、頭の中に入って来ない。

 これが文字情報の限界である。こんな場合こそ、表形式で情報提供すべきである。たとえば、こんな具合だ。

営業-1

 この表を見れば、昼の営業は、一律に11時半からだということは一瞬にして分かる。けれども、食べログの記載だと、そうはいかない。

 単純に表にするだけでも十分に分かりやすくなったのだが、まだ、工夫の余地がある。

 上の表では、時刻の記載が左側にしかないので、週末の営業時間は分かりにくい。そこで、右側にも時刻を記載したのが、次の表だ。

営業-2


 確かに分かりやすくなった。だが、週の前半は、昼間しか営業していないのだから、左側の時刻のうち、遅い時間帯の時刻は不要だ。むしろ、目障りである。そこで、不要な記載を消したのが、次の表だ。

営業-4

 もう一つ付け加えると、食べログの情報では、水曜日は、「500円カレー」となっているが、これでは、水曜日は、通常メニューに加えて、「500円カレー」をやっているのか、あるいは、「500円カレー」しかやっていないのか、判然としない。

 先ほど、この店でカツカレーを食べたときに確認すると、水曜日は、通常700円の一番シンプルなカレーを500円にして、その「500円カレー」だけを提供しているとのことだった。そこで、表には、「500円カレーのみ」と書いたのだ。

 さらに、水曜日は、背景色も、薄いグレーにして、通常メニューの提供はしていないことが直感できるようにした。かりに、通常メニューに加えて、「500円カレー」をやっているのだったら、グレーではなく、薄い緑などで彩色して、「プラスアルファ」のメニューであることを直感できるようにするところだ。

 最後に、もう一つ、食べログの記載の問題点を指摘しておく。

 月曜、火曜は、営業時間が同じなので、「月・火」とまとめて記載しており、木曜、金曜も、同様に、「木・金」とまとめて記載している。他方、土曜は、単独で記載され、その次は、「日・祝」となっており、土曜日と日曜日では営業時間が違うのかと思って、よく見ると、結局は同じだった。だったら、「土・日・祝」とまとめて書くべきである。

 このように、中途半端にまとめて記載すると、見る側を混乱させてしまう。

 表にするにあたて、同じ営業時間・メニューの日はまとめて、「月・火」「水」「木・金」「土・日・祝」の4分類で記載しようかと思ったのだが、あえて、まとめることは止めにした。一日毎に記載したほうが、時間的な広がりが直感できるからである。たとえば、週の前半3日間は昼間のみの営業だということが、直感的に理解でき、記憶に残りやすいからである。

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 ところで、食べログの情報では、営業時間の下に、ラストオーダーは、閉店時間の30分前という記載があったので、この情報も、表に反映してみた。

営業-6

【2016.8.12 追記】




12345六78九

 いつもは「分かりにくい」文章を槍玉に挙げている本ブログだが、今日は趣を変えて、私が「これは分かりやすい」と思ったものを取り上げることとする。

 さきほど郵便受けに夕刊を取りに行くと、佐川急便の「ご不在連絡票」が入っていおり、再配達の自動受付の電話番号とともに、担当者の携帯電話番号が次のように書かれていた。
 

   携帯電話 00-1234-5678


 一瞬、「なんだ?」と思ったのだが、すぐに納得した。携帯電話の頭の3桁は、以前は「090」だけだったことから、「080」が登場してからも、それまでの習慣で「090」としてしまうことがあるため、「9」ではなく、「8」であることを際立たせて、間違い電話を防止しているのだ。

 他に数字の取り違えで多いのが、「6」と「9」である。この二つの数字が駐車場の路面に書かれていると、上下の向きが分かりにくいため、誤解されがちである。そこで、次のように、「6」「9」だけは、アンダーラインが引かれていることが多い。
 

 1 2 3 4 5  7 8  


 これで「6」と「9」の取り違えは防げそうだが、理窟の上では、アンダーラインでなく、アッパーラインという可能性もあるし、そもそも、アンダーラインが引かれていることに気づかない人もいるのだろう。そんなことを配慮したのか、先日、こんな表示をしている駐車場を見つけた。
 

 1 2 3 4 5 六 7 8 九 


 これなら、「6」と「9」を取り違えることは絶対にないだろう。

 上に挙げたように「8」だけ突出して大きかったり、算用数字に漢数字が混じっているのは、見栄えとしては、決していいものではない。しかし、実用の観点からは、こうするのが一番だ思う。

 どうしても、無意識のうちに「格好良くしたい」とか、「普通は、こうするものだ」という常識に囚われ勝ちなのであるが、伝えるべきことを確実に伝えるには、格好良さへの思いや、常識は、捨て去るべきである。

 なお、格好良さや常識に囚われるべきではないということについては、下記の記事を参照されたい。

    「分かりにくさ」の原因は、これだ    
    意味の塊ごとに改行する -調書方式-


表にするしかない!

 福島原発事故から現在までの原発の稼働状況を調べたところ、こんなサイトがあった【東京電力福島第1原子力発電所事故報道】。その一部が、これだ。

原発-2

  これを目にした途端、私は頭がくらくらした。なぜ、文章で、こんなことが書けるのだろう。表にするしかない。そこで作ったのが以下の表だ。
原発

 表にしてしまえば、去年の8月に約2年ぶりに原発が再稼働し、その後、稼働する原発が今年の2月までは、どんどん増えていき、その後は減少に転じ、現在は2基が稼働していることが、一瞬にして理解できる。

 同じことを、文章から読み取ろうとすると、どれだけの時間がかかることだろう。

 さらに、表にすれば、高浜4号機は、わずか4日しか稼働していなかったこと、川内1号機は、昨年8月から、1年間、ずっと稼働していることも、一目瞭然である。

 うまく表を作成すれば、これほどに、様々な情報を一瞬にして読み取れるのである。表を使わず、文章だけで表現しようとするのは、理解してもらう意欲が欠落しているとしか思えない。

 ところで、この表の原発の順番、川内、高浜、大飯の順を見て、何か気づいただろうか。

 西にある原発から東にある原発へという順番に敢えてしているのである。このように、地理的配置と表の中での位置を同じにすることによって、より理解しやすくなっているのである。

 さらに、表にすることによって、記憶にもしっかり残る。特に、●の一群が図となって記憶されるため、去年の8月から、川内1号基、川内2号基、高浜3号基、高浜4号基と順に再稼働して、この3月からは、その逆の順に停止していったことが、覚えようとせずとも、勝手に記憶に残るのだ。

 なお、文章を表にすることによって劇的に分かりやすくなる場合があることは、下記の記事も参照されたい。

    期限内に提出されたものが・・・  
    証拠説明書は表に限る

貸し切りバスと借家

 「限界費用ゼロ社会」という題名の非常に興味深い記事が、今朝の京都新聞に載っていた。

 「限界費用」というのは、生産量を一単位増やすのに必要な費用のことで、たとえば、お好み焼きを一枚、余分に作るとすると、小麦粉、キャベツ、豚肉など、余分に必要となる材料費とガス代などが、限界費用となる。

 従来は、どんな産業であれ、限界費用がゼロということはなかったのだが、インターネットの登場により、限界費用がゼロの領域が出現して、ますます、その領域が増えているという。

 たとえば、情報を伝達するために、手紙を一通送るにしても、一通につき、切手代82円に加えて、微々たる金額とはいえ、紙代、印刷代、封筒代がかかり、合計で、約90円かかる。

 ところが、電子メールとなると、メールの宛先の人数が増えたところで、追加の費用は一切かからない。

 こういった「限界費用ゼロ」のインターネットを利用して、アメリカの大学を中心として、無料で大学の講義を提供する仕組み、「ムーク」が登場した。記事中に、次のような一文があった。
 

受講の限界費用はゼロだから、受講料はむろんタダである。


 「受講の限界費用」というのに引っかかった。「受講」というのは、文字通り、講義を受けることである。ここでは、大学が講義を提供するための限界費用はゼロだから、受講料をタダにできる、ということを言いたいのである。

 そうだとすると、「受講の限界費用」ではなく、「講義を提供するための限界費用」というべきである。

 大学が講義を提供し、学生が講義を受ける。学生が講義を受けることは、「受講」という簡潔な二字熟語が存在するのに対して、大学が講義を提供することについては、そのような便利な言葉は存在しない。そのため、上の記事では、「受講」とうい学生側から見た単語を流用したくなったのだろう。

 これと同じような関係は、外にもある。「貸し切りバス」である。

 バス事業者から見れば「貸し切りバス」であっても、お客の側から見れば「借り切りバス」というべきである。

 ところが、「貸し切りバス」という言葉が一般化してしまっているため、お客の側も、つい、「貸し切りバスで旅行する」という使い方をしてしまうのである。

 他にも、「借家を持っている」というのも、時々耳にする表現だ。

 正しくは、「貸家を持っている」というべきなのだが、「借家」を借りている人の方が、「貸家」を持っている人より遙かに多いことが原因なのか、「借家」という言葉のほうが、広く使われているため、貸している側の人も、つい、「借家」という表現を使ってしまうのであろう。

 ここで挙げた3つの例は、「誤用」とは言え、誤解を生じさせるほどのものではないのだが、一瞬の違和感を覚えるものである。やはり、「誤用」は避けるに越したことはない。

性別によって変化するのか?

 「弁護士ドットコム」という、定価500円の月刊誌が無料で送られてくる。冒頭の「フロントランナーの肖像」という記事で、毎号、久保利明、宇都宮健児といった著名な弁護士を取り上げていて、それなりに面白い。

 その雑誌(というより、僅か30頁しかないので、小冊子というのが適切)の中の記事に、こんな記載があった。
 

弁護士ドットコムで弁護士を探すユーザーの行動は、性別によって変化するか?


 この文を読んで何も違和感を思えない人は、言葉に対する感覚が鈍いことを自覚すべきだと思う。

 いうまでもなく、「変化」というのは、異なる時点で、ある事物の属性が異なっている場合に使う言葉であり、同一の時点で、ある事物の属性と別の事物の属性が異なる場合に使う言葉ではない。

 抽象的に述べたので非常に分かりにくい表現になったが、端的に言うと、「変化」というのは、同一時点における事物の描写には使うべき言葉ではないのだ。

 正しくは、「性別によって変化するか?」ではなく、「性別によって異なるか?」でなければならない。

 「性別によって変化するか?」と言われると、性転換することによって行動が変化するのかと、問われているような違和感を覚えるのである。

日本語らしく

 司馬遼太郎の「坂の上の雲」の「日清戦争」の章の冒頭部分を、少し長くなるが、引用する。
 

 そのような時間が真之の上にながれているとき、東京にいる子規の境涯は、必ずしもあかるくはない。
 病気の進行は、ややとまった。ところがこのころ、子規は、あれだけかれが気に入っていた常磐会寄宿舎を追いだされてしまった。原因は居づらくなったのである。


 特別に分かりにくい文章ではなく、このブログの素材としての適格性を備えていないのではないか、と思われた方もいるかもしれない。

 けれども、私から見れば、いわば、「突っ込みどころ満載」の素材なのである。

【1】 漢字と平仮名を使い分ける


 まず、「あれだけかれが」の箇所だ。

 平仮名ばかり続くと、単語の切れ目を探すのに一苦労する。せいぜい5文字くらいに留めて置かないと、読者に二度見を強いることになる。

 ここは、「あれだけ彼が」と漢字を使うべきところだ。

 この部分に限らず、司馬遼太郎の文章は、漢字を使えばいいところで、やたら平仮名を使っている。上に引用した文章でも、何か所もある。
 

 そのような時間が真之の上にながれているとき、東京にいる子規の境涯は、必ずしもあかるくはない。
 病気の進行は、ややとまった。ところがこのころ、子規は、あれだけかれが気に入っていた常磐会寄宿舎を追いだされてしまった。原因は居づらくなったのである。


 一般的に言うと、助詞、助動詞、副詞、連体詞、間投詞は平仮名が望ましいが、名詞、代名詞、動詞、形容詞、形容動詞は漢字が望ましい。そうすることによって、漢字と平仮名が、ほどよく混在して、単語の切れ目が分かりやすくなるのである。

 このような漢字、平仮名の使い分けの効用は、単語の切れ目が分かりやすくなる、という点に止まらない。文章を見たとき、一々読もうとしなくても目に飛び込んでくるのが漢字である。その結果、一瞬のうちに、全体として、大体なにを書いてあるのかが理解できるのである。 

 ただ、司馬遼太郎ファンの中には、明治という激動期を描いた小説だからこそ、ひらがなが多いと、ゆったりした感じを読者に与え、落ち着いて読んでもらえるからいいのだ、という人もいるかも知れない。

 そうは言っても、私は、「分かりやすさ」という点で、もっと漢字を多用してくれた方が、ありがたい。 

【2】 不要な主語は省略する


 冒頭の文に戻ると、「かれが気に入っていた」の点も、引っかかる。この前に出てくる登場人物は、子規と真之の二人だけなので、そのどちらかを指すのは明らかなのだが、この文の主語として、「子規は」と書かれているのだがら、ことさら「かれは」と「気に入っていた」に対応する主語を書いていることからすると、文の主語とは別人の真之を指すのかと思ってしまう。

 けれども、文脈からすれば、この「かれ」も、「子規」を指すとしか考えられない。

 だったら、ことさら、「かれは」と書く意味は全くない。読者を混乱をさせるだけである。

 英語であれば、動詞には必ず対応する主語をあてがってやる必要があるが、日本語は、そんな面倒な規則に囚われる必要のない優れた言語なのである。その特性を生かさず、わざわざ、主語を補うなど、百害あって一利なしである。

 司馬遼太郎は、大阪外大(現、大阪大学外国語学部)のロシア語学科の卒業だが、おそらく、ロシア語も、英語と同じく、主語なしでは成り立たない不便な言葉なのだろう。大作家でも、外国語の文法に引きられて、こんな分かりにくい表現をしてしまうのだ。日本語としての分かりやすさを徹底して考えるほかはない。

 ところで、上の文で、主語をどうしても書きたければ、「かれ」ではなく、「子規」とすれば良かったのだ。ただ、「子規」という言葉が一文に二度も出てくるのは、みっともないと思ったのだろう、そこで、二度目は、「かれ」にしたのだろう。結果として、分かりにくくなっているのである。

 以前のブログ【「分かりにくさ」の原因は、これだ】にも書いたとおり、「分かりやすさ」以外の価値を求めると、「分かりやすさが」が犠牲になるのである。

 最後に、冒頭の文は、こう書けばいいということだ。
 

 そのような時間が真之の上に流れているとき、東京にいる子規の境涯は、必ずしも明るくはない。
 病気の進行は、やや止まった。ところがこのころ、子規は、あれだけ気に入っていた常磐会寄宿舎を追い出されてしまった。原因は居づらくなったのである。


205円が5枚、100円が5枚・・・

 今朝、事務所に来ると、留守番電話に裁判所書記官からのメッセージが残っていた。

 昨日の晩遅く裁判所の夜間受付に抗告状を提出した際に郵便切手を添付していなかったため、それを納付してほしいという電話で、切手の内訳を、延々と説明していた。書き起こすと、こうなる。

500円が2枚、205円が5枚、100円が5枚、82円が5枚、52円が5枚、20円が5枚、10円が5枚、2円が5枚、1円が5枚


 留守電を聞きながら、間違わないように気を遣いながら、メモをしていったのだが、最後まで来ると、「なんだ、500円以外は、みな5枚じゃないか。だったら、まとめて言えばいいのに」と思った。

 こういう場合は、次のように言ってほしいものである。

2枚必要なのが500円で、あとは、5枚ずつで、205円、100円、82円、52円、20円、10円、2円、1円です。


 「因数分解」の発想であり、以前のブログ【平成25年の所得証明と2012年の所得証明】でも述べたとおりである。

 そのブログにも書いた「因数分解」「結合法則」などは、数学の概念だが、数学の枠内に閉じ込めておくのは、もったいない。

 そもそも、数学の世界では、複雑な概念、複雑な論理構造を、できる限り単純にして、取り扱いやすくするために、古代から様々な工夫が凝らされて、現在のような洗練された表現が生み出されているのである。

 概念や論理を文字で表現する、という点では、数学であろうが、一般的な文章であろうが、全く同じである。数学の世界で生み出された発想を利用できないはずはない。

 もちろん、数学は高度に抽象的な世界であるのに対して、日常の世界は、具体的で、混沌としており、数学の世界の考え方を適用するのは、困難なものがあるのだが、人間の思考が論理的である限り、それを表現するにあたっても、数学的な発想が利用できないはずはない。

人数16名を越えた場合は抽選です

 高校時代の同学年の同窓生のメーリングリストに参加しているのだが、学年全体の同窓会の行事の案内が来た。

 同窓生のY君が、フランス語教育の第一人者でフランス政府から教育功労賞をもらったことがあり、ワインについても非常に造詣が深く、そのY君が講師になって、フレンチ薬膳料理とワインの会を催すという。その案内の中に、以下のような記載があった。

人数16名を越えた場合は抽選です


 これを見て、私は、「たった6人か、えらいこじんまりした会だな」と思い、もう一度見直してみると、6人ではなく、16人だった。

 なぜ、6人と誤解したのか考えてみたのだが、改めて見直してみると、「人数16名」という記載だと、「数」と右隣の「1」とが一体化して見えて、「6」だけが浮き上がって見えるのが原因だと気づいた。

 そうすると、こういった誤解をなくすには、こうすれば、いいということになる。

人数、16名を越えた場合は抽選です


 隣の文字との「一体化」という問題は、以前のブログ【スペースの効用】にも書いたことがある。

 ただ、そこに書いたのは、数字とアルファベット(たとえば、1(いち)とl(エル))、漢字とカタカナ(工(こう)エ(え))のように、違う種類の文字との混同が「一体化」を引き起こすというものだったが、今回の「数」と「1」との「一体化」は、それとは違う原因によるものだ。

 今回のは、「1」自体に、文字としての存在感が薄く、かつ、「数」「1」「6」と並んでいるとき、「1」が微妙に、左隣の「数」にくっついて表示されているのが原因で、「一体化」してしまうのだ。

 ところで、自分で、このブログを書きながら、我ながら、なんと細々としたことを考え、書き連ねているのだろうと思うことがある。こんなことに頓着しない人から見ると、およそ、理解しがたいことだろう。

 けれども、「分かりやすさ」を究めようとしていると、こんなことまで、色々と考えてしまうのである。私は、そうした日々の努力が大事だと考えているし、世間の人々が、せめて私の10分の1でも、同じように考えてくれたら、文章を読むときのストレスや誤解が劇的に減るのではないかと思っている。

表記の「ゆらぎ」

 今朝、近くの公園を1時間近く散歩して汗をかいたので、休憩所の自販機でポカリスエットを買って一気に飲み干した。

 空のペットボトルを捨てようとゴミ箱の所に行って、戸惑った。ゴミを分別するための表示が微妙に異なるゴミ箱が二つ並んでいる。

ゴミ箱


  ペットボトルは、どこに入れればいいのかと表示を読んでみると、左右、どちらのゴミ箱にも、「ペットボトル」の表示がある。

 一口にペットボトルと言っても、大きさ、その他で区別していて、その区別に従って、左右に分別するのかと思い、ゴミ箱に書かれた文字を、すべて読んでみたのだが、どうも、違いはなさそうだ。

 右側のゴミ箱の方が、図解入りになっていることから推察すると、元々は、左側のゴミ箱しかなかったのが、ゴミの量が予想外に多くなりゴミ箱を追加することになって、同じ種類のゴミ箱を購入したのだが、表示方法が、より「改善」されていたために、左右のゴミ箱で、異なる表示になったのだろう。

 新しくゴミ箱を追加するのであれば、古いゴミ箱はペットボトル専用、新しいゴミ箱は瓶、缶専用と、完全に分けた方が、ずっと分かりやすいし、ゴミの収集だって、その方が、多少は便利そうである。たとえば、こんな感じだ。
 
ゴミ箱-2


表記の「ゆらぎ」と「使い分け」

 司法修習生の指導担当弁護士に対するアンケートで、修習生の就職状況に関する質問があった。その中に以下の質問があった。

3.下記であてはまると思われるものがあれば、○をつけて下さい。
     ① 30歳を超えていると就職が難しい
     ② 女性は就職が難しい
     ③ 社会人経験者は就職が難しい
     ④ ロースクールによっては就職が困難
     ⑤ 司試験の成績が悪いと就職が困難
     ⑥ ローの成績が悪いと就職が困難


 別段、「分かりにくい」表現をしているわけではない。

 けれども、何かしら「引っかかり」を覚える。

 原因は、各項目の末尾の、「難しい」「困難」の使い分けである。

 使い分けられている以上、読んだ側は、そこに「使い分けるだけの違い」があるのではないかと考える。しかし、どう考えても、違いはなさそうだ。そうであれば、読者に余分な負担をかけることのないよう、「難しい」にするか、「困難」にするか、どちらかに統一すべきである。

 ところで、このブログの最初の文では、「司法修習生」と「修習生」という表現を用いて、同じ対象を別の言葉で表現しているが、この場合は、「不統一」でもいいと考え、あえて、そうしているのである。

 というのは、最初に出てくるときは、「修習生」といっても馴染みのない人には何のことがぴんと来ない可能性があるから、正式名称の「司法修習生」という表現を用いたのであり、二度目に出てくるときは、「司法修習生」という長ったらしい表現を用いるよりも、「修習生」という簡潔な表現を用いた方がいいと考えたからである。

 さて、この文章には、もう一つ、「不統一」の例がある。3つ前のパラグラフの「読んだ側」と「読者」である。

 この使い分けの理由は、こうだ。つまり、最初に出てくるときは、意味を実感しやすい、「大和言葉」を用い、二度目に出てくるときは、簡潔に表現するために、漢語を用いたのである。この微妙な感覚による使い分けについては、以前のブログ【「忘れました」「失念しました」】を参照してほしい。

 このように、何が何でも「統一すべき」というわけではなく、「使い分け」が適切な場合もあるのである。

 けれども、無意識に不統一な言葉を用いるのは、読者を戸惑わせ、ストレスを感じさせることになるから、避けなければならない。

 いわゆる「表記のゆらぎ」、たとえば、「コンピュータ」と「コンピューター」、「エレベータ」と「エレベーター」などの混在は、ストレスを感じさせるだけでなく、「表現に無頓着な書き手」という印象を与えてしまうものであり、絶対に、避けるべきである。

矢印を使わないのは、もったいない

 昨日の新聞に、東京オリンピックの経費が当初予算から異常に膨らんだ件につき、図解入りの解説が出ていた【2016.7.26 asahi.com】。

 その図解の一部が、これだ。

 
五輪-1


 一瞬、戸惑った。原因は、青地に白で「都が負担」と書かれた長方形二つの間にある、記号「>」だ。

 東京都の負担が当初計画より現状は大きくなったという記事の図解だから、「>」は、てっきり不等号かと思ったのだが、不等号だとすると、向きが逆である。見ているうちに、実は、左から右へと「変化した」ということを表現しようとしたのだと分かった。

 そういう意図なら、もっと適切な表現があるだろうと思って、改訂版を作ってみた。

五輪-2


 不等号ではなく矢印だから、左から右への変化を表していることが一目瞭然である。以前、エレベータのボタンの表示を、三角形から矢印に変えるべきだという記事を書いたが、その記事【エレベータの開閉ボタン】も参照してほしい。

 そこでも書いたように、矢印だと、何となく、変化の方向を「そのまま」表現したに過ぎず、「芸がない」ように見えるのだろう。だから、一工夫して、矢印の根本の直線部分を取り去りたくなるのだろう。その結果、かえって、分かりにくくなるのだ。

 図解するにあたって、矢印ほど、表現力に富んだ記号は存在しない。使わないのはもったいない。つまらない「かっこよさ」を求めて、「分かりやすさ」を犠牲にするのは、本末転倒である。

 さらに、改訂版での工夫は、矢印が右上がりになっていることだ。その結果、当初計画よりも現状は経費が膨らんでいることが視覚的にも明確に分かる。

 さらに、改訂版では、矢印の色を赤にしている。その結果、真っ先に矢印が目に飛び込んできて、経費が膨らんだことが、直感的に強く印象づけられるのである。

 こんな記事を書きながら、つくづく思うのだが、こういった新聞記事の解説図を描いている人たちは、その道の専門家の人たちのはずなのに、どうして、こんな図を描いてしまうのだろう。読者の立場に立って考えれば、私が上に書いたことなど、特別に難しいことではないはずで、誰にでも思いつくと思うのだが。

ドメインは、レジストラントの指示に従いレジストラがレジストリに登録する

 インターネット上のウェブサイトの開設者に対して、名誉毀損等の責任を追及するには、ドメイン名(このブログで言えば、【fc2.com】)に関する情報を、【ANSI Whois Gateway】等で調べることになる。

 ただ、表示される登録情報は、英文で、しかも、Rregistrant,Registrar,Registry と言った似たような単語が出てきて、それぞれの違いに戸惑うことになる。

 そこで、今度は、レジストラやレジストリの意味をネットで調べるのだが、表題のように、何となく分かるものの、どこか腑に落ちない表現を目にすることになる。

 ant, ar, y といった、英語の接尾辞には、それなりの意味があり、生まれた時から慣れ親しんでいれば、何ということは、ないのだろう。だが、我々は、ネイティブの日本人である。英語国民と同様に理解できるわけはない。 このブログの最初の記事【フランチャイザーのフランチャイジーに対する債権を担保するために、フランチャイジーからフランチャイザーに対して・・・】に劣らず、分かりにくい表現である。

 単純に、日本語訳すると、順に、登録者、登録代行者、登録機関ということになる。そうすると、以下のようになる。

ドメイン名は、登録者の意向に沿って、登録代行者が、登録機関に登録する



 だが、みな「登録」という言葉が前についていて、似たような語感がして、それぞれが、明確に識別できない。ここは、フランチャイザーを本部、フランチャイジーを加盟店と訳したように、英単語の共通部分「Regist」に引きづられることなく、それぞれ、全く別の表現にした方が理解しやすい。

ドメインは、サイト開設者の指示に従い登録代行業者がドメイン管理機関に登録する。


名簿から漏れているようです

 以前、高校の同級生間のメーリングリストで名簿の話が話題になったことがある。

 数通のメールが飛び交ったのだが、どうも、話が噛み合わない。よくよく、考えてみると、「漏れ」の意味を巡って、それぞれが違う意味にとっていたのが分かった。

 つまり、それぞれが、次の【1】や【2】に解釈して話をしていたのだった。

【1】 名簿から、【Aさんの情報が、どこかに、】漏れているようです。
【2】 【名簿に載っているべきAさんの情報が、】名簿から、漏れているようです。

 
 一口に同音異義語といっても、漢字も同じで、しかも、似たような場面で使われる言葉は、このように、文脈から、すぐに違いに気づかず、ある程度、話が進行してから、取り違えに気づく場合もあるので、要注意である。

 「なおす」というのも、勘違いしやすい言葉で、「椅子をなおしておいて」と言われて、どこを修理すればいいのかと、椅子をひっくり返していると、「さっさと、片付けて」と言われた、といった勘違いもある。

【×】は、掛け算とは限らない

 今朝、目を覚ましてすぐ、気になったことがあったので、寝床の中で、タブレットの電卓機能を使って計算した。

 計算は、5万×1000という、暗算できる簡単なものなのだが、頭が朦朧としていて、電卓に頼ったのだ。

 ところが、そんな計算なのに、「50,001,000」という、明らかに変な数値が表示される。2度、3度と試みても、同じ数値が表示されている。

 改めて、電卓のキーを眺めてみたのだが、こうなっていた。

電卓

 「50000」と入力して、次に、乗算記号【×】を入力するのに、私は、右上角のキーを押していたのだ。このキーにも、「×」印が記載されており、それを乗算記号の【×】と思い込んだのであるが、実は、このキーは、削除キーだったのだ。

 改めて、全体を見てみれば、右上隅のキーは、他の計算記号「÷」「+」「-」とは、異なるデザインなのだから、それを計算記号の「×」と思い込むはずはないのだが、そのキーだけに目を向けていたために、計算記号の「×」と思いこんだのだった。

 削除キーであれば、パソコンのキーボードのように、「Del」とか「BS]とか記載していれば、決して、数学記号の「×」と混同することなどあり得ないのであるが、同じ「×」を使ったために、混同してしまったのである。

 ところで、私は、電卓は、ほとんど使わない。代わりにパソコンのエクセルを使っている。

 その理由は、電卓だと、「入力結果が残らない」からである。

 たとえば、10個の数値を合計するとする。検算のため、2回、10個の数値を入力して、計算結果が違った場合、少なくとも、どちらかが誤りである。そこで、もう一度、10個の数値を入力する。そこで、前2回のどちらかと一致すれば、それが正しい答えということになるが、どちらとも不一致だとすると、もう一度、入力し直すしかない。

 これに対して、エクセルを使えば、自分の入力した数値は、目の前に残っている。従って、検算のためには、その数値を、再度、元の数値と照らし合わせていけばよい。画面上だと見誤りもあるので、プリントアウトしてから、元の数値と比較すれば、それで、まず、間違いはない。

 さらに、合計欄の式、たとえば「=SUM(A1:A10)」が、合計する数値の入っているセルの範囲を正しく参照していることを確認すれば、それで、万全である。

直感的な理解が大事

 昨日に引き続き、期日調整のファックスの件だが、期日の候補日時が次のように記載されていた。
 
期日-1

 他方、これまで、よく見かけたのは、次のような記載だ。
期日-2

 どちらが優れているか言うまでもないのだが、復讐の意味で整理してみよう。

【1】 時間帯が直感的に理解できる


 最初の例は、7月1日は、午前中の最初の2コマ、4日は、午後の遅い時間の4コマということが、一瞬で理解できるのに対して、2番目の例だと、いちいち、そこに書かれている時刻「15:00」などを見て理解しないと、そのようなことは分からない。


【2】 テンプレートの利用で、ミスが防げる


 最初の例は、予め10:00から16:30まで記載されたテンプレート(書式)があって、期日を入れられない時間を塗りつぶしているのであろう。他方、2番目の例は、その都度、数字を入力しているに違いない。「数字の入力」というのは、間違う可能性があるが、塗りつぶしであれば、間違う可能性は、ずっと少ないはずだ。


【3】 テンプレートの利用で、訂正が容易になる


 仮に、書記官が、期日調整の書面を作成した後に、別件の期日が確定したとする。その結果、たとえば、7月4日の午前中にも期日を入れることが可能になったとしよう。

 最初の例だと、単に、4コマ分の塗りつぶしを解除すれば足りるのだが、2番目の例だと、「10:00」「10:30」・・と、時刻を4つも入力しなければならない。

慣習には逆らわない

 裁判所から期日調整のファックスが来たので、返事をファックスで送信したところ、回線がファックスではなく電話機に繋がってしまった。番号を間違えたのかと思い、改めて、裁判所からのファックスを見たところ、次のように書かれていた。

ファックス番号

 私がファックス番号だと思ったのが、実は電話番号だったという次第である。

 私の不注意と言えば不注意なのだが、上の行に電話番号、下の行にファックス番号、というのが、暗黙の了解事項であり、ほとんどの書面は、そうなっている。そのため、「FAX」という文字を確かめることもなく、下の行の番号に送信したのだ。一般と違う書き方をしていたために、このような誤解が誘発されたのである。

 また、通常の場合と逆になっていることに気づいた場合でも、番号を押し終わるまで、「上の行がファックス番号だ」ということを常に意識しなければならず、余分な神経を使わざるをえない。

 「余分な神経」といっても、微々たるものには違いないのだが、たとえ僅かでも読み手に負担をかけるような表現はやめるべきである。

 たとえば、アンケートの男女のチェック欄でも、「女」「男」の順になっていると、一瞬ではあるが戸惑ってしまうのだから、慣習に従って、「男」「女」の順にすべきだろう。あえて「女」「男」にしたいという人も入るだろうし、その意図するところも分からないではないのだが、やはり、「分かりやすさ」を優先すべきだろう。

 早稲田慶応、同志社立命館、東大京大、東京大阪、など、関係者にとっては、なぜ、その順番なのかと、釈然としないものもあるだろうが、長年の慣習として定着しているのと違う順番にすると、混乱を招くし、誤解のもとである。

「分かりにくさ」による損害

 総務省・経済産業省から、「平成28年経済センサス‐活動調査」の調査票が届いた。ネットでも回答できるということなので、早速、【経済センサス オンライン調査】にアクセスした。

 国勢調査と同程度の質問数のようなので15分程度でできると思ったのだが、これが大きな間違いだった。なんと、1時間半もかかかってしまった。

 原因の第一は、アクセスの集中である。入力ボタンを押してから、ページが切り替わるまでに、ときには5分も待たされるのである。

 しかも、単に待たされるだけではない。ログイン段階では、せっかく入力した調査対象者IDの「RSSf8Ui」といった呪文のような文字列が消えてしまって、その都度、同じ文字列を入力しなければならない。その結果、ログインをするだけで、20分を要してしまった。

 原因の第二は、記載方法の説明の「分かりにくさ」である。

 特に分かりにくかったのが、事業の種類を4桁のコードで入力するところだ。

 事業の分類とコードの対応の頁があるのだが、大分類、中分類、小分類の、それぞれの配列が雑然としており、そもそも法律事務所が、どの大分類になるのか見当がつかない。大分類の全体を1頁で閲覧できず、画面をスクロールしなければ、大分類の数が幾つあるのかさえ、分からないのである。

 そのうち面倒になって、コールセンターに電話をして、「法律事務所」のコードは何番なのか尋ねた。すぐに回答があると思ったのだが、「しばらくお待ち下さい」と言われてしまった。

 こんなところで、また待たされるのか、と思いつつ、「こっちで先に見つけてやる」と多少、意地になって考えて、ふと、ある方法が閃いた。

 その方法というのは、ブラウザにもよるだろうが、IEなら「編集」ボタンを押すと、「このページの検索」というのが出てくるので、そこに、「法律」と入力することによて、該当箇所を見つけるという方法である。やってみると、こんなふうに、一瞬で、法律事務所のコードが分かった。

統計

 この方法を思いついてみれば、どうして、こんな簡単な方法を思いつかなかったんだろうという思いで、それを思いつかずにコールセンターに電話までしてしまった自分の不明に腹立たしさを覚えた。

 けれども、各地からの質問に対応するコールセンターの人でさえ、事業のコードを回答するのに何分もかかることを考えると、全国で、どれだけの人が、事業コードを捜すのに悪戦苦闘しているか計り知れない。

 全国で600万の事業所に回答を求めているそうだが、「分かりにくさ」が原因で、各事業所で、仮に「1分」の時間が失われたとしても、合計で、600万÷60=10万時間が失われたことになる。時給1000円としても、1億円である。実際は、1分どころではないだろうから、数億円の損失である。

 これまで私が書いてきた「分かりやすさ」というのも、その一つ一つは、重箱の隅をつつくようなこともあり、そこで発生する一人のストレス、失われる時間も、微々たるものかもしれない。けれども、社会全体でみると、このような巨額の経済的損失となるのである。

 だからこそ、多数に向けて情報を発信する人々(多くは、官庁、大企業であろう)にこそ、「分かりやすさが第一」ということを心がけてほしいのである。

リスクの向上は、是か非か?

 ブログにSNS、ネット通販、ネットバンキング等、幾つものネットサービスに加入していると、パスワードを使い分けるのは大変だ。

 このため、少なからぬ人が各サービスで同じパスワードを使用しているという。だが、そんなことをしていると、一つのパスワードを知られてしまったら、他のサービスすべてで、情報を盗まれたり、「なりすまし」をされて大変な被害に遭うことになる。

 昨日の京都新聞が、そういったパスワードの使い回しに警告を発する記事を載せていたのだが、その見出しが首を傾げるようなものだった。
 
リスク向上

 「向上」というのは、単に何かが「上昇する」ということを示すのものではなく、そのことに対する肯定的評価を含んだ、いわば「価値に満ちた言葉」である。リスクが増えるのは、間違いなく、「否定」されるべきことであるから、ここで「向上」という言葉を使うのは、「誤り」である。

 リスクは、増えるのは常に悪であるが、人口、物価となると、微妙である。

 デフレからの脱却が必要と言われる時代であればこそ、「物価が低迷」という表現も成り立つが、1970年代の「狂乱物価」の時代であれば、同じ現象でも、「物価が沈静」という表現が相応しいということになる。

 いずれにせよ、「向上」「低迷」といった「価値に満ちた言葉」を用いる場合は、本当に、その言葉が、そこに相応しいのか、十分に考える必要がある。単純に、上がる、下がる、といった表面的なことだけで言葉を選んでしまうと、趣旨不明の文章になりかねない。

 「価値に満ちた言葉」は、論者の立場を明確に示す点でも、有益である。たとえば、1960年の安保条約を巡る一連のできごとを「60年安保」というのは、価値中立的な表現だが、「安保闘争」「安保紛争」「安保騒動」となると、その言葉を使う者の基本的な立場が自ずと分かるはずである。

何のための数字の区切りか -カンマ-

 今朝のテレビで、画面に数字が出ていたのだが、一部が隠れていた。こんな感じだ。

数字-1


てっきり、360万円くらいだと思ったら、数字が全部現れると、そうではなかった。

数字-2


 こういった、数字を3桁毎に区切る「カンマ」【 , 】は、「万」とか「億」といった漢字と一緒に用いられているのを時折り見かけるのだが、こういうのを見る度に、こういった表現をする人は、何も考えていないのではないかと、思ってしまう。

 数字の3桁区切りは、英語の、「thousand」「million」に対応しているのだから、英語を母国語とする人には極めて自然である。

 日本語は、数字は、本来であれば、「万」「億」と、4桁区切りが分かりやすいはずなのだが、実際は、3桁区切りが普及しているため、それに慣らされているので、一々、右から、「いち、じゅう、ひゃく・・・」と数えなくても、右から二つ目のカンマの左は、百万、三つめのカンマの左は十億と読むことができる。

 その結果、冒頭の例では、「3,6・・」となっていることから、360万と読んでしまったのである。

 そもそも、「万」とか「億」を用いる場合は、連続した数字の並びは、最高で4個なのだから、分かりやすくするために、殊更カンマを書く必要はなく、かえって、私がしたような誤読を誘発するのである。

 このような有害無益としかいいようのない、カンマと「万」などの混在であるが、結構、幅を効かしているようである。

工事開始は、PM22時

郵便受けに入っていた電気工事のお知らせのチラシに、こう書かれていた。 

工事開始は、PM22時


理解できないことはないが、一瞬、?と思ってしまう。

では、こんなのは、どうだろう。

午後12時


よく見かけるのだが、昼なのか晩なのか、どちらを指すのだろう。
「正午」「晩12時」であれば、迷うことはない。

あるタクシー会社に予約の電話をすると、こんなふうに確認される。

では、今から約1時間後の、4時30分ですね。


 以前、絶対指定と相対指定について記事【6階の第一待合室で・・】を書いたが、両方で指定することによって、間違いを極力少なくすることができるのであり、こちらも安心である。

 裁判所で次回期日を指定するときも、裁判官によって色々である。

① 次回は、5月27日、午前10時
② 次回は、5月27日、金曜日、午前10時


 聞く側としては、曜日まで言ってくれる方が、安心だ。

写真の解説は、こうする

 次に掲げるのは、数学者・岡潔の著作を整理、解説した「数学する人生」【新潮社】の中の掲載写真の解説である。
 
岡潔

 問題点を、いくつか列挙する。

【1】 対象と解説は同じ頁に


 上記のように、実際の写真の場所と写真の解説が別の頁なっていると、写真を見る度に、解説頁を開かなければならず、面倒なこと、この上ない。写真の下に、1行の解説を付加することに何の不都合もないと思われる。なぜ、写真とは別に1頁を費やすのだろうか。

【2】 複数人の場合は、特定が必要


 「中央が著者・岡潔」というのもあるが、単に「著者と中谷治宇二郎」とあるだけで、どちらが著者なのか分からないものもある。筆者にすれば、他の写真からの類推で「いちいち書かなくても、分かるだろう」ということかもしれないが、だれもが分かるとは限らないのだから、明記すべきだろう。

 

【3】 年齢か、年代か、いずれかに統一


 「65歳の頃」というのと「昭和41年頃」という表現が混在している。これでは、前後関係は、すぐには分からない。岡潔は、1901年生(明治34年)生まれなので、結局、「65歳の頃」と「昭和41年頃」とは同じなのだが、そんなことは、誕生日を確認の上で一々計算をしないと分からない。
 

【4】 情報を漏らさず記載


 写真の解説に最低限、必要な情報としては、【場面】、【年代か年齢】、【複数人の写真の内のどれか】の3点である。冒頭の例は、これが欠けていため、解説を読んでも、中途半端にしか情報を与えられていないという点でストレスを感じるのである。

 編者は、書籍の中身に神経を集中しているだろうから、そこまでの配慮は期待できないかも知れないが、少なくとも、出版社の担当者くらいは、こういうところにも配慮してほしいものである。

正しい照明スイッチの並べ方

 私が所属する弁護士会の建物の4階には、会員専用ロビーと図書室がある。照明設備は細かく分けられた区画毎に全部で8系統あるのだが、照明スイッチが、どの区画に対応しているのか、ことのほか分かりにくい。そのため、わざわざ、どのスイッチか、どの区画に対応するのかを図解した紙が貼られている。

照明
(上の図は、実際よりも、若干、簡略化している)

 
 こんな貼り紙が必要になるのは、スイッチの配置と、実際の照明の配置とが対応していないからである。

 スイッチを捜す負担を少しでも軽減しようとして、この図が貼られたのだろうが、それでも、面倒なことには変わりがない。

 たとえば、閲覧室の真ん中あたりの照明を点ける場合、こうなる。

 ・まず、図で、自分が照明を点けたい区画を捜す。
 ・そこに、「④ 閲覧室 中」とあることから、スイッチのパネルで「④ 閲覧室 中」というのを捜して、スイッチを押す。

 面倒なのは、2番目の、「④ 閲覧室 中」と書いてあるスイッチを捜すところだ。

 それでも、番号が振ってあるので、「閲覧室 中」という文字を捜すのではなく、数字の④を捜せば足り、その分は、ましである。

 というのは、数字であれば①②③と順に並んでいるのが普通なので、ある程度、どの辺りにあるか見当がつくが、「閲覧室 中」だと、どの辺りにあるかなど、だれも予想できないからである。ただ、数字でも並べ方も、一通りしかないわけではないから、数字だからと言って、すぐに見つけられるとは限らない。

 パネルを見ると右上が①であることから、おそらく、その下の方に④があるだろうと見当がつき、下の方を見れば、そこに④があり、そこを押す、ということになる。

 上の説明は、私が、「ことさら面倒そうに書いた」と思われる人がいるかも知れないが、スイッチの数が少ないから、そう思うだけで、実際、スイッチを押すまでの過程を分析すると、上のようになっている。試しに、スイッチが百個ある場合を想像してみれば分かることだ。

 現状では、上記のような面倒な過程を経るのだが、最初から、以下のように、スイッチの配置を、実際の照明の配置と一致させていれば、そんな作業は不要であり、何のストレスを感じることもなく、照明を点けることができるのだ。

照明-2
 (なお、この図では、①、②という番号も、不要になっていることに、注目されたい)

 今回取上げた、現実世界の配置と、現実世界を指し示す表現の配置との対応の重要性は、以前のブログ、【前列右から・・・】【市ヶ谷キャンパス・・・】でも書いた。

 ところで、冒頭のスイッチが分かりにくい理由は、実際の照明の配置と対応していないという点だけではない。

 ロビー「北」とかロビー「南」という表現も、分かりにくさに大きく寄与している。

 建物の中にいるとき、普通は、どちらが北か南かなどと方角を意識することはない。

 だから、方角を意識しなくても分かる識別方法、たとえば、「奧」「手前」「窓際」「ドア側」などの表現のほうが、遙かに分かりやすい。

 方角を用いた表現になったのは、おそらく、スイッチに書く文字を考えた人が、図面を見ながら考えたからだろう。図面上は、どちらが北かということは明らかであるから、実際に建物を利用する人の意識など頓着することなく、「北」とか「南」という表現を用いたのであろう。この点は、以前のブログ【「6階の第1待合室で・・・」】にも書いたことである。

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「時間泥棒」仕置人

Author:「時間泥棒」仕置人
職業:弁護士

 どうすれば、効率よく、的確に、情報を取得・提供できるか、ということを常に考えています。

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 難解な文章で読者の貴重な時間を奪ってしまう人達のことを、「時間泥棒」と名付けました。

 このブログは、「時間泥棒」を立派に更生させることを目的として開設したものです。

 記事を読んで、自分も「時間泥棒」かな、と思ったら、早速、改めて下さい。また、あなたの廻りに「時間泥棒」がいたら、あなたの力で立派に更生させてあげて下さい。

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