相続開始時期はいつですか

【1】 相続開始時期

 離婚、相続、交通事故、借地借家、借金問題、といえば、多くの弁護士にとって日常的にありふれた事件である。

 その中で、相続問題は、多くの場合、不動産の登記、相続税の問題も付随しており、司法書士、税理士といった専門家を紹介することも多い。

 先日、一人暮らしの父親が亡くなり自宅の名義変更が必要と言うことで、司法書士を紹介した。

 その後、今度は、相続税のことで税理士さんを紹介することになった。

 紹介しようとした税理士さんは、超多忙のため、相続税の申告期限(相続開始から10か月)を心配して、私に、「相続開始時期はいつですか」とメールで尋ねて来た。

 私は、メールを見て反射的に相談者に同じく「相続開始時期はいつですか」というメールを送った。

 それから数分して、はっと気づいた。

 相続開始時期は、被相続人が亡くなった時点だということは、民法に記載されており、弁護士、税理士にとっては、当然の常識である。

 けれども、専門家の常識が世間の人の常識と考えたら大変である。

 民法の規定を知らない相談者にとっては、司法書士に相続登記の依頼をした時点が「相続開始時期」かも知れない。

 むしろ、そう考える方が自然かも知れない。

 相談者にしてみれば、父親が亡くなったといっても、父の遺した財産に何も手を付けていない段階では、まだ、相続はしていない。名義変更の手続に着手して初めて相続を「開始」したと考えるのが自然ではないか。

 そう考えて、すぐに、相談者にメールをして、改めて、「お父様が亡くなったのはいつですか」という質問をした。

 仮に、亡くなったのが9か月前なのに、名義変更に着手したのが1月前だったとして、初めの質問だと「1月前」という返事が返ってきて、それを前提に税理士さんが業務を進めていたら、申告期限を徒過してしまうといった可能性もあったのである。

【2】 相続放棄

 こんなケースもある。

 銀行から亡父が遺した借金の督促を受けたという話だった。

 相談者は、「相続放棄」をして、長兄が全部相続したので、自分は関係ないはずだと話した。

 そこで、相続放棄の受理証明書があるのか尋ね、手元になければ、家庭裁判所に発行してもらって、それを銀行に提示すれば大丈夫だと説明をした。

 ところが、相談者は、裁判所と聞いて、驚いたように、そもそも裁判所には行っていないという。では、「相続放棄」の手続はどこでやったのかと尋ねたところ、税理士事務所で行ったと言い、遺産分割協議書の写しを取りだした。

 確かに、亡父の遺産は、不動産、預金だけでなく、借金も含めて、全て、長兄が相続するという内容になっている。

 相談者にとっては、「遺産分割協議」で財産を放棄したことが、「相続放棄」だったのである。しかも、このケースの場合、それなりに法的知識のあるはずの税理士さんでさえ、勘違いをしていたのである。

 「生兵法は怪我の元」というが、なまじ相続関係の知識があるばっかりに、こういった中途半端な処理をしてしまったのである。

 もちろん、弁護士も他人ごとではない。世間一般の人からすれば、多少は税金の知識があるといっても、専門家ではない。税金が絡みそうだと思ったら、自分で判断せず、税理士さんに相談するのが賢明である。

【3】 認知

 この話は、以前も書いたような気がするが、改めて、紹介する。

 相談者には、「認知」をした子がいる。
 
 延々と、その子がどんな生活をしてきたか、その子の借金の尻ぬぐいのために自分だどれだけ財産を注ぎ込んだかなど説明をした上で、もう親子の縁を切りたいという。

 私は、「認知」した以上、親子関係を切ることはできないが、「推定相続人廃除」という手続があると説明をしたのだが、相談者は納得が行かないようであり、また、先ほどの説明を繰り返す。

 話を聞いているうちに、私も、「どうも変だ」という感じがしてきた。

 改めて確認してみると、相談者が「認知」と言っていたのは、「養子縁組」のことだった。

 弁護士にしてみれば、「認知」と「養子縁組」は全然、別物である。

 もちろん、どちらも、子どもが生まれることによって当然に親子関係が生じるのではなく、法的な手続を経て親子関係を生じるという点では同じであり、相談者は、その共通点にだけ着目して、その範疇のものは、全て「認知」と考えていたのである。

【4】 まとめ

 上記3例のように、専門家にとっては、一義的に明確な概念であっても、専門外の人にとっては、そうとは限らない。

 専門家として話をする場合には、相手が誤解することないよう、法的概念を日常の言葉にかみ砕いて説明する必要があるし、話を聞く場合には、相手が法的概念を誤って理解していないか注意する必要がある。

 また、専門家から話を聞く場合には、専門家の発する専門用語について、素人判断で理解したつもりになるのではなく、日常用語に置き換えて自分の理解が正しいのか専門家に確かめる必要がある。

 知ったかぶりをせずに、とにかく尋ねることである。そうしないと、医師に「座薬です」と言われて、家に帰って「座って薬を飲む」といった笑い話のようなことになってしまうのである。


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割合の単純比較は、危険

 今朝のテレビで、また、「論理の飛躍」としか言いようのない番組があった。

 どの局の何という番組かも覚えていないのだが、シートベルト着用を呼びかける番組だった。

 その中で、こんな円グラフが出ていた(一瞬の記憶に基づく再現なので、数字は、若干、不正確である。また、デザインも若干、変更している。)

 交通事故の死亡者の中で、シートベルトを着用していた人と、着用していなかった人の割合を円グラフで表現したものである。

ベルト-1


 このグラフを見て、着用・25%、不着用・70%という数字から、シートベルトを着けないと、3倍も危険なのだ、と思った人は、番組の狙い通りである。

 でも、その判断は、正しいのだろうか。

 検証のため、こんな例を想定してみよう。

 ① 事故に遭った人が、全部で、100人
 そのうち、
   ② 着用者が、10人
   ③ 不着用者が、85人
   ④ 不明が、5人

 ⑤ 事故で亡くなった人が、全部で、20人
 そのうち、
   ⑥ 着用者が、5人
   ⑦ 不着用者が、14人
   ⑧ 不明が、1人

 そこで、①~⑧の情報の全てを図にすると、以下の図になり、⑤~⑧の情報だけを円グラフにすると、冒頭の円グラフとなる。


(小さい正方形1個が、1人である)
ベルト-3


 亡くなった人の中での着用者、不着用者の割合を比較したのが、冒頭の円グラフであり、また、百個の正方形からなる上の図の下2段の部分である。

 けれども、亡くなった人の中での着用者、不着用者の割合を比較しても何の意味もない。

 日本国内の全犯罪者に占める暴力団員と一般人の割合を比べると、一般人の割合の方が大きいのは常識で分かることである。けれども、一般人は暴力団員よりも犯罪を起こしやすい、という結論にはならない。

 比較すべきは、暴力団員のうちの犯罪者の割合と、一般人のうちの犯罪者の割合なのである。

 シートベルト着用の安全性の問題も同じであり、意味のあるのは、下記の数字である。

 ⑨ 着用者のうち、亡くなった人の割合は、50% 【 5÷10×100 】 
 ⑩ 不着用者のうち、亡くなった人の割合は、16.5% 【 14÷85×100 】

 結局、 着用者、不着用者、それぞれの死亡率を比べると、着用者は不着用者の3倍ということになる。
       【 ⑨÷⑩ = 50÷16.5 = 3.04 】 

 そもそも、最初のグラフの情報だけで、シートベルトの不着用が危険だという結論を下すことは、「論理的に不可能」なのである。

 にもかかわらず、死亡者に関する情報(上の大きな正方形の下2行)だけを根拠に、シートベルト不着用が危険だという判断を示したのが、この番組である。

 番組製作者は、こんなことも分からないほど、論理的思考力がないのだろうか。

 あるいは、そんなことは十分承知の上で、視聴者に、シートベルトを着用しないと危険だと感じてもらうために、あえて、このグラフを掲載したのだろうか。だとすれば、視聴者もバカにされたものだが、残念ながら、視聴者のレベルは、その程度なのかもしれない。

 ところで、上のグラフは、エクセルで作成したものだが、エクセルのグラフ機能で単に円グラフを選択した場合、自動生成されたのは、次のグラフだった。

ベルト-2

 このグラフを自分で加工したのが最初のグラフである。

 作成にあたって、次のことに留意したので、その意味をかみしてめてほしい。

 ● 「凡例」をグラフと重ねて、一々、グラフと凡例の間を視線が行き来しなくてもすむようにする。
 ● 数字を記載する。
 ● グラフの色を鮮明なものにし、「不着用」を赤にして、危険を強調する。


  

担当裁判官一覧表

 裁判所のホームページには、各部の裁判官の氏名、開廷日などの一覧表があり、大変、便利である。

 どの裁判所も同じ書式だが、次に掲げるのは、京都地裁の一覧表の一部【京都地裁・担当裁判官一覧 】である。

 
裁判官-1


 特段、「分かりにくい」というわけではない。では、次の表は、どうだろう

裁判官-2


 違いは、情報として無意味なものを、すべてカットした点だ。

 「○○係」「●曜日」など、違うのは、○○、●の部分だけであり、それさえ伝われば十分だ。「係」「曜日」といった文字はいらない。

 「毎週」については、殆どが毎週なのだから、省略して、「毎週」でないところにだけ、「月2」といった記載をすれば足りる。

 また、「京都地方裁判所」というのも、3箇所に出てくるが、これも、1箇所で十分である。

 無駄な情報は、有用な情報を探す際の障害になるのだから、「無害無益」なのではなく、「有害無益」なのである。

 更に、開廷曜日の欄だが、次のようにすれば、一目瞭然になる。

裁判官-3

 この類の表は、医院の診療日などを示すのによく使われている。むしろ、医院の場合、表を使っていないのが珍しいくらいである。それだけ、表の有用性が認識されているということである。

 他方、飲食店の場合は、表になっている方が少数派だが、これも、表にした方が、はるかに分かりやすい。以前のブログ【営業時間の表示は、こうする】も、参照されたい。


宝くじの分類

 二月ほど前のこと、烏丸三条の書店に寄った帰り、隣の銀行にある宝くじ売り場が目に入った。

 宝くじファンというわけでないのだが、ふと気になった。ここで買わないで、後で、その売り場から1億円の当たりが出たなどと知ったら、後悔するかも知れない。そんな気がして、1枚、買った。

 先ほど引き出しの整理をしているときに、その時の宝くじが出てきたので、ネットで当選番号を調べることにした。

 宝くじにも色々と種類があるようで、公式ページを開くと、次のようなメニューがあった。
 
番号・トップ


調べたいのは、「第725回全国自治宝くじ(サマージャンボプチ100万)」という長ったらしい名前の宝くじなのだが、メニューと照らし合わせても、「全国通常宝くじ」と「ジャンボ宝くじ」のどっちを見ればいいのか、分からない。
 
「全国」とついているのは、「全国通常宝くじ」だけだし、「ジャンボ」とついているのは、「ジャンボ宝くじ」だけであり、私が探しているのが、どっちなのか、決め手はない。

そこで、とりあえず、「全国・・・」をクリックしてみると、そこに、私の調べようとした宝くじがあった。試しに、「ジャンボ・・・」もクリックしてみると、そこにも、あった。

 両者を比べてみると、「」を付けたもの以外は、「ジャンボ・・・」にも「全国・・・」のどちらにも掲載されていた。

番号・中身

 つまり、「ジャンボ・・・」は、すべて、「全国・・・」に含まれるているのだった。

 だったら、「ジャンボ・・・」の区分を設ける意味はなく、そんな区分を設けると、徒に、戸惑わせるだけである。

 更に問題は、「全国通常宝くじ」という表現である。クリックして、一覧で出てくる宝くじの名前には、「通常」という単語はなく、逆に、全てに、「自治」という単語が入っている。

 そういうことなら、「全国自治宝くじ」と表現すればいいのである。

 おそらく、ウェブサイト作成者の頭の中では、「通常」=「自治」ということなのだろう。

 けれども、読み手は誰も、そんなことまで、「忖度」はしてくれない。「忖度」しなければならないのは、情報の発信者の側である。




「衆議院議員」か「参議院議員」か

 昨日の午後から、テレビは、小池新党の話題で持ちきりである。

 「リセット」された若狭、細野の両議員の外にも、自民、こころ、民進の各党から新党への合流が加速しており、テレビの画面にも、そんな議員の一覧が大きな表になったものが出てくる。

 次に掲げるのは、先ほどの、「ひるおび」の表である。

離党-1


 各議員が、衆議院議員か参議院議員かということは、来月の選挙の候補者となるか否かという点で、重要なことである。ところが、小さな字で「衆議院議員」「参議院議員」と書かれていても、目を凝らしてみないと分からない。

 これに対して、次に掲げるのは、今朝の讀賣テレビのローカル番組に出ていた表である。

離党-2


 違いは、次の2点である。

 ● 「衆」「参」としか書かれていない。
 ● 「衆」は赤、「参」は青の背景になっている。

 こちらの方が、遙かに分かりやすい。

 最初の表のように「衆議院議員」「参議院議員」と各5文字を費やす意味はない。話の流れから「国会議員」であることは明らかだし、その上に、表の上の表題にも「国会議員」と記されているのだから、「議院議員」の4文字に、情報としての価値はない。むしろ、余分な情報が目に入るだけ、有害である。

 これに対して、後の表のように、情報として意味のある「衆」「参」の各1文字だけにすれば、その分、字を大きくすることもでき、一瞬で理解してもらうののに役に立つ。

 また、文字の背景を赤、青と色分けしているので、より一層、見やすく、記憶にも残りやすくなる。

 さらに、どの色をどちらにするかという選択について言うと、来月の総選挙に出馬することが確実な衆議院議員の方を、より目立つ赤にしたという点でも、優れている。


一人一票実現国民会議のウェブサイト

 新聞を拡げると、解散、総選挙が既定の事実のような扱いだ。

 今度の選挙で改憲勢力が3分の2を制したら、一気に、憲法改正へと突き進むかもしれない。

 しかし、議員定数不均衡の選挙で選ばれた国会議員で構成される国会は、「違憲状態」であり、そんな国会が憲法改正の発議をすることなど、論理的に、できるはずもない。

 だが、いくら「できるはずもない」と言ったところで、憲法を、小学校の児童会で決めた今月の「努力目標」くらいにしか思っていない政権にとっては、できないことではない。

 これを止めるのは最高裁しかない。最高裁が、「違憲状態」から、「違憲」さらに、「選挙無効」の判断まですれば、どんなに詭弁を弄しても、憲法改正の発議などできはしない。

 そして、最高裁に、「選挙無効」の判断をさせるために奮闘しているのが、一人一票実現国民会議なのである。

 そこで、この国民会議のウェブサイトを見てみると、非常に充実した内容であり、「分かりやすさ」の点でも相当の配慮をしていることが窺える。

 けれども、もう少し手を加えれば、もっと「分かりやすく」なると思える点も結構ある。

 そういうわけで、今回は、このウェブサイトを素材に、問題点を指摘する。

 まずは、トップ頁だが、下の図の右側が、トップ頁を開いたときに一画面で見ることのできる部分、左側が、トップ頁の全体像で、画面をスクロールすれば見ることができる。

会議・トップ・3

 トップ頁を開いて最初に目にする一画面だけでも、内容が結構ある。スクロールをして行けば、延々とトップ頁が続き、全部で10画面分くらいのトップ頁に、これでもかと言うほど、内容が詰め込まれている。

 いったい、どこから見ていけばいいのだろう?

 たとえば、5人で中華料理を食べに行って、一人、2皿ずつを注文したところ、いきなり、10皿が運ばれてきたとしよう。

 酢豚、皮蛋、青椒肉絲。餃子、春巻き、麻婆豆腐。エビチリソース、蒸し鶏とクラゲのサラダ、イカと青梗菜クリーム煮、小籠包。

 どれもみな、美味しそうで、迷ってしまう。どれから食べるか、頭の中で、順番を考える。それぞれの料理を口にしたときの味と食感を思い浮かべていると、そのうち、真ん中の麻婆豆腐の辺りで満腹感が漂い、最後の小籠包に辿り着いた頃には、もう結構、という状態になってしまう。

 そんな状態で料理を食べても、単品で出てくれば美味しい料理でも、もはや義務感で食べているような気になってしまうだろう。

 このトップ頁の問題点は、「詰め込みすぎ」というだけではない。

 色使いも、赤、青、黄、緑と、色相の隔たった有彩色を、4色も使っており、なかなか、落ち着いて画面を見ることができない。この点については、【フォントの話】、【不要な情報はカットする】でも触れている。

 次に、サイトの随所に出てくる、投票箱を持った二匹の動物のキャラクターである。
会議・ヒョウ

 このキャラクターの制作意図については、こう語られている。

── 「一人一票実現国民会議」のキャラクターがとてもカワイイのですが、これはヒョウですか。もしや一票の「票」と「ヒョウ」をかけているのでは?

升永そうそう。これはトラじゃなくて、ヒョウなんですよ。「1票」のヒョウは尻尾が上を向いてハッピー、「0.6票」のヒョウは下を向いてアンハッピーになっています(笑)。

── あ、ホントだ!(笑) 
        一人一票実現国民会議×弁護士ドットコム 升永弁護士インタビュー     


 せっかくの製作者の意図が込められた尻尾の向きの意味が一見しただけでは伝わらないのである。もったいない話だ。

 人の写真を見るときでも、顔に目が行くのが普通である。ヒョウの絵も、左右で同じ顔にするのではなく、右の顔を、もっと項垂れた表情にするなどすれば、0.6票というのが不当に権利を侵害するものだ、ということを、よりアピールできるのではないだろうか。

情報の「説得力」

 今回も、先日のブログ【伝達力と説得力】に関連した話である。

 その中に、以下の記述がある。
 

③も④も一票の価値を数字の大きさで表現した点では同じだが、鳥取県の1票の価値が高すぎる(③)、と訴えるよりも、神奈川県の1票の価値が低過ぎる(④)、と訴える方が、何となく説得力がある


 私は、「何となく説得力がある」としか書かなかったのだが、一人一票運動国民会議の発起人・事務局長である伊藤真弁護士が、その「何となく」の部分を、具体的に説明してくれている。少し長くなるが、以下に引用する。
 

 升永先生、久保利先生たちとお話をするなかで強く感じたのは、一人一票実現国民会議の活動のなかから今までの法律の世界では想像もできなかった「発明」がいくつも生まれているなということでした。

 その一つが、従来の「5倍の格差」ではなくて「0.2票しかない」という表現に置き換えながら、広く国民の皆さんにアピールしていることです。

 前者の表現ですと、「神奈川の有権者が1票なのに対して、鳥取の有権者は5票持っているのか。鳥取の人は得しているな」と、どこか他人事として捉えがちです。しかし、「鳥取の有権者は1票、神奈川の有権者は0.2票。」となると、「えっ、1票と思っていたものが、0.2票だなんておかいじゃないか。ところで自分の選挙区の票はどうなっているのか……」と、我が事として認識するようになります。

 数学的には同じことなのですが、全国民の意識をこの問題に向けさせる「大発明」だと、目から鱗が落ちる思いでした。

 実はその大発明は、私自身の誤りを気づかせるきっかけにもなしました。それまで私は「2倍未満の格差なら許される」という憲法学の通説を講義で当たり前のように教えていました。しかし、これは「2倍未満、つまり0.51票なら認めましょう」ということと同じです。人間誰しも人格価値は平等であるということに異論を持つ人はいないでしょう。それなら一人ひとりの投票価値も平等でなくてはなりません。
            【一人一票実現国民会議×弁護士ドットコム


 伊藤弁護士は、「大発明」と称賛しているが、その発明が生まれた経緯について、発起人・共同代表の升永英俊弁護士が、こう語っている。

 私は昨年まで、自分が「清き一票」を持っていると信じていました。20歳から66歳までだから46年間ずっとです。
もちろん、「一票の格差」があることは知っていました。しかし、それはそれとして、自分は「清き一票」を持っていると思い込んでいた。

 ところが、昨年5月に友人と話している時、彼が「『2倍』では素人には分からない。『0.5票』と言ってもらえれば分かる」と言った。
「そんなの、同じことだろう。1を2で割れば0.5だ。自分で割り算をやればいいだけじゃないか」と私は友人に言ったのですが、その話が妙に頭に残りましてね。2日間、考えました。考えた末に、これは大変なことだと思った。

 「そうか、自分は1票を持っていないのだ。0.5票しか持っていないのか」って。

 たとえば、衆院選(小選挙区)で、高知3区を1票とした場合、東京1区は「0.47票」、参院選(選挙区)で、鳥取県を1票とした場合、「0.23票」です。
                     【一人一票実現国民会議×弁護士ドットコム


 友人に指摘された時、升永弁護士は、 「そんなの、同じことだろう。1を2で割れば0.5だ。自分で割り算をやればいいだけじゃないか」と言ったそうだが、私自身も、何かを説明する文章を書くとき、つい、同じような思いになることがある。

 だが、「数学的に同じ」「計算すれば分かる」「考えれば分かる」という態度では、現実的な力は乏しいのである。

 単に情報を伝達するだけでなく、情報を相手の脳裏に深く刻みつけようと考えるなら、そのための工夫を惜しんではならないのである。

表の作成にあたっての注意事項

 先日のブログ【伝達力と説得力】では触れなかったが、表の作成にあたっても、「分かりやすさ」のための工夫が随所に凝らされている。
 
 再度、表を掲載するで、練習問題だと思って、私の説明を読む前に、どこに工夫があるのか、その工夫の持つ意味は何か、ということを考えてほしい。

定数-1


定数-3


 色使い

 4つの表には、数字の意味、計算式を示すために、「議員1人当たりの有権者数」という言葉が全部で、7箇所、出現している。

 他方、各表で異なるのは、「各県」「鳥取」「神奈川」の箇所である。

 それぞれの計算式の違いを端的に理解してもらうためには、共通の「議員1人当たり有権者数」という言葉ではなく、「各県」「鳥取」「神奈川」といった、各式に固有の部分に着目してもらう必要がある。

 そこで、この、「各県」「鳥取」「神奈川」という文字については、太字(ボールド)、かつ、赤色にしたのである。

 ただ、「赤」といっても様々なのだが、ソフトが予め用意している「赤」は、それこそ目一杯の赤であり、そのまま使うと少しどぎつすぎて目に負担になる。そこで、少し明度を落として黒っぽくしているのである。

 コンピュータに苦手意識のある方には敬遠されるかもしれないが、ここで、コンピュータで色を表現するときの方法について、少し、整理しておく。

  コンピュータでは、色を、3原色(赤、緑、青)の組合せで表現する。

  具体的には、通常、各色の英語の頭文字と、各色の数値を組み合わせて、R=64、G=128、B=255 のように表現する。

  使われる数値は、十進法の、0から255までの、256段階である。

  ただ、コンピュータでは、16進法を使う場合が多く、16進法の、0~FFという数字が使われる。

  16進法では、0~9の数字に加えて、A~Fの文字が数字の代用として用いられ、Aは十進法の10、Fは十進法の15に対応する。上記の例を16進数で表現すると、R=40、G=80、B=FF となる。ただ、16進数を用いる場合は、R,G,Bを省略して、4080FFのように、6桁の数字で表現することが多い。

  そうすると、目一杯の赤は、FF0000 となり、暗めの赤は、例えば、990000 のようになる。

  このブログでも、本文の文字の色を変えているところでは、ソース(実際に画面で表示される文字列そのものと、その各文字の、色、大きさなどを指示するコンピュータに対する命令文とが、一体となったもの)には、【color=#4080FF】のような文字が書かれているのである。

  とは言っても、一々、ブログを書く際に、実際に、このような16進数を記載しているのではなく、色パネルを呼び出して、そこから適切だと思う色を選択すれば、ブログ作成ソフトが、コードを作成してくれるのである。

 このように、ソフトにコード作成を任せておいてもいいのだが、後から、「僅かに赤みを加えたい」と思ったときは、色の表現の仕組みを知っていれば、コードを開いて直接に、Rにあたる部分の数字を少しだけ増やすことができるし、その方が、色パネルを開くよりも適切に目的の色を設定することができる。

 鳥取県か、鳥取か

 上記の表の中では、「都」「府」「県」は省略している。分かりきったことは、極力、読者の目に触れないようにするのが、「優しさ」というものである。

 ただ、「道」だけは省略していない。「北海」という呼称は一般的でないからである。

 「不統一」ではあるが、ここでは、「不統一を回避」するのに勝る利益があるから、あえて、そうしているのである。

 これまでも述べてきたことであるが、このブログに書かれている「原則」は、あくまでも、「原則」であり、その都度、具体的に読み手のことを考えて、「例外」処理が妥当なときは、原則から外れることも必要なのである。

 数字の位置、桁揃え

 冒頭の表は、エクセルで作成したものだが、エクセルでは、数字は、セル(データが入る長方形の枠)の右端に寄せて表示されるのが原則である。

 この表の場合、セルが結構、横長になっているので、そのままだと、数字が極端に右端に偏ってしまい、見栄えが悪い。そこで、②の表では、センタリング(中央揃え)を行っている。

 ただ、センタリングは、桁数、少数以下の数字の数、それぞれが皆同じ場合にはいいのだが、①のように桁数が異なる場合、センタリングをすると、各数字の右端が揃わなくなってしまう。

 そこで、①の表では、右寄せインデント(数字の末尾をセルの右端から一定の間隔を空けたところにする)で対応している。

 最後に

 今日のブログでは、非常に細かいことを、くどくどと説明してきた。
 
 ・そこまで必要なのか
 ・そんなことまで、一々考えていられない

 と言う人も、いるかも知れない。

 けれども、私は、敢えて言うことにする。
 
 ・ここまで必要です!
 ・面倒でも、ここまで、するべきです!

 情報発信は、1対1のこともあるが、多くは、1対多である。メーリングリスト、ブログやSNS等になると、1対1000、1対10000ということも珍しくはない。

 「分かりやすい表現」によって、読み手の負担が、仮に、0.1秒でも軽減されるとしたら、1000人分の合計は、100秒、10000人なら、1000秒である。

 その「分かりやすい表現」をするために、書き手が1分間、余分な労力を費やしたとしても、社会全体では、差引、40秒から940秒(15分40秒)の得である。

 そう考えると、読み手に配慮して「分かりやすさが第一」を実践する行為は、ゴミを道路に投げ捨てないのと同様、社会人の当然の常識、エチケットとも言えるだろう。

 ただ、この「常識」の具体的内容は、発展途上であり、私自身、このブログを書き始める前の自分の文章を読み返してみると、よく、いい加減な文章を書いていたものだと恥ずかしくなることもある。

 話は飛躍するが、今では、公共の場での禁煙は当然の常識となっているが、約40年前に「嫌煙権の確立を求める市民の会」が発足した当時は、職場で1人で室内禁煙を求めても、相手にされなかったのである。

 また、20年前なら、飲んだ後で車を運転して帰ろうとしても、せいぜい、飲み屋の女将さんから「気をつけて」と言われるくらいだったが、今は、酒気帯び運転で摘発されたら、新聞に載ったり、下手をすれば、懲戒免職もありうる時代である。

 「昔は、こんな当たり前のことを、わざわざブログで書いている人がいたんだね」と言われる時代が来ることが、私の夢である。

 夢で終わるか否かは、ここまで読まれた読者の方の行動次第である。


伝達力と説得力

 このブログの使命は、「分かりやすさ」を追究することだが、「分かりやすさ」には、次の二つの要素を含んでいるように思う。

  情報が瞬時に正確に伝わること      (「伝達力」といってもいい)
  情報の内実が深く脳裏に刻まれること  (「説得力」といってもいい)

 両者は単純に切り離して考えることはできないのだが、これまで、前者を中心に論じてきた。今日は、主に後者について検討してみることにする。

 素材は、このブログの熱心な読者の方から提供された資料だ。

 国会議員の議員定数の不均衡、一票の格差に関する説明資料なのだが、1票の格差の問題を、より説得的に訴えるには、どうすればいいか、という観点からブログで取り上げてほしい、とのことだった。

 まず、次の表を見比べてほしい。

定数-1

 どちらも、参議院の選挙区の議員定数に関する表だが、①は、各都道府県の議員1人当たりの有権者数であり、②は、その数字を、議員1人当たりの有権者数が最も少ない鳥取県の数字で割ったものである。

 ①の表の数字は、皆、数十万から百数十万という、大きな、生の数字であり、これだけでは、どの程度の不均衡かは、直感的に分かりにくい。

 他方、②の表だと、議員1人当たりの有権者数が鳥取県の何倍かと言うことが、ストレートに数字で示されており、不均衡の度合いが、すぐに分かる。

 では、更に、次の表を見比べてほしい。

定数-2

 ②は、先ほどの②と同じものだが、③は、神奈川県の議員1人当たり有権者数を各都道府県の議員1人当たりの有権者数で割ったものである。

 念のため、注意を喚起しておくが、よく1票の格差に関する判決などで出てくる数字は、この③の数字ではなく、②の方の数字である。どちらも、1~5.08の数字が並んでいるため、同じように思われ勝ちだが、意味は違うので、注意が必要である。

 ②は、1票の価値をストレートに表現したものではなく、神奈川県の数字が鳥取県の数字より大きな数字で出てくるので、1票の価値が神奈川県の方が小さいということが、直感的に理解しにくい。他方、③だと、まさに、1票の価値そのものが数字で表現されているので、③の方が優れている。
 
 更に、次の表を見比べてほしい。

定数-3


 ③は、上の表の③と同じで、神奈川県の1票の価値を1としているものだが、④は、鳥取県の1票の価値を1としたものである(なお、数値としては、④は②の逆数となっている)。

 ③も④も一票の価値を数字の大きさで表現した点では同じだが、鳥取県の1票の価値が高すぎる(③)、と訴えるよりも、神奈川県の1票の価値が低過ぎる(④)、と訴える方が、何となく説得力がある。

 従って、1票の価値の平等の実現を求める場合は、①でも②でも③でもなく、④の表の数字を用いるべきである。

 さて、ここまで情報を表で表現してきたが、より直感的に理解してもらうためには、グラフや地図を用いる方がいい。

 次に掲げるのは、先の読者の方から提供を受けた資料が掲載されているウェブサイト【都道府県データランキング 1票の格差】からの引用である。

 まず、上記の③の表をグラフ化したのが、これである。
定数-4


 次に、同じグラフだが、地域的な不均衡が直感的に分かるように、北海道から南西方向に順に沖縄まで配列したものが、次のグラフである。
定数-5


 このグラフにより、地域的な傾向が直感的に分かるのはいいのだが、致命的な点がある。

 それは、左に北海道、右に沖縄を配した点である。

 地図の上では、右上に北海道、左下に沖縄となっているのであるから、グラフにおける配列も、それに従った方が、遙かに直感的に理解しやすい。このことは、以前のブログ【前列右から、加藤、清水、野間、高谷、石原、・・・】にも書いたとおりである。

 次の図は、【一人一票実現国民会議 参議院(選挙区)】に掲載されたものである。
 
定数-6


 この地図は、上記の棒グラフと比べると、次の2点で優れている。

   地図の色分けの基礎となったデータは、前記の④と同じものを用いていていること。

   地域的な傾向を示すには、棒グラフよりも地図を色分けした方が直感的に分かりやすいこと。

 ところが、ぱっと見て、鳥取県の黄緑だけが際立っていて、全体に赤茶色っぽく、選挙区毎の識別が困難である。例えば、広島、岡山、兵庫の3県が順にレベル8,9,10となっていることは、目を凝らさないと分からない。

 そもそも、人の目の識別能力の問題だろう。10段階に分けたから識別が困難になったのであり、これが5段階であれば、ぱっと見ても区別ができただろう。

 さらに、この地図は、色の選択も問題だ。両極端を赤と緑にして、その間をグラデーションにしたわけだが、途中の黄土色が、どうしても、赤と緑の中間の色だということが直感的に分かりにくいのだ。

 この点、両端を赤と青にすれば、途中の紫が、赤と青の中間の色だということが直感的に馴理解できるのだ。ただ、これは、私の個人的な感覚であって、あまり一般的なものではないかも知れない。

 翻って考えると、そもそも、数字の大小は一次元的なものであり、これを色のグラデーション表現するのに、有彩色を2種類、用いることが、疑問である。

 赤と白、あるいは、黒と白、といった、有彩色と無彩色、あるいは、無彩色同士にした方が、余分な情報が削ぎ落とされて、直感に馴染むように思う。

 なお、ここで、一次元情報だから有彩色を2種類使うのは考えものだと述べたが、気温の場合は、赤=高温、青=低温というイメージが定着しているので、赤から青のグラデーションでも、いいかも知れない。

 いろいろ述べてきたが、地図に着色するよりも、棒グラフで表現する方が、棒の高さは微妙な違いまでも区別できるので、優れている。とはいえ、地図に着色する場合でも、適切な工夫をすれば、直感的には理解しやすいのであるから、地図とグラフ、いずれも、甲乙つけがたい。

 最後に、地図の左側にある表になっている凡例で、一票の価値の低いところが上になっているのは、直感に反する。この点は【グラデーションのフェイント】に書いたとおりである。

 以上、配慮すべきことを色々述べてきた、整理のために、以下に、項目だけ列挙するので、これを参考に、読者自身の頭で納得行くまで、考えてほしい。私の指摘で納得の行かないところがあれば、ぜひ、コメントで知らせてほしい。

  生の大きな数字ではなく、比率を表す数字にする。
  大きい方がいい、という、一般的な感覚に沿ったものにする。
  訴える内容に適切なものを基準にする。
  表よりも、グラフ、地図
  現実の配置に表現上の配置を合わせる。
  識別困難にならないよう、過度の細分化は避ける。
  グラデーションは、グラデーションと分かるような色を選ぶ。
  有彩色の多用は避ける。
  大きい数値を上にする。

 なお、グラフの効用については、過去に、このブログでも触れている。

  ● グラフの効用
  ● グラフ作成に際し考えるべきこと

実務に理解の深い教員の養成は急務なのだが・・・

 法科大学院制度ができて、実務にも詳しい研究者教員の養成が叫ばれているが、なかなか、うまくいっていないそうである。このため、これまでも多くの研究者教員を輩出してきた大学院では、実務にも詳しい研究者教員の養成について、真剣に検討が行われている。

 ウェブサイトを見ると、現状分析と今後の展望に関し、プレゼン用ソフトで作成したと思しき9頁の資料が掲載されている。

 ところが、残念なことに、この資料が、これまで、このブログで取り上げてきた問題点を総取りしたような、突っ込みどころ満載の代物なのである。まずは、説明の前に、実際の資料を見ていただこう。

京大養成-1


【1】 総天然色

 これを目にしたとき、頭がくらくらした。と同時に、モノクロ映画がカラーに切り替わった昭和30年代の映画のポスターに誇らしげに記されていた「総天然色」という言葉を、何十年かぶりに思い出した。

 確かに、プレゼンソフトであれ、ワープロソフトであれ、ありとあらゆる種類の色を表現することは可能である。けれども、「可能である」からと言って、それを実際に行う必要はない。

 これでは、まるで、24色のクレパスを買ってもらって、嬉しくて仕方なく、24本、全部を使って大はしゃぎで絵を描く幼稚園児と同じではないか。

【2】 雲形、ウニ形、人の顔

 1枚の資料の、あちこちに書かれた説明文を際立たせるために長方形などで囲むのは、効果的である。

 けれども、雲形、ウニ形で囲むのは、いかがなものか。

 ことさら奇抜な図形を用いても、図形の印象は残るかも知れないが、図形の印象が強い分だけ、内容の理解、記憶の妨げになり、逆効果である。 

 作者は、おそらく、プレゼンソフトが用意した図形の中から目立ちそうなものを選んで使ったのだろう。

 けれども、そんなことをするのは、たとえば、長距離ミサイルを手にしたら発射して自慢したくなるのと精神構造は同じである、と言ったら、言い過ぎか?

 あと、左下のスマイルマークのような人の顔の図形も、有害無益である。

 もう一つ、別の頁を見ていただこう。

京大養成-2


【3】 日本地図

 中央に黄緑色の日本列島の地図が描かれている。

 その地図の沿岸部を囲うように、深緑色の図形が描かれている。東日本大震災のときの、津波予報の図を思い出したのだが、さすがに、それはないだろう。

 しばらく目を凝らしているうちに、深緑色の図も、やはり日本列島の地図であり、それが背景に配置されている結果、手前の地図で分断されて、日本列島だと分かりにくいのだと気がついた。

 けれども、背景に日本列島の地図を重ねる必然性など、どこにもない。かえって混乱するだけである。


【4】 今の頁は、何頁?

 資料は全部で9頁あり、下の方には、「1 2 3 ・・・ 9」と数字が並んおり、数字をクリックして、その頁に飛べるようになっている。

 けれども、その数字は、全部、同じ色、同じ大きさ、同じ背景であり、いま見ている頁が何頁なのかは分からない。

 よく見ると、右下に(赤い矢印の先)、数字の「5」のようなものが見える。けれども、こんな小さな文字では、そこに文字が書かれていることさえ、気がつかれない。

 せっかく、下に、数字の1から9までを並べているのだから、今の頁の番号の色や大きさ、背景を変えるなどすれば、それだけで、いま何頁なのか分かるのである。

【5】 資料を作成した大学は?

 どこの大学が資料を作成したのかは、資料の冒頭に記載しておけば十分であり、各頁に記載するまでもない。

 とはいえ、中身の各頁に大学名を記載してアピールしたい、というのであれば、それも一つの考え方であろうし、はたから、とやかく言うまでもない。

 資料の右上の、赤い点線の長方形の所には、別の頁では大学名が入っているのだが、この頁だけ、大学名が入っていないのである。別に大学名はなくても困らないのであるが、他の頁には皆、大学名が入っていることから、一瞬、なぜだろうという疑問が生じるのである。

 別に、どっちでもいい話なのだが、こういった不統一感は、資料の読み手に、僅かではあるが、ストレスを感じさせるものである。

 また、それだけでなく、こういった不統一感があると、作成者の注意力、思考の厳密性などにも若干の疑念をもたれ、内容の信頼性にも不安を覚えさせることにもなる。

 なお、「不統一」という点では、実は、一つ前の【4】の最終段落に、次のような「不統一」な表現がある。
  ・ 今の頁の番号の色
  ・ いま何頁なのか

 同じ対象を、漢字、ひらがな、と異なった表現をしているのである。
 
 だが、これは、無頓着に「不統一」にしているのではない。例えば、漢字、ひらがなを逆にするとどうなるか?
  ・ いまの頁の番号の色
  ・ 今何頁なのか

 つまり、ひらがなが続いたり、漢字が続いたりすると、単語の切れ目が分かりにくくなるため、そうならないように、あるときは、漢字、あるときは、ひらがな、と表現して、「結果的」に「不統一」になっているのである。

 要するに、「不統一を避ける」というのも、絶対的なものではなく、それよりも、読みやすさを優先すべきだということである。


 今回の様々な指摘に関連したことは、これまでも書いているので、それらの記事も参照されたい。
 ● フォントの話
 ● 現在の頁は?
 ● 表記のゆらぎ 
 ● あざいお市マラソン

 このブログの素材となったのは、以下のウェブサイトである。
 ● 法科大学院制度下における教員養成

写真の解説は、こうする 【続編】

 数学者・岡潔の著作を整理、解説した「数学する人生」【新潮社】の中の掲載写真の解説を素材に、【写真の解説は、こうする】という記事を書いたことがある。

 今日、その記事を読み返す際に素材となった解説も眺めてみたのだが、どうも、読んでいて落ち着かない。なんとなく、苛々するのである。

 その苛々の原因を考えているうちに、前回のブログで書いたこと以外に、問題点が満載なことに気がついた。

 以下、写真の解説の中の長方形の囲みの色と、問題点の解説の見出しの冒頭の「●」の色とは対応しているので、照らし合わせてみてほしい。

岡潔-枠


【1】 同一の対象は、同一の表現①


 「奈良市」と「奈良」。どちらも、同じようなものだが、単に「奈良」だと、「奈良市」以外の「奈良県」のどこか、という可能性もないではない。どちらも、同じ65歳の頃の自宅というのだから、「奈良」というのも、「奈良市」だろうとは思えるのだが、理窟の上では、そうとは断定できない。

【2】 同一の対象は、同一の表現②


 いずれも、岡潔、岡ミチの夫妻を指しているのだが、微妙に異なる表現となっている。

 もちろん、長い文章の中だと、同じ対象でも、文脈によっては違う表現を用いる方が適切な場合も、あるにはある。

 しかし、単に客観的な情報を伝えるだけの写真の説明文において、このような異なる表現を使うのは、「場当たり的」であり、読み手に余分な負担を与えるだけである。

【3】 「何かに関心を集めている」  主体と客体の関係に注意


 「関心を集める」というのは、主語となった人・物が、関心の対象となっている場合である。
 ここでは、「何かに関心を集めている」というのだから、関心の対象は、「何か」であり、著者は、「関心を集めている」のではなく、「関心を寄せている」のであろう。

【4】 「第三高生」  一般的でない表現


 要するに、旧制の第三高等学校の学生であることを表現したかったのだろう。

 だが、それなら、普通は、「三高生」という表現を用いる。

 グーグルで、それぞれを検索したところ、「第三高生」は「三高生」の7分の1程度の出現数であり、しかも、「第三高等学校の学生」とは違う意味で使用されているものが殆どだった。


番号だけでは分からない

 インターネットのお陰で、図書館の利用は、飛躍的に便利になった。

 ネットで書籍を検索し、注文することができ、受取、返却も、自宅に近い分館を指定しておけば、本館に足を運ぶ必要はない。
 
 しかも、予約していた本が用意できると、次のようなメールが届くのだから、こんなに便利なことはない。

確保


他方、返却期限を過ぎると、次のような督促のメールが届く。

督促


 どの本を返せばいいのか? 「資料コード」の記載はあるが、こちらは、人間である。9桁の数字を見て、「あの本を返さなければ」と分かる人が、いったい、どれだけいるというのだろう。

 予約の本が届いたときには、丁寧に、本の題名まで表示してくれているのに、督促の場合は、なぜ題名を表示しないのか、私には、到底、理解できない。

 システム設計者が「何も考えていない」ということなのか。

 システムを発注するにあたって、予約確保のメールと、督促のメールは、別々の業者に発注し、その業者間の連携が不十分なために、一方は題名を表示し、他方は題名を表示していないのだろうか。

 ところで、利用者としては、題名さえ分かればいいのだが、資料の番号まで記載がある。これは図書館の職員のための記載なのだろうが、同じ9桁の番号のことを、一方は、「確保資料」、他方は、「資料コード」と呼んでおり、この不統一感は、ある意味、徹底しているというべきである。

 不統一といえば、いささか細かい指摘をするが、他にもある。

 コロン「:」の前後だ。予約の方はコロンの前に一つスペースが入っているのに対して、督促の方は入っていない。別々の業者が些末なところで独自性を主張して、スペースの有無の違いとなったとしか思えない。

 さらに、メールの冒頭の「予約確保」「督促状況」にも、不統一感が漲っている。

 統一するなら、「予約確保」「督促」と、「状況」をつけない方に統一するのが好ましい。

 というのは、「督促状況」となっていると、送信者が受信者に対して、このメールで督促するのだ、という強い「意思」が感じられず、客観的な状況を描写しているに過ぎないように感じられるからである。

 この図書館のシステムについては、以前にもブログ記事を書いたことがあるが、未だに改善はされていないようである。

 ■ 図書館で借りれるのは、AV2本まで

 ■ 内部の論理は、内部に留める

 ところで、上記の不統一が生じないようにするには、コピーをするのが一番である。

 ・まず、予約確保のメールを表示する部分を作成する。
 ・次に、これをコピーする。
 ・これに、必要最小限度の改変(削除、変更、追加)を加えて、督促のメールを表示する部分を完成する。

 コピーが大事だということも、以前のブログで触れている。

 ■ コピーできるものは、コピーする

「R」は右とは限らない

 さきほど、近所のコンビニでアイスコーヒーを買った。

 といっても、缶や紙パックに入っているものではなく、氷の入った専用のカップを購入して、それを自分で機械にセットする方式のものだ。

 サイズが、レギュラー(普通)、ラージ(大)と二種類あり、それぞれカップをセットする場所が異なり、次のようになっていた。

コーヒー


 私が買ったのは普通サイズだから、当然、左側にセットしようとしたのだが、大きな丸で囲んだ「R」の文字が目に入って来て、一瞬、手が止まった。

 レギュラーは「R」だし、下には、「普通」と書かれてもいるので、そこにセットすれば何も問題はないのだが、一瞬、手が止まったのだ。

 というのは、「R」は、「L」との対比で、「右」を示すことがあるのに、この「R」は、左側にあったからだ。下に「REGULAR」と書かれているので、「RIGHT」でないことは明らかなのだが、「R」→「右」という慣れ親しんだ思考が邪魔をして、左側にセットすることが躊躇われたのである。

 製作者は、「R」「REGULAR」「普通」と念入りな記載をしているところから、消費者が間違えないように、それなりの注意をしていることは窺えるのだが、あと一歩、気づいてほしかったというのが、私の思いである。

 ここでは、むしろ、「R」、「L」という記載自体を削除するのが一番である。

 ここでの問題を抽象化すると、以下のとおりとなる。

略語を不用意に用いない


 略語は、略語の宿命ではあるが、本来の用語と1対1に対応しているわけではない。

 多くの場合、文脈から、どの用語に対応しているのか分かるのだが、常に分かるとは限らない。上記の例のように、「R」と「L」が並んで表示されていると、どうしても、「RIGHT」「LEFT」の略だと受け取られがちなのである。

文字と物理的配置には注意を払う


 「R」は、「RIGHT」の略と解釈される場合があるのだから、物理的にも、「右」に書いた方が混乱は生じない。エレベータの階数ボタンが、下から、1、2、・・・となっているのと同じである。

 このことは、これまでにも何度か書いたことがある。

 ● エレベータの階数ボタン
 ● 前列右から、加藤、清水、野間、高谷、石原、・・・
 ● 市ヶ谷キャンパスと市ヶ谷田町キャンパス

自転車を除く

 御所(京都御苑)に、こんな標識がある。

歩行者用

 
 青の背景に人の絵柄の標識が「歩行者専用」だということは、直感的に分かる。

 では、「自転車を除く」というのは、どういう意味か?
 

① 【通行許可の対象から、自転車を除く】
 歩行者専用の表示があっても、自転車は車やバイクと違って歩行者と同じようなものと勘違いする人がいるので、自転車は駄目だということを念押しした。

② 【通行禁止の対象から、自転車を除く】
 歩行者以外の通行は禁止されているが、禁止対象から自転車は除く、すなわち、自転車は例外的に通ってもいいことにした。


 なんとなく、②の解釈の方が無理がなさそうで、自転車は通ってもいいのだと判断するのだが、見る度に、どっちの意味か考えてしまう。

 ただ、御所の中でも別の場所には、「自転車通行禁止」の標識があるので、②の、自転車は通行可能、という意味で間違いないだろうと思う。

 上記のような「●●を除く」という表現は、よく見かけるし、この表現自体に曖昧さはない。

 ところが、「何から除くのか」が曖昧だと、意図するところは正確に伝わらないのである。

 ところで、冒頭の標識だが、こんな標識なら、絶対に誤解の余地はない。

自転車用

 ただ、この標識も問題と言えば、問題である。

 というのは、青地に人と自転車の絵が描かれているので、それだけで自転車は通行可能ということは、明白なのだが、それに加えて、「自転車・・・」という記載があると、上の絵柄にかかわらず、自転車は通行不可ということかも知れないという気になり、「・・・通行可」まで読まないと安心できないのである。

 作成者は、「自転車通行可」ということを念押ししたかったのだろうが、自転車の絵がある以上、「自転車通行可」ということは、誤解の余地はないのだから、ことさら念押しする必要はない。

 むしろ、この「念押し」の記載が、一瞬ではあるが、「ひょっとしたら、上の絵に対する例外を書いているのかも知れない」といった心配を引き起こすという点で、有害なのである。

 これまでも何度も述べてきたように、情報伝達は、発信者の「思い」で突っ走っては駄目なのであり、常に、受信者の受け止め方に思いを致さなければならないということである。

赤なら目立つという思考停止

 先ほど立ち寄った店の前に、こんな掲示があった。

自転車保険


 「自動車保険」「加入義務化」ということを強調したいのだろう。

 赤は、とにかく目立つ。だから、信号でも「止まれ」は赤だ。

 だが、いくら目立つと言っても、背景色次第では、目立たないこともある。

 遠くから見れば、「京都は・・・・・の・・・・・へ向け動き出しました。」としか読めず、何のことか分からない。

 作成者は、背景がオレンジ色でも、赤は目立つと考えていたのだろうか? 目立たせるには「赤」、という固定観念だけで、この掲示板を作ったのだろう。恐るべき思考停止である。

「目立つのは赤」という信仰は根強いようで、様々ところで、強調のために「赤」が使われている。

 けれども、塗料の「赤」は、他の色に比べて褪色しやすい。
 
 街を歩いていると、こんな看板を見かけることがある。

駐車場

 設置の時点では、強調すべき所が強調されていたのだろうが、何年も経つと、強調すべき所が、逆に目立たなくなってしまうのである。

 看板作成業者は、専門家であるから、赤が褪色しやすいことは百も承知であろう。それでも赤を用いるのは、再度の注文を期待しているのであろうか?

マグネシウムは、41ミリグラム

 先ほどのテレビ【NHK「あさイチ」】で、「この夏のスーパーフード」として、ピタヤ(ドラゴンフルーツ)が紹介されていた。

 番組の冒頭で、マグネシウムや、ビタミンB1といった栄養素が、ピタヤ100グラムに、どれだけ含まれているかという表が画面に映し出され、ピタヤには、こんなに豊富に栄養素が含まれているという説明があった。

 説明のパネルに「マグネシウム 41ミリグラム」と書かれているのを見て、ゲストのタレントは、「本当に凄いですね」と感心していたのだが、私には、何が「凄い」のか、さっぱり分からなかった。

 そもそも、マグネシウム41ミリグラムと言われたところで、栄養士ではない普通の人間には、それが、どの程度のものなのか、皆目、見当がつかないはずである。

 調べてみると、1日当たり300ミリグラムというのが、厚労省が推奨している標準的な摂取量ということだった【マグネシウムの食事摂取基準】。

 また、ピタヤ1個あたりの可食部は約260グラムだそうで、そうすると、1個あたりのマグネシウム含有量は、約100ミリグラムということになる【カロリーSlism ドラゴンフルーツ】。

 結局、ピタヤ1個で、1日のマグネシウム必要量の3分の1を賄える、という計算になる。

 これだけの情報を踏まえて、初めて、「凄い!」と言えるのであって、41ミリグラムという情報だけで「凄い!」と言える人は、日々、感動することばかりで、さぞ精神的に充実した生活を送っているのだろうと羨ましく思えてくる。

 他方で、こんな断片的な情報だけで、さも凄いことのように感動している光景を見ていると、自分だけ感動の渦の中で取り残されているような気がして、少し寂しい気持ちになってくる。

 60年も前に、始まって間もないテレビ放送について、大宅壮一が、「1億総白痴化」と喝破した【Wikipedia「一億総白痴化」】のが、今さらながら的確な指摘であったと実感する。

 朝の忙しい時間帯に家事の合間にテレビを見ている人を相手にしている以上、きちんと論理立てた説明などしていられないというのが番組製作者の言い分なのかも知れない.。けれども、客観的には日々、視聴者から思考力を奪い取る結果となっているのであり、それで本当に心から満足できているのだろうか。

では、どうすれば?

 自転車で図書館に行った帰りにスーパーに寄った。

 駐輪場があったので、そこに止めようと思ったところ、こんな表示があった。

駐輪場

 では、「お客様用」の駐輪場はどこにあるのかと見回したのだが、それらしきものはない。かといって、どこに「お客様用」の駐輪場があるのかという案内板もない。

 ここに書かれていることは、次の2点である。

① この駐輪場は従業員用だという、情報
② お詫び


 自転車を止めようと考えているお客にとっては、どこに止めればよいのか、という情報が必須であるのに、それがない。

 この表示を作った人は、お客が従業員用の駐輪場に自転車を止めたら従業員が迷惑をする、ということしか頭になくて、お客が自転車をどこに止めればよいのかということは眼中になかったようである。

 言葉の上では、「お客様には、ご迷惑をおかけ致しますが、何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます」と、お詫びをした「ふり」をしていても、現実には、お客様の「ご迷惑」には何の手当もしていないのである。

 「一事が万事」とは限らないが、このスーパーの体質が伺われるできごとであった。

 実際、2階の売り場で商品を選んで、レジはどこかと見回したのだが、判らない。普通の大型店なら、店内のどこからでも見えるように高い位置に、大きく、「お会計」とか「CASHIER」といった表示があるのだが、それがないのである。

 しかたなく、当たりをつけて歩いて行くと、レジがあり、その上の方に、申し訳程度に、そこがレジである旨の表示があったのだ。

 けれども、「表示」より先に「レジ」そのものの方が先に目に入ったのであるから、「表示」としての意味は、全くない。意味があるとすれば、「レジ」を見ても、そこが「レジ」と認識できない人に、ここはレジですよ、と教えてあげる位の役割しか考えられないのである。

これが当社の商材です! 

 最近は少なくなったが、一時、ホームページの作成や、SEO対策の営業の電話が頻繁にかかって来ていた。

 ほとんどは、即座に断っていたのだが、たまに、興味本位で話だけは聞いてみようと考え営業マンの訪問を受けることがあった。

 ある日、営業マンの話を聞いていると、耳を疑うような発言があった。
 

これが当社の商材です。


 「商材」という単語は、文字通り、「商売の材料」という意味である。確かに営業マンからすれば、「商売の材料」には、違いないのだが、顧客になるかも知れない相手に対して、その言葉はないだろう。

 先方の目的は、当方と契約して、お金を支払ってもらうことである。

 そのためには、お金を支払おうという気になってもらうものを提供しなければならず、それが、「商材」というわけだが、あからさまに、「商材」という言葉を使われると、「お金を払わせるための道具」と言われているようで、いい気分がしない。

 ここは、「商材」ではなく、「製品」「サービス」といった言葉を使うべきである。

 もちろん、「商材」であれ、「製品」「サービス」であれ、その対価として金銭が支払われるのは事実なのだが、「商材」という言葉は、そのことが生々しく表面に現れているのに対して、「製品」「サービス」には、それが現れていないという違いがあるのだ。

 話は変わるが、私が契約したのではないのだが、ホームページ作成会社の使った言葉が顧客の意に沿わなかった、次のような例がある。

 そのサイトは、ある鍼灸院のサイトで、最新の治療法である「●●療法」というのを紹介することになった。

 ところが、作成会社は、「●●療法」ではなく、「●●事業」という言葉を使ったのだ。早速、鍼灸院の経営者は、作成会社に対して、「●●療法」に変更するように申し入れた。

 これも、先の例と同じく、「●●事業」というのは、鍼灸院サイドで収益を上げるもの、といったイメージが強いため、あくまで、患者さんに寄り添った表現である「●●療法」という言葉への変更を求めたものである。

 このように実態としては同じであっても、用いる言葉によって、受け手が抱く感情は異なるのであるから、相手に、どのような感情を抱いてほしいのかを常に考えて、言葉を選択すべきである。

 逆に、聞き手になったときは、相手が選択した言葉の表面上語感に惑わされないようにしなければならない、ということである。

 このことは、以前ものブログ【「忘れました」「失念しました」】にも書いたことである。

「昨日、大阪で研修会があり、その研修会に出席しました。」

 たまたま、ネット上の掲示板で見かけた一文だが、特段、「分かりにくい」表現ではない。

 しかし、無駄がある。

 無駄を削ぎ落とすと、こうなる。
 

昨日、大阪で研修会がありました。



 「研修会があった」という事実と、「研修会に出席した」という事実は、確かに別の事実である。

 しかし、「研修会があった」という場合は、通常は、「研修会に出席した」ということも含むものと解される。

 たとえば、こんな例は、どうか。

 ① 歯を磨いて、口を漱ぎました。
 ② 訪問先では食事が出て、それを食べました。
 ③ 問題を解いて、解答用紙を提出しました。
 ④ 病院に行って、診察を受けました。


歯を磨けば口を漱ぐし、食事が出れば食べるし、問題を解けば解答用紙を提出するし、病院に行けば診察を受けるのが、普通である。

 であれば、ことさら、そのことに言及する必要はない。

 逆に、歯を磨いたけれども口を漱がなかった、食事が出たけど食べなかった、問題を解いたけど解答用紙は提出しなかった、病院に行ったけど診察を受けなかった、という場合に限って、そのことを明記すれば足りるのである。

 上の4つの例のように、「いわずもがな」のことを、殊更付け加えた文章を読まされると、疲れてくるし、「いい加減にしてくれ」と言いたくなるのである。

 書いた本人は、「丁寧な文章」「厳密な文章」と思って悦に入っているのかも知れないが、「大きな勘違い」である。

 心当たりのある人は、早速、改めるべきである。



犯罪取締りを強化しよう

 人が何らかの論理的な主張をする場合、単純化すると、次のような構造になる。
 

 ① Aという事実があれば、Bであるべきだ。
 ② 具体的にAに該当する事実が存在する。
 ③ よって、Bであるべきだ。

 

①は価値判断に関わる部分であり、②は事実認識に関する部分であり、この二つを組み合わせると、その結果として、論理的に、③が導かれる。

 たとえば、こんな具合だ。

 ① 犯罪が増えている【A】ならば、犯罪の取り締まりを強化【B】すべきだ。
 ② 殺人事件が増えている。
 ③ よって、殺人事件の取り締まりを強化すべきである。

 

 仮に①の価値判断が正しくても、②の事実認識に誤りがあれば、誤った結論③が導かれることになる。

 では、上記の②は、真実か?

 次の表を見てほしい。
 

殺人統計
殺人被害者統計

 意外に思われた方が多いのではないだろうか。

 殺人事件は、単に「増えていない」どころの話ではなく、「大幅に減っている」のである。具体的には、この60年間で、殺人事件の被害者の数は5分の1に激減しており、人口10万人あたりの被害者数は、2.4人から0.3人へと、8分の1に減っているのである。

 私自身、殺人事件が減っているという認識はあったもののの、これほどまでに減っているとは、つい、さっきまで知らなかった。

 池田の小学校での殺傷事件、秋葉原の路上での殺傷事件、相模原の施設での殺傷事件などが、これでもかというほど、テレビのワイドショーなどで取り上げられることによって、知らず知らずのうちに、殺人事件が増えているといった誤った認識が受け付けられて行くのだろう。

 多くの人が、誤った認識に基づいて、誤った主張をして、その主張に基づく政策が現実化して行くとしたら、民主主義とは、恐ろしい制度である。

現在のページは?

 ネットで見るブログやニュースなどが数頁にわたっていることがある。

 そんな場合、記事の下のほうに頁番号が並んでいて、その頁番号をクリックすることによって、該当頁を開くことができるようになっている。

 たとえば、こんな具合だ。

次ページ1


 上の段も、下の段も、現在、3頁目を開いていることは一目瞭然であり、次の頁を見たければ、「4」をクリックすればよい。

 作成者は、上の段の場合、現在頁を目立つように背景を赤にしたのだろうし、下の段の場合は、移動先の頁が目立つように背景を赤にしたのだろうが、どちらの考え方にも一理あり、どちらが優れているということはない。

 では、こんな場合は、どうだろうか。

次ページ2


 現在開いている頁が、1頁目なのか2頁目なのか判然としない。

 おそらく、テンプレート(ブログ記事などを一定の形式で表示するための雛型)の作成者は、3頁以上ある場合を想定して作成し、2頁しかない場合は「想定外」だったのだろう。

伝えるべき情報は何かを意識する

 留守番電話に残されたメッセージを鮮明に聞き取れないことがある。少しくらい聞き取れなくても、たいていの場合、文脈から補って意味をとることはできる。

 たとえば、こんな具合だ。
 

こち●●、神戸●●姫●支部の●●●の鈴木です。昨日期日の●●●た平成28年(ワ)の第25796号●●の件で、お●●したいことが●●●●ので、お●●下さい。電●●号は、079-223-2721です。


 3分の1が聞き取れなくても、以下のように、理解することができる。
 

こちらは、神戸地裁姫路支部の書記官の鈴木です。昨日期日の開かれた平成28年(ワ)の第25796号事件の件で、お話ししたいことがありますので、お電話下さい。電話番号は、079-223-2721です。


 困るのは、こんな場合だ。
 

こちらは、神戸地裁姫路支部の書記官の鈴木です。昨日期日の開かれた平成28年(ワ)の第25796号事件の件で、お話ししたいことがありますので、お電話下さい。電話番号は、079-223-27●●です。


 なぜか、メッセージの後ろの方、特に電話番号など肝心な情報を伝える場面で、急に早口になったりする。数字の場合、一つ欠けても、文脈から補うなど不可能なことである。

 私が留守電にメッセージを残す場合、こちらの電話番号については、逆に、他の部分の倍くらいの時間をかけて、ゆっくりと発音し、さらに、それを繰り返す、ということをしている。

 それだけ気をつければ、先方が電話番号を聞き取れなくて、折り返しの電話に苦労するということはないはずである。

 数字の場合、文脈で補うことは通常は不可能なのだが、数字が常に重要というわけでもない。

 たとえば、こんな場合だ。
 

こちらは、神戸地裁姫路支部の書記官の鈴木です。昨日期日の開かれた平成28年(ワ)の第25●●●号事件の件で、お話ししたいことがありますので、お電話下さい。電話番号は、079-223-2721です。


 こちらは京都の事務所である。神戸地裁姫路支部の事件と言えば、過去25年間で2件しか受任したことはない。だから、神戸地裁姫路支部というだけで事件は特定されるのである。

 もちろん、京都地裁からの電話だと、第○民事部○係というところまで言われても、事件が特定できないことがある。そんな場合は、当時者名を言ってもらうのが、ありがたい。

 事件番号を言う書記官もいるが、弁護士事務所は、裁判所と違って事件番号で管理しているわけではない。

 私は、事件の相手方の弁護士の事務所に電話するときには、事件番号ではなく当事者名を言う。それで、十分なのだ。

 他方、裁判所に電話をするときには、事件番号を言うようにしている。当事者名を言っても、よほど印象的な事件でない限り、書記官には分からない。

伝えるべき実質的な内容は同じでも、相手の事情【知識、関心、態勢など】に応じて表現は変えなければならないのである。

こんなことを偉そうに言っている私であるが、相手に理解してもらえなくて説明が不味かったなと反省することは、数知れない。

主語は固定する

 インターネットが一般に普及して約20年になるが、未だに、自社のウェブサイトを持っていない企業もある。

 他方で、インターネットを活用し、ウェブサイトで多様な情報を発信している企業も数多くあり、大企業の場合は、ページ数が、何万頁にも及ぶものがあるという。

 それだけ巨大なウェブサイトになると、管理も大変である。ウェブサイトには、外部のサイトへのリンクが多く張られるものだが、よほど注意をしておかないと、リンク先のウェブサイトがなくなっており、「NOT FOUND」という表示がなされることになる。そんなリンク切れが多いと、そのウェブサイト自身の信頼性にも関わってくる。

 先日、たまたま見つけたのだが、IBMがウェブサイト管理用のソフトを開発していて、そのソフトを使えば、人の目だけでは到底管理しきれないような巨大なウェブサイトのリンク切れや、その他の不具合を自動的に検証することができるとのことだった。

 週に1回、このソフトで検証し、改善方法を検討し、改善する、というサイクルを繰り返すことによって、ウェブサイトの総頁数が2万頁あまりの企業グループでは、以前は、2万件を超えていたリンク切れが、こまめに修復されるようになり、今では、せいぜい、数件になった、ということだった。

 その解説【IBM Rational Policy Tester】の中に、次のような一節があった。

   ワークフローに従って週単位で処理し、
   メンバーから頻繁に状況が確認されることで、
   エラーを放置できない体制になっています


 意味をとれないことはないのだが、どうも引っかかる。原因は、どこにあるのか?

 原因は、1行目の主語は、明示されていないものの、2行目にある「メンバー」のはずだが、2行目の主語は、「状況」であり、しかも、これを主語にすることによって、受動態になっているのである。つまり、【主語の交替】【能動態、受動態の混在】という二つの要素が、『ひっかかり』の原因である。

 だとすれば、その原因を取り除いて、次のようにすれば、引っかかることはなくなるのである。
 

   ワークフローに従って週単位で処理し、
   メンバーが頻繁に状況を確認することで、
   エラーを放置できない体制になっています


 なお、視点を固定することの重要性については、以前のブログでも触れている。

    【フランチャイザーのフランチャイジーに対する・・・

    【解説図(徘徊事故 最高裁判決)を比較する

いりこ、ドンコ、鰹節、昆布

 水曜の朝日新聞の夕刊に、「黒木瞳のひみつのHちゃん」というエッセーがある。先日の【結婚生活=食べること】という題名の記事の冒頭に、次の一節があった。

最近、ダシをとるのにハマっている。大きなボウルにたっぷり水を入れて、いりこ、ドンコ、鰹(かつお)節、昆布をどさりと入れる。

 
 いりこ、鰹節という魚を素材とした出汁の材料が出てきたので、その2つに挟まれた「ドンコ」というのも何かの魚に由来するものと考えた。だが、何のことか分からず、ネットで調べてみた。

 【Wikipedia 「ドンコ」】によると、ハゼの仲間に、そういう魚がいることが分かった。だが、記事を読んでいっても、出汁をとるのに使われるということは書かれていない。

 そこで、記事では、何か全く別の「ドンコ」を指しているのではないか、と思いを巡らした。ネットで調べている内に、「かさが開かないうちに採取した椎茸を干して作った干し椎茸」を指すのだと分かった【生活環境研究所ブログ‐食のあれこれ‐】。

 そういえば、干し椎茸のことを「ドンコ」と言うのを聞いた記憶は微かにあった。
 
 ただ、記事を読んだときは、そんな記憶はどこかに行っていたので、いりこ、鰹節に挟まれた「ドンコ」は、魚に違いないと思い込んだのである。

 これが、たとえば、【いりこ】【鰹節】【昆布】【ドンコ】となっていたら、魚が並んで、次に、海草が来たのであるから、次の「ドンコ」も海草か、陸の植物か、という推定が働く。そういう目で読めば、私の微かな「ドンコ」に関する記憶も呼び起こされて、干し椎茸のことだと分かったはずである。

 このように、いくつかの単語を並べて書く場合、無頓着に並べるのではなく、同じ種類のものは、まとめて書き、種として遠いものは離して書く、ということが、誤解を避けるには必要だ、ということである。

 そう考えると、【いりこ】【ドンコ】【鰹節】【昆布】は、【いりこ】【鰹節】【ドンコ】【昆布】でもだめで、【いりこ】【鰹節】【昆布】【ドンコ】でなければならないのである。

 他に具体例を挙げると、出版社系の週刊誌を列挙する場合は、「文春、新潮、現代、ポスト」とすべきであって、「文春、現代、新潮、ポスト」とすべきではない、ということである。

 旧ソ連に属した国を、4つ列挙する場合でも、「ベラルーシ、ウクライナ、キルギスタン、トルクメニスタン」なら分かりやすいが、これが、「ベラルーシ、キルギスタン、トルクメニスタン、ウクライナ」だと、若干の違和感があり、誤解のもととなる。

 いささか寂しくなった家電業界であるが、「松下、サンヨー、シャープ、東芝、日立、日本電気」なら、しっくり来るが、「松下、東芝、日立、サンヨー、日本電気、シャープ」だと、混乱する。

 もちろん、列挙された単語について何の知識もない人が読むのであれば、混乱も何もないのであるが、多少なりとも、知識がある人の受取方を考えれば、列挙の順番には【必然性】があるのである。

本人が弁護士とともに出家することを伝えてきた

 依頼者にとって、弁護士は、いくら自分のことを理解をしてくれているといっても、やはり「他人」である。そんな中で、まるで自分自身が当事者であるかのごとく行動してくれる弁護士がいたら、どんなに心強いことだろう。

 先日、そんな弁護士の一人で刑事弁護で無罪判決を14件とったことがあるという今村核弁護士のドキュメント番組のことを友人に聞いて、早速、ユーチューブで、それを観た【ブレイブ 勇敢なる者 NHK】。

 私自身も、ネット情報の削除の事件については、自分に与えられた使命と感じるほど、力を入れており、まさに自分自身が当事者のように感じて、自らが原告になったり、刑事事件の告訴人、告発人になろうかなどと、考えることもある.。けれども、現実には、なかなか、そこまでできないものである。
 
 それだけに、今村核弁護士のような存在を知ると、無条件に尊敬してしまうのだ。とはいえ、自らの生活をも顧みずに依頼者のために全てを捧げる姿をみていると、せっかくの自分の人生なんだから、もう少し自分のことも考えたらどうなんだ、という思いもするのだが、そんな思いを抱くのは凡人の限界ということだろう。

 だからこそ、依頼者のために自らが当事者であるかのごとく振る舞う弁護士の話をを聞くと、どうして、そこまでできるのかと、興味が尽きないのである。

 ちょうど、そんな今村核弁護士の番組を観た直後に、清水富美加という女優が「幸福の科学」の活動に専念するため所属事務所を辞めるという記事を見たのだが、その一節に、こんな記載があった。

所属事務所によると、本人が弁護士とともに出家することを伝えてきたという。                                                       【朝日新聞 2017.2.13夕刊、大阪本社発行第4版16頁】


 これを見た瞬間、そこまで依頼者に寄り添い、一緒に出家までする弁護士がいるのかと驚いた。それにしても、そこまでするか?という疑問もあり、記事をよく読んでみると、弁護士まで出家するわけではないようだった。

 その後、同じ記事をネットで検索すると、以下のように、微妙に異なった表現になっていた。

関係者によると、本人が弁護士とともに所属事務所に対し、出家することを伝えたという。                             
朝日新聞デジタル 2017年2月12日19時52分


 この表現であれば、弁護士も出家する、という誤読の可能性は、ぐんと減るだろう。しかし、これでも、万全とは言えない。

 結局、「出家」の前に、「弁護士」という単語がある以上、いかに、句読点などを工夫したとしても、「弁護士が出家」と誤読する可能性があるのだ。だったら、以下のように、「出家」の後ろに「弁護士」を入れるほかはない。

所属事務所によると、本人が出家することを弁護士とともに伝えてきたという。


 より一般化して言えば、主語を動詞の直前に置く、ということになる。さらに一般化すると、これまでも、何度も触れて来たことであるが、修飾語を被修飾語の直前に置く、ということである。

 このブログで何度も触れる、ということは、それだけ、気をつけなければ行けないと言うことで、日々の新聞記事でも見かけることであり、このブログを書いている私自身でさえ、以前の文章を読んで、この原則に反していることに気づいて、こっそり訂正することもあるのだ。

 だからこそ、この基本中の基本というべき原則については、常に注意を喚起しなければならないのである。

@shiokinin と、@shiokininの違い

 さきほど、不適切なツイートを削除させるために、Twitter に対して、 【嫌がらせや迷惑行為の報告】を行った。

 この「報告」をするには、いくつかの情報を入力しなければならないが、その中に、次の項目がある。
  ①報告対象アカウントのユーザー名
  ②報告対象ツイートのURL

 全ての項目に入力をして「送信」ボタンを押したところ、次のようなメッセージが出てきた。

報告されたツイートは報告されたユーザーによって投稿されていません。ツイートとユーザーは一致する必要があります。


 上記の①と②に齟齬があるというのだ。

 しかし、①も②も、自分でキーボードをタイプしたわけではなく、問題のツイートから、コピー&ペーストで、入力したのであって、間違いようがないはずだ(この点は、以前に書いたブログ【コピーできるものは、コピーする】を実践しているわけである)。

 間違いようのない方法で入力したにもかかわらず、エラーが出たわけである。

 しばらく、途方に暮れていたのだが、改めて見直してみると、①報告対象アカウントのユーザー名 が間違っていた。具体的には、こんな具合だ。
 

訂正前 @shiokinin
訂正後 @shiokinin


 さて、どこを訂正したのだろうか? 一見して、全く同じである。 でも、違うのだ。

 違いは、スペースだ。訂正前は、「@shiokinin 」と、末尾の「n」の後ろにスペースがあるのに対して、訂正後は、「@shiokinin」と、スペースが入っていないのだ。

 これを確かめるには、文字列を選択して、反転させてみるといい。スペースの部分も反転するので、スペースが「可視化」されるのだ。具体的には、こんな具合になる。

スペース


 以前のブログ【コピーできるものは、コピーする】で書いたように、間違いを避けるためには、コピーをするのがいいのだが、そのコピーをするに際しては、「見えないスペース」までコピーしてしまわないように、細心の注意が必要というのが、本日の教訓である。


A氏にお支払いいただくことになります

 交通事故の依頼者(過失割合20%)の方が持参した相手方が契約している保険会社からの損害賠償額計算書を読んでいて、一瞬、疑問がよぎった。

 依頼者に対して先方から支払をすると言う損害賠償額の明細の下の方に、相手方(A氏)に生じた物損について、次のような記載があった。

A氏にお支払いいただくことになります


 一瞬の疑問というのは、A氏が支払ってくれるというのか、というものだった。

 物損がどちらに生じたのか、ということについて、あまり意識していなかったために、この一文を読んだときに、A氏の任意保険が人損のみで物損をカバーしていないので、人損については保険会社から支払うが、物損については、加害者であるA氏から支払ってもらう、という意味かと思った。
 
 だが、よく見ると、物損は、A氏の車に生じた物損である。だったら、支払をするのは、依頼者の側である。

 であれば、次のように書けば誤解の隙はなくなる。
 

●●様からA氏に対してお支払いいただくことになります


 結局、助詞の「に」が多義的なことによる誤解だったのだが、「の」や「へ」や「が」という助詞は、便利ではあるが、多義的なので、つい無頓着に使ってしまい勝ちである。

 助詞が多義的であることは、【東京外大 文法モジュール 格助詞】を見ればよく分かる。

 「に」だけでも、実に多様な意味がある。だからこそ、無頓着に使うと思わぬ誤解を生むのである。

不要な情報はカットする

 教科書や参考書の大事なところに色鉛筆で線を引いたり、ラインマーカーで印を付けたり、というのは、誰でも経験したことがあるだろう。

 司法試験の勉強をしていた頃、基本書に色鉛筆で線を引いていたのだが、あるとき、それまで使っていた赤と青だけでなく、もっと色を使ってみようと思い立った。

 条文は赤、判例は青、通説は緑、少数説は橙、・・・・と、全部で、7色くらい使った。

 そのときは良かったのだが、数日経って大失敗と気づいた。

 後で見返すと、どの色が何だったかをすぐに思い出せないし、何よりも、本を開いたときに、やたら色々な色が目立って、落ち着いて考えることができないのだ。
 
 そういうわけで、その試みは数日でやめにした。

 話は変わって、コンタクトレンズの話。視力1.0でも、1.2でも、出そうと思えば出せるのだが、私は、0.6~0.8程度に抑えている。

 1.2も見えたりすると、部屋の壁紙の細かな起伏まで見えてしまい、疲れるのだ。お試しの1.2見えるレンズを入れてもらって、ぐるりと周囲を見渡すと、疲れるどころ、頭がくらくらしてしまう。

 おそらく、脳の中では、大量に入ってくる情報を、必要なものと不要なものに振り分けるために、大変な作業が行われているのだろう。だから、不必要に細かな情報は目に入れないようにしたほうが、脳の負担は軽減されるのではないだろうか。

 昨年、近くの図書館で1950年代の日本映画を借りて観たのだが、モノクロで、画像の解像度も低いし、音声も、さほどクリアではない。

 ところが、その分、目を凝らし、耳を澄まして聞いているのに気づいた。

 余分な情報が入って来ない分だけ、与えられた情報の中から、何とか有益な情報を探ろうと、必至で脳が働いているようだった。

 ウェブサイトでも、分かりやすくしたつもりなのか、やたらと図形や色を使っているのがあるが、そのまま観るのは、とても疲れる。そんなときは、モノクロで印刷して情報量を減らして読むようにしている。

酉取県、誕生

 群馬県と栃木県、島根県と鳥取県、というのは、混同されやすい県の代表格だ。

 なぜ、混同されるのかというと、それぞれ、以下のような共通点があるからだ。

【1】場所

  
  群馬、栃木は、関東北部の内陸県
  島根、鳥取は、中国地方の山陰側

【2】形


  群馬、栃木は、正方形ないし円に近い形
   (他に、そんな形の県は、岡山、山梨くらいである)
  鳥取、島根は、横長の長方形に近い形

【3】人口規模


  群馬、栃木は、200万人弱で、19位と18位
  島根、鳥取は、60万人前後で、46位と47位

【4】名称


 群馬、栃木は、全く異なり、この点は、混同される要素にはならない。

 島根、鳥取も、声に出して読めば全然違うが、漢字だと、先頭の「島」と「鳥」が似ており、地図で見たときの印象が何となく、同じようになってしまう。

 そこで、同じ「とり」ならば、酉年の今年、「鳥」を「酉」に変更するのも一案かも知れない。

 以前、スターバックスが全国で唯一、鳥取県に存在しない時代のこと、「スタバはないけど、スナバはある」というキャッチコピーで、鳥取砂丘をアピールしていた県である。酉年の今年、全国に存在をアピールするために、酉取県に改称するのもいいのではないか。
 
 このブログの最初の記事【フランチャイザーのフランチャイジーに対する・・・】で、外来語を避けるべきだと書いたが、「フランチャイザー」「フランチャイジー」が混同されやすいのも、「フランチャイ」までが共通だからだ。

 たとえばの話、仮に、「フランチャイザー」と「チャイジーフラン」であれば、外来語ではあるけれども、さほどの混同は起きなかったであろう。

 かつて存在した日弁連の報酬規定では、弁護士の「報酬」として、「着手金」「報酬金」という定めがあった。けれども、「報酬」と「報酬金」という常識的に考えて同じような言葉を使っていたのでは、外部の人は混乱するだけである。

 ネット上で各法律事務所の報酬規定を見ることがあるが、従来の「報酬金」を「成功報酬」としている事務所が結構あるが、こちらの方が、ずっと分かりやすい。

 あと、一般に混同されがちなのが、「被告」である。裁判で訴えられると、「被告」と呼ばれることから、刑事事件の「被告人」にされたような印象を与えてしまい、ただでさえ感情的に対立しているところに、余分なストレスを与えてしまうものである。

 「被告」の替わりに、調停のように「相手方」とか、もう少し、ましな呼び名はないものだろうか。

何度も何度も何度も推敲

 このブログの熱心な読者なら気づいていることだろうが、しばらくたって以前の記事を見ると、表現がだいぶ変わっていることがある。

 というのも、一度、記事を投稿した後も、しばらくの間、自分で何度も読み返して、誤字脱字、分かりにくい表現、何か引っかかりを覚える表現があれば、修正しているからである。

 そんなに気をつけていても、半年くらい経ってみると、何で、こんな誤字に気づかなかったのだろうというのを発見したり、このブログの素材にしたくなるような「分かりくい」表現に気づいたりすることもあるのだ。

 何度も読み返して修正を加えることは、私にとっては、全く苦ではない。それどころか、新たな発見があるのだ。

 日を置いて読み返して、一瞬、別の表現がいいのではないかと思っても、よくよく考えてみると、そのままの方がいい、ということも結構あったりして、我ながら、よく考えていたのだな、と自画自賛することもある。

レターパック

 遠方の裁判所や相手方に裁判書類を送るのに、レターパックを使うことが多い。

 ただ、このレターパック、2種類あって、レターパック「ライト」とレターパック「プラス」とがあり、どちらを使うべきか悩むことが多い。

 悩むのは私だけではなく、両者の違いを質問する人が多いのだろう。いつもと違う郵便局に行ったところ、窓口の横の壁に、大きく図解されていた。
 
レターパック-1

 確かに分かりやすい。だが、一番下の「追跡サービスあり」の記載が勘違いを誘発しかねない。

 わざわざ、分けて説明していると、違いがあるから分けているのだと思いがちである。そのときは、ちゃんと理解したつもりでも、あとで思い出すとき、「確か、違いが3つあったようで・・・追跡サービスの違いだったかな・・」と思わぬ誤解を招きかねないのである。

 そんな誤解の種も蒔かないようにするには、次のようにするのがいい。

レターパック-2


 上記の発想、つまり、共通のことは、別々に書かずに、まとめて書く、というのは、実は色々なところで使われている。

 たとえば、民法典。契約の解除について、各種の契約に共通の債務不履行解除は、契約総則に書かれており、契約類型毎に異なる解除原因は、各契約類型のところに書かれているのである。各契約類型のすべてに債務不履行解除が書かれている場合の煩雑さを考えれば、いかに合理的な条文体系なのかが理解できるだろう。

 人に何かを伝えるときも、常に、こういったことに気をつけていれば、簡潔で、間違いない情報伝達ができるはずである。

合格率のパラドックス

 文部科学省は、法科大学院での司法試験の受験指導については、厳しく禁止しているようで、以前、とある法科大学院の関係者から聞いたところでは、文科省の目を盗んで、「闇で」受験指導をしているとのことだった。

 ところが、その一方で、文科省は、司法試験合格率の低い法科大学院に対しては、廃校に追い込んだり、補助金をカットしたりと、合格率の低い法科大学院は存在意義がないと言わんばかりの対応をしているのである。

 それは、ともかく、次に掲げるのは、合格率で鎬を削っている、A,B両大学の法科大学院の言い分である。

【A大学】
当大学院は、男子学生の合格率、女子学生の合格率、ともにB大学を上回っている。

【B大学】
当大学院は、全体の合格率をみれば、A大学を上回っている。



 どちらかが嘘をついているのだろうか。はたして、どちらも正しいということがあるのだろうか。

 直感的には、A大学の言い分が正しければ、B大学の言い分が誤り、ということになりそうである。けいれども、絶対にそうだと言い切れるだろうか?統計上の数字は、以前にも書いたが【平均値の罠】、ときとして、直感に反することがあるので、要注意である。


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 実際、男女別の合格率では上回っているのに、全体の合格率では下回る、といったことが、あるのだ。

合格率


 では、仮に、他の要素は一切、無視するとして、合格率のみで法科大学院を選択する場合、どちらの法科大学院を選択すべきだろうか?

戦闘は3日も続き・・・・・

 昨年は4か月もブログを中断したこともあって、今年受け取った年賀状には、ブログの再開を楽しみにしていると書かれているものがあった。期待されると、それに応えようという気になるもので、今年は、一日も欠かさず、ブログを書き続けることにしようと、新年の誓いを立てた次第である。

 ところが、しばらく休んでいるとなかなか筆が進まない。新聞に目を通しても、新年の特集記事ばかりで、あまり読もうという気にもならず、結果的に、ブログの素材が見つからない。

 そんなわけで、今日は、以前に書きかけていた記事を引っ張り出して、それに手を入れたものを掲載することで、お茶を濁すこととしよう。(というより、こんなときに備えて、結構、書きかけの記事があるのだ)

 では、本題。 (昨年4月4日の記事と思って読んでほしい)
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 昼のニュースで、アゼルバイジャンとアルメニアの武力衝突のニュースをやっていたのだが、その中で、「戦闘は3日も続き・・・」というのを耳にして、ふと疑問に思った。

 各地で武力衝突が起き、シリアや南スーダンのように何年も、それが続いているというのに、たった3日間で、なぜ「3日も」と、「も」をつけるのだろうと思ったのだ。

 その後、すぐに、今日が「4日」なのに気づいて、アナウンサーは、「3日間も」という意味ではなく、4月2日で終わらず、翌3日も戦闘が続いた、という意味で言っていたのだと気づいた。

 「も」の意味について考えてみると、次のような使い方がある。


【1】量的に多いという意味を込めて使われる場合

     彼は、【1日だけ】仕事を休んだ。私は、【2か月も】休んだ。

【2】あること(人)について生じた事態が、別のこと(人)について生じたため、「同様に」という意味を込めて使われる場合

     【彼は】、1日だけ仕事を休んだ。【私も】、1日だけ休んだ。



 いずれの意味で使われているのかは、「も」の直前の単語が、量的な意味を有する言葉なら前【1】、そうでなければ【2】、ということになる。

 今回の「3日も」というのを私が誤解したのは、「3日」というのが、「3日間」という量的な意味を持つものだとも解され、他方、「4月3日」という特定の日を指すだけで量的意味を持たない場合もあるからだった。

 逆に誤解を招かないようにするには、「3日」という多義的な言葉を使うのではなく、「3日間」とか、「4月3日」(今月3日、昨日など)という一義的な言葉を使うべきだった、ということになる。


読めない!

 そのサイトを開いて画面を見た瞬間、頭がくらくらして、吐き気を催した。バスに酔った記憶は数少ないのだが、たとえて言えば、長時間、曲がりくねった山道をバスに揺られていた時のような感覚だった。取りあえず、縮小した、その画像を貼り付けるが、怖いもの見たさで、元のサイト【中学入試における異様な体験】を見る人は覚悟されたい。

 
行間ゼロ


 何が問題か言うまでもないが、行間が、ほとんどゼロなのだ。これを読むには、ブラウザを開いているウインドウの横幅を、通常の5ぶんの1くらいに細くするしかない。

行間ゼロ-細く


 これでも読むのは大変であり、ストレスなく読もうとするなら、ワープロソフトに貼り付けて、行間を拡げ、さらに、2、3行毎に空白行を入れる外はない。

 ところで、この文章の中身を読めば分かるのだが、どうやら筆者は大学で講義をしているらしい。であれば、職業柄、学生に「分かりやすい」講義をするための工夫を凝らしているはずであるが、それなのに、講義と無関係のブログでは、こんな無頓着な表現をしているは理解できないことである。


表の分断は極力、避ける

 対局中に将棋ソフトを使用したという嫌疑で竜王戦の直前に出場停止処分を受けた三浦弘行九段の件で、将棋連盟が委嘱した第三者委員会の調査報告書が公表された【毎日新聞】。

 その報告書の、1頁目から、2頁にかけて、疑惑の対象となった対局を整理した表が掲載されている。
 
将棋報告書


 問題点は、二つある。

 一つは、2頁目の表には、「日付」「公式戦名」といった項目名の記載がない点であり、以前のブログ【改頁に注意】にも書いたとおりである。

 もう一つは、一つの表が分断されている点である。

 もちろん、分断が常に駄目だというわけではないが、この表の場合、全体でわずか5行である。次の頁に表全体を収める方が、ずっと分かりやすいし、この程度の小さな表であれば、1頁目の下の部分に若干の空白はできるものの、それほど、見栄えが悪くなるわけでもない。 

 大きな表の場合、次の頁に送ると、前の頁の空白が多くなってしまうので、表を分断するのもやむを得ないといえるが、たとえば、最後の一行か二行だけ次の頁という場合は、分断を避けるべきである。その場合、読者が、その空白を見て、印刷漏れではないかという誤解をしないように、たとえば、「次頁の表のとおり」といった注釈を付けるようにしている。

★更新中断、★島崎法律事務所へのメールの対応に関するお詫び

お盆休みから更新がぴたり止まって、熱心な読者の方には、大変ご心配をおかけしております。

20日を目処に更新を再開いたしますので、今しばらく、お待ち下さい。


★ 島崎法律事務所のホームページから、メールを頂いている皆様へ

回線上の問題のため、対応できず、ご迷惑をおかけしております。
このブログのコメント欄に、非公開設定で、ご連絡いただければ、対応させて頂きます。
ご面倒をおかけしますが、よろしく、お願い申し上げます。

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復旧が遅れ、ご迷惑をおかけしております。遅くとも、11月末には、再開致します。
【2016.11.12 追記】

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復旧が予定より大幅に遅れ、ご迷惑をおかけしましたが、ようやく、復旧、ブログを再開しました。
【2016.12.29 追記】

感覚に寄り添う

 ネットで列車の時刻を調べる際、最初に出てきた検索結果を見て、「もう少し遅い時間のにしたい」と思い、出発時刻を変更することがあるが、そんなとき、ジョルダンの乗り換え案内は、大変、便利にできている。

乗り換え


 どこが便利かというと、一番上に、「5分後」「10分後」「30分後」「60分後」というボタンがある点だ。

 もちろん、画面の下の方に行くと、ピンポイントで「何時何分」という指定ができるようになっている。

乗り換え-2


 けれども、列車を探す場合、「何時何分」というより、「もう少し遅い時間」というように、漠然とした感覚しかない場合が多く、その場合は、「5分後」とか「60分後」とかを、ボタン一つで選択できるほうが、ずっと便利なのだ。

 しかも、その「●分後」の「●」なのだが、「10,20,30,40」といった等間隔ではなく、「5,10,30,60」というように、次第に幅が拡がっており、「少しだけ」「もう少し」「もうちょっと」と言った、ざっっくりしとした「感覚」にぴったりの幅なのである。

 このように、「分かりすさ」を追究するには、純粋に、数学的、論理的な思考をすればいいのではなく、言語で明瞭には説明したがたい、人間の感覚に、どう寄り添うか、ということが大事なのであり、上記の例は、そのことを雄弁に物語っている。

カンマ「,」に気をつけよう

 京都市内の公共施設の料金表で以下の記載を目にした【京都市中央斎場】。
 
コンマ-1

 「市内大人」と「15,000」とが接着しているのも問題だが、同時に、「,」と「0」の間が異様に空いていてる。間にスペースでも入れているのかと思って調べてみた。

 やり方は、「5」と「,」それぞれについて、マウスポインタを当てて一文字分だけドラッグするというものであり、一文字分だけ、背景を青く反転させることができる。

コンマ-3

 上記のとおり、「5」は半角文字、「,」は、全角文字になっていた。異様なスペースの原因は、これだったのだ。

 「,」は、ただでさえ、一文字分の幅の中で左に寄っていて、後ろに無用なスペースがあるように見えてバランスが悪いのだが、半角数字の中に全角の「,」を混在させると、このように、全く間延びしてしまい、「,」の後は、別の数字かと思えてしまうのである。

 上に、「,」は、ただでさえバランスが悪いと書いたが、私は、バランスをとるために、冒頭の例とは逆に、全角の数字の中でも、あえて、[,」だけは、半角にしている。さらに言えば、フォントを等幅フォントでなく、プロポーショナルフォントにすれば、一層、バランスも良くなる。

コンマ-4

 なお、等幅フォント、プロポーショナルフォントについては、【フォントの基礎知識】を参照されたい。

 冒頭の料金表は、他にも色々と問題点があるのだが、とりあえず、改善例を、以下に示す。

コンマ-2


 改善点は、以下のとおりである。

二次元の表にした。冒頭の料金表も「表」には違いない。
●●●けれども、「市内・市外」と「大人・小人」を縦横に組み合わせないと、表にする意味はない。

数字、カンマを、半角に統一した。

日中戦争拡大や政党政治を壊滅させ・・・

 先日の京都新聞【2016.8.11 朝刊】に、元首相の近衛文麿について、こんな記載があった。

 日中戦争拡大や政党政治を壊滅させ、太平洋戦争へとつながる翼賛体制を築いた政治家として知られる。


 なんとなく意味は分かるのだが、表現としては誤りというほかはない。正しく表現すると、こうなる。

  【誤】 日中戦争拡大や政党政治を壊滅させ

  【正】 日中戦争を拡大し政党政治を壊滅させ


 2つの事柄を順に記載する場合、【名詞①×動詞①】+【名詞②×動詞②】と表現する場合【1】が多い。さらに、これを変形し、動詞の語幹部分を抽出して名詞に取り込み、【複合名詞①+複合名詞②】×【(実質的な中身のない)動詞】のように表現する場合【2】も、ある。

 ところが、動詞の語幹部分の名詞への取り込みを、二つある動詞の一方についてだけ行った場合【3】、【複合名詞①+名詞②】×【動詞②】といった、意味の通らない文になるのである。

 言葉では的確に表現できないのだが、下記の図で、言わんとすることを理解してほしい。

複合-7


複合-8


紛らわしい文字は使わない

 たとえば、ネット上のブログにコメントを送信をする場合、画像が出てきて、そこに記載された文字を読み取って入力するように求められることがある。

 こういった仕組みにしている目的は、悪意をもったユーザーがプログラムを作って自動的にコメント欄に大量のコメントを送りつけてくることを防止することにある。

 画像から文字を読み取って入力するという過程では、必ず、生身の人間が介在しなければならず、プログラムを使って自動的にコメントを送ることはできない仕組みになっているのである。

 もちろん、理論上は、OCRという、画像から文字を読み取るソフトもあるのだから、それを組み込めば自動的にコメントを送りつけることも可能ではある。

 しかし、OCRの機能は必ずしも十分ではなく、他方、コメント送信の際に表示される画像の中の文字は、向きが傾いていたり、余分な線が上に書かれていたりと、OCRで簡単には読み取れないようになっている。

 たとえば、こんな具合である。

大文字小文字

 このように、OCRによる読み取りを不可能にするための工夫をするのは結構なことなのだが、OCRだけでなく、人間でも簡単には読み取れないことがある。

 つまり、ぱっと見て、大文字と小文字が混在していると分かるのだが、「F」のように大文字であることが明らかなものもあれば、「S」のように紛らわしいものもあるのだ。

 画像の中の文字が見にくい場合は、改めて別の画像を表示させるためのボタンがあるのだが、これを押しても、また「C」のように紛らわしい文字が出てくることがある。ときには、5,6回目で、ようやく、すべての文字が明確に認識できる場合もある。

 文字の書かれた画像の表示は、コンピュータが乱数を用いてランダムに表示しているのだが、予め、紛らわしい文字を排除しておけば、こういった問題は生じない。大文字、小文字の混同だけでなく、数字との混同という場合もあるので、それを含めて、紛らわしい文字を排除する必要がある。

 そこで、どんな文字を排除すればいいのか検討した結果が、次の表である。

 
混同

 この表に従うと、使える文字が少なくなってしまうが、文字入力を求める目的からすれば、問題ないはずだ。

------------------------------------------------------------------------

 昨日の図に不備があったので、修正した。同時に、アルファベットと数字の混同をまとめた右側の小さな表に手を加え、より分かりやすくした。どこが、どう変わったか、また、なぜ変えたのかを、じっくり考えてほしい。

 混同-2


 分かりやすくするためにした変更は、以下のとおりである。

   前の表は数字が先頭に来たり、末尾に来たりと不統一だったが、大文字、小文字、数字の順にした。
   その結果、右端に縦に、0,6,7,9と数字が順に並び、整理された感じになった。
   「数字とアルファベット」という見出しを、「大文字、小文字、数字」に変えて、実際に下に書かれている文字の種類に対応するようにした。

 いずれも些細な変更であり、「どうでも、いいじゃないか」と思う人も入るかも知れない。けれども、「神は細部に宿る」という言葉があるように、どんなに小さなことでも、少しでも「分かりやすく」する姿勢が大事だと、私は考えている。

【2016.8.13追記】


営業時間の表示は、こうする

 最近みつけて気に入ったカレー屋さんに行こうと思って、食べログを見た。

 食べログを見る目的は様々だろうが、電話番号、場所、定休日、営業時間の情報は必須であり、次に必要な情報はメニュー、座席数などで、最後に、実際に利用した人の評判、という順番だろう。

 ところが、食べログを開いても、営業時間の記載は見当たらない。店の特徴の説明の画面から、スクロールして行くと、延々と投稿写真や利用者のコメントが出てきて、ようやく、「店舗基本情報」というのに辿り着いた。「基本情報」こそ、多くの閲覧者にとっては重要な情報のはずなのだから、記事の冒頭に配置すべきである。

 こうして見つけた営業時間の欄には、こう書かれていた。

 
営業-0


 特定の日時に営業しているかどうかを確認するだけなら、これでもいいだろう。けれども、ここ2、3日の間に行こうという漠然とした予定で、前もって営業時間を確認しておこうという場合、こんな書き方だと、いつ行けばいいのか、頭の中に入って来ない。

 これが文字情報の限界である。こんな場合こそ、表形式で情報提供すべきである。たとえば、こんな具合だ。

営業-1

 この表を見れば、昼の営業は、一律に11時半からだということは一瞬にして分かる。けれども、食べログの記載だと、そうはいかない。

 単純に表にするだけでも十分に分かりやすくなったのだが、まだ、工夫の余地がある。

 上の表では、時刻の記載が左側にしかないので、週末の営業時間は分かりにくい。そこで、右側にも時刻を記載したのが、次の表だ。

営業-2


 確かに分かりやすくなった。だが、週の前半は、昼間しか営業していないのだから、左側の時刻のうち、遅い時間帯の時刻は不要だ。むしろ、目障りである。そこで、不要な記載を消したのが、次の表だ。

営業-4

 もう一つ付け加えると、食べログの情報では、水曜日は、「500円カレー」となっているが、これでは、水曜日は、通常メニューに加えて、「500円カレー」をやっているのか、あるいは、「500円カレー」しかやっていないのか、判然としない。

 先ほど、この店でカツカレーを食べたときに確認すると、水曜日は、通常700円の一番シンプルなカレーを500円にして、その「500円カレー」だけを提供しているとのことだった。そこで、表には、「500円カレーのみ」と書いたのだ。

 さらに、水曜日は、背景色も、薄いグレーにして、通常メニューの提供はしていないことが直感できるようにした。かりに、通常メニューに加えて、「500円カレー」をやっているのだったら、グレーではなく、薄い緑などで彩色して、「プラスアルファ」のメニューであることを直感できるようにするところだ。

 最後に、もう一つ、食べログの記載の問題点を指摘しておく。

 月曜、火曜は、営業時間が同じなので、「月・火」とまとめて記載しており、木曜、金曜も、同様に、「木・金」とまとめて記載している。他方、土曜は、単独で記載され、その次は、「日・祝」となっており、土曜日と日曜日では営業時間が違うのかと思って、よく見ると、結局は同じだった。だったら、「土・日・祝」とまとめて書くべきである。

 このように、中途半端にまとめて記載すると、見る側を混乱させてしまう。

 表にするにあたて、同じ営業時間・メニューの日はまとめて、「月・火」「水」「木・金」「土・日・祝」の4分類で記載しようかと思ったのだが、あえて、まとめることは止めにした。一日毎に記載したほうが、時間的な広がりが直感できるからである。たとえば、週の前半3日間は昼間のみの営業だということが、直感的に理解でき、記憶に残りやすいからである。

------------------------------------------------------------------------

 ところで、食べログの情報では、営業時間の下に、ラストオーダーは、閉店時間の30分前という記載があったので、この情報も、表に反映してみた。

営業-6

【2016.8.12 追記】




12345六78九

 いつもは「分かりにくい」文章を槍玉に挙げている本ブログだが、今日は趣を変えて、私が「これは分かりやすい」と思ったものを取り上げることとする。

 さきほど郵便受けに夕刊を取りに行くと、佐川急便の「ご不在連絡票」が入っていおり、再配達の自動受付の電話番号とともに、担当者の携帯電話番号が次のように書かれていた。
 

   携帯電話 00-1234-5678


 一瞬、「なんだ?」と思ったのだが、すぐに納得した。携帯電話の頭の3桁は、以前は「090」だけだったことから、「080」が登場してからも、それまでの習慣で「090」としてしまうことがあるため、「9」ではなく、「8」であることを際立たせて、間違い電話を防止しているのだ。

 他に数字の取り違えで多いのが、「6」と「9」である。この二つの数字が駐車場の路面に書かれていると、上下の向きが分かりにくいため、誤解されがちである。そこで、次のように、「6」「9」だけは、アンダーラインが引かれていることが多い。
 

 1 2 3 4 5  7 8  


 これで「6」と「9」の取り違えは防げそうだが、理窟の上では、アンダーラインでなく、アッパーラインという可能性もあるし、そもそも、アンダーラインが引かれていることに気づかない人もいるのだろう。そんなことを配慮したのか、先日、こんな表示をしている駐車場を見つけた。
 

 1 2 3 4 5 六 7 8 九 


 これなら、「6」と「9」を取り違えることは絶対にないだろう。

 上に挙げたように「8」だけ突出して大きかったり、算用数字に漢数字が混じっているのは、見栄えとしては、決していいものではない。しかし、実用の観点からは、こうするのが一番だ思う。

 どうしても、無意識のうちに「格好良くしたい」とか、「普通は、こうするものだ」という常識に囚われ勝ちなのであるが、伝えるべきことを確実に伝えるには、格好良さへの思いや、常識は、捨て去るべきである。

 なお、格好良さや常識に囚われるべきではないということについては、下記の記事を参照されたい。

    「分かりにくさ」の原因は、これだ    
    意味の塊ごとに改行する -調書方式-


表にするしかない!

 福島原発事故から現在までの原発の稼働状況を調べたところ、こんなサイトがあった【東京電力福島第1原子力発電所事故報道】。その一部が、これだ。

原発-2

  これを目にした途端、私は頭がくらくらした。なぜ、文章で、こんなことが書けるのだろう。表にするしかない。そこで作ったのが以下の表だ。
原発

 表にしてしまえば、去年の8月に約2年ぶりに原発が再稼働し、その後、稼働する原発が今年の2月までは、どんどん増えていき、その後は減少に転じ、現在は2基が稼働していることが、一瞬にして理解できる。

 同じことを、文章から読み取ろうとすると、どれだけの時間がかかることだろう。

 さらに、表にすれば、高浜4号機は、わずか4日しか稼働していなかったこと、川内1号機は、昨年8月から、1年間、ずっと稼働していることも、一目瞭然である。

 うまく表を作成すれば、これほどに、様々な情報を一瞬にして読み取れるのである。表を使わず、文章だけで表現しようとするのは、理解してもらう意欲が欠落しているとしか思えない。

 ところで、この表の原発の順番、川内、高浜、大飯の順を見て、何か気づいただろうか。

 西にある原発から東にある原発へという順番に敢えてしているのである。このように、地理的配置と表の中での位置を同じにすることによって、より理解しやすくなっているのである。

 さらに、表にすることによって、記憶にもしっかり残る。特に、●の一群が図となって記憶されるため、去年の8月から、川内1号基、川内2号基、高浜3号基、高浜4号基と順に再稼働して、この3月からは、その逆の順に停止していったことが、覚えようとせずとも、勝手に記憶に残るのだ。

 なお、文章を表にすることによって劇的に分かりやすくなる場合があることは、下記の記事も参照されたい。

    期限内に提出されたものが・・・  
    証拠説明書は表に限る

貸し切りバスと借家

 「限界費用ゼロ社会」という題名の非常に興味深い記事が、今朝の京都新聞に載っていた。

 「限界費用」というのは、生産量を一単位増やすのに必要な費用のことで、たとえば、お好み焼きを一枚、余分に作るとすると、小麦粉、キャベツ、豚肉など、余分に必要となる材料費とガス代などが、限界費用となる。

 従来は、どんな産業であれ、限界費用がゼロということはなかったのだが、インターネットの登場により、限界費用がゼロの領域が出現して、ますます、その領域が増えているという。

 たとえば、情報を伝達するために、手紙を一通送るにしても、一通につき、切手代82円に加えて、微々たる金額とはいえ、紙代、印刷代、封筒代がかかり、合計で、約90円かかる。

 ところが、電子メールとなると、メールの宛先の人数が増えたところで、追加の費用は一切かからない。

 こういった「限界費用ゼロ」のインターネットを利用して、アメリカの大学を中心として、無料で大学の講義を提供する仕組み、「ムーク」が登場した。記事中に、次のような一文があった。
 

受講の限界費用はゼロだから、受講料はむろんタダである。


 「受講の限界費用」というのに引っかかった。「受講」というのは、文字通り、講義を受けることである。ここでは、大学が講義を提供するための限界費用はゼロだから、受講料をタダにできる、ということを言いたいのである。

 そうだとすると、「受講の限界費用」ではなく、「講義を提供するための限界費用」というべきである。

 大学が講義を提供し、学生が講義を受ける。学生が講義を受けることは、「受講」という簡潔な二字熟語が存在するのに対して、大学が講義を提供することについては、そのような便利な言葉は存在しない。そのため、上の記事では、「受講」とうい学生側から見た単語を流用したくなったのだろう。

 これと同じような関係は、外にもある。「貸し切りバス」である。

 バス事業者から見れば「貸し切りバス」であっても、お客の側から見れば「借り切りバス」というべきである。

 ところが、「貸し切りバス」という言葉が一般化してしまっているため、お客の側も、つい、「貸し切りバスで旅行する」という使い方をしてしまうのである。

 他にも、「借家を持っている」というのも、時々耳にする表現だ。

 正しくは、「貸家を持っている」というべきなのだが、「借家」を借りている人の方が、「貸家」を持っている人より遙かに多いことが原因なのか、「借家」という言葉のほうが、広く使われているため、貸している側の人も、つい、「借家」という表現を使ってしまうのであろう。

 ここで挙げた3つの例は、「誤用」とは言え、誤解を生じさせるほどのものではないのだが、一瞬の違和感を覚えるものである。やはり、「誤用」は避けるに越したことはない。

性別によって変化するのか?

 「弁護士ドットコム」という、定価500円の月刊誌が無料で送られてくる。冒頭の「フロントランナーの肖像」という記事で、毎号、久保利明、宇都宮健児といった著名な弁護士を取り上げていて、それなりに面白い。

 その雑誌(というより、僅か30頁しかないので、小冊子というのが適切)の中の記事に、こんな記載があった。
 

弁護士ドットコムで弁護士を探すユーザーの行動は、性別によって変化するか?


 この文を読んで何も違和感を思えない人は、言葉に対する感覚が鈍いことを自覚すべきだと思う。

 いうまでもなく、「変化」というのは、異なる時点で、ある事物の属性が異なっている場合に使う言葉であり、同一の時点で、ある事物の属性と別の事物の属性が異なる場合に使う言葉ではない。

 抽象的に述べたので非常に分かりにくい表現になったが、端的に言うと、「変化」というのは、同一時点における事物の描写には使うべき言葉ではないのだ。

 正しくは、「性別によって変化するか?」ではなく、「性別によって異なるか?」でなければならない。

 「性別によって変化するか?」と言われると、性転換することによって行動が変化するのかと、問われているような違和感を覚えるのである。

日本語らしく

 司馬遼太郎の「坂の上の雲」の「日清戦争」の章の冒頭部分を、少し長くなるが、引用する。
 

 そのような時間が真之の上にながれているとき、東京にいる子規の境涯は、必ずしもあかるくはない。
 病気の進行は、ややとまった。ところがこのころ、子規は、あれだけかれが気に入っていた常磐会寄宿舎を追いだされてしまった。原因は居づらくなったのである。


 特別に分かりにくい文章ではなく、このブログの素材としての適格性を備えていないのではないか、と思われた方もいるかもしれない。

 けれども、私から見れば、いわば、「突っ込みどころ満載」の素材なのである。

【1】 漢字と平仮名を使い分ける


 まず、「あれだけかれが」の箇所だ。

 平仮名ばかり続くと、単語の切れ目を探すのに一苦労する。せいぜい5文字くらいに留めて置かないと、読者に二度見を強いることになる。

 ここは、「あれだけ彼が」と漢字を使うべきところだ。

 この部分に限らず、司馬遼太郎の文章は、漢字を使えばいいところで、やたら平仮名を使っている。上に引用した文章でも、何か所もある。
 

 そのような時間が真之の上にながれているとき、東京にいる子規の境涯は、必ずしもあかるくはない。
 病気の進行は、ややとまった。ところがこのころ、子規は、あれだけかれが気に入っていた常磐会寄宿舎を追いだされてしまった。原因は居づらくなったのである。


 一般的に言うと、助詞、助動詞、副詞、連体詞、間投詞は平仮名が望ましいが、名詞、代名詞、動詞、形容詞、形容動詞は漢字が望ましい。そうすることによって、漢字と平仮名が、ほどよく混在して、単語の切れ目が分かりやすくなるのである。

 このような漢字、平仮名の使い分けの効用は、単語の切れ目が分かりやすくなる、という点に止まらない。文章を見たとき、一々読もうとしなくても目に飛び込んでくるのが漢字である。その結果、一瞬のうちに、全体として、大体なにを書いてあるのかが理解できるのである。 

 ただ、司馬遼太郎ファンの中には、明治という激動期を描いた小説だからこそ、ひらがなが多いと、ゆったりした感じを読者に与え、落ち着いて読んでもらえるからいいのだ、という人もいるかも知れない。

 そうは言っても、私は、「分かりやすさ」という点で、もっと漢字を多用してくれた方が、ありがたい。 

【2】 不要な主語は省略する


 冒頭の文に戻ると、「かれが気に入っていた」の点も、引っかかる。この前に出てくる登場人物は、子規と真之の二人だけなので、そのどちらかを指すのは明らかなのだが、この文の主語として、「子規は」と書かれているのだがら、ことさら「かれは」と「気に入っていた」に対応する主語を書いていることからすると、文の主語とは別人の真之を指すのかと思ってしまう。

 けれども、文脈からすれば、この「かれ」も、「子規」を指すとしか考えられない。

 だったら、ことさら、「かれは」と書く意味は全くない。読者を混乱をさせるだけである。

 英語であれば、動詞には必ず対応する主語をあてがってやる必要があるが、日本語は、そんな面倒な規則に囚われる必要のない優れた言語なのである。その特性を生かさず、わざわざ、主語を補うなど、百害あって一利なしである。

 司馬遼太郎は、大阪外大(現、大阪大学外国語学部)のロシア語学科の卒業だが、おそらく、ロシア語も、英語と同じく、主語なしでは成り立たない不便な言葉なのだろう。大作家でも、外国語の文法に引きられて、こんな分かりにくい表現をしてしまうのだ。日本語としての分かりやすさを徹底して考えるほかはない。

 ところで、上の文で、主語をどうしても書きたければ、「かれ」ではなく、「子規」とすれば良かったのだ。ただ、「子規」という言葉が一文に二度も出てくるのは、みっともないと思ったのだろう、そこで、二度目は、「かれ」にしたのだろう。結果として、分かりにくくなっているのである。

 以前のブログ【「分かりにくさ」の原因は、これだ】にも書いたとおり、「分かりやすさ」以外の価値を求めると、「分かりやすさが」が犠牲になるのである。

 最後に、冒頭の文は、こう書けばいいということだ。
 

 そのような時間が真之の上に流れているとき、東京にいる子規の境涯は、必ずしも明るくはない。
 病気の進行は、やや止まった。ところがこのころ、子規は、あれだけ気に入っていた常磐会寄宿舎を追い出されてしまった。原因は居づらくなったのである。


205円が5枚、100円が5枚・・・

 今朝、事務所に来ると、留守番電話に裁判所書記官からのメッセージが残っていた。

 昨日の晩遅く裁判所の夜間受付に抗告状を提出した際に郵便切手を添付していなかったため、それを納付してほしいという電話で、切手の内訳を、延々と説明していた。書き起こすと、こうなる。

500円が2枚、205円が5枚、100円が5枚、82円が5枚、52円が5枚、20円が5枚、10円が5枚、2円が5枚、1円が5枚


 留守電を聞きながら、間違わないように気を遣いながら、メモをしていったのだが、最後まで来ると、「なんだ、500円以外は、みな5枚じゃないか。だったら、まとめて言えばいいのに」と思った。

 こういう場合は、次のように言ってほしいものである。

2枚必要なのが500円で、あとは、5枚ずつで、205円、100円、82円、52円、20円、10円、2円、1円です。


 「因数分解」の発想であり、以前のブログ【平成25年の所得証明と2012年の所得証明】でも述べたとおりである。

 そのブログにも書いた「因数分解」「結合法則」などは、数学の概念だが、数学の枠内に閉じ込めておくのは、もったいない。

 そもそも、数学の世界では、複雑な概念、複雑な論理構造を、できる限り単純にして、取り扱いやすくするために、古代から様々な工夫が凝らされて、現在のような洗練された表現が生み出されているのである。

 概念や論理を文字で表現する、という点では、数学であろうが、一般的な文章であろうが、全く同じである。数学の世界で生み出された発想を利用できないはずはない。

 もちろん、数学は高度に抽象的な世界であるのに対して、日常の世界は、具体的で、混沌としており、数学の世界の考え方を適用するのは、困難なものがあるのだが、人間の思考が論理的である限り、それを表現するにあたっても、数学的な発想が利用できないはずはない。

人数16名を越えた場合は抽選です

 高校時代の同学年の同窓生のメーリングリストに参加しているのだが、学年全体の同窓会の行事の案内が来た。

 同窓生のY君が、フランス語教育の第一人者でフランス政府から教育功労賞をもらったことがあり、ワインについても非常に造詣が深く、そのY君が講師になって、フレンチ薬膳料理とワインの会を催すという。その案内の中に、以下のような記載があった。

人数16名を越えた場合は抽選です


 これを見て、私は、「たった6人か、えらいこじんまりした会だな」と思い、もう一度見直してみると、6人ではなく、16人だった。

 なぜ、6人と誤解したのか考えてみたのだが、改めて見直してみると、「人数16名」という記載だと、「数」と右隣の「1」とが一体化して見えて、「6」だけが浮き上がって見えるのが原因だと気づいた。

 そうすると、こういった誤解をなくすには、こうすれば、いいということになる。

人数、16名を越えた場合は抽選です


 隣の文字との「一体化」という問題は、以前のブログ【スペースの効用】にも書いたことがある。

 ただ、そこに書いたのは、数字とアルファベット(たとえば、1(いち)とl(エル))、漢字とカタカナ(工(こう)エ(え))のように、違う種類の文字との混同が「一体化」を引き起こすというものだったが、今回の「数」と「1」との「一体化」は、それとは違う原因によるものだ。

 今回のは、「1」自体に、文字としての存在感が薄く、かつ、「数」「1」「6」と並んでいるとき、「1」が微妙に、左隣の「数」にくっついて表示されているのが原因で、「一体化」してしまうのだ。

 ところで、自分で、このブログを書きながら、我ながら、なんと細々としたことを考え、書き連ねているのだろうと思うことがある。こんなことに頓着しない人から見ると、およそ、理解しがたいことだろう。

 けれども、「分かりやすさ」を究めようとしていると、こんなことまで、色々と考えてしまうのである。私は、そうした日々の努力が大事だと考えているし、世間の人々が、せめて私の10分の1でも、同じように考えてくれたら、文章を読むときのストレスや誤解が劇的に減るのではないかと思っている。

表記の「ゆらぎ」

 今朝、近くの公園を1時間近く散歩して汗をかいたので、休憩所の自販機でポカリスエットを買って一気に飲み干した。

 空のペットボトルを捨てようとゴミ箱の所に行って、戸惑った。ゴミを分別するための表示が微妙に異なるゴミ箱が二つ並んでいる。

ゴミ箱


  ペットボトルは、どこに入れればいいのかと表示を読んでみると、左右、どちらのゴミ箱にも、「ペットボトル」の表示がある。

 一口にペットボトルと言っても、大きさ、その他で区別していて、その区別に従って、左右に分別するのかと思い、ゴミ箱に書かれた文字を、すべて読んでみたのだが、どうも、違いはなさそうだ。

 右側のゴミ箱の方が、図解入りになっていることから推察すると、元々は、左側のゴミ箱しかなかったのが、ゴミの量が予想外に多くなりゴミ箱を追加することになって、同じ種類のゴミ箱を購入したのだが、表示方法が、より「改善」されていたために、左右のゴミ箱で、異なる表示になったのだろう。

 新しくゴミ箱を追加するのであれば、古いゴミ箱はペットボトル専用、新しいゴミ箱は瓶、缶専用と、完全に分けた方が、ずっと分かりやすいし、ゴミの収集だって、その方が、多少は便利そうである。たとえば、こんな感じだ。
 
ゴミ箱-2


表記の「ゆらぎ」と「使い分け」

 司法修習生の指導担当弁護士に対するアンケートで、修習生の就職状況に関する質問があった。その中に以下の質問があった。

3.下記であてはまると思われるものがあれば、○をつけて下さい。
     ① 30歳を超えていると就職が難しい
     ② 女性は就職が難しい
     ③ 社会人経験者は就職が難しい
     ④ ロースクールによっては就職が困難
     ⑤ 司試験の成績が悪いと就職が困難
     ⑥ ローの成績が悪いと就職が困難


 別段、「分かりにくい」表現をしているわけではない。

 けれども、何かしら「引っかかり」を覚える。

 原因は、各項目の末尾の、「難しい」「困難」の使い分けである。

 使い分けられている以上、読んだ側は、そこに「使い分けるだけの違い」があるのではないかと考える。しかし、どう考えても、違いはなさそうだ。そうであれば、読者に余分な負担をかけることのないよう、「難しい」にするか、「困難」にするか、どちらかに統一すべきである。

 ところで、このブログの最初の文では、「司法修習生」と「修習生」という表現を用いて、同じ対象を別の言葉で表現しているが、この場合は、「不統一」でもいいと考え、あえて、そうしているのである。

 というのは、最初に出てくるときは、「修習生」といっても馴染みのない人には何のことがぴんと来ない可能性があるから、正式名称の「司法修習生」という表現を用いたのであり、二度目に出てくるときは、「司法修習生」という長ったらしい表現を用いるよりも、「修習生」という簡潔な表現を用いた方がいいと考えたからである。

 さて、この文章には、もう一つ、「不統一」の例がある。3つ前のパラグラフの「読んだ側」と「読者」である。

 この使い分けの理由は、こうだ。つまり、最初に出てくるときは、意味を実感しやすい、「大和言葉」を用い、二度目に出てくるときは、簡潔に表現するために、漢語を用いたのである。この微妙な感覚による使い分けについては、以前のブログ【「忘れました」「失念しました」】を参照してほしい。

 このように、何が何でも「統一すべき」というわけではなく、「使い分け」が適切な場合もあるのである。

 けれども、無意識に不統一な言葉を用いるのは、読者を戸惑わせ、ストレスを感じさせることになるから、避けなければならない。

 いわゆる「表記のゆらぎ」、たとえば、「コンピュータ」と「コンピューター」、「エレベータ」と「エレベーター」などの混在は、ストレスを感じさせるだけでなく、「表現に無頓着な書き手」という印象を与えてしまうものであり、絶対に、避けるべきである。

プロフィール

「時間泥棒」仕置人

Author:「時間泥棒」仕置人
職業:弁護士

 どうすれば、効率よく、的確に、情報を取得・提供できるか、ということを常に考えています。

 ところが、そんなことには無頓着な人も多いようで、読者に対する配慮の一欠片もない文章を目にすることがあります。

 難解な文章で読者の貴重な時間を奪ってしまう人達のことを、「時間泥棒」と名付けました。

 このブログは、「時間泥棒」を立派に更生させることを目的として開設したものです。

 記事を読んで、自分も「時間泥棒」かな、と思ったら、早速、改めて下さい。また、あなたの廻りに「時間泥棒」がいたら、あなたの力で立派に更生させてあげて下さい。

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