毎月、第1土曜と日曜はポイント5倍セール実施中

 地元の生協のウェブサイトに、こんな記載がある。

毎月、第1土曜と日曜はポイント5倍セール実施中


 「日曜」というのは、第1日曜に限るのか、限らないのか、これだけでは、分からない。次の、いずれかにすべきである。

① 第1土曜と第1日曜は、ポイント5倍セール実施中

② 日曜と第1土曜は、ポイント5倍セール実施中


ここまで書いて、ふと思った。あるいは、上の①②のいずれでもなく、こういうことかも知れない。

③ 第1土曜と、その翌日の日曜は、ポイント5倍セール実施中


 第1土曜の翌日の日曜は、第1日曜であることが多い。けれど、日曜で始まる月の場合は、第2日曜になる。だからこそ、ウェブサイトには、日曜の前には「第1」と付けなかったかも知れない。

 どちらにせよ、ポイントが特別に加算されるか否かの問題なのだから、こんな曖昧な記載を放置していると、ウェブサイトを見て本来の趣旨と異なる理解をした買い物客との間でトラブルにもなりかねない。

ところで、上記①~③の例には、「日曜」を明確にした点以外にも、2点ほど、元の文と違うところがある。

 まず、「毎月」というのを削除した点である。特に何も書かなければ、「毎月」であるのは当たり前のことであり、ことさら書く必要はない。必要のないことは書かない方がいい。

 次に、「日曜」の後に読点「、」を入れた点である。いわば「要件」の部分と「効果」の部分とを明確に分けることによって、読者の頭に内容を刻みつけようとしたものである。


「のご案内」

 最近、駐車場の案内に関する記事を結構、書いているが、また、駐車場の案内が目に入ってしまった。

第2駐車場


 「進行方向へ60m」となっており、初めて見る人でも間違いようがない【駐車場入口は蛤御門へ】。

 さらに、「60m」というのも、いい。正確に計ったら、本当は、58メートルかも知れないが、これでいいのだ【駐車場から事務所まで、58メートルです】。

 あえて、問題点を指摘すると、「第二駐車場のご案内」の部分であり、二行に分かれて、二行目が、「のご案内」となっている点である。

 一瞬ではあるが、「のご」という二文字が目に入ってきて、つい意味を考えてしまう。うしろに「案内」とあるのだから、先頭の「の」は助詞の「の」であり、「ご」は「御」の意味だということは、すぐに分かるのだが、一瞬でも惑わせることのないよう、一工夫ほしいところである。

 「の」を「第二駐車場」の末尾に付け加えるとか、「の、ご案内」とするか、あるいは、「ご」を「御」にするとかすれば、「のご」で迷うこともない。

 このことを抽象化すると、意味の切れ目を、視覚的な切れ目一致させる、ということになる。

 そして、視覚的な切れ目というのは、こういうことである。
    文字と文字を離す 
    区切り(区切り文字、罫線、スペース)を入れる
         【「長田近年」裁判官】 【スペースの効用
    文字そのもの(種類、大きさ、色、等)を変える



表が嫌だとは言わせない

 以前、遺産分割調停で相手方代理人から提出された書面を見て頭がクラクラした。不動産の評価の仕方で、妻の相続分が、どう変わるかをシミュレーションしているのだが、こんな感じだった。

 【1】A不動産の評価を、1500万円とした場合(固定資産産評価額)
   預金 1000万円
   相続財産合計 2500万円
   妻の相続分  1250万円
 
 【2】A不動産の評価を、2000万円とした場合(甲不動産(株)査定額)
   預金 1000万円
   相続財産合計 3000万円
   妻の相続分  1500万円
 
 【3】A不動産の価格を、1800万円とした場合(乙不動産(株)査定額)
   預金 1000万円
   相続財産合計 2800万円
   妻の相続分  1400万円 


 上の例は、提出された書面を単純化したものだが、実際は、他にも相続財産がいくつかある上に、「特別受益」「遺留分」なども登場して、それらが、3頁にわたって延々と記載されていた。

 こんな書面を前提に考えようとしても、とても考える気力が湧いてこない。そこで、私の方で、エクセルで一覧表を作り直して、裁判所に提出した。こんな表だ。

遺産


 不動産評価の違いは、横一列に並んでおり、一目瞭然だし、結果としての、妻の相続分の違いも、一番下の行に並んでおり、これも一目瞭然だ。

 他方、最初の書面だと、いちいち、頁をめくって該当部分を探さなければ、上記のことは分からない。私には、こんな効率の悪いことは耐えられないのだが、こういった書面が書ける人は、並外れた忍耐力の持ち主なのだろう。

 遺産分割にせよ、交通事故にせよ、弁護士業務において、各種の数字を扱わなければならないことが多いのだが、そんなとき、表にするかしないかで、一覧性に大きな違いが出てくる。

 30年前ならいざしらず、エクセルのような便利な表計算ソフトがある今の時代に表にできるものを敢えて表にしない、ということは、許されない。民事訴訟規則を改正して、表にできるものは表にするように義務づけてほしいものである。

 文章でだらだら書くのではなく、表にすべきだということは、これまでも繰り返し書いてきたが、それだけ、重要だということである。

   【期限内に提出されたものが・・・
   【表にするしかない!
   【営業時間の表示は、こうする



「乱れ」を可視化する

 書棚に「○○全集」が並んでいる。最初は番号順に並んでいても、長い間に、少しずつ順番が乱れて来る。こんな具合だ。

本-1

 ときおり思い立って、番号順に並べ替えるのだが、背表紙の数字を一つずつ見て直して行くのは、面倒といえば面倒な作業だ。

 では、数字が、こんなふうになっていたら、どうだろう。

本-2

 一目で、7、8、11が定位置からずれているのが分かり、すぐに正しい順に直すことができる。

 番号が斜めに振られていることの効用は、これだけではない。

 正しい番号が左上から右下にかけて一直線に並んでいれば、取り出した本を元の位置と違うところに戻せば、この一直線の列を乱すことになるので、嫌でも、元の位置に戻そうという意識が働き、その結果、順番が乱れることはなくなる。

 つまり、「番号の乱れ」が、いちいち数字を見なくても、図形的に「直線の乱れ」として印象づけられるため、そうならないようにと気をつけることになるのだ。

 もともとの番号が斜めに一直線になっていなくても、自分でシールを貼って、整列したときに、シールの並びを斜め一直線にすることはできる。こんな具合だ。

本-3

 この方式は、学生時代に、ある図書館で見かけたものだ。最初は、「この斜めのシールは何だろう?」と思ったのだが、実際に職員が本を元に戻すのを見て、妙に納得したのだった。

 40年も前の話だが、その後、こういった並べ方を目にする機会は、数えるほどしかなかった。

覚えるための工夫 違いを際立たせ、視覚的に印象づける

  ここ1、2年のことだが、セスキ炭酸ナトリウム(セスキ炭酸ソーダ)という物質が、安価で、べとつかず、手軽に洗剤として利用できると話題になっており、我が家でも、台所周りや、テーブル、床などの、ちょっとした汚れを取るの利用している。

 どんな物質か、ネットで、あれこれ調べてみたのだが、似たような言葉が出てきて、すぐに、どれがどれだったか分からなくなってしまう。そこで、自分で整理してみたのが、次の図だ。

セスキ炭酸ソーダ


 ここでの「分かりやすさ」の工夫は、①②③に共通の「炭酸ナトリウム」の部分は、普通の黒い文字で、異なる部分「セスキ」「水素」「重」を、赤い太文字で記したことだ。

 単に見たり聞いたりしただけだと、「炭酸ナトリウム」の部分に注意が行ってしまい、それぞれの物質で異なる「セキス」「水素」「重」などの印象が薄くなる。そこで、その部分を視覚的に印象づけようとしたのである。

 あと、覚えにくいのが、「セスキ」だ。いくら覚えたつもりになっても、しばらく経つと、「セキス」だったか「セスキ」だったか、怪しくなる。こんな場合も、視覚に訴えるのが有効だ。次の図を見てほしい。
 
覚え方

 要するに、五十音の表の「セ」から「ス」を通って、右上の「キ」に達する流れを一度、印象づけてしまえば、もう忘れようはない。

 記憶のために五十音の表を利用できる例は、他にもある。

 最近、総理が訪問して話題になった「バルト3国」と言われても、3か国の名前は言えても、その位置関係まで言える人は、少ないだろう。

 北から順に、エストニア、ラトビア、リトアニア、となっているのだが、最初の一文字が「エ」「ラ」「リ」で、五十音の順に並んでいる。そのことに一度、気づいてしまえば、もう忘れることはない。

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 上記のように、共通部分が長いために、その部分の印象が強くなり、逆に、違いの部分の印象が薄くなる、ということへの対策としては、共通部分を省略する、という方法もある。

 たとえば、フランチャイザー、フランチャイジーなどは、フランチャイズ業界の人にとっても、煩わしいもののようで、「ザー」「ジー」と省略されている【全国FC加盟店協会 「米国でのフランチャイズ契約期間中におけるザーの行為の規制」】。

 もっとも、「ザー」「ジー」と言ったところで、日本人には馴染みがない言葉であり、根本的な対策としては、「本部」「加盟店」と言い換えるのが適切である【フランチャイザーの・・・】。   【2018.1.22 追記】


ムーミンの舞台より、こちらに注目 部分は全体を表すとは限らない【続編】

 大学入試センター試験の地理の出題に疑問が呈されている【地理Bのムーミン設問に疑問 阪大大学院 毎日新聞2018.1.15】。

 その疑問というのは、試験問題は、ムーミンの舞台がフィンランドであることを前提にしているが、この前提が正しいとは言い切れない、というものである。

 私自身、地理が大好きで、大学受験では、ほとんどの生徒が世界史、日本史を選択する中で、世界史と地理を選択した。そんなこともあって、早速、どんな問題が見てみると、上記の疑問とは直接の関係はないのだが、こんなグラフがあった【大学入試センター試験 解答速報2018 東進ハイスクール】。

  
地理問題

 このグラフで問題なのは、グラフの下に並んでいる凡例の「キ」の前の長方形の図形である。長方形の上辺と下辺が二重線になっており、この図形が円グラフの中の橫縞を付した部分に対応しているということは、直感的には分からない。

 この問題については、つい先日の記事【部分は全体を表すとは限らない】にも書いたので、そちらを見てほしい。

 大学入試センター試験という、何十万人という若者の人生を左右しかねない試験において、ここまで「分かりやすさ」への配慮がなされていないことに唖然とした。

 ただ、翻って考えると、試験問題を作成したのは、大学の先生であり、日常的に学会などで研究発表を行っている人々なのだが、そんな人々の多くが「分かりやすさ」に何の配慮もしていないことは、以前にも紹介した【伝わるデザインの基本】を見ればよく分かる。
 

研究者を相手にする研究発表や研究者でない人を相手にするアウトリーチ活動などの科学コミュニケーションにおいて、研究者や学生は、自身の成果やアイデアを正確にかつ効果的に聞き手(聴衆や審査員)へ伝える必要があります。これらのことを意識せず、ただ闇雲に発表するだけでは、コミュニケーションは成立しません。    (ラインマーカーは、引用者が付加)


 上記のサイトの作者は、自らも自然科学の研究者なのだが、冒頭で、このように訴えているということは、日常的に目にする研究発表の多くが、「分かりやすさ」に関して無頓着に、「闇雲に」なされている、ということであろう。


パスワードは、 20180118 です。

 今日は、2018年1月18日だが、先ほど、こんなメールが届いた。 

ご依頼の資料を添付しました。
パスワードは、 20180118 です。


 私の方は「秘密」でなくとも構わないのだが、先方は、おそらく社の方針で、メールに資料を添付する際には一律に暗号化することになっているのだろう。

 暗号化された文書のパスワードというのは、大抵、p5wEQ45owD と言った、それ自体は全く意味のない、とても覚えられそうにない英数字の組み合わせというのが相場である。

 ところが、ときおり、今回のように、その日の年月日を、そのままパスワードにしたものが送られてくる。大変「分かりやすい」のだが、誰にとっても「分かりやすい」わけであり、不正に添付資料を入手した者でも容易に資料の中身を見ることができる。

 さらに、このメールの問題は、資料を添付したメールの本文に、パスワードが記されていることである。金庫と鍵をセットで送るようなものであり、暗号化した意味はない。

 こういったことが起きてしまうのは、ただ、社内で「添付ファイルは暗号化する」ということだけが一人歩きして、その意味が全然、理解されていないからである。上記のメールを送ってきたのは、誰もが知っている大企業なのだが、毎日、膨大な数の、無駄に暗号化された資料が発信されているのだろう。

 ところで、パスワードの送り方なのだが、別のメールで送れば安心か、というと、そうでもない。資料を添付したメールが誤って他人に送付されたり、悪意の第三者によって、意図せぬアドレスに送られたりした場合、パスワードを記したメールも、同じ運命を辿る可能性が高い。

 電話なりファックスなり、全く別のルートで送る方が、ずっとリスクは軽減されるはずである。「メールがあるのに、今さら・・・」と思われるかも知れないが、より適切な方法があるとは思われない。

ビットコインの「現物」

 先日のブログ【ビットコインの画像】で、ビットコインの「現物」を売りつける詐欺が起きるのではないかと書いた。

 「詐欺」と決めつけるのは早計かもしれないが、実際、ビットコインの「現物」がヤフーオークションに出品されていた【ヤフオク ビットコイン ハード通貨 三種類セット】。

 
ビットコイン-ヤフオク


 ビットコインの価格は乱高下しているが、現時点で、1ビットコインは、100万円以上する【日経新聞 ビットコイン下げ加速 5日で4割超 】。その「現物」が1万円程度でヤフオクで買えるのである。

 といっても、その「現物」を、「本物の仮想通貨」としてのビットコインに換金できる保証は、全くない。

 こんなものを買ってどうするのだろうと思ってしまう。何か用途があるのだろうか。せいぜい、宴会の余興か何かで使うぐらいのものだろう。

 ひょっとしたら、ビットコインは、100万円以上する、という断片的な情報を耳にした人が、「お買い得」と思って落札するのかもしれない。

ビットコインの画像

 古くからの読者の方は気づいておられるだろうが、このブログの最初の頃の記事は、画像(図表、写真など)はなかった【2014年3月の記事・9本】。

 ところが、次第に画像が増えて、ここ1年くらいは、画像のない記事の方が珍しいくらいだ。

 法律書でも、私が学生の頃は、文字だけというのが普通だったが、30年くらい前から、簡単な図解が取り入れられるようになってきた。

 国会中継でも、質問に立った議員が問題点を図解したパネルを示すというのは、日常的な光景になってきている。

 こういった画像を用いるのは、「分かりやすさ」、「記憶に残りやさ」の点で、単なる文字情報より遙かに優れているからである。実際、自分で過去の記事を見返すときも、画像をみれば、一瞬にして内容が思い出せるのに対して、画像がなければ、冒頭の数行を読まなければ、思い出せないのである。

 ただ、分かりやすく、記憶に残りやすいということは、誤った理解、印象を、広く、長く与えてしまう危険があるということであり、そのことは、常に意識しておかなければならない。

 たとえば、ネット上の仮想通貨「ビットコイン」だが、ネット上には、次のような画像があふれている【グーグルでの画像検索】。

ビットコイン

 こういう画像を何度も見せられていると、「仮想通貨」のはずなのに、物理的に存在するような気がしてくる。

 私自身、4年前、ビットコイン取扱業者のマウントゴックスが破綻した際に相談を受けたことがあり、いろいろ仕組みを調べたこともあって、「仮想通貨」であることは百も承知しているのだが、それでも、こういった画像を見る度に、物理的に存在するような気がしてくるのである。

 ビットコインという言葉は、ここ1年ほど、テレビでも結構、取り上げられるようになって、耳にしたことのある人も多いとは思うが、こういった画像がすり込まれていけば、一方で「仮想通貨」という説明を聞いてはいても、なにか物理的に実在するもののように記憶に定着していくのではないだろうか。

 そのうち、真鍮か何かで作った「ビットコイン」を売りつけるという、新手の詐欺が出てくるのではないか、心配である。「そんな馬鹿な?」と思われるかも知れないが、あれほど、「振り込め詐欺」がテレビや新聞で取り上げられているにも関わらず、未だに被害が後を絶たないことを考えれば、決して杞憂ではない。

 ところで、ビットコインとは違って、こちらは実在の硬貨なのだが、誤った印象を与えかねない画像がある。

8パーセント

 消費税が5%から8%に引き上げられたとき、NHKのニュースで、こんな画像をよく見かけた。

 そのとき思ったのは、なぜ、5円玉と1円玉なのか、ということだ。100円の物を買うのなら、消費税は8円だが、年間消費支出は、ほとんどの国民が100万円を超えているだろう。だとすれば、ニュースの画像は5円玉や1円玉ではなく1万円札というのが実態に即している。

 税抜き金額で100万円の支出をしていた人にとっては、消費税が5万円から8万円になるわけで、結構高額な負担なのだが、5円が8円になるだけなら、微々たる金額、という印象を持ってしまう。

 「印象操作」というのは、こうするものだ、ということを教えてくれる好例である。



問題提起を工夫すれば、回答がシンプルになる

 昨日のブログ【読者に「反対解釈」を期待してはならない】を見返してみて、やはり、どうも「すっきりしない」感覚が残った。

 そこで、さらに、次のように変更してみた。

成人-4


 何に関する年齢制限か説明する欄の末尾が「契約」「年齢」「購入」とバラバラになっているのを、「年齢」に統一したのだ。

 その結果、現在と改正案とを対比する部分も「20歳以上」「18歳以上」と極めてシンプルになったのだ。

 裏を返せば、対比の部分が「20歳以上」「18歳以上」とシンプルになるように、問題提起の仕方を統一的な表現にしたのだ。

 ところで、元の表は、「シンプルかどうか」以前の問題を抱えている。一番下の「飲酒・・」の末尾が「購入」で終わっているのに対して、「20歳以上」を対応させている。他のところは「年齢」に対して「20歳以上」と、きちんと対応しているのに、ここだけ、なぜか、対応していないのである。

 もちろん、「購入は20歳以上」といえば、「購入できる年齢は20歳以上」ということは分かるのであり、わざわざ「できる年齢」と付け加えるのは「言わずもがな」のことを書いているように思えなくもない。

 だが、他の欄は「・・できる年齢」となっているのに、ここだけ「購入」というのは、違和感があり、こういった不統一感は、全体にに「雑」な感じを与えるものであり、避けた方がいいだろう。

読者に「反対解釈」を期待してはならない

 選挙権年齢が18歳以上に引き下げられたのに続いて、民法の成人年齢をはじめとして、様々な分野で年齢を引き下げる改正案が検討されているが、下記の図は、その改正案の解説である【朝日新聞 2018.1.7】。
成人-1

 分からないことはないのだが、★をつけた部分の記載が気にかかる。

 まず、最初の、契約に親の同意が必要か、という点だが、「改正案」では、「18歳未満は親の同意が必要」となっているが、現行法でも「18歳未満は親の同意が必要」であることに変わりはない。「18歳以上は親の同意が不要」にするのであれば、端的に、そう書けばいい。

 記者は、「18歳未満は・・・必要」ということは、反対解釈として、「18歳以上は・・・不要」ということだ、という思いで、この表現をしたのだろう。けれども、読者に「反対解釈」を期待してはならない。どう変わるのかということを、端的に表現すればいい。

 「反対解釈」で理解できないはずはない、というのなら、次の欄の「民事裁判を起こせる年齢」も、「18歳未満は代理人が必要」とすればいいのだろうが、そうはなっていない。記者が、あまり頓着していなかったことの証左である。

 次に、飲酒、喫煙ができるようになる年齢だが、改正案も現行法と同じく「20歳以上」となっている。要するに変更はないのだから、これも端的に「変更なし」と書いた方が分かりやすい。

成人-2


勝敗は「〇●」に限る

 将棋で永世七冠となった羽生名人と、囲碁で二度目の七冠となった井山名人に国民栄誉賞が贈られることになった【羽生氏と井山氏に国民栄誉賞 毎日新聞 2018.1.5】。

 井山名人が二度目の七冠を達成するまでの戦績を調べてみると、こんな表があった【Wikipedia 井山裕太 年表】。

井山-1

 各タイトル戦の結果が、一局ごとの勝敗まで含めて掲載されているのだが、2016年の名人戦での「高尾紳路」棋士との対戦の欄の「xxxooox」が分かりにくい。原因は、負けを「x」で表現しているため、負けが続くと、「xxx」のように、隣り合った「x」が一体化して、「o」のように見えてしまうからだ。

 この「一体化」を防ぐには、文字と文字の間隔を空けるのも一つの方法だが、狭いスペースでは、それも難しい。だったら、一体化しないような文字(記号)を用いるのがいい。こんな具合だ。

井山-2

 これなら一目瞭然だ。相撲の取組表と同じである。

 他にも、◯や●を使ったほうが分かりやすい場合が結構ある。たとえば、出席表の場合だ。
 
出欠


 「出」と「欠」は明らかに異なった漢字であり、見間違いようはない。けれども、「出」と「欠」との違いは、「◯」と「●」との違いに比べると、微々たるものである。「◯」と「●」は読むまでもなく勝手に目に飛び込んできて理解できるのに対して、「出」と「欠」は一瞬ではあるが「読む」という作業が必要である。

 たとえば、50人くらい名簿の出欠表を思い浮かべてほしい。「◯●」方式だったら、例えば、一瞬にして、「6割くらいが出席だ」ということが分かるのに対して、「出欠」方式だと、「6割くらいが出席だ」ということを読み取るのに、数秒はかかるはずだ。

出欠-3

 なお、以前も書いたが、アンケート等で、□ に「「レ」でチェックを入れるよりも、塗りつぶして■にしてしまう方が分かりやすいのと同じである【こだわりの「■」】。


私が殺人罪で逮捕されたときから・・・

① 私が殺人罪で逮捕されたときから弁護していた被告人は、京都の出身です。

② 私が殺人罪で逮捕されたときから弁護してくれた弁護士は、京都の出身です。


 ①は、とあるSNSでの発言なのだが、「私が殺人罪で逮捕された」の部分を見て、一瞬ぎょっとした。後ろの「弁護していた被告人」のところまで読めば、逮捕されたのは「私」でないことは明らかなのだが、人騒がせな一文である(あるいは、注意を惹きつけて、最後まで読ませよう、という意図だったのかもしれないが・・・)。

 これに対して、②の場合、逮捕されたのは「私」であり、何の問題もない。

 ①の意味を伝えたいときに、一瞬の迷いも生じさせることなく正しく伝えようと思ったら、次のようにすればよい。 

【原文】  私が殺人罪で逮捕されたときから弁護していた被告人は、京都の出身です。

【修正例】 殺人罪で逮捕されたときから私が弁護していた被告人は、京都の出身です。


 主語の後に動詞が二つ以上ある場合、主語は一番目の動詞に対応していると考えるのが普通である。二番目の動詞と対応することを明示するには、主語の位置を一番目の動詞の後ろにずらすほかない。

 ただ、そうすると、一番目の動詞に対応する主語は文中には存在しないことになる。すると、読み手の側で、なんとか、主語を補おうと考えることになるだろう。その場合、一番、候補に挙がりやすいのが、書き手、すなわち「私」である。主語を省略する場合の多くが、そうだからである。

 そこで、その懸念を払拭する必要があるのだが、次のようにすればどうだろう。 

【再修正例】 本人が殺人罪で逮捕されたときから私が弁護していた被告人は、京都の出身です。


 「本人」と言えば、読み手には、「書き手以外の誰か」と思ってもらえるに違いない。



訂正は徹底的に

 先日のブログ【「売れた物の半数以上が24時間以内に」】で、 メルカリの「売れた物の半数以上が24時間以内に売れた」というCMついて、①「出品された物の半数以上が24時間以内に売れた」との誤解を招くこと、②NHKが番組中で、その誤解を拡散していること、この2点について書いた。

 例によって、素材を提供してくれたNHKに連絡を入れたのだが、1週間も絶たないうちに番組のウェブサイトが訂正された【“中古品アプリ”で消費が激変!? ~メルカリの衝撃~】。

訂正-NHK-2

 確かに、訂正によって、「誤った情報」ではなくなった。けれども、「誤解を招きやすい情報」であることは、元のCMと同じである。NHKは、「誤解を招きやすい情報」ではなく、積極的に「誤った情報」を掲載していたのであるから、もう一歩踏み込んで、「出品された物の半数以上」とうわけではない、ということを明記すべきではなかろうか。

 他にも、問題がある。「誤った情報」が載っている番組のビデオが、YouTube に掲載されているのだ【メルカリの衝撃(by 12/12 NHK「クローズアップ現代+」) 25:09 2017.12.23作成 該当部分は、0:59~1:05】。

 NHKの著作権を侵害していることは明らかなのだから、NHKが申し入れをすれば、削除されるはずである。一度、誤解を拡散した以上、そこまでやるのが、NHKの責任である。

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 なお、YouTube の動画を見ようとしても、今では、「この動画は、NHK から著作権侵害の申し立てがあったため削除されました。」と、表示される【2018.1.19 追記】。


厳密さは犠牲にする

 昨日のブログ【「予測」に基づく行動は危険】で、歩車分離信号のことを書いた。

 その説明に使った信号パターン図は、南北方向のみ歩車分離信号としていたが、実際は、東西方向も歩車分離信号で、次のようになっている。
信号-2

 ただ、昨日のブログの趣旨は、南北方向が歩車分離信号ということに気づかずに「予測」に基づいて行動すると大変なことになる、というものだったので、その趣旨からは無視しても差し支えない東西方向の歩車分離信号には触れなかったのである。仮に、触れていたとしたら、かえって、理解しにくくなったはずである。
 
 だれでも、厳密さを犠牲にするというのは、多かれ少なかれ抵抗がある。けれども、厳密さを追求すると切りがない。上の図でも、各信号の時間は「いい加減」である。実際の時間に比例した図にした方が、より「正確」には違いない。色だって、実際の信号の色は、図に記した色とは、だいぶ違う。こんなことは、言い出したら際限がない。

 多かれ少なかれ、その時点における表現の「目的」に必要な限度において厳密さを追求すればいいのであって、それ以上の追求は、「目的」にとって、有害である。

 中学校に入って英語を習い始めた頃のことを振り返ってみても、そうだ。

 中学1年生の英語で最初に習ったのが、 "This is a fish." だった。

 このときは、一つの物の名前の前には、必ず "a" を付けると習った。

 しばらくすると、 "This is an apple." という文が出てきて、母音で始まる名前の前には、"a" でなくて "an" を付けると習った。

 さらに授業が進むと、 "This is a desk. There is a book on the desk." という文が出てきて、物の名前でも、2度目に出てくるときは、"the" を付けると習った。

 振り返って見れば、必ず "a" を付けると言った先生は、「嘘」をついたことになるのだが、正しい「嘘」であって、だれも先生を非難したりなどしないだろう。

 むしろ、最初から、"an"や "the"を付けることもあるという話をすれば、生徒は混乱するだろう。

 英語に限らず、どのような分野であれ、学習の過程では、同じようなことが起きる。

 例えば、民法の授業でも、最初は、当事者が権利義務について合意すれば、合意に従った権利義務が発生する、と習うが、しばらくすると、公序良俗違反による無効、錯誤による無効などが出てきて、合意による権利義務の発生も絶対的ではなかったことが分かる。

 私がブログで書いていることも、決して「絶対的」なものではなく、ほとんどの場合、例外があるはずだ。だからと言って、原則を学び身につけることの価値は失われることはない。

 厳密さについては、少し観点は違うが、以前のブログ【「昨日、大阪で研修会があり、その研修会に出席しました。」】【駐車場から事務所まで、58メートルです】にも書いた。




「予測」に基づく行動は危険

 今朝の散歩のときのことだ。

 T字路で北側に渡る横断歩道の信号が、もうすぐ緑になると思って、足を踏み出そうとしたところ、信号待ちしていた車が右手から飛び出しそうになって急停車した。

交差点-3

 急発進しそうになった西行きの車は、北行きの車の信号が緑から赤になったことから、次は東西方向の信号が緑になると予測して発進しようとしたのだが、これが、全くの「思い違い」だったのである。

 一般の信号なら、この車の「予測」は正しいのだが、ここの信号は、歩車分離信号であり、北行きの車の信号が緑から赤になると、次は、南北方向の横断歩道の信号が緑になる、という仕組みであり、東西方向の信号は赤のままなのである。
信号

 人が行動する上で、「予測」は、次の行動を速やかに行うために必要なことである。けれども、「予測」に基づいて、「フライング」をした場合、その「予測」が外れていたら、大変なことになる。冒頭の車の運転者も、「予測」自体は構わないのだが、「予測」はあくまでも「予測」であり、自分が従うべき信号が緑になるまで、発進すべきではなかったのである。

 「フライング」さえしなければ、仮に「予測」が誤っていても大事には至らないのである。

 もちろん、「●●すべき」と言ったところで、そのとおりにしてくれる訳ではない。歩行者としては、運転者が誤った「予測」に基づいて「フライング」をする、ということまで考慮するのが、身を護る知恵である。



お名前は、50文字以内で

 ブログの素材を提供してくれた企業、団体には、メールで、お知らせしているのだが、多くの場合、各企業のホームページでは、意見、要望を受け付けるための「送信フォーム」が用意されている。

 今日も、ある自治体の送信フォームを開いたのだが、冒頭に、こう書かれていた。

意見-0


「50文字」とは、あまりにも非現実的な数字である。日本人の名前で一番長いのは、「寿限無寿限無・・・」だろうが、実在の人物ではない。外国人なら、聖人の名前を延々と連ねた長い名前もあるが【ピカソの名前 Wikipedia】、そんな人が日本語の送信フォームに入力することなど、現実的には考えられない。

 送信フォームの作成者も、そんな長い名前の人に注意を喚起しようと考えた訳ではなく、なんとなく、既存の送信フォームのテンプレートを利用して、元々の「50文字以内」というのを、そのまま残していたに過ぎないのだろう。

 次は、メールアドレスの入力欄である。

意見-1

 「半角英数文字」というのに、引っかかった。通常は、「半角英数字」と表現し、「文」ははいらない。念のため、グーグルで検索してみると、こうなっていた。

意見-4

 圧倒的に「半角英数字」である。こういうところは、多数派に従うに限る。少数派に従うと、「何か特別な意味があるのでは?」という余分な疑問を抱かせることになるからだ。

 これまでの項目は、文字を入力するものだったが、次は、チェックボックスにチェックするものだった。
意見-3

 「1個以下で」とあるので、他に選択肢が複数あるのかと思ったが、選択肢は1個しかない。これも、もともと複数個から選択するテンプレートを転用したのが原因だろう。こんなふうに「転用」は、ときに、ちぐはぐな結果を生む。その都度、ちゃんと「考える」ことが必要なのだ。逆に言うと、こういうのを見ると、作成者は、ろくに考えていなかったのだろうと思ってしまう。

どこまで利用者に配慮できるか

 今日は28日。ちょうど1週間後の1月4日に提出期限が来る書面を作成しているのだが、書面が完成したら読もうと楽しみしていた本が用意できたというメールが図書館から届いた。
 
予約確保-1


 年末年始の休館になる前に受け取らねばと思い、勇んで受け取りに行ったのだが、なんと、今日から休館になっていた。

 戻ってから、先のメールを見直すと、下の方に、こう書かれていた。

予約確保-2

 ちゃんとメールを読まなかった私の不注意なのだが、一週間も先にならないと受け取れない本について「予約確保」のメールが来るとは思いもよらなかった。

 できれば、利用者としては、こんな風にしてほしかった。

予約確保-3


 ところで、このメールは、本日【28日】午前10時に届いたのだが、メールには【利用可能:2017.12.27】と書かれている。利用可能となった昨日の時点でメールしてくれていれば、すぐに受け取りに行けたのであるが、メールを受け取った時点では、すでに年末年始の休館期間に入っており、1週間以上、「お預け」となったのである。

 本の貸し出し、返却は、バーコードを読み取ってコンピューターで管理しており、おそらく、本が受取館に届いたときも、バーコードを読み取って受け入れの処理をしているはずである。

 であれば、その時点で自動的にメールで利用者に知らせるというシステムにすることは可能なはずなのだが、なぜか、メールは翌日の発信になっているのであり、不可解というほかはない。

景観に配慮した点字ブロック

 点字ブロックが登場して、もう50年になるという。

 以前は、点字ブロックと言えば真っ黄色で、遠くからでも点字ブロックだと分かった。

 それが、最近は変わってきている。

点字


 こんなふうに周囲の歩道に溶け込んでいるのだ。景観への配慮らしい。

 ところが、これが新たな問題を引き起こしている。

 私も、つい先日まで知らなかったのだが、点字ブロックは、全盲の人だけでなく、弱視の人にも役立っており、弱視の人は点字ブロックの存在を視覚で認識することから、背景の歩道と似た色合いになると点字ブロックの存在が分からなくなると言うのだ【毎日新聞 2017.11.19 点字ブロック やっぱり黄色「弱視の人にも見やすい」】。

 点字ブロックの設置者は、もっぱら景観のことしか考慮せず、点字ブロックの利用者に対する認識が不足していたのである。

 何度も繰り返してきたことだが、情報発信に際しては、情報の受け手の状況を、どこまで配慮できるか、ということが決定的に重要だと言うことを、再認識させられた次第である。

 【情報は、届かなければ意味がない

 話は変わるが、「景観への配慮」で首を傾げることが、最近、もう一つあった。

 京都市が景観保護条例に違反するとして、京都大学周辺の立て看の撤去を求めている、というのだ。

 一口に「景観への配慮」と言っても、保護すべき「景観」は、地域により異なるのが当然である。

 閑静な住宅街、オフィス街、歓楽街、学生街、それぞれに相応しい景観があるはずだ。その特性に目を向けることなく一律に、大きさ、色、等で規制すること自体が誤っていると言わなければならない。

 私も、京大の周辺に行く度に、個性豊かな看板を目にして、学生時代を懐かしく感じ、若い人たちが、一面では羨ましく、一面では危うく感じて、応援したくなったりするのだが、こういった感情を人々に抱かせるのが、学生街の景観の本質的な価値であり、立て看は、学生の街、京都の欠くべからざる構成要素となっているのである。

立て看-2


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 よくよく考えてみると、晴眼者にとっても、点字ブロックに躓いて転んだりすることにないよう、点字ブロックが視覚的に目立つことに意味がある。また、自転車などの障害物を置かないように注意を喚起する意味でも、点字ブロックは真っ黄色に限るといえる
 【2017.12.26 追記】。




テキストボックスの使い方

一昨日の【部分は全体を表すとは限らない】で取り上げた帯グラフの「凡例」の部分である。
テキスト-1

 内容には触れず、レイアウトだけを改めたのが、下の表である。
テキスト-2

 どちらが読みやすいか、違いは一目瞭然である。

 まず、文字の部分と外枠との間の余白である。元の表は外枠に接するように文字が配置されていて、見ているだけ息が詰まりそうになるほど窮屈だ。

 エクセルには「テキストボックス」という、四角形の枠内に文字を記入する図形があるのだが、その設定を、そのまま使うと、このような窮屈極まりない表になる。図形の書式設定で余白を調整する必要がある。

 また、元の表では、凡例の2番目と3番目の間に空白行がなく、窮屈な感じを抱かせるだけでなく、5行分の文字列が、ぎっしり並んでいるために、非常に読みにくい。また、1番目と2番目の間、3番目と4番目の間には、それぞれ空白行があるものの、空白行の高さが違うため、ばらばらな印象を受ける。

 さらに、凡例の2番目と3番目の冒頭の数文字を注意して読んでほしい。どちらも「夫婦は必ず」となっているのだが、2番目のほうは読点「、」がないのに、3番目のほうには読点がある。作成者が、読点を「気分」で付けていることが、よく分かるが、読点は気分で付けるものではない。

 最後に、もう一度、2番目の文をよんでほしい。「名字(姓)」と「氏」とが使い分けられているが、無用な使い分けである。日常用語としての「名字(姓)」は法律用語としては「氏」であり、同じものを指すのだから、表現も、どちらかに統一すべきである。

部分は全体を表すとは限らない

 一昨日、夫婦同姓強制の廃止について記事【夫婦同姓の強制を続けますか】を書いたが、先ほど、夫婦別姓に関する法務省の世論調査【選択的夫婦別氏制度に関する世論調査結果】を見た。

世論-1


帯グラフのどの部分が何を示すかという、「凡例」が、グラフの右手に載っている。

世論-2


 一番上のは、すぐに分かるのだが、その下の3つは、すぐは理解できない。
 
 上から2番目は、□に縦の線が一本はいっていることから、辛うじて、帯グラフの縦縞の部分に該当するということは分かる。けれども、下の二つは、どちらも、内部が空白の□であり、まったく、一緒である。

 グラフ作成に使用したソフト(おそらく、エクセル)の仕様で、凡例は、グラフの一部を、そのまま切り取ったものを表示するようになっているのが原因だろう。

 けれども、帯グラフの絵柄が、白地に小さな点が間隔を空けて散らばっているような場合、一部を切り取っても、その点は反映されず、ただの空白になってしまうのである。

 それを防ぐには、例えば、グラフ1センチ四方を、5ミリ四方に縮小して凡例にする、といった工夫をすればいいのだが、グラフ作成ソフトの開発者は、そこまでは気が回らなかったのだろう。

 「木を見て森を見ず」という言葉があるが、部分だけ見ていたのでは、全体が分からないことがある。
森
元の写真は【フリー写真素材ぱくたそ】様から提供していただいた素材です。

 ①が森であることは明らかだし、①の一部を切り取った②も森であることは分かる。けれども、さらに②の一部を切り取った③となると、「森」とは言いがたい。③と同じ大きさでも、①の全体を縮小した④なら、森であることは分かる。

 他にも、このグラフには問題がある。

 まず、グラフが単純な帯グラフでなく、「立体化」されていることである。ここで「立体化」する意味は全くなく、情報として全く無意味な雑音という外はない。

 次に、「立体化」の必然的な結果なのだが、パーセントを表す数字と、実際の帯グラフとが、ずれているのである。例えば、30%の数字の真上は、グラフ上では、23%のあたりになっているのである。

 さらに、帯グラフの各区分の装飾である。一つだけ、色付けして、他は、線や点で修飾しており、ちぐはぐな感じがする。

 最後に、非常に細かいことだが、縦縞の装飾の部分である。グラフを立体化しているのだから、直方体の上面の部分も縦縞で修飾するとしたら、左下から右上にかけての斜めの縞になるはずなのだが、実際のグラフでは、垂直の縦縞のままである。このような不自然な装飾は、見る者を混乱させ、よけいなストレスを与えることになる。

 実を言えば、最後に指摘した部分は、私も当初は気がつかなかった。グラフの縦縞の部分を見ているときに、なんとなく違和感を感じ、その違和感の原因は何かと考えていくうちに、グラフの上面の縞が斜めになっていないことに気がついたのである。



夫婦同姓の強制を続けますか

【1】 夫婦同姓の強制を継続するのか

 民法の規定では、法律上の結婚(法律用語としては「婚姻」)をする際、夫か妻のいずれかは、相手方の姓に変更しなければならない。

 確かに、一方では、結婚して夫の姓を名乗ることによって、結婚したんだということを実感し、幸せを感じる人々も多数いることだろうし、そういった人々にとっては、この民法の規定は、全く自然なことである。

 けれども、誰にとっても自然なことである、とは言いがたい。

 結婚で名前が変わると、パスポートや運転免許証の書き換えをはじめとして、社会生活を継続する上で多大な負担が生じることになる。

 また、一人っ子同士が結婚する場合は、姓を変更した一方の配偶者の姓はなくなるのであるから、代々続いた家の名前は、それで途絶えてしまうわけであり、「家」に愛着を持つ人にとっては耐えがたいことだろう。

 また、何年にもわたって●●さんと呼ばれて来たのが、別の名前になることによって、アイデンティティーが喪失したように感じる人々もいる。

 そんなことから、選択的夫婦別姓制度の導入を求める声が強くなり、20数年前には、法制化の一歩手前まで行ったのだが、結局、実現しないまま、四半世紀が経過しようとしている。

 「夫婦別姓」といっても、別姓を強制するわけではなく、あくまでも、「選択的」「夫婦別姓」なのであるが、同姓が好いと思っている人には、自分たちの考え方が否定されるような印象があるため、「選択的」と言われても、抵抗があるようだ。

 そうであれば、この際、呼び名を変えてみるのも一法である。
 
 「夫婦同姓強制制度の廃止」

 「強制」を「廃止」するのである。異論のあろうはずはない。

 選択的夫婦別姓推進派は、今日限り、これまでの「夫婦別姓」という用語を捨て、「夫婦同姓強制の廃止」をスローガンに掲げるべきである。


【2】 ねじれの解消

 2013年の参院選挙のときの話である。

 2012年末に自民党が衆議院で過半数を制し、政権を奪還した。

 ところが、参議院では自民公明の与党は少数派であり、そのため法案がスムーズに通らないといった事態が生じていた。

 そこで、参院選挙の時に与党が提起した争点が「衆参ねじれの解消」である。

 「ねじれ」と言われると、誰でも、いい印象は持たないであろう。それを「解消」するというのであるから、賛成と言いたくなってしまうのだろう。

 けれども、衆議院のほかに参議院があるのは、民主主義が万全でないという歴史的経験を踏まえて、衆議院の暴走を参議院が阻止することが期待されているのである。だからこそ、民主主義国家では広く二院制が採用され、一院制を採用しているのは、中国のような一握りの国家に過ぎないのである。

 そう考えると、「ねじれ」こそ、本来の姿であるといえるのである。野党は、「与党の暴走の防波堤をなくしてよいのか」という問題提起をしなければならなかったのである。


【3】 直間比率の是正

 30年近く前の話である。

 消費税の導入が争点となっていたが、その当時、盛んに聞かされたのが、「直間比率の是正」である。

 所得税は、所得が高額になるに従って税率が高くなる、という、累進税率が常識だが、累進税率は、以下の点で優れていることは疑いようがない。

 ① 能力に応じた税負担という税制の基本原理に合致している。
 ② 低所得者の税負担を緩和することにより、格差が是正され、安定した社会が維持される。
 ③ 低所得者ほど、収入を消費に振り向ける割合が高いことから、低所得者の税負担の軽減は、消費の拡大に直結し、経済成長が見込まれる。

 他方、消費税の税率は、高額所得者も低所得者も同じで、一律(当時、検討されていたのは、3%)である。

 表面上は「一律」とは言っても、実際は、そうではない。低所得者は、収入が全て消費に回るとして、収入の3%の税負担となるが、高所得者は、例えば収入の8割しか消費に回らないとすると、税負担は収入の2.4%となり、「逆累進課税」となる。

 上記①②③の利点を投げ捨てて消費税を導入するのであるから、「大義名分」が必要だった。

 それが、「直間比率の是正」である。

 要するに、我が国の税金は、所得税などの直接税が圧倒的な割合を占め、直接税と間接税の割合が「不均衡」であるから、間接税である消費税を導入することにより、その「不均衡」を是正しなければならない、というものである。

 だれでも、「不均衡」と言われれば、反射的に「是正しなければならない」と思うだろう。

 かくして、消費税が導入され、今日に至っているのである。


【4】 まとめ

 これまで見てきたように、人々は、多くの場合、物事の本質を見て判断するのではなく、表面的な言葉の持つ印象に基づいて判断しているのである。

 だからこそ、言葉の選択は、社会を動かす上で、死活的に重要な事柄なのである。

 反面、安易に世の風潮に流されないためには、用いられた言葉の背後に潜む、実質的な内容に目を向けなければならないのである。このブログは、そのための、訓練の素材である。


 このブログを書いたのは、井戸まさえ氏の【山尾志桜里と高市早苗から考える、実は深い「夫婦別氏」問題】で、「夫婦同氏」問題という表現が用いられていたことが、きっかけである。

「売れた物の半数以上が24時間以内に」

 ネット上のフリマアプリ、「メルカリ」が大流行のようだ。この春から、やたら、CMが流れており、「売れた物の半数以上が24時間以内に」というフレーズを何度も聞かされた【youtube メルカリCM】。

メルカリ-1

 一見すると、「出品された物の半数以上が24時間以内に売れるのか」と思ってしまいそうである。

 メルカリを取り上げたNHKの「クローズアップ現代+」でも、次のように説明されていた【“中古品アプリ”で消費が激変!? ~メルカリの衝撃~】。

メルカリ-3


 けれども、これは、全くの誤解である。

 CMは、「売れた物の半数以上」と言っているのであって、「出品された物の半数以上」とは言っていないのである。

 次の表を見てほしい。

メルカリ-2


 仮に、100個、出品されて、9個しか売れなくても、売れた9個のうち5個が24時間以内に売れたのであれば、「売れた物の半数以上が24時間以内に」と言うのは、嘘ではない。

 おそらく、CM作成者は、受け手の「誤解」を利用する意図の元に、このCMを作成したに違いない。

 訪問販売の古典的な手法に、「消防署の方から来ました」と言って消火器を売りつけるという手口があるが、メルカリのCMは、これと、どこが違うのだろうか。

 それにしても、NHK、それも「クローズアップ現代+」まで騙されてしまうとは、情けない限りである。

 テレビ受像機の所有者に一律に契約義務を課している「皆様のNHK」が、こんな詐欺まがいのCMの片棒を担いで、どうするのだ。

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 その後の経緯は【訂正は徹底的に】を参照【2018.1.5 追記】。



コインパーキングの案内

 近くのコインパーキングの看板である。
駐車場

 満車の場合の利用者の便宜を考えて、近くのコインパーキングを地図で分かりやすく案内している。利用者のために、ここまでの案内をしているのを見たことはなかった。

 いつも通るところなのだが、今日、初めて、この看板に気がついた。ということは、つい最近になって、この看板が設置されたのだろう。そのうち、他社も追随するのではなかろうか。

 ただ、純粋に利用者のことを考えれば、自社のコインパーキングに限らず、他社のコインパーキングの案内もしてくれた方がいいに決まっているのだが、そこまで期待するのは無理だろうか? 利用者の便宜を考え、そこまでしてくれていたら、好感度が上がることは間違いないだろう。


闇夜のカラス

 背景と同じ色のために目立たないことを、「闇夜のカラス」と言う。

 実際、私のスマホは真っ黒で、しかも、デスクも真っ黒のため、いつも、スマホを探すのに苦労していた。

 まさに、「闇夜のカラス」状態だった。

 すぐに見つかるようにするには、「闇夜の白鳥」にするしかない。こんな具合である。 

スマホ

 もともとは、右の状態だったところ、左のように白いテープを貼ったのだ。これで、どれだけの時間が無駄に費やされるのを防ぐことができたのか、計り知れない。

 

動いているのは、「STOP」「START」、どちら?

 健康管理のために毎日、一万歩を歩くようにしており、スマホの万歩計を利用しているのだが、その画面が下のようになっている。

歩数計


 万歩計が作動中なのは、左右、どちらの場合だろうか?

 使い始めた頃、人が歩いている絵があることから右側の「START」となっている画面の時に計測されるものと思っていたのだが、それは間違いで、左側の「STOP」となっている画面の時に計測されるのだった。

 アプリの制作者の意図としては、「STOP」という表示は、万歩計を停止したいときは、この「STOP」ボタンを押してください、ということだったのだろう。

 けれども、私は、「STOP」というのは、現在、万歩計が「STOP」の状態にあることを示すものだと思い込んだのである。

 一度は理解したものの、未だに、この画面を見る度に、現在、計測中なのかどうなのか、すぐには分からず、頭の中で、この「STOP」は、停止させるためのボタンで、現在の状態を表すものではないのだ、ということを反芻しないと、安心できない。

 ときには、それでも安心できず、実際に歩いて、歩数計の数字が変化しているのを確認することもある。

 そもそも、スマホなどのボタンの表示が、次のいずれを示すものかは、アプリ制作者以外には分からない。
  【1】 現在の状態
  【2】 ボタンを押した後の状態

 同じことは、以前のブログ【「電波OFFモード」なのに電波は通じる?】にも書いたが、昔の電気製品では、こういったことはなかったように思うのだが、スマホになってから、曖昧な表示に戸惑うことが多くなったような気がする。




駐車場入口は蛤御門へ  - 後日談 -

 3日前のブログ【駐車場入口は蛤御門へ】を書いた後、京都御苑の管理者である【国民公園協会 京都御苑】にメールをしたところ、早速、改善するという返事が来て、今朝、散歩の際に通りかかると、次のようになっていた。

蛤御門-5


 「蛤御門へ」が「次の御門へ→」になっている。これなら迷うことはないし、混雑時でもスムーズに車は流れて行くことだろう。

 なお、「蛤御門」が「次の御門」になっている点の意義は、【6階の第1待合室で・・・ 絶対指定と相対指定と】で書いたとおりである。

 これまで、ブログ記事を書く都度、素材を提供してくれた企業、団体には、感謝の気持ちで、メールを送っているのだが、その反応は様々である。

 【1】 何の応答もない。
 【2】 返事は来るが、その後、具体的に、どうしたのかは分からない。
 【3】 返事は来ないが、しばらくして確認すると、ブログの指摘に沿って改善されている。
 【4】 返事が来て、しばらくすると、実際に改善されている。

 ブログを書いている私からすれば、【4】が一番うれしいのだが、【3】でも、ブログを書いた甲斐があったというものだ。

 誰だって、不十分な点を指摘されるのは、決して愉快なことではないだろう。けれども、その指摘の内容に納得できるのであれば、その指摘に従って改善するのが合理的な対応であり、そうすることによって、社会全体が住みよくなって行くことは間違いないことである。

 ところで、分かりにくい表現を目にした場合、すべて、ブログに書いているわけではない。書こうと思いながらも、そのまま忘れてしまったものも結構あるし、ときには、ブログには書かないで、先方に直接に申し入れをすることもある。

 一例を挙げると、法律関係の書籍を分担して執筆したことがあるのだが、編者の学者が書いた序文について、直接に申し入れしたことがある。

 書籍が実際に出版されてから序文を読んだのだが、非常に理解困難な表現であり、仮に自分が書店で、この本を手に取って序文を読んだとしたら、とても、本を買おうという気にはならないだろうと思った。だが、その時点では、今さら言っても仕方ないと思い、そのままにしていた。

 ところが、その1年後、出版社から第2刷を出すので内容の訂正の希望があれば連絡してほしいとのメールが来た。そこで、担当分の訂正に加えて、序文が、いかに分かりにくいかを書き連ね、全面的に書き換えてほしい旨の依頼をした。

 すると、序文を書いた編者からメールが来て、私の指摘を謙虚に受け止め、書き換えを約束してくれた。実際に、出版社から送られてきた第2刷を見ると、第1刷とは、全然違った表現になっており、私としても納得の行くものだった。


駐車場入口は蛤御門へ

 御所(京都御苑)には烏丸通に面した「中立売御門」の内側に駐車場がある。ところが、現在、工事のため駐車場の入口が変更されており、次のような表示がある。

蛤御門

 「蛤御門へ」と言われても、他府県からの観光客にとって、一体どこにあるのか、分かるはずもない。日常的に御所を散歩している私でさえ、烏丸通に面した4つの門の内、北から二つ目が中立売御門で、その一つ南が蛤御門であることを覚えたのは、つい最近のことである。

  おそらく、この案内を見た運転者は、一瞬、「蛤御門とは、どこにあるのか?」と疑問をもち、周囲に別の案内板がないか探すことだろう。実際は、「蛤」の文字の右上奥の方に「→」があり、この案内から右手に3メートルくらい離れたところには、次のような案内板があるので、遠からず、疑問は解消するようにはできている。

蛤御門-3


 けれども、最初に目に飛び込んでくるのは。「駐車場入口は蛤御門へ」の文字の並びであり、離れた場所にある「→」に誰もが気づくとは限らない。視線を動かすことなく、一瞬にして分かるようにするには、こうすればよい。

蛤御門-4


 来訪者にとって、駐車場の入口のある門の名前が「蛤御門」か「中立売御門」かということは、どっちでもいい。要するに、「駐められる場所は、どこか」ということが重要である。その重要な情報が一瞬にして分かることが大事なのである。

 また、「入口は」という記載が全くの無駄であることは言うまでもない。

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なお、その後の顛末は、【駐車場入口は蛤御門へ  - 後日談 - 】を参照されたい。






「九州、中国、四国、北海道」は「3.98%」

 つい先ほどの朝日放送の「キャスト」という番組で、日本原電が、本来なら廃炉費用として積み立て置くべき資金を原発の新設に流用していたと報じていた。この会社は、全国の電力会社が出資をしているとのことで、その出資割合が以下の図で示されていた。

出資-1

 最後の「九州・中国・四国・北海道」の「3.98%」というのが、4社合計の数字なのか、各社の数字なのか、判然としない。

 他社の数字を見ても、すぐには分からず、他社の数字を概算で合計してみた、すると、おおよそ、85%ということが分かった。結局、「3.98%」というのは、それぞれの会社の数字だということになる。

 そうであれば、最初から、次のように書いておけばいい。
出資-2

 「各」と記載するだけでも理解できるだろうが、元の表では、4社が、同じ青色の四角の中に配置されていたのを、分離することによって、直感的にも、合計ではなく、各社の数字なのだと分かるようにした。
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 ここまで書いて、改めて、ネットで日本原電の株主構成を調べてみた。すると、私の推測は間違いで、4社併せて、3.98%ということのようだった【Wikipedia 日本原子力発電】。

 なぜ推測を間違ったのか。私の推測の過程を振り返ると、次のようになる。

 ① 「九州、中国、四国、北海道」の4社の合計は、4%弱か16%弱のいずれかである。
 ② 電力会社以外に株主はいない。
 ③ 上記①②から、他の6社の合計は、90%台半ばか、80%台半ばである。
 ④ 6社の合計は概算で、約85%である。
 ⑤ 上記③④から、6社の合計は、80%台半ばである。
 ⑥ ①②⑤から、4社の合計は16%弱、すなわち、3.98%というのは、各社の数字である。

 結局、②が私の思い込みで誤りだったのである。

 もちろん、④の概算を、もう少し精緻にしていたら、6社の合計は、85%強であり、裏を返すと、4社の合計が15%を超えることはないということになり、結果的に、②が誤りであることも自ずと分かったはずである。ところが、②の思い込みがあったが故に、そこまで精緻な概算をすることなく、ざっくりした計算で、誤った推論をしてしまった、というわけである。

「長田近年」裁判官

 今朝の新聞の人事欄である。左が、朝日のデジタルサイト、右が京都新聞である。
人事

 右側の京都新聞を先に読んだのだが、依願退官した裁判官の名前を「長田近年」と読んでしまった。すぐ下に「則」という文字があるので、改めて見直して、「田近年則」ということが分かった。

 私が「長田」と読んだ「長」は、「所長」の「長」だったのである。記事のはじめから順に読んでいけば、こんな誤解はあり得ないのだが、実際には、一字一字読んでいるわけではない。

 漢字かな混じり文の優れている点は、意味の塊が、視覚的にも塊になっているため、一瞬で意味がとれる点にあるのだが、塊として読む習慣が、誤解の原因にもなるのである。

 「長田」というのは、人の苗字として多いため、「長田」と読んでしまったのだ。他方、「田近」という苗字は珍しいため、「田近」が一塊に見えなかったのである。

 もし、最後の行の冒頭が、「長田近」でなく、「長金田」であれば、おそらく、「金田」と読んだことだろう。苗字としては、「金田」は多いが、「長金」という苗字は、お目にかかったことはないからである。

 こんなふうに、同じような書き方でも、誤解しやすい場合と、誤解しにくい場合があるのだが、そもそも、「金沢地、家裁所長」という部分を、朝日のように括弧で括っていれば、名前の部分と明確に分離され、誤解のしようはなかったのである。

 京都新聞も、「東京高裁判事」の方は括弧で括っていたのだから、「金沢地、家裁所長」も括弧で括ればよかったのだが、おそらく、前者は、裁判官の身分が二つ並ぶため、元の地位を括弧に入れようという配慮が働いたのに対し、後者は、「依頼退官」ということで、そのような配慮は不要、と考えたのだろう。

 けれども、このような中途半端な「配慮」が、誤解を生む原因になったのである。

 裁判官の身分に止まる場合であれ、身分を失う場合であれ、一律に、元の地位を括弧に括ればよかったのである。

 さらに、京都新聞の場合、「金沢地、家裁所長」の読点「、」が不要である。朝日のように「金沢地家裁所長」で足りるのである。意味の上では、【金沢】【地・家】【裁】【所長】という括りになるのだが、真ん中の【地・家】の中の区切りに「、」を使ってしまったために、【金沢地】【家裁所長】のように読めてしまうのである。

  本日の要点  

   漢字の連続は避ける。 括弧、スペース、かな、記号などを用いる。 

ゴルフ場でゴルフをした

ツイッターの投稿である。


 両記事で実質的に異なるのは、加計氏の名前の有無であるが、その点は、このブログで取り上げるような問題ではない。単純な首相動静に関する記事ではあるが、朝日と読売では、表現の点でも、様々な違いがあるのだ。

【1】 無駄な説明

 朝日の記事で、ゴルフについて書かれた部分は、こうなっている。

 山梨県鳴沢町のゴルフ場「鳴沢ゴルフ倶楽部」。友人とゴルフ

 「ゴルフ」が3度も出てきている。「鳴沢ゴルフ倶楽部」がゴルフ場であることは、疑う余地のないことなのだから、ことさら「ゴルフ場」と説明をつける必要はない。

 同じく首相が利用した施設の説明であっても、居酒屋「漁」の方は、「居酒屋」という説明はなくても飲食店ということは分かるものの、料亭でも、寿司屋でもなく、「居酒屋」だ、ということを示す点で意味がある。
ゴルフ
【2】 どこで説明をするか

 「別荘」という言葉が、両紙とも2箇所に出て来ており、それぞれ、以下のようになっている。

【朝日】 別荘 → 同県鳴沢村の別荘
【読売】 同村の別荘 → 別荘


 場所でも人でも物でも、普通は、最初に出てきたときに説明を加えて、2回目以降は、特別のことのない限り、説明は省略するものである。

【3】 記載の統一

 首相の動静を記述する際、次のような二通りの記述方法がある。 

 6時21分、居酒屋「漁」。秘書官らと食事。
 6時21分、居酒屋「漁」で、秘書官らと食事。


 つまり、時、場所で一文、次に行動で一文という方法と、時、場所、行動を併せて一文という方法である。

 どちらかが優れているというわけではない。

 ただ、一つの記事の中では、どちらかに統一すべきである。不統一だと、些細なことではあるが、読んでいるときに、若干の引っかかりを覚えるのだ。

 もちろん、記事によっては、統一してしまうと、単調な表現になって、文章としての魅力がなくなってしまう、という場合もあるだろうから、私も、そんな場合にまで統一すべきと言うわけではない。

 けれども、首相の動静というのは、単純な「情報」に過ぎない。そうである以上、できる限り、統一された、頭に整理しやすい形で記載するのが望ましい。

 この統一、不統一の点では、朝日の方が優れている。


 ところで、新聞記事でおかしな表現を見るたびに思うのは、新聞社には専門の校閲の部署があるのに、こういったことが後を絶たないのは、なぜだろうか、という点である。

 もちろん、私自身、自分で書いたブログを数日たって見返したときに、どうして、こんなわかりにくい表現をしていたのだろうという時もあるのだが、弁解になってしまうが、一人の人間の作業の限界というものである。

 それと比べると、新聞、出版などの場合は、専門の部署の人が第三者としてチェックしているのだから、完璧にできてもよさそうなのに、このブログの素材となるような表現があとを絶たないのである。

 誤解のないように言っておくが、私は、新聞記事を読むときに、決して「あら探し」をしているわけではない。読んでいて、なんとなくしっくりこない、ひっかかる、というときに、改めて読み直して、その原因を徹底的に考えた上で、どうすれば、より分かりやすい、すんなりと読むことのできる表現になるのかを模索し、その結果を、このブログで発表しているのである。

  本日の要点  

   重複表現は避ける。 

   説明は最初にする。

   記載方法は統一する。




部屋番号を捜すには?

 裁判所に行って、担当事件の審理が行われる法廷の部屋番号が分かっている場合は、その部屋に直行すればいいが、係しか覚えていない場合は、そういうわけには行かない。

 そんなときのために、裁判所の玄関ロビーのカウンターには、その日に行われる裁判の法廷の部屋番号と、その法廷を使う係との対応関係を示す表が置かれている。

 下の2つの表のうち、左側のものが、ある裁判所の対応表である。

 では、実際に弁護士になったつもりで、第5民事部B係はどの部屋か、左側の表で捜してほしい。

部屋番号


 「一瞬」というわけには、行かなかったのではないだろうか。では、今度は、右の表で、第6民事部B係の部屋番号を捜してほしい。

 今度は、すぐに見つかったのではないだろうか。

 実際の表は、このような簡単なものではなく、部屋番号毎に、その日に審理が行われる事件の事件番号、開始時刻などの情報も書かれていて、一つの部屋で1枚か2枚を使っている。そのため、約20枚ほどの表が綴られたファイルから捜すことになる。

 係が分かっていても、部屋番号順に並んでいる表の場合、その係の情報が何頁にあるかは、まったく見当が付かないのだから、順に1頁から見て行くほかはない。

 他方、各係の番号順に並んでいる表の場合は、例えば第5民事部B係なら、「大体、全体の後ろから3分の1くらいの所だろう」と見当がつくので、すぐに見つけ出すことができる。

 東京地裁だと、民事の部だけで50を超え、各部に係が2ないし5ある。各係で法廷が開かれるのは、週に2回程度なのだが、この対応表は、100頁前後になる。仮に、そんな裁判所で、左のような表を使っていたら、見つけるまでに、2,3分かかってしまうかも知れない。

 部屋番号順に並んでいる表は、たとえて言えば、英和辞典の単語が、アルファベット順ではなく、日本語の意味の五十音順で並んでいるようなものである。

 そんな英和辞典で、例えば、"apple" を捜す場合、2000頁の辞典なら、それを最初から頁を順に捲っていって、1800頁を過ぎた辺りで、ようやく「りんご」のところに "apple" と書いてあるのを見つけることになる。 

 そんな配列の英和辞典など、誰も使わないだろう(和英辞典として使う人は入るかもしてないが)。

 なお、係の名前を表示するに際して、「第4民事部A係」というのは、無駄な情報を省いて、「4A」にした方が、より分かりやすい。

 ただ、弁護士のように日常的に裁判所に出入りしている人は別として、裁判所に馴染みの無い一般の人は、「4A」といった記載だと、多少、戸惑うかも知れない。

 そこで、その両者の要請に答えるためには、こう記すのがベストだろう。
  

民事部A



  本日の要点  

   検索キーの順に並べる 【例】 係から部屋を探す → 係の順に並べる

   情報として重要なものを際立たせる 【例】 第民事部A


表にするしかない! その2

 1年あまり前のブログ【表にするしかない!】で、原発の再稼働の状況について文章で表現されたものを表にして、どれだけ分かりやすくなるかを説明した。

 その後も各地の原発で再稼働、停止が繰り返されているので、改めて、現時点までの再稼働の状況を表にしてみた。

再稼働-2017-11-09-0


 「日数」の欄を見れば分かるように、2013年から2年近くは、完全に停止していたのだが、この表では、そのことが直感的に理解できない。そこで、表の各行の高さを期間に比例するように表現したのが、次の表だ。 

再稼働-2017-11-09-3

 これなら、直感的にも、期間の長さが理解できる。

 なお、再稼働しているものは●で表現していたのだが、行の高さが小さくなると、●では見え辛くなるため、●の代わりに、各欄を塗りつぶすことによって表現している。

 ただし、 「塗りつぶす」といっても、「真っ黒」だと、コントラストがきつすぎるので、「濃い灰色」にしている。これなら、目にやさしく、落ち着いて表を見ることができる。

 下の表は、左が「濃い灰色」、右が「真っ黒」にしたものである。

再稼働-2017-11-09-4



  本日の要点  

   量的な大小を文字だけでなく図形的に表現する。 【例】 期間の大小 → 行の高さ

   コントラストを和らげるために、工夫する。 【例】 真っ黒 → 濃い灰色


ある日、前日に●●したところ、■■となった。

 次の一文は、「中居正広 アレルギーで顔パンパン頭皮はれ上がり別人に」という見出しの記事の一節だ。

今年8月のある日、前日に髪を染め、普段とは違う髪染め剤を使い、「いい色に染まった」と大満足していたところ、頭皮に少しだけかゆみが出た。
                                                 【Sponichi Anex 2017.11.1


【1】 日時の流れ

 文中の日時を表す部分に注目して、簡略化すると、こうなる。

 「今年の8月のある日前日●●していたところ、■■となった」

 「ある日」の次に、その「前日」が来ており、実際の時の流れと順番が逆である。
 
 実際の時の流れに沿って出来事を書いた方が理解しやすい。

 もちろん、内容によっては、遡って書いた方が、意外性を持たせたり、疑問を持たせることにより興味を掻き立てたり、といった効果がある場合もある。

 そのような場合に、明確に意図的に時の流れに逆らうのは、それは、それで一つの表現であり、とやかく言うことはない。けれども、無頓着に、時の流れに逆らうのは、好ましくない。


【2】 修飾・被修飾の関係

 しかも、その結果、「ある日」と「■■」の組合せの間に、「前日」と「●●」の組合せが入っている結果、修飾関係が分断されており、分かりにくい。

 この2つの問題点を解消したのが、次の文だ。

「今年の8月のある日●●していたところ、翌日■■となった。」


【3】 読者の予想

 さらに、「前日」の行動「●●」にあたる部分の「髪を染め、普段とは違う髪染め剤を使い」の表現も分かりにくい。

 「髪を染め、」まで読むと、さらに、次ぎに何かをしたのかと予想して読み進めることになるのだが、実際に書かれているのは、次の行為ではなく、「髪を染め、」の説明にあたる事柄である。

 だったら、説明と行為を一体として、「普段とは違う髪染め剤を使って髪を染め」とした方が、分かりやすい。

 「普段とは違う髪染め剤を使って」まで読めば、次ぎに、「髪を染めた」と続くのだろうと予想され、実際に、その予想通りの内容になっているので、どこにも引っかかることなく、読み進めることができるのである。


  本日の要点  

   時の流れに逆らわない。

   修飾・被修飾の関係の間に、別の修飾・被修飾の関係を挟まない。

   読者の予測を裏切らない。

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 ブログを読み返していて、 「普段とは違う髪染め剤を使って髪を染め」のところで引っかかった。
 「髪染め剤を使った」のであれば、普通は、「髪を染めた」はずである。だったら、単に、「普段とは違う髪染め剤を使い」とすれば足りたのである。

 つい先日、【「昨日、大阪で研修会があり、その研修会に出席しました。」】で、「いわずもがな」のことは書くべきではないと書いたばかりなのに、自分が、同じ罠にはまっていたのである。 【2017.11.15 追記】


消費者庁がインスタグラムで注意喚起

 先ほど、テレビとパソコンの両方でニュースを流しながら、タブレットで調べ物をしていた。

 ふと、パソコンの画面を見上げると、こんな見出しが目に入って来た。

インスタ-1

 見出しを一瞬、見ただけで、すぐにタブレットに目を移したのだが、次から次へと新手の詐欺まがい商法が出てくる中で、消費者庁も、迅速、かつ、若者受けするようにと、インスタグラムを使って注意を喚起するようになったのかと考えた。

 同時に、立憲民主党が立党から僅か2日で、フォロワー数で、希望の党はおろか、自民党をも凌駕した、というニュース【東京新聞 2017.10.5】を思い出して、SNSを利用した情報発信が、どんどん進んで行くのだな、などと一人、納得していたのだが、もう一度、パソコンの画面を見上げると、こんなふうに表示されていた。

インスタ-2

 「写真アップするだけで簡単にもうかる」ということは、写真をアップする先がインスタグラムと言うことで、注意を喚起する手段がインスタグラムということではなさそうだ。

 そのまま、見ていると、「インスタグラムに写真をアップするだけで、200万円も稼いだ人もいる」という甘い話で多額の金銭を支払わせるという手口の商法で被害が続出している、という話だった【ホウドウキョク】。

 「インスタグラムで」の「で」は、非常に多義的であり、使う側にとっては便利なのだが、反面、誤解を招きやすい。

 とはいえ、「で」のように多義的な助詞でも、長い文章の中で出てきたのなら、文脈から、意味が特定できる場合が多い。反面、記事の見出しのように、それ以前の話題とは無関係に登場する場合は、文脈による特定が困難である。

 だとすれば、見出しにこそ、細心の注意を払わなければならない、ということになる。

 冒頭の例の場合、次のようにしておけば、誤解を招くことはなかっただろう。

消費者庁がインスタグラムに関して注意喚起


  本日の要点  

 見出し、文頭では、「で」「の」などの多義的な助詞は、用いない。

髪染め強要訴訟を巡る、場外乱闘?(松井大阪府知事×米山新潟県知事)

 少し、込み入った話だが、まずは、次の記事を読んでほしい。

生まれつき頭髪が茶色いのに、学校から黒く染めるよう強要され不登校になったとして、大阪府羽曳野(はびきの)市の府立懐風館(かいふうかん)高校3年の女子生徒(18)が約220万円の損害賠償を府に求めた訴訟は27日、大阪地裁で第1回口頭弁論が開かれた。生徒側は「黒染めの強要は、生まれつきの身体的特徴を否定し、人格権を侵害する」と主張。府側は「適法だ」と反論しており、生徒指導としてどこまで許されるかが争点になりそうだ。
                                          【毎日新聞 髪染め強要訴訟 2017.10.28


 この件に関し、大阪府の松井知事と新潟県の米山知事の間でツイッター上で論争があり、そこで、米山知事が、こう述べていた。

 私が引っかかったのは、生徒に髪染めを求めた行為が「違法である」と松井知事が考えるのなら、「請求を認諾」すればよい、という「論理」である。

 まず、予備知識として、説明すると、「請求の認諾」とは、裁判で請求された内容(例えば「金220万円を支払え」など)を認めて争わないという意思表示である。

 髪染めを求めた府立高校の教師の行為が、「違法である」と考えたとしても、「原告の主張する損害額は大きすぎる」と考えた場合は、「請求の認諾」をするのではなく、「損害額」のみを争い、その点に関する裁判所の判断を求めるのが、被告として取るべき態度である。

認諾-2

 米山知事は、「違法である」と考えたのなら、「請求の認諾」をすべきである、との主張をしているのだが、「論理の飛躍」としか言いようがない。

 AとBという2つの命題が肯定されて、初めて、Xという命題が肯定される場合、ともすれば、Aが肯定されただけでXという命題を肯定してしまうという誤りは、よく見かける。

 米山知事は、東大医学部を卒業し医師資格を有し、かつ、司法試験にも合格し弁護士資格も有している【Wikipedia】のだから、「論理的な思考」の訓練は人並み以上に積んでおり、実際、論理的思考力も一定の水準以上であることは、誰も否定できないだろう。

 そんな人でも、こういった「論理の飛躍」を起こしてしまうのである。

 だからこそ、自らの論理を常に検証する努力が必要なのである。

 なお、断っておくが、ここで述べたことは、松井知事の肩を持ちたいからでは、決してない。あくまでも、論理の問題としての指摘である。

  本日の要点  

  A + B → X    のとき
  A → X      とする誤りに、気をつける。

「食間」とは

 専門用語は誤解されやすいので発信する側も、受け止める側も注意が必要だということを先日のブログ【相続開始時期はいつですか】で書いた。

 そこで、例として、「座薬」を取り上げたが、同じく医療関係で誤解されやすい用語が「食間」である。

 私自身も、ある程度の年齢まで、「食間」というのは「食事をしている間」のことだと思い込んでいて、「食事と食事の間」という正しい意味は知らなかった。

 「食間」の「間」には、「●●の最中」という意味と「●●と●●の間」という意味がある。たとえば、「夏休みの間」「夏休みと冬休みの間」のように使われる。「食間」と言われても、初めて聞いた人は、どちらの意味かは分からなくて当然である。

 英語なら、「間」に相当する単語が「during」「between」と分けられているので、誤解のしようがないのだが、多義的な「間」を用いる以上は、誤解されてもしようがない。

 この誤解は結構、多いようで、製薬会社のウェブサイトにも次のように記されている。

食間とは、食事の最中だと思われている方も多いようですが、食事と食事の間という意味で、食事を終えてから約2時間後が目安です  
                           【中外製薬 食前・食間・食後について


 製薬会社が「結構、多い」と言っているのだから、少なくとも、1%は誤解しているのではないか。とすると、日本で100万人である。

 薬の服用時間は、その薬が最も効果を発揮できる時間、あるいは、胃の粘膜に無用な刺激を与えないような時間、等々の配慮に基づいて決められているのである。誤解をする人が100万人もいるのであれば、服用時間を誤ったために、症状が改善しなかったり、あるいは悪化したり、中には、それが原因で死亡する人も、一人や二人いるかも知れない。

 服用時間を誤ったことによる死者は、一人二人どころか、、実際は、何百人もいるかもしれない。そもそも、性質上、服用時間を誤ったのが原因かどうかなど、担当医であっても分からないだろうから、表には現れにくいことである。

 このように何百人もの死の原因となっているかも知れない「食間」という表現は直ちに改めるべきだろう。

 「食間」という表現でも誤解されるのに、ネットで検索した薬袋の中には、「食事の  前 後 間」と印刷してあって、そこに丸印を付けるようになっているものがあった。「食事の間」だと、まさに、食事をしている最中に飲むのだという誤解を誘発するようなものである。

 誤解をしないように、例えば、「食事と食事の間」とか、「食事の2時間後」などの表現がいいのではないか。

 「食間」に比べると長ったらしくて、「食前」「食後」という短い表現との対比で、なんとなく、避けたくなる気持ちも分からないではないが、「分かりやすさが第一」である。「洗練された表現」よりも「分かりやすい表現」である【「分かりにくさ」の原因は、これだ】。


立憲民主党が自民党に議席を譲る!

 次ぎに掲げるのは、【日経新聞 衆院選2017】の見出しである。
比例候補

 記事を読むと、立憲民主党が、衆院選の比例東海ブロックで、得票数から計算すると5議席を獲得できたにもかかわらず、比例名簿に登載された6名のうち2名が小選挙区で当選したため、比例区では4議席しか獲得できず、本来なら立憲民主党に行くはずの1議席が、自民党に回った、というものである。

 これは、公職選挙法の規定上、そうなっているからであり、立憲民主党に行くべきだった1議席が同党の意思に基づいて自民党に回された、というわけではない。

 とするなら、「譲る」というのは、不正確な表現であり、本来なら、「回る」という表現が適切である。

 おそらく、見出しを付けた記者は、そんなことは承知の上で、「譲る」のほうがインパクトがあると考え、「譲る」にしたのだろうが、比例代表の議席の割り当て方法を知らない読者の中には、立憲民主党が、党の意思で自民党に1議席を譲ったのだと勘違いする人もいるかも知れない。

 ひょっとしたら、立憲民主党に電話をして、「選挙協力した共産党や社民党に譲らないで自民党に譲るとは何事だ」と抗議する人が出るかもしれない。

 他方、【朝日新聞 2017衆院選】の見出しは、こうなっている。
比例候補-2

 単なる 譲渡 ではなく、 「譲渡」 としている。もちろん、これでも誤解する人はするだろうが、日経よりは、適切と言えよう。

 さらに誤解の余地のないのが、次の【NHK 衆院選2017】の見出しである。
 
比例候補-3


 このブログを読まれた方の中には、「そんな誤解をする人がいるのか?」と疑問に思う人もいるだろう。

 けれども、人の知識のレベルは様々であり、情報を発信する側では当然わかっていると思っていても、ときに、そうでない場合もある。これまでものブログ【相続開始時期は、いつですか】【「件名」って何ですか?】などに書いたとおりである。

 ただ、上記のブログで取り上げた、「件名」「ボーナス」すら分からない人を相手にしていると、文章がやたら長くなり、分かっている人にとっては、迷惑な話かも知れない。

 そう考えると、日本を代表するクオリティーペーパーである【日経新聞】が、上記の見出しを用いたのも、それはそれで一つの判断かもしれない。

 なお、公選法の規定を掲げておく。

(衆議院比例代表選出議員の選挙における当選人の数及び当選人)
第九五条の二
5 第一項、第二項及び前項の場合において、当該選挙と同時に行われた衆議院(小選挙区選出)議員の選挙の当選人とされた衆議院名簿登載者があるときは、当該衆議院名簿登載者は、衆議院名簿に記載されていないものとみなして、これらの規定を適用する。




比喩は適切な比喩でなければならない

 以下のツイッターを読んでほしい。

 ただ、あくまでも、この見解の適否の問題ではなく、「分かりやすさが第一」という点から、ここで用いられた「比喩」が適切かどうか、考えてほしい。
    
 私が違和感を持ったのは、「火災保険がもらえたからと言って火事を起こした事が良かったと思うのは何かずれている」という比喩の点である。

 松尾氏が「彼の行動を評価する人」というのは、「前原誠司は民進党を潰したけれども、その結果として、立憲民主党が立ち上がり一定の成功を収めたわけであり、結果的ではあるが、前原は、その功労者である」という人々と解される。

 そもそも、松尾氏が比喩としてあげた「火災保険」は、予測できたことであるのに対して、立憲民主党の立ち上げは、前原小池会談で民進党から希望の党への合流を「約束」した段階では、予測できなかったことである。

 比喩としてあげるなら、同じく、「予測できなかった」ことでなければならない。例えば、こんな具合である。
 

放火されて家が全焼したが、義捐金がたくさん集まり、小さいけれども前よりも堅固な家を再建築することができたからと言って放火した事が良かったと思うのは、何かずれている。



 くどいようだが、表に整理すると、次のようになる。
比喩-1


相続開始時期はいつですか

【1】 相続開始時期

 離婚、相続、交通事故、借地借家、借金問題、といえば、多くの弁護士にとって日常的にありふれた事件である。

 その中で、相続問題は、多くの場合、不動産の登記、相続税の問題も付随しており、司法書士、税理士といった専門家を紹介することも多い。

 先日、一人暮らしの父親が亡くなり自宅の名義変更が必要と言うことで、司法書士を紹介した。

 その後、今度は、相続税のことで税理士さんを紹介することになった。

 紹介しようとした税理士さんは、超多忙のため、相続税の申告期限(相続開始から10か月)を心配して、私に、「相続開始時期はいつですか」とメールで尋ねて来た。

 私は、メールを見て反射的に相談者に同じく「相続開始時期はいつですか」というメールを送った。

 それから数分して、はっと気づいた。

 相続開始時期は、被相続人が亡くなった時点だということは、民法に記載されており、弁護士、税理士にとっては、当然の常識である。

 けれども、専門家の常識が世間の人の常識と考えたら大変である。

 民法の規定を知らない相談者にとっては、司法書士に相続登記の依頼をした時点が「相続開始時期」かも知れない。

 むしろ、そう考える方が自然かも知れない。

 相談者にしてみれば、父親が亡くなったといっても、父の遺した財産に何も手を付けていない段階では、まだ、相続はしていない。名義変更の手続に着手して初めて相続を「開始」したと考えるのが自然ではないか。

 そう考えて、すぐに、相談者にメールをして、改めて、「お父様が亡くなったのはいつですか」という質問をした。

 仮に、亡くなったのが9か月前なのに、名義変更に着手したのが1月前だったとして、初めの質問だと「1月前」という返事が返ってきて、それを前提に税理士さんが業務を進めていたら、申告期限を徒過してしまうといった可能性もあったのである。

【2】 相続放棄

 こんなケースもある。

 亡父が遺した借金に関して銀行から督促を受けたという話だった。

 相談者は、「相続放棄」をして、長兄が全部相続したので、自分は関係ないはずだと話した。

 そこで、相続放棄の受理証明書があるのか尋ね、手元になければ、家庭裁判所に発行してもらって、それを銀行に提示すれば大丈夫だと説明をした。

 ところが、相談者は、裁判所と聞いて、驚いたように、そもそも裁判所には行っていないという。では、「相続放棄」の手続はどこでやったのかと尋ねたところ、税理士事務所で行ったと言い、遺産分割協議書の写しを取りだした。

 確かに、亡父の遺産は、不動産、預金だけでなく、借金も含めて、全て、長兄が相続するという内容になっている。

 相談者にとっては、「遺産分割協議」で財産を放棄したことが、「相続放棄」だったのである。しかも、このケースの場合、それなりに法的知識のあるはずの税理士さんでさえ、勘違いをしていたのである。

 「生兵法は怪我の元」というが、なまじ相続関係の知識があるばっかりに、こういった中途半端な処理をしてしまったのである。

 もちろん、弁護士も他人ごとではない。世間一般の人からすれば、多少は税金の知識があるといっても、専門家ではない。税金が絡みそうだと思ったら、自分で判断せず、税理士さんに相談するのが賢明である。

【3】 認知

 この話は、以前も書いたような気がするが、改めて、紹介する。

 相談者には、「認知」をした子がいる。
 
 延々と、その子がどんな生活をしてきたか、その子の借金の尻ぬぐいのために自分だどれだけ財産を注ぎ込んだかなど説明をした上で、もう親子の縁を切りたいという。

 私は、「認知」した以上、親子関係を切ることはできないが、「推定相続人廃除」という手続があると説明をしたのだが、相談者は納得が行かないようであり、また、先ほどの説明を繰り返す。

 話を聞いているうちに、私も、「どうも変だ」という感じがしてきた。

 改めて確認してみると、相談者が「認知」と言っていたのは、「養子縁組」のことだった。

 弁護士にしてみれば、「認知」と「養子縁組」は全然、別物である。

 もちろん、どちらも、子どもが生まれることによって当然に親子関係が生じるのではなく、法的な手続を経て親子関係を生じるという点では同じであり、相談者は、その共通点にだけ着目して、その範疇のものは、全て「認知」と考えていたのである。

【4】 まとめ

 上記3例のように、専門家にとっては、一義的に明確な概念であっても、専門外の人にとっては、そうとは限らない。

 専門家として話をする場合には、相手が誤解することないよう、法的概念を日常の言葉にかみ砕いて説明する必要があるし、話を聞く場合には、相手が法的概念を誤って理解していないか注意する必要がある。

 また、専門家から話を聞く場合には、専門家の発する専門用語について、素人判断で理解したつもりになるのではなく、日常用語に置き換えて自分の理解が正しいのか専門家に確かめる必要がある。

 知ったかぶりをせずに、とにかく尋ねることである。そうしないと、医師に「座薬です」と言われて、家に帰って「座って薬を飲む」といった笑い話のようなことになってしまうのである。


割合の単純比較は、危険

 今朝のテレビで、また、「論理の飛躍」としか言いようのない番組があった。

 どの局の何という番組かも覚えていないのだが、シートベルト着用を呼びかける番組だった。

 その中で、こんな円グラフが出ていた(一瞬の記憶に基づく再現なので、数字は、若干、不正確である。また、デザインも若干、変更している。)

 交通事故の死亡者の中で、シートベルトを着用していた人と、着用していなかった人の割合を円グラフで表現したものである。

ベルト-1


 このグラフを見て、着用・25%、不着用・70%という数字から、シートベルトを着けないと、3倍も危険なのだ、と思った人は、番組の狙い通りである。

 でも、その判断は、正しいのだろうか。

 検証のため、こんな例を想定してみよう。

 ① 事故に遭った人が、全部で、100人
 そのうち、
   ② 着用者が、10人
   ③ 不着用者が、85人
   ④ 不明が、5人

 ⑤ 事故に遭って亡くなった人が、全部で、20人
 そのうち、
   ⑥ 着用者が、5人
   ⑦ 不着用者が、14人
   ⑧ 不明が、1人

 そこで、①~⑧の情報の全てを図にすると、以下の図になり、⑤~⑧の情報だけを円グラフにすると、冒頭の円グラフとなる。


(小さい正方形1個が、1人である)
ベルト-3


 亡くなった人の中での着用者、不着用者の割合を比較したのが、冒頭の円グラフであり、また、百個の正方形からなる上の図の下2段の部分である。

 けれども、亡くなった人の中での着用者、不着用者の割合を比較しても何の意味もない。

 日本国内の全犯罪者に占める暴力団員と一般人の割合を比べると、一般人の割合の方が大きいのは常識で分かることである。けれども、一般人は暴力団員よりも犯罪を起こしやすい、という結論にはならない。

 比較すべきは、暴力団員のうちの犯罪者の割合と、一般人のうちの犯罪者の割合なのである。

 シートベルト着用の安全性の問題も同じであり、意味のあるのは、下記の数字である。

 ⑨ 着用者のうち、亡くなった人の割合は、50% 【 5÷10×100 】 
 ⑩ 不着用者のうち、亡くなった人の割合は、16.5% 【 14÷85×100 】

 結局、 着用者、不着用者、それぞれの死亡率を比べると、着用者は不着用者の3倍ということになる。
       【 ⑨÷⑩ = 50÷16.5 = 3.04 】 

 そもそも、最初のグラフの情報だけで、シートベルトの不着用が危険だという結論を下すことは、「論理的に不可能」なのである。

 にもかかわらず、死亡者に関する情報(上の大きな正方形の下2行)だけを根拠に、シートベルト不着用が危険だという判断を示したのが、この番組である。

 番組製作者は、こんなことも分からないほど、論理的思考力がないのだろうか。

 あるいは、そんなことは十分承知の上で、視聴者に、シートベルトを着用しないと危険だと感じてもらうために、あえて、このグラフを掲載したのだろうか。だとすれば、視聴者もバカにされたものだが、残念ながら、視聴者のレベルは、その程度なのかもしれない。

 ところで、上のグラフは、エクセルで作成したものだが、エクセルのグラフ機能で単に円グラフを選択した場合、自動生成されたのは、次のグラフだった。

ベルト-2

 このグラフを自分で加工したのが最初のグラフである。

 作成にあたって、次のことに留意したので、その意味をかみしてめてほしい。

 ● 「凡例」をグラフと重ねて、一々、グラフと凡例の間を視線が行き来しなくてもすむようにする。
 ● 数字を記載する。
 ● グラフの色を鮮明なものにし、「不着用」を赤にして、危険を強調する。


  

担当裁判官一覧表

 裁判所のホームページには、各部の裁判官の氏名、開廷日などの一覧表があり、大変、便利である。

 どの裁判所も同じ書式だが、次に掲げるのは、京都地裁の一覧表の一部【京都地裁・担当裁判官一覧 】である。

 
裁判官-1


 特段、「分かりにくい」というわけではない。では、次の表は、どうだろう

裁判官-2


 違いは、情報として無意味なものを、すべてカットした点だ。

 「○○係」「●曜日」など、違うのは、○○、●の部分だけであり、それさえ伝われば十分だ。「係」「曜日」といった文字はいらない。

 「毎週」については、殆どが毎週なのだから、省略して、「毎週」でないところにだけ、「月2」といった記載をすれば足りる。

 また、「京都地方裁判所」というのも、3箇所に出てくるが、これも、1箇所で十分である。

 無駄な情報は、有用な情報を探す際の障害になるのだから、「無害無益」なのではなく、「有害無益」なのである。

 更に、開廷曜日の欄だが、次のようにすれば、一目瞭然になる。

裁判官-3

 この類の表は、医院の診療日などを示すのによく使われている。むしろ、医院の場合、表を使っていないのが珍しいくらいである。それだけ、表の有用性が認識されているということである。

 他方、飲食店の場合は、表になっている方が少数派だが、これも、表にした方が、はるかに分かりやすい。以前のブログ【営業時間の表示は、こうする】も、参照されたい。


宝くじの分類

 二月ほど前のこと、烏丸三条の書店に寄った帰り、隣の銀行にある宝くじ売り場が目に入った。

 宝くじファンというわけでないのだが、ふと気になった。ここで買わないで、後で、その売り場から1億円の当たりが出たなどと知ったら、後悔するかも知れない。そんな気がして、1枚、買った。

 先ほど引き出しの整理をしているときに、その時の宝くじが出てきたので、ネットで当選番号を調べることにした。

 宝くじにも色々と種類があるようで、公式ページを開くと、次のようなメニューがあった。
 
番号・トップ


調べたいのは、「第725回全国自治宝くじ(サマージャンボプチ100万)」という長ったらしい名前の宝くじなのだが、メニューと照らし合わせても、「全国通常宝くじ」と「ジャンボ宝くじ」のどっちを見ればいいのか、分からない。
 
「全国」とついているのは、「全国通常宝くじ」だけだし、「ジャンボ」とついているのは、「ジャンボ宝くじ」だけであり、私が探しているのが、どっちなのか、決め手はない。

そこで、とりあえず、「全国・・・」をクリックしてみると、そこに、私の調べようとした宝くじがあった。試しに、「ジャンボ・・・」もクリックしてみると、そこにも、あった。

 両者を比べてみると、「」を付けたもの以外は、「ジャンボ・・・」にも「全国・・・」のどちらにも掲載されていた。

番号・中身

 つまり、「ジャンボ・・・」は、すべて、「全国・・・」に含まれるているのだった。

 だったら、「ジャンボ・・・」の区分を設ける意味はなく、そんな区分を設けると、徒に、戸惑わせるだけである。

 更に問題は、「全国通常宝くじ」という表現である。クリックして、一覧で出てくる宝くじの名前には、「通常」という単語はなく、逆に、全てに、「自治」という単語が入っている。

 そういうことなら、「全国自治宝くじ」と表現すればいいのである。

 おそらく、ウェブサイト作成者の頭の中では、「通常」=「自治」ということなのだろう。

 けれども、読み手は誰も、そんなことまで、「忖度」はしてくれない。「忖度」しなければならないのは、情報の発信者の側である。




「衆議院議員」か「参議院議員」か

 昨日の午後から、テレビは、小池新党の話題で持ちきりである。

 「リセット」された若狭、細野の両議員の外にも、自民、こころ、民進の各党から新党への合流が加速しており、テレビの画面にも、そんな議員の一覧が大きな表になったものが出てくる。

 次に掲げるのは、先ほどの、「ひるおび」の表である。

離党-1


 各議員が、衆議院議員か参議院議員かということは、来月の選挙の候補者となるか否かという点で、重要なことである。ところが、小さな字で「衆議院議員」「参議院議員」と書かれていても、目を凝らしてみないと分からない。

 これに対して、次に掲げるのは、今朝の讀賣テレビのローカル番組に出ていた表である。

離党-2


 違いは、次の2点である。

 ● 「衆」「参」としか書かれていない。
 ● 「衆」は赤、「参」は青の背景になっている。

 こちらの方が、遙かに分かりやすい。

 最初の表のように「衆議院議員」「参議院議員」と各5文字を費やす意味はない。話の流れから「国会議員」であることは明らかだし、その上に、表の上の表題にも「国会議員」と記されているのだから、「議院議員」の4文字に、情報としての価値はない。むしろ、余分な情報が目に入るだけ、有害である。

 これに対して、後の表のように、情報として意味のある「衆」「参」の各1文字だけにすれば、その分、字を大きくすることもでき、一瞬で理解してもらうののに役に立つ。

 また、文字の背景を赤、青と色分けしているので、より一層、見やすく、記憶にも残りやすくなる。

 さらに、どの色をどちらにするかという選択について言うと、来月の総選挙に出馬することが確実な衆議院議員の方を、より目立つ赤にしたという点でも、優れている。


一人一票実現国民会議のウェブサイト

 新聞を拡げると、解散、総選挙が既定の事実のような扱いだ。

 今度の選挙で改憲勢力が3分の2を制したら、一気に、憲法改正へと突き進むかもしれない。

 しかし、議員定数不均衡の選挙で選ばれた国会議員で構成される国会は、「違憲状態」であり、そんな国会が憲法改正の発議をすることなど、論理的に、できるはずもない。

 だが、いくら「できるはずもない」と言ったところで、憲法を、小学校の児童会で決めた今月の「努力目標」くらいにしか思っていない政権にとっては、できないことではない。

 これを止めるのは最高裁しかない。最高裁が、「違憲状態」から、「違憲」さらに、「選挙無効」の判断まですれば、どんなに詭弁を弄しても、憲法改正の発議などできはしない。

 そして、最高裁に、「選挙無効」の判断をさせるために奮闘しているのが、一人一票実現国民会議なのである。

 そこで、この国民会議のウェブサイトを見てみると、非常に充実した内容であり、「分かりやすさ」の点でも相当の配慮をしていることが窺える。

 けれども、もう少し手を加えれば、もっと「分かりやすく」なると思える点も結構ある。

 そういうわけで、今回は、このウェブサイトを素材に、問題点を指摘する。

 まずは、トップ頁だが、下の図の右側が、トップ頁を開いたときに一画面で見ることのできる部分、左側が、トップ頁の全体像で、画面をスクロールすれば見ることができる。

会議・トップ・3

 トップ頁を開いて最初に目にする一画面だけでも、内容が結構ある。スクロールをして行けば、延々とトップ頁が続き、全部で10画面分くらいのトップ頁に、これでもかと言うほど、内容が詰め込まれている。

 いったい、どこから見ていけばいいのだろう?

 たとえば、5人で中華料理を食べに行って、一人、2皿ずつを注文したところ、いきなり、10皿が運ばれてきたとしよう。

 酢豚、皮蛋、青椒肉絲。餃子、春巻き、麻婆豆腐。エビチリソース、蒸し鶏とクラゲのサラダ、イカと青梗菜クリーム煮、小籠包。

 どれもみな、美味しそうで、迷ってしまう。どれから食べるか、頭の中で、順番を考える。それぞれの料理を口にしたときの味と食感を思い浮かべていると、そのうち、真ん中の麻婆豆腐の辺りで満腹感が漂い、最後の小籠包に辿り着いた頃には、もう結構、という状態になってしまう。

 そんな状態で料理を食べても、単品で出てくれば美味しい料理でも、もはや義務感で食べているような気になってしまうだろう。

 このトップ頁の問題点は、「詰め込みすぎ」というだけではない。

 色使いも、赤、青、黄、緑と、色相の隔たった有彩色を、4色も使っており、なかなか、落ち着いて画面を見ることができない。この点については、【フォントの話】、【不要な情報はカットする】でも触れている。

 次に、サイトの随所に出てくる、投票箱を持った二匹の動物のキャラクターである。
会議・ヒョウ

 このキャラクターの制作意図については、こう語られている。

── 「一人一票実現国民会議」のキャラクターがとてもカワイイのですが、これはヒョウですか。もしや一票の「票」と「ヒョウ」をかけているのでは?

升永そうそう。これはトラじゃなくて、ヒョウなんですよ。「1票」のヒョウは尻尾が上を向いてハッピー、「0.6票」のヒョウは下を向いてアンハッピーになっています(笑)。

── あ、ホントだ!(笑) 
        一人一票実現国民会議×弁護士ドットコム 升永弁護士インタビュー     


 せっかくの製作者の意図が込められた尻尾の向きの意味が一見しただけでは伝わらないのである。もったいない話だ。

 人の写真を見るときでも、顔に目が行くのが普通である。ヒョウの絵も、左右で同じ顔にするのではなく、右の顔を、もっと項垂れた表情にするなどすれば、0.6票というのが不当に権利を侵害するものだ、ということを、よりアピールできるのではないだろうか。

情報の「説得力」

 今回も、先日のブログ【伝達力と説得力】に関連した話である。

 その中に、以下の記述がある。
 

③も④も一票の価値を数字の大きさで表現した点では同じだが、鳥取県の1票の価値が高すぎる(③)、と訴えるよりも、神奈川県の1票の価値が低過ぎる(④)、と訴える方が、何となく説得力がある


 私は、「何となく説得力がある」としか書かなかったのだが、一人一票運動国民会議の発起人・事務局長である伊藤真弁護士が、その「何となく」の部分を、具体的に説明してくれている。少し長くなるが、以下に引用する。
 

 升永先生、久保利先生たちとお話をするなかで強く感じたのは、一人一票実現国民会議の活動のなかから今までの法律の世界では想像もできなかった「発明」がいくつも生まれているなということでした。

 その一つが、従来の「5倍の格差」ではなくて「0.2票しかない」という表現に置き換えながら、広く国民の皆さんにアピールしていることです。

 前者の表現ですと、「神奈川の有権者が1票なのに対して、鳥取の有権者は5票持っているのか。鳥取の人は得しているな」と、どこか他人事として捉えがちです。しかし、「鳥取の有権者は1票、神奈川の有権者は0.2票。」となると、「えっ、1票と思っていたものが、0.2票だなんておかいじゃないか。ところで自分の選挙区の票はどうなっているのか……」と、我が事として認識するようになります。

 数学的には同じことなのですが、全国民の意識をこの問題に向けさせる「大発明」だと、目から鱗が落ちる思いでした。

 実はその大発明は、私自身の誤りを気づかせるきっかけにもなしました。それまで私は「2倍未満の格差なら許される」という憲法学の通説を講義で当たり前のように教えていました。しかし、これは「2倍未満、つまり0.51票なら認めましょう」ということと同じです。人間誰しも人格価値は平等であるということに異論を持つ人はいないでしょう。それなら一人ひとりの投票価値も平等でなくてはなりません。
            【一人一票実現国民会議×弁護士ドットコム


 伊藤弁護士は、「大発明」と称賛しているが、その発明が生まれた経緯について、発起人・共同代表の升永英俊弁護士が、こう語っている。

 私は昨年まで、自分が「清き一票」を持っていると信じていました。20歳から66歳までだから46年間ずっとです。
もちろん、「一票の格差」があることは知っていました。しかし、それはそれとして、自分は「清き一票」を持っていると思い込んでいた。

 ところが、昨年5月に友人と話している時、彼が「『2倍』では素人には分からない。『0.5票』と言ってもらえれば分かる」と言った。
「そんなの、同じことだろう。1を2で割れば0.5だ。自分で割り算をやればいいだけじゃないか」と私は友人に言ったのですが、その話が妙に頭に残りましてね。2日間、考えました。考えた末に、これは大変なことだと思った。

 「そうか、自分は1票を持っていないのだ。0.5票しか持っていないのか」って。

 たとえば、衆院選(小選挙区)で、高知3区を1票とした場合、東京1区は「0.47票」、参院選(選挙区)で、鳥取県を1票とした場合、「0.23票」です。
                     【一人一票実現国民会議×弁護士ドットコム


 友人に指摘された時、升永弁護士は、 「そんなの、同じことだろう。1を2で割れば0.5だ。自分で割り算をやればいいだけじゃないか」と言ったそうだが、私自身も、何かを説明する文章を書くとき、つい、同じような思いになることがある。

 だが、「数学的に同じ」「計算すれば分かる」「考えれば分かる」という態度では、現実的な力は乏しいのである。

 単に情報を伝達するだけでなく、情報を相手の脳裏に深く刻みつけようと考えるなら、そのための工夫を惜しんではならないのである。

表の作成にあたっての注意事項

 先日のブログ【伝達力と説得力】では触れなかったが、表の作成にあたっても、「分かりやすさ」のための工夫が随所に凝らされている。
 
 再度、表を掲載するで、練習問題だと思って、私の説明を読む前に、どこに工夫があるのか、その工夫の持つ意味は何か、ということを考えてほしい。

定数-1


定数-3


 色使い

 4つの表には、数字の意味、計算式を示すために、「議員1人当たりの有権者数」という言葉が全部で、7箇所、出現している。

 他方、各表で異なるのは、「各県」「鳥取」「神奈川」の箇所である。

 それぞれの計算式の違いを端的に理解してもらうためには、共通の「議員1人当たり有権者数」という言葉ではなく、「各県」「鳥取」「神奈川」といった、各式に固有の部分に着目してもらう必要がある。

 そこで、この、「各県」「鳥取」「神奈川」という文字については、太字(ボールド)、かつ、赤色にしたのである。

 ただ、「赤」といっても様々なのだが、ソフトが予め用意している「赤」は、それこそ目一杯の赤であり、そのまま使うと少しどぎつすぎて目に負担になる。そこで、少し明度を落として黒っぽくしているのである。

 コンピュータに苦手意識のある方には敬遠されるかもしれないが、ここで、コンピュータで色を表現するときの方法について、少し、整理しておく。

  コンピュータでは、色を、3原色(赤、緑、青)の組合せで表現する。

  具体的には、通常、各色の英語の頭文字と、各色の数値を組み合わせて、R=64、G=128、B=255 のように表現する。

  使われる数値は、十進法の、0から255までの、256段階である。

  ただ、コンピュータでは、16進法を使う場合が多く、16進法の、0~FFという数字が使われる。

  16進法では、0~9の数字に加えて、A~Fの文字が数字の代用として用いられ、Aは十進法の10、Fは十進法の15に対応する。上記の例を16進数で表現すると、R=40、G=80、B=FF となる。ただ、16進数を用いる場合は、R,G,Bを省略して、4080FFのように、6桁の数字で表現することが多い。

  そうすると、目一杯の赤は、FF0000 となり、暗めの赤は、例えば、990000 のようになる。

  このブログでも、本文の文字の色を変えているところでは、ソース(実際に画面で表示される文字列そのものと、その各文字の、色、大きさなどを指示するコンピュータに対する命令文とが、一体となったもの)には、【color=#4080FF】のような文字が書かれているのである。

  とは言っても、一々、ブログを書く際に、実際に、このような16進数を記載しているのではなく、色パネルを呼び出して、そこから適切だと思う色を選択すれば、ブログ作成ソフトが、コードを作成してくれるのである。

 このように、ソフトにコード作成を任せておいてもいいのだが、後から、「僅かに赤みを加えたい」と思ったときは、色の表現の仕組みを知っていれば、コードを開いて直接に、Rにあたる部分の数字を少しだけ増やすことができるし、その方が、色パネルを開くよりも適切に目的の色を設定することができる。

 鳥取県か、鳥取か

 上記の表の中では、「都」「府」「県」は省略している。分かりきったことは、極力、読者の目に触れないようにするのが、「優しさ」というものである。

 ただ、「道」だけは省略していない。「北海」という呼称は一般的でないからである。

 「不統一」ではあるが、ここでは、「不統一を回避」するのに勝る利益があるから、あえて、そうしているのである。

 これまでも述べてきたことであるが、このブログに書かれている「原則」は、あくまでも、「原則」であり、その都度、具体的に読み手のことを考えて、「例外」処理が妥当なときは、原則から外れることも必要なのである。

 数字の位置、桁揃え

 冒頭の表は、エクセルで作成したものだが、エクセルでは、数字は、セル(データが入る長方形の枠)の右端に寄せて表示されるのが原則である。

 この表の場合、セルが結構、横長になっているので、そのままだと、数字が極端に右端に偏ってしまい、見栄えが悪い。そこで、②の表では、センタリング(中央揃え)を行っている。

 ただ、センタリングは、桁数、少数以下の数字の数、それぞれが皆同じ場合にはいいのだが、①のように桁数が異なる場合、センタリングをすると、各数字の右端が揃わなくなってしまう。

 そこで、①の表では、右寄せインデント(数字の末尾をセルの右端から一定の間隔を空けたところにする)で対応している。

 最後に

 今日のブログでは、非常に細かいことを、くどくどと説明してきた。
 
 ・そこまで必要なのか
 ・そんなことまで、一々考えていられない

 と言う人も、いるかも知れない。

 けれども、私は、敢えて言うことにする。
 
 ・ここまで必要です!
 ・面倒でも、ここまで、するべきです!

 情報発信は、1対1のこともあるが、多くは、1対多である。メーリングリスト、ブログやSNS等になると、1対1000、1対10000ということも珍しくはない。

 「分かりやすい表現」によって、読み手の負担が、仮に、0.1秒でも軽減されるとしたら、1000人分の合計は、100秒、10000人なら、1000秒である。

 その「分かりやすい表現」をするために、書き手が1分間、余分な労力を費やしたとしても、社会全体では、差引、40秒から940秒(15分40秒)の得である。

 そう考えると、読み手に配慮して「分かりやすさが第一」を実践する行為は、ゴミを道路に投げ捨てないのと同様、社会人の当然の常識、エチケットとも言えるだろう。

 ただ、この「常識」の具体的内容は、発展途上であり、私自身、このブログを書き始める前の自分の文章を読み返してみると、よく、いい加減な文章を書いていたものだと恥ずかしくなることもある。

 話は飛躍するが、今では、公共の場での禁煙は当然の常識となっているが、約40年前に「嫌煙権の確立を求める市民の会」が発足した当時は、職場で1人で室内禁煙を求めても、相手にされなかったのである。

 また、20年前なら、飲んだ後で車を運転して帰ろうとしても、せいぜい、飲み屋の女将さんから「気をつけて」と言われるくらいだったが、今は、酒気帯び運転で摘発されたら、新聞に載ったり、下手をすれば、懲戒免職もありうる時代である。

 「昔は、こんな当たり前のことを、わざわざブログで書いている人がいたんだね」と言われる時代が来ることが、私の夢である。

 夢で終わるか否かは、ここまで読まれた読者の方の行動次第である。


伝達力と説得力

 このブログの使命は、「分かりやすさ」を追究することだが、「分かりやすさ」には、次の二つの要素を含んでいるように思う。

  情報が瞬時に正確に伝わること      (「伝達力」といってもいい)
  情報の内実が深く脳裏に刻まれること  (「説得力」といってもいい)

 両者は単純に切り離して考えることはできないのだが、これまで、前者を中心に論じてきた。今日は、主に後者について検討してみることにする。

 素材は、このブログの熱心な読者の方から提供された資料だ。

 国会議員の議員定数の不均衡、一票の格差に関する説明資料なのだが、1票の格差の問題を、より説得的に訴えるには、どうすればいいか、という観点からブログで取り上げてほしい、とのことだった。

 まず、次の表を見比べてほしい。

定数-1

 どちらも、参議院の選挙区の議員定数に関する表だが、①は、各都道府県の議員1人当たりの有権者数であり、②は、その数字を、議員1人当たりの有権者数が最も少ない鳥取県の数字で割ったものである。

 ①の表の数字は、皆、数十万から百数十万という、大きな、生の数字であり、これだけでは、どの程度の不均衡かは、直感的に分かりにくい。

 他方、②の表だと、議員1人当たりの有権者数が鳥取県の何倍かと言うことが、ストレートに数字で示されており、不均衡の度合いが、すぐに分かる。

 では、更に、次の表を見比べてほしい。

定数-2

 ②は、先ほどの②と同じものだが、③は、神奈川県の議員1人当たり有権者数を各都道府県の議員1人当たりの有権者数で割ったものである。

 念のため、注意を喚起しておくが、よく1票の格差に関する判決などで出てくる数字は、この③の数字ではなく、②の方の数字である。どちらも、1~5.08の数字が並んでいるため、同じように思われ勝ちだが、意味は違うので、注意が必要である。

 ②は、1票の価値をストレートに表現したものではなく、神奈川県の数字が鳥取県の数字より大きな数字で出てくるので、1票の価値が神奈川県の方が小さいということが、直感的に理解しにくい。他方、③だと、まさに、1票の価値そのものが数字で表現されているので、③の方が優れている。
 
 更に、次の表を見比べてほしい。

定数-3


 ③は、上の表の③と同じで、神奈川県の1票の価値を1としているものだが、④は、鳥取県の1票の価値を1としたものである(なお、数値としては、④は②の逆数となっている)。

 ③も④も一票の価値を数字の大きさで表現した点では同じだが、鳥取県の1票の価値が高すぎる(③)、と訴えるよりも、神奈川県の1票の価値が低過ぎる(④)、と訴える方が、何となく説得力がある。

 従って、1票の価値の平等の実現を求める場合は、①でも②でも③でもなく、④の表の数字を用いるべきである。

 さて、ここまで情報を表で表現してきたが、より直感的に理解してもらうためには、グラフや地図を用いる方がいい。

 次に掲げるのは、先の読者の方から提供を受けた資料が掲載されているウェブサイト【都道府県データランキング 1票の格差】からの引用である。

 まず、上記の③の表をグラフ化したのが、これである。
定数-4


 次に、同じグラフだが、地域的な不均衡が直感的に分かるように、北海道から南西方向に順に沖縄まで配列したものが、次のグラフである。
定数-5


 このグラフにより、地域的な傾向が直感的に分かるのはいいのだが、致命的な点がある。

 それは、左に北海道、右に沖縄を配した点である。

 地図の上では、右上に北海道、左下に沖縄となっているのであるから、グラフにおける配列も、それに従った方が、遙かに直感的に理解しやすい。このことは、以前のブログ【前列右から、加藤、清水、野間、高谷、石原、・・・】にも書いたとおりである。

 次の図は、【一人一票実現国民会議 参議院(選挙区)】に掲載されたものである。
 
定数-6


 この地図は、上記の棒グラフと比べると、次の2点で優れている。

   地図の色分けの基礎となったデータは、前記の④と同じものを用いていていること。

   地域的な傾向を示すには、棒グラフよりも地図を色分けした方が直感的に分かりやすいこと。

 ところが、ぱっと見て、鳥取県の黄緑だけが際立っていて、全体に赤茶色っぽく、選挙区毎の識別が困難である。例えば、広島、岡山、兵庫の3県が順にレベル8,9,10となっていることは、目を凝らさないと分からない。

 そもそも、人の目の識別能力の問題だろう。10段階に分けたから識別が困難になったのであり、これが5段階であれば、ぱっと見ても区別ができただろう。

 さらに、この地図は、色の選択も問題だ。両極端を赤と緑にして、その間をグラデーションにしたわけだが、途中の黄土色が、どうしても、赤と緑の中間の色だということが直感的に分かりにくいのだ。

 この点、両端を赤と青にすれば、途中の紫が、赤と青の中間の色だということが直感的に馴理解できるのだ。ただ、これは、私の個人的な感覚であって、あまり一般的なものではないかも知れない。

 翻って考えると、そもそも、数字の大小は一次元的なものであり、これを色のグラデーション表現するのに、有彩色を2種類、用いることが、疑問である。

 赤と白、あるいは、黒と白、といった、有彩色と無彩色、あるいは、無彩色同士にした方が、余分な情報が削ぎ落とされて、直感に馴染むように思う。

 なお、ここで、一次元情報だから有彩色を2種類使うのは考えものだと述べたが、気温の場合は、赤=高温、青=低温というイメージが定着しているので、赤から青のグラデーションでも、いいかも知れない。

 いろいろ述べてきたが、地図に着色するよりも、棒グラフで表現する方が、棒の高さは微妙な違いまでも区別できるので、優れている。とはいえ、地図に着色する場合でも、適切な工夫をすれば、直感的には理解しやすいのであるから、地図とグラフ、いずれも、甲乙つけがたい。

 最後に、地図の左側にある表になっている凡例で、一票の価値の低いところが上になっているのは、直感に反する。この点は【グラデーションのフェイント】に書いたとおりである。

 以上、配慮すべきことを色々述べてきた、整理のために、以下に、項目だけ列挙するので、これを参考に、読者自身の頭で納得行くまで、考えてほしい。私の指摘で納得の行かないところがあれば、ぜひ、コメントで知らせてほしい。

  生の大きな数字ではなく、比率を表す数字にする。
  大きい方がいい、という、一般的な感覚に沿ったものにする。
  訴える内容に適切なものを基準にする。
  表よりも、グラフ、地図
  現実の配置に表現上の配置を合わせる。
  識別困難にならないよう、過度の細分化は避ける。
  グラデーションは、グラデーションと分かるような色を選ぶ。
  有彩色の多用は避ける。
  大きい数値を上にする。

 なお、グラフの効用については、過去に、このブログでも触れている。

  ● グラフの効用
  ● グラフ作成に際し考えるべきこと

実務に理解の深い教員の養成は急務なのだが・・・

 法科大学院制度ができて、実務にも詳しい研究者教員の養成が叫ばれているが、なかなか、うまくいっていないそうである。このため、これまでも多くの研究者教員を輩出してきた大学院では、実務にも詳しい研究者教員の養成について、真剣に検討が行われている。

 ウェブサイトを見ると、現状分析と今後の展望に関し、プレゼン用ソフトで作成したと思しき9頁の資料が掲載されている。

 ところが、残念なことに、この資料が、これまで、このブログで取り上げてきた問題点を総取りしたような、突っ込みどころ満載の代物なのである。まずは、説明の前に、実際の資料を見ていただこう。

京大養成-1


【1】 総天然色

 これを目にしたとき、頭がくらくらした。と同時に、モノクロ映画がカラーに切り替わった昭和30年代の映画のポスターに誇らしげに記されていた「総天然色」という言葉を、何十年かぶりに思い出した。

 確かに、プレゼンソフトであれ、ワープロソフトであれ、ありとあらゆる種類の色を表現することは可能である。けれども、「可能である」からと言って、それを実際に行う必要はない。

 これでは、まるで、24色のクレパスを買ってもらって、嬉しくて仕方なく、24本、全部を使って大はしゃぎで絵を描く幼稚園児と同じではないか。

【2】 雲形、ウニ形、人の顔

 1枚の資料の、あちこちに書かれた説明文を際立たせるために長方形などで囲むのは、効果的である。

 けれども、雲形、ウニ形で囲むのは、いかがなものか。

 ことさら奇抜な図形を用いても、図形の印象は残るかも知れないが、図形の印象が強い分だけ、内容の理解、記憶の妨げになり、逆効果である。 

 作者は、おそらく、プレゼンソフトが用意した図形の中から目立ちそうなものを選んで使ったのだろう。

 けれども、そんなことをするのは、たとえば、長距離ミサイルを手にしたら発射して自慢したくなるのと精神構造は同じである、と言ったら、言い過ぎか?

 あと、左下のスマイルマークのような人の顔の図形も、有害無益である。

 もう一つ、別の頁を見ていただこう。

京大養成-2


【3】 日本地図

 中央に黄緑色の日本列島の地図が描かれている。

 その地図の沿岸部を囲うように、深緑色の図形が描かれている。東日本大震災のときの、津波予報の図を思い出したのだが、さすがに、それはないだろう。

 しばらく目を凝らしているうちに、深緑色の図も、やはり日本列島の地図であり、それが背景に配置されている結果、手前の地図で分断されて、日本列島だと分かりにくいのだと気がついた。

 けれども、背景に日本列島の地図を重ねる必然性など、どこにもない。かえって混乱するだけである。


【4】 今の頁は、何頁?

 資料は全部で9頁あり、下の方には、「1 2 3 ・・・ 9」と数字が並んおり、数字をクリックして、その頁に飛べるようになっている。

 けれども、その数字は、全部、同じ色、同じ大きさ、同じ背景であり、いま見ている頁が何頁なのかは分からない。

 よく見ると、右下に(赤い矢印の先)、数字の「5」のようなものが見える。けれども、こんな小さな文字では、そこに文字が書かれていることさえ、気がつかれない。

 せっかく、下に、数字の1から9までを並べているのだから、今の頁の番号の色や大きさ、背景を変えるなどすれば、それだけで、いま何頁なのか分かるのである。

【5】 資料を作成した大学は?

 どこの大学が資料を作成したのかは、資料の冒頭に記載しておけば十分であり、各頁に記載するまでもない。

 とはいえ、中身の各頁に大学名を記載してアピールしたい、というのであれば、それも一つの考え方であろうし、はたから、とやかく言うまでもない。

 資料の右上の、赤い点線の長方形の所には、別の頁では大学名が入っているのだが、この頁だけ、大学名が入っていないのである。別に大学名はなくても困らないのであるが、他の頁には皆、大学名が入っていることから、一瞬、なぜだろうという疑問が生じるのである。

 別に、どっちでもいい話なのだが、こういった不統一感は、資料の読み手に、僅かではあるが、ストレスを感じさせるものである。

 また、それだけでなく、こういった不統一感があると、作成者の注意力、思考の厳密性などにも若干の疑念をもたれ、内容の信頼性にも不安を覚えさせることにもなる。

 なお、「不統一」という点では、実は、一つ前の【4】の最終段落に、次のような「不統一」な表現がある。
  ・ 今の頁の番号の色
  ・ いま何頁なのか

 同じ対象を、漢字、ひらがな、と異なった表現をしているのである。
 
 だが、これは、無頓着に「不統一」にしているのではない。例えば、漢字、ひらがなを逆にするとどうなるか?
  ・ いまの頁の番号の色
  ・ 今何頁なのか

 つまり、ひらがなが続いたり、漢字が続いたりすると、単語の切れ目が分かりにくくなるため、そうならないように、あるときは、漢字、あるときは、ひらがな、と表現して、「結果的」に「不統一」になっているのである。

 要するに、「不統一を避ける」というのも、絶対的なものではなく、それよりも、読みやすさを優先すべきだということである。


 今回の様々な指摘に関連したことは、これまでも書いているので、それらの記事も参照されたい。
 ● フォントの話
 ● 現在の頁は?
 ● 表記のゆらぎ 
 ● あざいお市マラソン

 このブログの素材となったのは、以下のウェブサイトである。
 ● 法科大学院制度下における教員養成

写真の解説は、こうする 【続編】

 数学者・岡潔の著作を整理、解説した「数学する人生」【新潮社】の中の掲載写真の解説を素材に、【写真の解説は、こうする】という記事を書いたことがある。

 今日、その記事を読み返す際に素材となった解説も眺めてみたのだが、どうも、読んでいて落ち着かない。なんとなく、苛々するのである。

 その苛々の原因を考えているうちに、前回のブログで書いたこと以外に、問題点が満載なことに気がついた。

 以下、写真の解説の中の長方形の囲みの色と、問題点の解説の見出しの冒頭の「●」の色とは対応しているので、照らし合わせてみてほしい。

岡潔-枠


【1】 同一の対象は、同一の表現①


 「奈良市」と「奈良」。どちらも、同じようなものだが、単に「奈良」だと、「奈良市」以外の「奈良県」のどこか、という可能性もないではない。どちらも、同じ65歳の頃の自宅というのだから、「奈良」というのも、「奈良市」だろうとは思えるのだが、理窟の上では、そうとは断定できない。

【2】 同一の対象は、同一の表現②


 いずれも、岡潔、岡ミチの夫妻を指しているのだが、微妙に異なる表現となっている。

 もちろん、長い文章の中だと、同じ対象でも、文脈によっては違う表現を用いる方が適切な場合も、あるにはある。

 しかし、単に客観的な情報を伝えるだけの写真の説明文において、このような異なる表現を使うのは、「場当たり的」であり、読み手に余分な負担を与えるだけである。

【3】 「何かに関心を集めている」  主体と客体の関係に注意


 「関心を集める」というのは、主語となった人・物が、関心の対象となっている場合である。
 ここでは、「何かに関心を集めている」というのだから、関心の対象は、「何か」であり、著者は、「関心を集めている」のではなく、「関心を寄せている」のであろう。

【4】 「第三高校生」  一般的でない表現


 要するに、旧制の第三高等学校の学生であることを表現したかったのだろう。

 だが、それなら、普通は、「三高生」という表現を用いる。

 グーグルで、それぞれを検索したところ、「第三高校生」は「三高生」の7分の1程度の出現数であり、しかも、「第三高等学校の学生」とは違う意味で使用されているものが殆どだった。


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「時間泥棒」仕置人

Author:「時間泥棒」仕置人
.

 弁護士として、どうすれば、効率よく、的確に、情報を取得・提供できるか、ということを常に考えています。

 ところが、そんなことには無頓着な人も多いようで、読者に対する配慮の一欠片もない文章を目にすることがあります。

 難解な文章で読者の貴重な時間を奪ってしまう人達のことを、「時間泥棒」と名付けました。

 このブログは、「時間泥棒」を立派に更生させることを目的として開設したものです。

 記事を読んで、自分も「時間泥棒」かな、と思ったら、早速、改めて下さい。また、あなたの廻りに「時間泥棒」がいたら、あなたの力で立派に更生させてあげて下さい。

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